廣田外務大臣演説

　廣　田　外　務　大　臣　演　説

　本日茲に、帝国の対外関係に付所見を開陳致しますことは、私の光栄とする所であります。
　抑々東亜の安定勢力たる地位を確保し、真の世界平和の樹立に貢献することは、帝国の国是でありまして、今更贅言を要しないのでありますが、之を遂行するに当りましては、先づ日満支那「ソ」聯邦間の関係を考慮せなければならないと確信するのであります。
　最近支那の状勢を通観致しまするに、国内世論の統一、国家意識昂揚の手段として、我が帝國を目標とする所謂抗日の精神乃至運動が組織的に強化利用せられ、右に基因するものと認めらるゝ不祥なる事態が、各方面に発生しつゝありますことは、帝国政府の甚だ遺憾とする所であります。帝国政府に於きましては、曩に成都事件を契機と致しまして、日支国交上根本的障害を為す所の支那側の対日態度の是正を促し、国交改善に関する同政府の誠意を具体的問題に付て表示せむことを求めたのでありますが、御承知の通り、不幸右交渉は支那側の反対に依つて停頓の已むなきに至つた次第でありまして、其の後の日支両国の関係は率直に申しますれば、決して満足なものでははなかつたのであります。東亜に於ける帝国の根本方針が、日満支三国間の融和提携と赤化勢力東漸阻止とに依つて東亜の安定を実現せむとするにあるのでありまして、此の事は改めて申す迄もないことであります。従つて帝国政府と致しましては、支那側に於て一日も速かに此の根本方針に付て、十分なる理解と認識とを有するに至らむことを切望するものであります。然るに支那側に於きましては右の如き理解と認識とを欠くのみならず、近来殊に抗日精神の昂揚甚だしく、本月七日夜の蘆溝橋事件の勃発も亦其の結果の一つに外ならないのであります。
　帝国政府の今次事変に対する態度は、本月十一日声明致しました通り現地解決、事態不拡大を方針として居るのであります。従つて帝国政府は一方現地に於て和平解決を図ると共に、他方南京に於て支那側が速かに時局収拾の為に善処するやう、努力を尽して来たのであります。私は支那側に於て一日も早く真に反省し、本月十一日夜妥結を見ました現地解決条件に依つて之が誠実な実行を切望する者であります。以上帝国政府の態度は、在外帝国使臣を通じて各国政府に対し詳細説明して置いたのでありますが、各国政府に於きましても右帝国の自重的態度を十分了解して居ると存じます。尚帝国政府に於ては南京政府の態度如何に依りましては、支那一般民衆に対する反響は楽観を許さないものがあります、従つて突発的不祥事件が起るが如き虞もないではないのでありますので、支那側の中央及地方当局に対しまして、排日行為の取締及我が在留民の保護に付きまして屡々注意を喚起して居ります、又事態の推移に応じまして我が居留民の保護に付ては万遺憾なきを期して居る次第であります。要するに、今次事変の解決の鍵は、一に支那例の出方如何に懸つて居るのでありまして、私は支那側が我が方の希望に則応し、速かに時局を取纏めるやう有效適切なる措置に出でむことを期待する者であります。
　次に「ゾヴイエト」聯邦との関係は、政府に於きまして慎重考慮致して居る所でありますが、満洲国と「ソヴイエト」聯邦との間の国境方面に事件が依然として発生し、殊に最近黒龍江上にある満洲国領の鳥嶼を「ソ」聯邦国境警備部隊が不法に侵入し占拠致しました為に、日満部隊との間に衝突を生じまして、一時危険なる事態となつたのでありますが、「ソ」聯邦が該方面の現状を回復を約し、茲に事態の収拾を見ましたことは御承知の通りであります。帝国と致しましては、満「ソ」国境方面に事端の絶えない情勢に付て多大の関心を有するのであります。惟ふに国境紛争の防止を図ります為めには実際的の方法を講ずることが肝要でありまして、年来懸案となつて居ります所の国境劃定及紛争処理の二委員会を設置して、国境方面に於ける空気の緩和を図る等適当の措置に速かに出づべきものと考へて居るのであります。之が為め「ソ」聯邦に於きましても、東亜平和の見地より、虚心坦懐我と協力を為すやう、其の猛省を促さざるを得ないのであります。
　又政府は北洋に於ける邦人の漁業と北樺太に於ける邦人の石油石炭の利権事業が、其の正常なる経営の保障せらるゝことに対し尠からざる関心を持つて居るのでありまして、条約に胚胎する所の色々の事業が、其の実質に於て、有名無実となるが如き事態の発生は、断じて之を許容せざる方針であります。之を要しまするのに日「ソ」間には尚幾多解決を要する諸問題がありますので政府は之が為め十分努力致して参りたいと考へて居ります。
　英国との関係に於きましては、先般英国皇帝皇后両陛下の戴冠式御挙行に当りまして、御名代秩父宮殿下竝に同妃殿下御参列遊ばされまして、両国の伝統的的交誼を一層深めさせられましたことは、誠に感激の外ない所であります。政府は従来より日英親善の増進を以て不変の方針と為し来つたのでありますが、最近両国間の関係調整の為に、彼我隔意なき話合を行ふことに付きまして、意見一致を見ましたので、成るべく速かに之が促進を図りたいと考へて居るのであります。
　日米両国の関係は近来誠に良好でありまして、益々親善の度を加へつゝあるのであります。先般我が経済使節は渡米の際に、米国各方面と隔意なき意見の交換を行ひまして、経済上其の他に於て両国の接近に寄与する所尠くなかつたことは、私の欣快とする所であります。
　帝国は客年「ドイツ」との間に日独防共協定を締結致しましたが、政府に於きましては爾来同協定の有效なる運用に意を致しますと共に、将来益々、両国の緊密なる関係を増進せむことを期して居る次第であります。
　次に通商関係に付て見まするに、輸出の振興が我が国生存の必要條件とも云ふべき重要事であります、殊に現下我が国の経済情勢に照しまして収支の適合を計る最も重要なる対策の一でありますことは周知の通りであります。然るに緒国の現状を見まするに、経済上財政上其の他諸種の事情より、我が輸出貿易に対し今尚各種の障事を持続しつゝある状態でありまする関係上、政府は相手国それそれの事情に應じ、或は其の国の政府と協定を遂げ、或は彼我民間業者間の申合を行はしめまして、以て我が輸出貿易の円滑を企図して居るのであります。幸ひ今春以来我が国と英領「インド」、「ビルマ」、蘭領「インド」、「トルコ」等の諸国との通商交渉も妥結を見るに至りましたことは、私の欣快とする所であります。
　政府は今後一層我が商権の維持発展に力めますと同時に原料及資源獲得の自由竝に国際通商の自由を促進するやう、進んで万般の努力を致したいと存ずるのであります。近時国際通商自由回復の傾向が稍々、増進しつゝありますことは欣ぶべき現象でありまして、私は此の傾向を具体化するが如き国際的企図に対しましては固より協力を吝しむものではないことを表明致したいと思ひます。
　以上述べ来りました通り帝国現時の国際関係は誠に多事多難であります。此の間に処して外交国策の有效なる遂行を期する為には、克く国際の情勢を認識し、真に挙国一致の実を挙げることの必要を痛感するものでありまして、私は茲に諸君の御協力と御援助とを切に望んで已まない次第であります。