日本浪曼派について



 浪漫主義の精神は、それ自ら「詩精神」そのものである。そこで日本に浪漫派の運動が起つたといふことは、日本の文壇に詩精神が勃興したといふことである。僕等の詩人にとつて、正にこれは「万歳!」の三唱に値する。
 所で少し言ひたいことは、浪漫主義と浪漫派との差別である。文学としてのロマンチシズムは、或る一党派の所属するイズムでなくして、総ての主観的傾向に属する文学一般を総称する。たとへば人道派も、唯美派も、象徴派も、プロ文学も、新しい所で独逸の表現派などの者も、その精神に主観的なイデアとモラルを掲げる限り、すべて皆浪漫主義の文学系統に属して居る。つまり言へばロマンチシズムとは、レアリズムと対立して文学の領域する二大範疇、即ち主観主義と客観主義とを概括的に分線する所の名将である。これに反して浪漫派とは、広義のロマンチシズム文学の中に所属してゐるところの、或る特殊な党派的イズムを掲げる文学である。
 そこで「日本浪曼派」の標題は、勿論この特殊な後者を意識するものであらゝも(さうで無ければ内容的にナンセンスである。)僕の見るところによれば、この派の人々の意識してゐる所は、欧洲十九世紀初頭の浪漫派を、日本に於て新しく再認識して居るやうに思はれる。そして若し然らば、この再認識は日本の現代文化に対して、大いに有意義な必然性を持つてる。以下少しくそれを述べよう。
 最初に言つておくことは、日本の過去の文壇に於て、かつて真の浪漫派が無かつたといふことである。与謝野鉄幹氏が指導したロマンチシズムの精神は、浪漫派といふやうなイズムでなくして、単に一つの漠然たる気分であり、青春時代の単純な感傷的夢見心地にすぎなかつた。之れに反して欧州十九世紀の浪漫派は、近代資本主義文化の勃興を背景とし、内に深遠な批判と哲学とを持つて生れた文学である。この欧州浪漫派の勃興は、人も知る如く前代啓蒙時代に対する反動である。十五六世紀から十八世紀にかけての西洋歴史は、キリスト教の中世紀的暗黒を打破するために、科学万能主義が強説され、理智の法則が感情を虐殺した時代であつた。浪漫派の詩人は、この啓蒙時代に反動して、感情の自由主義的な解放を高く叫んだ。しかし彼等もまた前代文化の継続者であり、啓蒙時代のあらゆる理智的訓練と哲学的思考を経て居るのだ。それ故にゲーテのロマンチシズムは、あのファウストの深刻な懐疑と哲学の上に成立して居る。日本の明治時代に於けるそれのやうに、少年少女の甘たるい感傷文学を浪漫派の名で呼ぶなら、西洋のそれはむしろ自然主義やレアリズムの名で呼ばるべき者でさへあつたのだ。
 所で日本には啓蒙時代の歴史がない。日本人はかつて一度も理智のきびしい訓練を受けて居ないのだ。そこで今日の日本浪曼派は、発生的に西洋のそれと精神がちがつて居る。日本の浪漫派運動の発生は、感情の虐殺者に対する反動の勃発ではなくして、全くむしろ前代自然主義文学に対する挑戦である。所でまた日本には、真の意味での自然主義文学といふものも過去になかつた。(浪漫派の生れない以前に、その反動たる自然主義が生れる道程もない。)日本の所謂自然主義小説といふものは、西洋文学のそれが唱へたレアリズムの観念を皮相に翻訳して、現実の言語を卑近な日常生活(身辺記事)の中に低落させた文学である。日本の自然派文学には、本質的に何の深刻な人生観もなく懐疑もなかつた。それは外国のそれと反対に、極めて安易な卑俗主義的な楽天文学であり、真の文学のエスプリすべき「感情の高翔性」といふものが全く欠けて居た。
 日本浪曼派の新しい発生は、思ふにかうした前代文学に対する挑戦を動機として居る。即ち彼等の運動が向ふところは、日本文学の伝統する自然派以来の「卑俗性」を軽蔑して、これを高邁な詩的精神に高翔させ、以て文学の根本観念を建て直さうと意志するのである。そして此処に彼等は、欧州浪漫派の純潔にして騎士的な貴族精神を呼び上げて居る。日本浪曼派の精神こそ、おそらく新しき日本文学を指導するところの精神である。