詩と散文精神


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 藝術といふものは、一般に言つて、すべて主観の感情を表現することに、究極の目的をもつものである。この点から言へば、音楽も、美術も、詩も、小説も、すべての藝術が本質上に一致してゐる。しかし相対的の見地に立つ時、美術と音楽とがちがふやうに、詩と散文とがまたちがふのである。
 詩といふ文学は、すべての藝術の中に於て、感情の最も純粋な、高調した波動を伝へるのである。これはひとり抒情詩に限らず、叙事詩でも劇詩でも、すべて皆「詩」といふ名のつく文学には、一つの共通した原則である。例へばホーマーの「オデッセイ」とか、日本の「平家物語」とかいふ類のものは、一種の格調韻律を踏んだ文によつて、英雄や戦争の歴史を書いたもの、即ちいはゆる「叙事詩」であるが、かうした物語風の詩であつても、散文の歴史や小説とちがふのである。散文の場合では、純にレアリスチックの態度によつて、さうした事実や事件やを、単に外面的、客観的に叙述するのみであるが、叙事詩の場合では、作者がその英雄に感激し、その戦争の悲壮美に興奮し、自らその情感の浪に溺れて書いてゐるのである。故にその表現は、自然に「歌」の形態をとり、作者の感動の波動によつて、言葉におのづからなる高低抑揚の節奏<節廻し>が附いて来る。詩に必ず韻律があり、散文にそれが無いのはこの為である。
 しかし近代では、かうした叙事詩や物語詩が廃つてしまつて、もつぱら抒情詩ばかりが行はれるやうになつた。抒情詩といふのは、外界の事件や現象を叙述しないで、直接作者の主観的な心境や感情やを述べるのであるから、つまり詩の中での「心理学」みたいなものである。これに対して叙事詩や物語詩は、詩の中での「歴史学」や「社会学」に相当する。昔は詩といふ文学の世界が広汎であり、かうした、社会学や歴史学やの一切を、詩文学の分課教室に綜合したのであるが、今ではその各部の分課教室が独立して、小説や伝記の散文学に編入され、ただ一つ抒情詩の教室だけが残つたのである。その代りに、その部門の研究は専門的に深くなつて、益々心理学的に進歩して来た。即ち浪漫派から象徴派へ、象徴派からイマヂズムヘ、イマヂズムから超現実派へといふ工合に、心理的表象としてイメーヂや聯想性やを、益々専門に深入りして、純精神現象学的に扱ふやうになつて来た。特に最新の超現実派の如きは、外界の物的現象と現実感覚を一切無視して、純粋に心理的内界の純精神的現象だけを、フロイド流の精神分析学で記入して居る。かうなつてくると、、詩は藝術の領域を踏み切つて、殆んど全く科学や学問の世界に入り込んで居る。それほど近代詩は、「抒情詩」の部門的教室に於て、専門的に深入りをして居るのである。所でかくの如く、何故に近代では、叙事詩や物語詩が廃つたかと言ふに、その主なる理由は、近代の新しい散文精神が、韻文精神を圧倒してしまつたからである。今の一般の人々は、韻文で書いた軍記物や恋愛物をよむよりは、散文で書いた同じものを読みたがつてゐる。今日の人にとつては、実際のところ、抒情詩以外に「詩」といふ文学は必要が無いのである。何故にまた、今日に於てさへも、抒情詩だけが必要であるかといふに、心理現象のデリケートな実在相は、今日の発達した散文でさへも、到底完全に表現することが不可能であり、詩を藉りる外にないからである。近代の小説、特に自然主義以後の小説は、心理描写に於て驚くべき発育をした。ドストイェフスキイの「罪と罰」などを読むと、人間の複雑した心理を克明に描写して、殆んど余す所が無いやうに思はれる。しかしそれにもかかはらず、散文の書く心理描写は、決して人間の実感する姿を捉へて居ない。その理由を説明しよう。
 人間の心といふものは、絶えず何事かを感じ、不断に流動して居るものである。ゼームスの心理学や、ベルグソン哲学が教へるやうに、真質の心(意識)といふものは、常に全体としての統一的流動であつて、分析的に抽象したり、散文的に説明したりすることのできないもの、単にこれを全体としての直覚的に盛触する以外に、真相を知ることの出来ないものである。真の人間心理といふものは常に生きて呼吸し、生活し、必然に気分や感情やと結合してゐるものなのである。即ち言へば、真の人間の心といふものは、それ自ら気分や感情の表象であり、気分や感情を離れて、実際の人間意識といふものは無いのである。然るに小説等の散文学は、かうした人間心理を分析して、無機的に叙述するのであるから、真の生きた人間心理の、呼吸する実相を表現することが不可能である。これをその如実の実相で表現し得るものは、その言葉に心臓の鼓動する呼吸(即ち韻
律)を伝へ、気分や感情やのセンチメントを、そのまま言葉に写真して表現する文学、即ち抒情詩より外にないのである。故に詩といふ文学は、この意味に於て最もレアリスチックの文学である。詩に比すれば、小説のレアリチイの如きは、虚妄の生命なき影にすぎない。
 今日、散文精神と散文文化が、すべての韻文学を圧殺して居る時代に於て、独り尚抒情詩だけが残つて居るのは、それが詩の中での核心な詩であり、上述のやうな特殊の武器を持つてるからである。未来、散文が如何に長足の進歩をした所で、それが散文である限り、到底この詩の表現的領域を犯すことはできないだらう。「すべての詩は亡びた。だが人間が呼吸する限り、韻律そのものは亡びない。」 と、グァレリイが或る場所で言つてゐる。詩が韻律を有する以上、その生命は永遠である。


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 近代詩の中に、多分の散文精神が入り込んで居るといふことは、否定しがたい事実である。人はいかにしても、その生活して居る環境から孤立し得ない。今日のプロゼックな散文時代に、プロゼックな文化環境に住んでる僕等は、いかに自ら努めて拒絶しても、必然に避けがたく散文化せざるを得ないのである。もし極言的な見方をすれば、今日の「詩人」といふ人々は、多少皆例外なく「散文人」であるとさへ言へるのである。真の純粋の韻文人といふものは、おそらく今の社会に一人も居ないであらう。すべては皆、この時代のプロゼックな社会的環境に侵害されてゐる。
 この一つの事実は、独り僕等の日本に限らず、世界的に共通してゐる現象である。外国の詩壇を見ても、もはや昔のやうな純粋の詩人がすくなく、詩人その人が時代的に散文化して居ると共に、詩そのものが次第に韻律性を失喪して、不純に散文化して居る有様である。特に日本の自由詩といふ文学の如きは、ポエヂイとしての形態からも内容からも、殆んど全く散文と選ぶところのないものであり、極言すれば「散文の一種属」にすぎないのである。
 かうした時代 ― 詩の失喪した時代 ― は、かつて昔の日本にも実在した。即ち徳川の江戸末期がさうであつた。江戸徳川政府は、朱子学の儒教によつて国民精神を統一し、すべての浪漫精神や詩的エスプリを禁圧した為、国民の精神が卑屈に散文化し、全く高邁な詩的精神を無くしてしまつた。勿論その当時に於ても、詩(韻文)といふ形態上の文学は有つたけれども、それは地口、狂歌、川柳、雑俳のやうなもので、昔の奈良にあつたやうな、真の純真な抒情精神といふものは、全く時代の文化から失はれて居た。江戸時代に於ける唯一の藝術詩は俳句であつたが、それも芭蕉以後はその詩精神を失喪して、概ね地口、狂句のやうなもの、即ちいはゆる月並俳句に低落して居た。芭蕉以後の江戸文化は、全くプロゼックに卑俗化して、完全にポエヂイを失つて居たのであつた。
 現代の日本が、丁度またかうした時代である。江戸時代のそれとはちがつた、或る別の社会的事情によつて、今日の多くの民衆は希望を失ひ、生活の意義を失喪し、全くプロゼックに卑俗化してしまつて居る。現代にあつては、殆んど純潔の詩精神が失はれて居るのである。そこで或る人々は、今日がもはや抒情詩の時代でないこと、川柳や狂歌の如き、諷刺詩の時代であることを説き、真の詩精神への告別をさへ宣告して居る。そして或る他の人々は、詩の散文化を強調し、詩精神をプロゼックに低落させることを以て、逆に時代の新しいポエヂイの如く考へて居る。しかしながら真の詩人は、かうした時代に於てさへも、頑として一切に抵抗し、詩の純潔を守らうと欲するのである。もちろん、人はその環境から孤立し得ない。今日の詩人が、この時代に生活してゐる以上、多少とも散文精神に同化されるのは已むを得ない。しかしその「有る所の事実」の故に、詩の「有るべき所の理念」を捨てれば、もはや詩の当為的実在性は消滅する。今日に於ける詩人の理念は、かかる時代に反抗し、すべての散文的なるものに向つて、一切から一切への妥協なき「拒絶」を続けて行くことよりない。単に外界の社会や文明ばかりではない。汝の詩人自身の中に住むところの、時代的の散文精神に向つてさへ、不断の否定と拒絶を以て、自己への戦ひを続けなければならないのである。一人、もしくは二人の詩人だけが、今日の日本に於ても、たしかにこの詩人の純潔な戦ひを続けてゐる。そしてこの稀なる人々の精神だけが、今日の最も悪しき事情の下で、纔かに詩を守りつつあるのである。