詩の建設の前に

 


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 明治の新饅詩によつて、花々しい創立期の飛躍をした日本の詩壇は、大正の自由詩によつて第二段の態展を
し、昭和の今日に至つて、はしなくも自己解滑の運命に逢合し、散文への一歩手前で、あのハムレットの長い
懐尿「永らふぺきか死ぬべきか?」を濁自して居るのである。
 新饅詩以来、僅か牛世紀にも足りない歴史で、態育盛りの若い詩壇が、かくも果敢なく凋落沈滞の冬枯れ期
に達したことは、あまりに痛々しい事賓であり、宿命的の業や因果をさへ感じさせる。そしてそこには、確か
に宿命の決定した、因果の罪深い業があるのである。即ち意の第一原因は、新膿詩の過つた出態にあり、さら
にこれを展開させた、自由詩の認識不足に継承して居る。
 新慣詩は、西洋の詩(叙事詩や抒情詩)の形式を、そのまま移して日本に銚詳しょうと考へた。これがそも
そも、今日の詩の出優に於ける、僕等の最初の誤謬であつた。だれにも常識で解る通り、西洋の詩といふもの
は、西洋の特殊な言語−−その萌律や語販の特殊な構成 − の上に文学され、自然の形式としての叙事詩や抒
情詩になつたのである。この関係は、丁度あたかも日本の詩が、日本語の特娩な構成から、自然の形式として
の和歌や俳句になつたのと同じである。然るに新健詩は、この「自然」を無祀して出費し、和歌や俳句の形式
JOア 詩人の使命

さるぺき言語にょつて、欧風の叙事詩や抒情詩を書かうとし、無理と不自然の土壷の上に、建たない家を建て
ようとした。勿論日本の新鰹詩は、事賓上に於ては矢張日本の新慣詩であり、少しもハイカラのものでなく、
昔の今様や長歌をそつくり形式上に侍統した、古風な七五調文孝に過ぎなかつたが、彼等自ら、それを以て欧
風の詩に準じ、意識上に観念したことが過つて居たのである。
 大正の自由詩は、かうした新饅詩の優生錯誤を、そのまま本質的に俸承し、自然の進展のままに導いて行つ
た。彼等の工事は、土真のない家の上へ、更に新しい煉瓦を積んだ。そして結果は、必然の避けがたい崩壊と
なり、今日の新しい議題である、詩の散文化への解滑論(詩の取り壊し始末書)となつて結末した。
 自由詩の犯した誤謬と、その認識不足の歴史に就いて、伶少しく具膿的の記述をしよう。そもそも自由詩の
形式が、日本に於て1と特に言ふのは、日本の詩壇の事情が、外国のそれと本質的に異つて居るからである。
西洋に於ける自由詩の藤生動機は、日本のそれとは全く別の事情に属する。1教生した必然の動機は、新膿
詩の頚律形式であつたところの、あの単調な七五調や五七調やに、人々が全く退屈してしまひ、今少し複雑な、
そして今少し新鮮味のある、別の新らしい詩形と哉待とを、詩壇が内的に強く要求して衆たからである。そこ
で新鰹詩は、自然にその畢調な七五調を欒格させ、より不規則で奨化に富んでる別の詩形に樽化して爽た。そ
して七五調から不規則調へと、何時の問にか為し崩しに、自然と自由詩に移動して来たのであつた。この事貴
は、常時の新膿詩人の作に就いて、比較的後期の詩を見ればすぐに鰐る。例へば薄田泣童氏の如きも、後年の
詩風は七五調を次第に離れ、早く既に不規則韻律の自由詩に近く接近して居る。そして遂に蒲原有明氏等の時
代に至り、眞の徹底した自由詩が創作され、北原白秋氏の「邪宗門」等の詩集によつて、その光彩ある肇術的
成果を生んだのである。
 此虞までの歴史は、日本の自由詩として健全な饅展であつた。すべての詩壇的「悪」と「破壊」は、これか
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ら後の歴史である、大正後期に蜃生して居る。大正後期の日本は、米国がその排猫宜俸のプロ.ハガ/ダとして
政略的に流布した、軽薄峯虚なデモクラシイによつてアヂられ、無思慮な国民が上下をあげて熱狂した時代で
あつた。僕等のセンチメンタルな詩人たちが、不幸にもまたこのジャーナリズムに浮れあがつて、詩に於ける
高貴な蜃術性を自漬棄廃し、似而非デモクラシイの溝の中に棄ててしまつた。同時にまた一方では、自然主義
の過つた解蒋が、詩人の認識不足によつて迎へられた。理智と、現貨と、賓讃とを以て文学の本義とする自然
主義の思想は、これを詩壇に移す場合に於て、官然ストイックな主知主義や高踏汲のポエヂイが生れる筈であ
り、俳蘭西十九世紀の詩壇は正にその通りの現象だつた。然るに日本の詩人 − 彼等は全然哲学と思想を持た
ない − は、愚かにも自然主義の文学思潮を、卑俗的デモクラシイの挽詩観念に結合させた。そして「自由
詩」それ自饅を、全く低調卑俗な文学にし、美もなく、形式もなく、スタイルもなく、構成意匠もないところ
の、愚劣な「行わけ散文」にまで低落させてしまつたのである。それは全くのところ、何等の「詩」でもなく
「自由詩」でもなく、ただの平凡な散文にしか過ぎなかつた。
 大正末期に於ける、この悲惨なる詩の低落は、やがて昭和の今日に於ける、詩壇の新しい大掃除となり、す
ぺての過去を一掃して、全部の総決算をしようとするところの、一部新人の自覚的命題(詩の散文への解憶
説)即ちむしろ詩を廃止して、自ら徴底的に散文化し、詩を散文で書けといふことの主張となつて提唱されて
る。だが言ふ迄もなく、この主張は紹望的なニヒリズムを感傷して居り、その精神は紳澄論の逆説を止揚して
居る。なぜなら何人も決して本心から「詩の廃棄」を望んで居る筈がなく、創造のない破壊としての、散文化
を意志する道理がないからである。
∫0夕 詩人の使命
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詩は復活させねばならない0しかしその再築工事は、部分的な補修工事でなく、一切土重から掘りかへして、
全然新しい地盤の上に、最初の基礎工事を建てねばならない。そしてこの計重からは、最近詩壇の若い聴明な
人々が言ふ如く、日本で言はれる「詩」といふ言語、及びその観念を抹殺して、これを散文の中に鰐滑させ、
新しく建設される工事の前に、今日有る如きガラクタを、一切取り片づけてしまふ方が好いのである。
 すぺての悲劇は、新鰹詩の過つた出饅に原因して居る○新鰹詩は、基礎工事のない地盤の上に、西欧風の詩
を建設しょうと夢みたのである。尤も明治以来の日本の文化は、すべてに於て西欧文明のイデアを迫ひ、すぺ
てに於て基礎工事のない日本の政令に、西洋のシビリゼーションを建設しょうと意欲した。僕等の新饉詩人が
夢みたことは、同様にまたすべての日本人が、明治以来に夢みたことに外ならなかつた。ところで日本の杜合
は、今日果して西洋の文明開化を、完全に移植することが出来たらうか。これは大きな疑問である。銀座街頭
のビルデングと、飛行機と、軍艦と、ラヂオとを有する日本、そして、しかも基督敦の俸統と希脱文明の遺産
とを持たない日本に、西洋のシビリゼーションが音在するか香かを、私は何人に問うて好いか知らない。だが
しかし明白なのは、我々の日本語によつては、決して紹封に、西洋風の詩形を模倣することが出来ないといふ
事質である0西洋の詩から学び得るものは、単にその主題となつてる詩想の概念にしか過ぎないのである。そ
して詩の場合には本質の物が一切形式(スタイルや韻律)に内属して居り、言葉自身の美を離れて、他に如何
なる思想も内容もなく、杢無の概念にしか過ぎないといふ事賓である。
 昭和維新の大事業は、祀合のすぺての方面からして、明治維新の認識不足を、根本的に啓蒙しっつ、新日本
 への建設を目ざす一途にかかつて居る。僕等の新しい詩壇もまた、今や昭和維新の革命的大磯遂に際して居る。
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「新しい詩」の出蜃鮎に、最初の正しい認識を向けねばならない。何よりも根本の問題は、過去の詩壇が全く
等閑硯して居た蛮術の本質問題、即ち日本語それ自餞の特殊な本質に就いて注意し、意識上に於ける判然とし
た批判を持つことである。もしその批判が成立したら、新時代の日本語詩が、自律さるべき必然のフォルムや
スタイルが鰐つて来るし、詩人の為すべき、正しい仕事の目標も鮮つて来る。
 明治初年の日本は、反省もなく批判もなく、西洋への憧憬とエキゾチシズムに沈滴した。新膿詩以来の過去
の詩壇が、同様にまたその通りで、自覚もなく反省もなく、西欧詩の模倣ばかりを意志して来た。そこで西洋
に象徴汲の詩が流行すれば、日本にもまた自ら象徴汲と稗する詩が生れ、西洋に自由詩が叫ばれれば、それの
必然的理由がない日本の詩壇も、猿眞似好きの新らしがりで、急に自由詩が流行する。そして西洋でそれが磨
れば、日本でも眞似して廃り、西洋で未来汲や表現汲の詩が流行ると聞けば、日本でもすぐその和製贋造品が
現れ、最近また彿蘭西で超現賓渡や主知主義汲の詩が流行ると聞いて、現に我々の詩壇に於ても、自らシュ
ル・レアリズムなどと構して新しがつてる無智低能な少年喜劇役者が登場して居る光景である。
 肝心な常識は、何より先づ我々の日本語が、さうした西欧風の新らしい詩(象徴詩や超現資汲の詩など)を、
模倣にもせょ、果して創作し得るに耐へるか香かへの吟味である。今日流行して居るすぺての西洋近代詩は、
前世紀以来の古い詩壇的俸統を根接にして居る。コクトオやグァレリイの最も新しい彿蘭西近代話さへも、す
ぺて皆十九世紀のラムボオやボードレエルから出優し、それらのラムポオやボードレエルも、十八世紀の詩壇
からすべての詩孝を俸承して居り、そして結局すべての詩は、ホーマーにその出磯の第一原因を蹄するのであ
る。然るに今日、全くその俸統と歴史のない日本に、如何にして近代風の西欧詩が生れ得るか。子供の常識で
考へてすら、そんな奇蹟は想像されない。日本の詩は、今日の二十世紀に於てさへも、所詮日本語の本質によ
〃∫ 詩人の使命

って必然的に自律されてる。そして日本語の本質は、日本の俸統的な詩形として、昔から和歌や俳句のポエヂ
ィを決定して来た。すべての西洋の近代詩が、所詮はホーマーからの俸統である如く、すべての日本の新しい
詩は、今日に於ても未来に於ても、所詮は人麿や赤人や、芭蕉や蘇村やの俸統的形式に辟すべきであり、その
他に道は有り碍ないのである。
 勿論日本の新しい詩は、再度盲の和歌や俳句を、陳腐に模倣する必要は少しもない0ただその俸統から出費
し、日本語詩への本質的批列を持つことなしに、眞の蜃術的な新らしい詩は、決して創造され得ないと言ふの
である。
最近詩壇の人々−特に進歩的な若い人々−が、漸くこの事賓に気附いて爽た0そして絶望的な詩の解滑
論者(詩を散文の中に鮮滑せょ)が、次第に光明の方へ頭をあげ、破壊主義の思想を捨てて、新らしい創造を
意志しっつある。詩は現に亡びつつある。しかしながら近い未来に、それは必ず再生するであらう0
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