最近の詩壇


 最近になつてから、僕は漸くまた詩壇に新しい興味と希望を持ち出して来た。今から考へて、僕が興味を持つた過去の詩壇は、室生犀星君等と活躍した時代であつた。その後は民衆派やプロレタリア派やの政治詩が流行し、詩がその藝術性を失つて政談演説みたいになつてしまつた。最近春山君や北川君等の新散文詩運動が興つて、かうした非藝術的詩を清算したのはよかつたけれども、今度はまた軽薄なモダン詩が流行し、本質的に詩情をもたない連中が、シュル・レアリズムなどの看板をかけて横行したので、前よりもまた一層不愉快になつてしまつた。
 そこで僕は長い間、殆んど詩壇的に隠遁生活を送つて居た。稀に口を開けば、一切の詩壇的ジャーナリズムを否定し、すべての「新しい」といはれる流行詩をやつつける外になかつた。その為僕は、常に殆んど全詩壇人から一敵国のやうに見られて居た。そして多くの人々は、僕をニヒリスチックな否定者と考へたり、或はまた「新時代を理解しない時代おくれの旧弊詩人」と罵られたりした。僕は民衆派からも罵られたし、プロレタリア派からも嫌はれたし、特にまた最近のモダン派から最もひどく憎まれた。始めから終りまで、僕は「流行詩派の敵国」として頑張り通した。
 所がこの頃になつて、漸く僕の正義が詩壇に理解されて来た。次第に後から出る若い人々が、僕の言葉と精神とを知り、詩の正しい方角を摸索するやうになつて来た。そして現に最近、実質的にも僕の求めるやうな本格の詩が現はれて来た。長い間、ニヒリスチックな否定ばかり続けた僕も、最近になつて漸く初めて、詩壇的に「ヤア」の肯定をし得るやうになつて来た。今や春の若草のやうに、若く新しい芽をもつた有為の詩人が、至るところに続々と生育して居る。それは神保光太郎君が言ふやうに、僕のための新時代が来たのではなく、詩が詩としての正しい発育に向つたのである。
 とにかく僕としては、大いに新しい希望と元気とを回復して来た。過去には詩論することさへも不愉快であり、嫌悪以外に何物も考へ得られなかつた詩壇であるが、最近になつて、初めて正面から本気になつて議論したり、批判したりしたい熱と興味を感じて来た。「時、非なれば山に入りて隠れ、時、順なれば世に出でて国を治む」と昔の支那人が言つてゐる。僕は勿論聖人高士ではないけれども、今や久しい隠遁の洞窟から出て、大いに若い諸君と語るであらう。