ロマンチストの二種類
すべての詩人はロマンチストである。だがロマンチストには二種類がある。一はADVENTURE
のロマンチストで、一は SENTIMENT のロマンチストである。
前者は現実の生活に退屈して、常に未知の世界を夢み、知性のコロンブス的航海を好んで居る。そこで彼等の生活は、常に猟奇から猟奇を追ひ、スリルからスリルを求め、変化から変化に走り、イロニイからイロニイに連行する。この型に属するロマンチストは、西洋の詩人ではポオ、ボードレエル、ラムボオ、コクトオ、ヴァレリイなどである。
今一つの型のロマンチストは、いつも人生に不満して居る。なぜなら彼等は、現実の世界の上に、より高い理想を求めてゐるからである。そこで彼等の生活は、常に人生を呪詛し、怨言し、哀傷し、抒情し、詠嘆する。そして久遠の女性を求め、神の慈悲と信仰に帰依するのである。この型のロマンチストは、ゲーテ、ハイネ、ヱルレーヌ、デエメル、リルケ、ニイチェ、ノヴァーリス、及び映画人のチャリー・チャップリンなどである。
ロマンチストといふ言葉は、我々の字引に於て、普通にこの二つのジャンルを包括して居る。前のものは主知的、猟奇的のロマンチストで、後のものは宗教的、感傷的のロマンチストである。前者はマドロスのやうに生活し、後者は求道者のやうに生活する。二者の気質性格はちがつてゐる。しかし現実を拒絶し、夢を超現実のイデアに追ひ求めるといふロマン性に於て、両者は本質的に精神を一致して居る。
最近二十世紀に於ける、二人の有名な対蹠的なロマン人間は、欧州の人気者ジャン・コクトオと、米国の人気者チャリー・チャップリンであつた。コクトオは猟奇的ロマンチストの典型者であり、チャップリンは感傷的ロマンチストの表象である。そこで世界のトピック興味は、この二人の代表的ロマン人間を、一堂に会合させるといふことだつた。然るにこの世界の期待は、最近全く偶然にも、日本廻航の一汽船の中で行はれた。コクトオとチャップリンとが、日本観光の途上に於て、偶然にも同じ舶に乗り合はせたのである。新聞記事は、この奇縁的な会合について、極めて簡単な報告しか伝へなかつた。おそらくそれは、両名士の形式的の儀礼交換にしか過ぎなかつたらう。(初めて逢つた人同士が、それより外に何の話す話があるだらう。たとへ コクトオが、常にチャップリンを最高の讃辞で絶賞し、チャップリンがまた、ひそかにコクトオを崇敬して居たとはいへ。)
だがしかし我々は、かつてその同じトピック興味を、ヱルレーヌとラムボオとの奇縁的邂逅について伝聞してゐる。殉情の求道者であり、典型的SENTIMENTALIST
であるところのヱルレーヌは、若きラムボオの中に彼の形而上の「神」を認めた。しかし冷酷無情の主知主義者であり、徹底的
ADVENTURER
であるところのラムボオは、早く既にヱルレーヌに退屈して、非情にもその愛撫者の手に噛みついた。恩人ヱルレーヌの愛撫的な同伴は、彼にとつて監禁の鳥籠のやうに思はれた。彼は自由の飛翔と冒険がしたかつたのだ。そして遂に、ヱルレーヌの絶望的なピストルが発射された。