最近詩壇の動向
        JOAK放送講演


 この最近数年来、私共の詩壇は、詩の新しい形式を見出す為の努力、即ち「形態摸索」の時代を経過したのでありました。
 元来、この日本の詩といふものは、明治の新体詩の出発からして、韻文としての形式、即ちフォルムを求める為に、苦しんで来たのでありました。といふわけは、この新体詩、即ち明治以来の新しく出来た詩といふものは、従来の和歌俳句とちがつて、西洋の詩文画 − リリックとかエピックとかいふやうな物 − を、日本に移植しようとして、出発したのでありました。然るにかうした詩文学は、日本に伝統がないのでありまして、全く未開拓の新しい物でありますので、これを表現する上にも、詩文学としての新しい形態(フォルム)を探さなければならなかつたのであります。
 しかしこれは、非常に困難なことでありました。といふわけは明治以来、私たちは西洋風の教育を受け、或は西洋の詩や文筆やをよみまして、思想上には、可成り西洋の影響を受け、西洋風の、近代的な詩的情操を持つて居たのでありますが、これを表現するところの言葉、即ち日本語といふものは、明治になつて以後も、やはり昔の日本語でありまして、大して変化がないのでありますから、此処で詩の内容する所の想、即ち詩想と、これを表現する所の言葉、即ち詩形式との問に、避けがたい矛盾のギャップが出来たのであります。そこで已むを得ず、当時の詩人たちは、日本に昔からある伝統の詩形式、即ち「万葉集」等にあるあの長歌(五七五七で繰返して行く)又はあの中世に流行した今様(七五七五で繰返して行く)かうした伝統の古い韻文形式によつて詩を書いて居た。これが即ち所謂新体詩でありました。この新体詩が、後に次第に発達して、韻律的に複雑化して行つたものが、即ち象徴派などの詩人によつて作られました、一種の自由律の韻文形態でありました。この自由律の詩形態は、蒲原有明とか北原白秋とかいふ人々によつて、或る程度まで、とにかく殆んど、藝術的に完成されたのでありました。
 それで日本の詩の歴史は、とにかく此処で先づ一段落をつげたのであります。これから以後は、自然主義の影響をうけまして、詩が従来の文章語を止め、いはゆる言文一致、即ち日常の口語で書くやうになりました。この口語詩も、初めの中はいくぶん韻文の形式を守つて居りましたが、後には全く無約束になり、何でも勝手放題の言葉で、自由に書くやうになりました。これが今日、普通に言つてる自由詩であります。所がこの口語といふものが、文章語に比較しまして、元来韻律的な抑揚に乏しく、散文的な、プロゼックの言葉でありますので、かうした口語でもつて、全然自由な、無法則な詩を書くといふことは、非常に危険が多く、冒険的の仕事なのであります。特に詩人として、充分な恵まれた天分を持たない人たちが、かうした詩を書く場合には、一層危険が多く、全く普通の散文−詩としての形態やフォルムやを、全然具へて居ないところの、普通の散文になつてしまふ惧れがあるのです。所で過去に自由詩と言つたものには、実際かうした物が多かつたのでした。つまり普通の、韻律も何もない散文を、単に行を別けて、横に書いたものを、自由詩と呼んで居たのです。
 かうしたいはゆる自由詩といふものが、可成り長い間、詩壇に流行して居りましたが、最近この数年来 − 昭和五六年頃 − からして、漸く人々が自覚してきまして、かうした自由詩といふものが、ゴマカシの詩であつて、真の韻文でないといふことに、気がついて来たのであります。そこでこの数年来、詩壇に新しく起つた運動は、この似而非の自由詩を清算してしまつて、別にしつかりした、新しい詩の藝術形態を摸索しようとする運動、即ち自由詩清算運動と、これに伴ふところの、新形態の発見、形態摸索の運動であつたのでした。
 そこでこの運動は、二つの方向に別れて進みました。その一つは、日本語の性質を研究して、新しい韻律の法則を発見し、それによつて過去の自由詩を、真の正しい韻文にし、詩のフォルムを建設しようとする一派の運動でありまして、これを普通に、詩壇では新律格詩論とか、新韻律詩派とか呼んで居りますが、この派の主なる代表者は、川路柳虹、佐藤一英、伊福部隆輝といふやうな詩人でありました。
 所で、一方にはまた、これと全くちがつた、別の立脚地からして、過去の自由詩を清算し、詩形態の新しいフォルムを見出さうとした人たちがありました。この方の運動に属した詩人は、主として雑誌「詩・現実」「詩と詩論」等によつた人でありまして、例へば春山行夫とか、北川冬彦とかいふ顔ぶれの人でありました。この人たちの主張したことは、つまり従来の自由詩のまちがへてゐたことは、本来韻文でない文学を、韻文であるかの如く、錯覚したことに存するのである。所で、詩といふ文学は、必ずしも韻文で書かねばならないといふ必然はない。なぜなら詩精神、即ちボエヂイといふものと、韻文といふ文学の形式とは、必ずしも同一不二の物ではないから。故に今日の詩文学は、ポエヂイを抽象することによつて、むしろ散文的に同化し、レアリスチックな散文形態で書く方がよい。韻文の詩の如きは、今日に於てむしろ時代おくれである、といふのでありまして、この一派の詩論を、普通に新散文詩論、又はポエヂイ詩論と呼んでるのであります。
 このやうに、最近数年間の詩壇は、この二つの詩論、即ち調律の発見によつて、日本詩の新しい形態を摸索しようとするところの韻律論者と、反対にこれを散文化し、レアリスチックに徹底させることによつて、別の新しい詩形態を生まうとする新散文詩論者と、この二つが対立的に竝行して居りましたが、ごく最近、この一二年程前からして、此等と立場を異にするところの、別のまた新しい運動が起つて来たのであります。といふわけは、今言つた二つの詩派、即ち新韻律詩派や新散文詩派やが、共に事実上に於て、根本的な誤謬を犯してゐることが、一般に解つて来たからであります。
 先づ最初に、韻律詩論の方から申しますと、この派の人たちが、韻律の法則を発見するために、日本語を研究するといふことは、まことに立派な、学問的の仕事でありますが、これはつまり、文法学者が、国語の法則を研究して、一定の文法を発見するのと同じく、学問上の仕事でありまして、藝術の創作そのものとは、別問題に属して居ます。ですから、単に詩学としての研究(学間)なら好いのですが、かうした学問、即ち詩学の法則を先に立て、それの規定するルールによつて、言葉をあてはめながら、藝術としての詩を作らうといふのは、あたかも人が、文法の法則を意識しながら、文章を書くやうなものであつて、本末顛倒したことになるのです。
 次に新散文詩、即ち詩からポエヂイを抽象して、純粋の散文的手法で書く。詩を散文で書く、といふ一派の主張は、結局言つて、ポエヂイそのもの、詩精神そのものを、散文化する、といふ結論になつてしまふのです。なぜかと言ひますと、詩を思ふ心、即ち詩精神といふものは、本質上に主観的のもの、感情本位のものでありまして、心理上で言ひますと、イメーヂの時間的な持続を表象してゐるのであります。昔からして、詩が必ず韻文の形で書かれ、詩が韻律と共に出発したといふのは、かうした詩精神の本質上から、必然的に約束された結果なのであります。然るに散文の形態といふものは、本来描写本位のもの、客観主義のものでありまして、イメーヂに時間上の持続性がないのであります。ですから、詩を散文で書くといふことは、詩精神そのもの、ポエヂイそのものを、本質的に散文化し、客観的レアリズムの立場に立つてる所の、散文精神によつて書けといふことになるのです。散文精神によつて詩を書けといふのは、非常に矛盾した、ロヂックに合はない言葉でありますが、つまりかうした詩論は、その思想の出発する大前提に於て、初めから詩そのもの、詩精神そのものを否定してゐるのであります。もつと詳しく言ふと、今の世の中は散文の時代、散文精神の支配してゐる時代だから、詩もこの時代に遅れないやうに、散文精神を自分に取り入れ、詩そのものを散文化してしまへといふ考へが、かうした詩論の大前提に立つてゐるのです。ですから、かうした詩論の結論は、つまり詩を亡ぼしてしまへ、詩的精神を散文化してしまへといふことになつてくるわけです。それですから、その所謂新散文詩(散文で書いた詩)が出来上つた時に、詩が事質上に於て紛失してしまひ、どこに詩があるのか、そもそもまた、詩とは何だらう? といふ質問が新たに起り、結局詩論の出発した、初めの大前提に逆戻りをするといふやうな、滑稽な結果になつてしまつたのでした。これが少し前の詩壇で、雑誌「詩・現実」及び「詩と詩論」の人たちがやつた、いはゆるポエヂイ論の究極した最後の結果でありました。
 さて、このやうに、新散文詩の結論も、また先にお話しました、新律格詩、新調律詩の方の結論も、結局言つて、詩の誕生、詩を建設するといふ目的には、殆んど何等実際上の役に立たなかつた。これらの詩壇運動は、何れも自由詩の散文的低落 − これは民衆派以後の詩壇に於て、特に甚だしくなつて来たのでありますが − を憂へ、これを修正し、詩をして真に詩たらしむる所の、何等かのしつかりした藝術形態を与へようとする所の、正しい動機から出発した運動でありましたが、その結果は、却つて逆に、詩精神そのものを亡ぼし、詩を紛失させるといふやうな、反対の結果になつてしまつたのです。つまり言へば、角をためて牛を殺すといふやうなことになつたのでした。
 では、なぜ、最近詩壇の運動が、皆こんな無意味の結果に終つたかと言ひますと、つまり詩壇の人たちが、詩の形態、フォルムといふことばかりを重要視して、肝心の詩精神、詩的精神の本質について、全く考へなかつた為であります。これは詩ばかりではありませんが、すべて藝術の形態、形式といふものは、内容の精神がそれを必然的に要求し、内容が規定づけることによつて、反映された物の表現でなければならない。つまり言へば、心が先にあつて、形が後にあるもの、心が表現の主体であつて、形はその心の鏡、心の映像であるべき筈です。故に詩の心、詩的精神の本質が、もし丸い物であるとすれば、詩の藝術形式も、必然にまた円形によつて規範されるべき筈です。過去の日本の詩、特に自由詩などの詩が、韻文としてのフォルムを失ひ、散文的に低落してゐたといふことは、つまりさうした詩を作る詩人自身が、心の中での、真の強い抑揚や節奏、即ち真の純粋な詩精神を欠いてゐたから。つまり詩人自身が、この時代の空気である散文主義に同化されて、真の詩精神であるリリシズムやエピシズムを失ひ、詩人自身の心がプロゼックになり、散文的になつて居たからであります。詩人自身の心が、既に半ば散文化し、プロゼックになつて居るのでありますから、その心の形であり、映像であるところの詩形式が、おのづからまた散文的になり、プロゼックになつて来るのは当然であります。
 然るに従来の詩人は、かうした心の詩、印ち詩精神の衰退を論じないで、その反映でありますところの、詩形式ばかりに注目し、詩の形態を模索することばかりに専念しました。これはあたかも、物の実体を変へずに置いて、それの鏡に映つた形ばかりを、色々に工夫したり、議論したりするやうなものでありまして、結局何の役にも立たない無益の事です。もし日本の詩人たちが、その心に真の純粋の詩精神、即ち抑揚の高い浪をもつた、高邁で美しい心の音楽、即ち真のリリシズムやエピシズムを持つてゐたなら、その表現の言葉にもまた、必然的に散文とちがつた形式が現はれて来なければならない筈です。今日の日本語、特にこの現代の口語は、外国の言葉に比較しまして、韻律的の要素に乏しく、色々な点に於て、詩の表現に不向きな、欠点の多い言葉でありますが、もし詩人自身が、その心に真の純粋な詩精神を持つてるならば、たとへかうした現代口語で書いた詩であつても、必ずや何処かに、散文とちがつた特色、詩藝術としての特殊なフォルムやスタイルやを、必然に具備すべき筈であります。現に今日の詩壇でも、真に生れたる詩人と言ふべきやうな人、即ち真の純粋な詩精神をもつてる人たちの書いたものは、たとへ口語体の自由詩でありましても、どこかに一種の韻文的な特色、詩藝術としての特殊なフォルムを具備してゐるので、決して単なる行わけ散文の類ではないのであります。
 かうした真理、即ち形よりも心、詩形態を論ずるよりは、詩精神を論ずる方が、目下の詩壇の急務であると言ふことが、漸くこの最近、一二年前からして、日本の若い詩人たちに、了解されて来たのであります。つまり問題は、大正中期以後、自由詩以来の詩壇に於て、何故に詩精神が衰退したか。何故に詩人たちが、その詩人的高邁性を失つて、散文的プロゼックになつたかと言ふことの、文壇的及び社会的原因を詮索し、これに対して充分の批判的討査をすることが必要なのであります。それからまた一方では、真の純正な詩精神、散文精神に対蹠するところの、純正な詩精神について、よく本質を検討し、さうした詩のエスプリを、詩人自身の中に、強く呼び超すことが必要なのです。
 最近の詩壇、新散文詩以後に於ける、この一二年来の詩壇は、従来の形態論的、方法論的の題目を離れまして、今や方向一転、初めてここに詩精神の問題、文化批判の問題を、トピックとして議事するやうになつて来ました。最近の詩壇に於きまして、特に抒情詩が強く呼ばれ、リリシズムを守れ、といふ言葉が、一般に叫ばれて居りますのも、つまり詩精神の純粋な本質を自覚し、詩精神のトリデを守れといふことの、詩壇的な合言葉に外ならないのであります。