菊池寛氏の詩論
文学界の座談合で、菊池寛氏が「詩は野攣時代の遺物だ。」と言ひ、科学の饅達によつて、宗教と共に亡び
るものだと言つてる。いかにも菊池氏らしい痛烈な放言で、その豪放の人物を目前に見るやうな思ひがしたが、
所詮は小林秀雄氏のいはゆる「快論」にすぎないのである。菊池氏の言葉が、もし逆説や反語でなく、正気に
言はれたものだとすれば、あまり子供臭く素朴的にすぎる思想と言はねばならない。詩が野攣時代の文学だつ
たら、近代欧洲文化の黄金時代(十八世紀から十九世紀末)に於て、あんなに多くの天才を生み、あんなに有
意義の文畢的事業をした筈がない。西洋の文学史をよんだ人なら、近代欧洲の文重恩潮が、すべて詩と詩人と
によつて先駆され、指導されてることを知つてる筈だ。
菊池氏は、詩は宗教と共に、科挙の饅達によつて亡びると言つてる。科挙の磯達によつて亡びるのは「神
話」であつて「詩」ではない。月世界に婦蛾のやうな美人が住んでるといふ神話は、科挙の磯達によつて磨滅
ノ2ア 詩人の使命
した。しかし月光そのものに封する人間の詩的な感性や情緒やは、上古から二十世紀の現代まで、不易に亡び
ることはないのだ。例へば「月見れば千々に物こそ悲しけれ我身一つの秋にはあらねど」といふ和歌の心は、
科挙が月について賓澄することの進歩性とは、本来何の関係もないのである。
詩の本質はロマンチックのものであるのに、科挙の賓澄がそれを幻滅させる故に、詩は現代に於て亡びると
菊池氏は言ふ。所が科学の精神といふものが、本来ロマンチックのものなのである。例へば飛行機の俊明は、
烏のやうに峯を飛んでみたいといふ、人間のロマンチックな夢の願望から現質した。馬眞横の饅明もさうであ
り、軍曹横もさうであり、電燈、活動馬眞の顆、皆同じロマンチックの好奇心から饅明された。そして既に餞
明が完成し、夢が現賓の物になつて来れば、今度はまた別のロマンチックの夢を峯想し、次々と饅展し、無限
に科挙は進歩して行く。そして科学が進歩して行く間は、永遠に人間のロマンチシズムは績くのである。人間
の思惟の態展する法則は、最初に漠然たるグィジョンが浮び、次にやや具膿的の観念が生じ、最後にそれの悟
性的貴澄が生れるのである。この最初の「漠然たるゲイジョン」が詩であつて、最後の悟性的賓澄が科学であ
る。飛行機の饅明者が、最初に考へたことは「詩」であつた。その餞明が完成した時、もはや詩は亡びてしま
ひ、′科挙の貰澄だけが現賓に残つた。すると今度は、大砲の弾に入つて火星へ族行をしようとする「詩」が、
更にまた新しく人の心に浮んで来た。そして今日、ロケットの敏明が工夫されてる。故に人間に「詩」がある
限り、科挙は永久に餞展する。そして「詩」が亡びると共に、科挙も終結してしまふのである。
一鰹言つて、科挙を詩の封舵的精神と考へるのが、そもそも中学生的の俗識である。ポアンカレーのやうな
科挙者でも、詩の精神と科挙の第一原理とは、本来同じやうなものだと言つてる。つまり科挙の第一原理(智
畢)といふものは、詩人の叡智が表象する智慧のメソッドと、本質に於て同質的であるからである。詩と科学
とは、その節ノ原理に於て親和し、第二段以下に於て封択反封する精神である。こんなことを菊池民に講義す
ノ2β
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切倒H」頂補角メ1、
るのは」馬鹿」馬鹿しいが、ついでに言つても見たくなるのだ●
科学高能の聾が}世を謳歌した時代、即ち質澄主義のレアリズムが、文学をさへも支配した十九世紀に於て、
詩は文畢史上未曾有の大盛花を満開した。今日世界的に詩が凋落してゐるのは、科挙が饅達した馬でなくして、
人間の意気が浪費し、生活意欲の若さと撥刺性とを、世界が一般に失喪してゐる馬である。故に今日凋落して
ゐるものは詩ばかりでない。文学全膿がさうであり、文化一般がさうなのである。しかし就中、詩は文化の前
衛的尖端に立つものであり、ロマンチックな夢を本質する文学である故に、今日の如く世界的に文他が凋落し、
人々が夢やロマンを持ち得なくなつた時代に於て、最初に最もひどい打撃を受けて衰へるのである0
菊池氏が詩と宗教とを同硯するのは、詩と神話と、また宗教と神話とを、無差別に混同したLとの錯覚であ
る。神話といふものは、たしかに科挙の饅達によつて亡びる。故に宗教の中での、神話的な部門だけはたしか
に現代に於て廃滅してゐる。しかし宗教を求める人間の心といふものは、科挙の態達とは関係なく、おそらく
永遠に不易であらう。現に今日に於ても、種々の新しい宗教が績々として出現し、政府の禁令を犯してまで信
徒が益ヒ殖えてゐるのである。科挙が「必然の幸頑」を人間に約束しない以上、人々は永遠に「偶然の奇蹟」
を追求する。文明と迷信との関係は、文明と賓春婦との関係に同じである。科挙が態達すればするほど、迷信
は逆に殖えてくるのだ。
詩は迷信ではない。しかし宗教の本質と同じやうに、原始から世の終り迄、永遠に人間の心にある新藤であ
る。千高年の未来、科挙がもし宇宙の一切を態見し蓋して、人間の心にもはや如何なる夢もロマネスクも全く
思ひ浮べる像地がなくなつたら、その時初めて菊池氏の言の如く、科学が詩を亡ぼしたにちがひないのだ0
侍開する所によれば、菊池氏が初めて文孝に志した日、昔時の文壇の樺威上田敏氏を訪問し、詩が解るかと
いふ質問を受けたさうである。そして正直に辟らないと答へた時、詩の辟らない奴が文学をやつても駄目だと、
J上汐 詩人の使命
.川謹増1一畑
博士から頭ごなしに一蹴され、爾後、詩と詩人に対する邁恨骨髄に徹して忘れないさうである。この文章の初
めに、僕がもし「逆説や反語でなければ」と書いたのは、おそらく菊池氏の思想の中に、今日伺かうした備執
が固着して居り、特に一種の意地ッ張りで、故意にこの種の放言をされるに非ずやと疑ふからだ。上田氏に封
して「詩が解らない」と答へたのは、おそらく菊池氏の正直さが言はせた謙遜であつたらう。なぜなら氏は昔
からして、石川啄木の歌の愛好者であり、そして現に今日でも、芭蕉や蕪村の俳句を愛讃してゐるさうである。
日本の詩歌と西洋の近代詩とは、詩想の内容や形態に於てちがふだらうが、ポエヂイそれ自身の本質上では、
勿論同じ一つの「詩」にすぎない。啄木や芭蕉の詩精神が解る菊池氏にして、不用論の如き「快論」を放言す
るのは、反語に非ずんば詭粁である。特に僕がそれを詭持として感ずる理由は、文香春秋社が主選する芥川賞
の小説作品が、何れも皆特に秀れて詩精神の濃厚なものであるからである。特に今岡の二作(アイヌの俸説を
書いた物と、支那の旗愁記を書いた物)は、近来日本の文学中で、稀に見る詩的精神の高いものであつた。
(一は雄牡悲痛の叙事詩であり、一は哀傷纏綿たる抒情詩であつた。)かかる小説を推選する菊池氏にして、自
ら詩が鮮らないと言ひ、詩が科挙によつて亡びるといふ如き暴論を稀へるのは、自ら知つて知らざる振りをし、
故意に含む所のあつてする片意地の言に外ならない。これを菊池氏の為に惜しむのである。
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