新古今集への歌壇的潮流とその批判
最近の歌壇は、万葉から古今や新古今の方へ、流行が新しく推移して来たやうである。しかしかうした歌壇の変遷やジャーナリズムには、僕等のやうな局外者から見て、どうも腑に落ちない点が甚だ多い。第一に万葉と言ふけれども、今のアララギ派などの歌を見ると、およそ万葉の本質してゐる詩精神とは、似ても似つかぬ正反対のものではないか。万葉集に貫流してゐる奈良朝時代の詩精神といふものは、建国第一歩の新文化に踏み出した日本人が、大陸政策の雄図に燃えて発揚した感情であり、奔放不羈の自由性と、素朴な野性的熱情に充ちたロマンチックのものであつて、近代日本の文化で言ふと、明治時代の浪漫発詩文学(藤村の詩や鉄幹の歌など)と、エスプリに於てやや共通したものなのである。然るに今の歌壇の万葉ぶりには、少しもそれと似た所がなく、却つてその正反対の枯淡主義や老境趣味やを、詩のイズムに標榜してゐるやうな文筆である。歌壇人は自らこの自家矛盾を弁疏するため、万葉の中から特に例外的の歌を引き出したり、色々文献学の考証を叙べたりして、強ひて万葉を自家の都合主義に解説しようと努めて居るが、それがコジツケの苦しい詭弁にすぎないことは、何よりも歌人自身が自ら知つてることであらう。つまり今の歌壇人は、万葉の本質する詩精神を学ばないで、その古典的な字句や修辞ばかりを真似てるのである。彼等は万葉を時代に新しく生かすのでなく、却つて万葉の詩精神を虐殺し、訓話の死文学にして居るのである。この意味に於て、過去の「明星派」などの歌人の方が、遙かによく万葉の本質的詩精神を捉へて居た。
詩精神の本質といふ点から見れば、今の歌壇の一般傾向、特にアララギ派の歌などは、むしろ極めて古今集によく似て居る。古今集の詩精神は、感情よりも理智を尊び、主観性を圧へて客観性を重んじ、観念の趣向と技巧の老熟を本義とし、且つ一般に素朴的パッショネートのものを嫌つて、知性的の平淡虚心主義を愛したのである。日本の新派和歌の歴史が、明治の浪漫派から出発して今のアララギ派等に推移したのは、丁度過去の歴史に於て、万葉集から古今集に移つたのとよく似て居る。奈良朝文化は抒情詩的ロマンチシズムの文化であり、平安朝文化は散文的レアリズムの文化であつた。今の歌壇の歌が一般に主知主義的レアリズムに傾向して居るのは、つまり今の日本の社会相が、或る点で古今集時代と似てゐるからである。
所で最近の歌壇はまた、新古今集が一部的に流行して来た観があるが、これにもまた時代の社会相がよく反映されてゐて面白い。新古今集の時代は、公卿階級の花やかな栄華が既に終つて、政権が武家の手に移つた時代であつた。しかし新しき武家階級は、何等独特の文化を所有しない田夫野人の群であつたので、既に平安朝の終焉当時に於ても、その文化は尚前代公卿階級の支配にあつた。故に新古今集は、歴史的年代に於て鎌倉時代に属しながら、その文学上の本質に於ては、依然として平安朝文化の続篇であり、没落に瀕した公卿階級が、最後に残した一節の遺書であつた。
だがそれにもかかはらず、新古今集の詩精神は、前期の古今集と大いに特質を異にして居た。古今集の歌は、藤原氏一代の栄華を歌ふ太平楽の調べであつたが、新古今集の歌はその反対に、彼等の没落を嘆く悲しいデカダンスの哀歌であつた。故に古今集の歌には何等烈しい領律的の感傷がなく、散文学的虚心平坦のものであつたが、新古今集の歌はこれに反し、内に没落の悲哀をつつみ、落日の前に散り行く花を見て傷むやうな、深い感傷の悩みと詠嘆を詩情して居る。故に詩文学の生命であるリリシズムといふ点から見て、新古今集は遙かに古今集の散文的なのに優つて居る。
さて今日現代の日本の社会が、丁度またかうした新古今的の時代なのである。即ちこの時代の文化所有者であるインテリゲンチアは、今やまさに没落の危機に際して居り、方角もなく目的もなく、救ひがたいデカダンスの虚無に徘徊してゐる。僕等の時代の没落階級者にして、今日もし歌ふべき歌があるとすれば、それは新古今集の外にないであらう。新古今集の歌には何の権力的な反抗意識もなく、時代の逆境に悲憤するヒロイズムもない。彼等の無気力な公卿階級者は、没落の前に悲しみつつも、桜花の前に暮春を傷み、長袖の影に艶めかしい恋を悩み、先祖ながらの花鳥風月を詠じて楽しんで居た。しかもその恋愛や風流の遊びの中に、隠しおほせぬ絶望哀傷の歔欷がにじみ出して、それがおのづから新古今集の特殊なリリック ― 艶にして悩ましく、花やかにして悲しいリリック ― を作つて居るのだ。
所で現代の青年やインテリゲンチアが、丁度またその通りである。彼等の多くは、時代的に去勢されて無気力者となり、何の反抗もなく気概もなく、町の卑猥な流行歌を聞きながら、ひとへにエロチシズムの刺戟を追求し、麻雀やダンスに当なきその日ぐらしをして居るのである。彼等のすべては、外面的には如何にも明るく暢気であり、スポーツマン的明朗な顔をして居るのである。しかも彼等が「あなたと呼べば」と歌ひ、「忘れちやいやよ」と歌ふ時、その流行歌のメロヂイそのものにさへ、時代の絶望的な哀傷が切々として居る。此処には何の希望もない。目的もない。そしてただ有るものは、卑猥なエロチシズムへの惑溺と、その日その日の現実を忘れるナンセンスの笑ひである。そして此処に、現代の没落階級者であるところの、悲しいインテリ青年のデカダンスがある。
この時代的のデカダンスは、それ自ら新古今集のデカダンスと共通して居る。定家や俊成が作つた新古今の特殊な詩情、即ち史家のいはゆる「幽玄体」とは、本質上に於てこの時代のデカダンスを表象してゐる、或る頽廃の彩られた色気に外ならない。「春の夜の夢の浮橋とだえして峯に別るる横雲の空」といふ定家の歌を見よ。「幾度われ浪にしをれて貴船川袖に玉ちる物思ひけむ」といふ藤原良経の歌を見よ。そのいはゆる幽玄体の本質が、いかに果敢なく力なく、暮春の空に消える煙のやうに、艶にして悩ましいデカダンスの色気であるかを知るであらう。さらにまた「わが恋は知る人もなしせく床の涙もらすな黄楊の小枕」といふ式子内親王の哀調切々たる恋歌を見よ。かくも烈しく思ひつめた絶望的な感情を、かくもまた艶に悩ましく歌つた女性が、かつて過去の時代にあつたらうか。万葉集の女性は、直情流露に失恋の悲しみを訴へてる時でさへも、尚その底に強い反抗の意志をもち、本質に明るい人生を謳歌して居た。新古今集の女性に至つては、暗い虚無的の人生をペーソスする以外に、如何なる光明の世界をも認めて居ない。恋に破れた時代人や一切の存在理由を否定し尽さなければすまないのである。なぜなら彼等の時代人は、それ自ら社会的に敗北した没落人であつたからである。そして此処にまた、西行の遁世と捨離が出発したのだ。
明治に歌が復活してから、歴史は漸くまだ半世紀を越えたにすぎない。しかもこの短かい問に、歌壇は過去数百年間のコースを経過した。即ち万葉精神の浪漫派時代(晶子より啄木に至る)を経て、古今精神のレアリズム時代(アララギ派より現歌壇に至る)を通過した。そして最近、正に新古今への橋を渡らうとしかかつて居る。日本の現在する社会の情態から考へても、この推移は自然であり、おそらく今後の歌壇的ジャーナリズムは、新古今精神の普遍的氾濫を見るであらう。今日早く既にそれを唱へ、新古今主義の旗を掲げて指導して居る一部の歌人、即ち北原白秋氏や川田順氏等は、現歌壇のアララギ的レアリズムが没落した次の時代で、おのづから歌壇のジャーナリズム的帝王者になるであらう。
しかしながら此処にも、自分はまた多くの不満と懐疑を感ぜずに居られない。なぜなら彼等の新古今主義者等は、いたづらにその形式的技巧方面のみを偏重して、そのポエヂイの本質する時代的のリリシズムを、心臓に於て忘れてる如く見えるからである。もちろん白秋氏の如きは、一代の俊英な時代的詩人であり、他の歌壇人と類を異にする不世出の天才である故に、新古今集に於て掴むべきすべての物を、確実に自家に捉へて居られるにはちがひないが、おそらくは、その「幽玄体」等の解釈が、僕とやや見る所を異にしてゐる結果であるかと思ふのである。もとより僕の如き歌道のアマチュア的門外漢が、白秋氏等の専門歌人に言を為すのは、釈迦に説法の痴語に類してゐるけれども、幸ひに他山の石として笑読され、何かの参考にまで聞いていただければ光栄である。もし白秋氏や川田氏の歌に於て、何等か今少し新古今的リリシズムの核心的なものを、より調子の高い節奏で聞かしてもらふことができるならば、自分としてはさらに望む所はないのである。僕の思惟するところによれば、新古今の形態されてるリリシズムは、主としてその音楽性にかかつてる如く思ふのである。歌壇で定評されてる如く、新古今はたしかにフォルマリズムの至上主義的藝術である。しかしそのフォルマリズムは、空間上に観念される幾何学的の形式主義でなく、もつばら時間上に観念される持続的の形式主義、即ち一言で言へば「音楽的フォルマリズム」なのである。この点に於ては、僕は白秋氏の方を川田順氏よりも上位の理解者と認めて居る。なぜなら川田氏の作品には、かうした新古今的優美の音楽性が欠乏して、却つて空間上の形式意識の克つたものが、往々にして有る如く見られるからである。今日新古今イズムを称導される人々は、川田氏や白秋氏の外にも数多ある如く思はれるが、その人々の作品を見て、僕の常に不満と懐疑を感ずるところは、この音楽的、韻律的フォルマリズムの欠乏である。僕等が新古今の歌について、何よりも深く魅力されるのは、その「掛け詞」や「縁語」などを巧みに使つた音楽の美しさである。実にこの歌集の場合に於ては音楽が即内容であり、言葉の奏するメロヂイそのものが、それ自ら幽玄体の内容となり、生理的のエロチシズムやデカダンスとなつてるのである。故に新古今からその音楽美を除いてしまへば、そして単に言葉のミ−ンズだけを読むとすれば、たいてい皆ナンセンスの馬鹿馬鹿しい妄語にすぎなくなる。
然るに今の歌壇の新古今主義者の作は、多くは皆内容(詩語のミーンズ)本位であつて、言葉に幽玄調の音楽美がなく、悪くゴツゴツして堅苦しく、いたづらに息苦しさを感じさせるばかりである。この音楽性の欠乏といふことは、現時の歌壇に於て一般的の現象であり、特にアララギ派等に於てそれが甚だしい。牧水、啄木、吉井勇等の時代の歌は、優に朗吟に耐へる程度の音楽を持つて居たが、今日の歌壇の歌には、殆んどそれが欠乏し、中には韻文として読むに耐へないほど悪律悪調のものがすくなくない。現時の短歌の大部分は、単に三十一目字の定形だけを具へたところの、そしてしかも実質上には、何の韻文的音楽性もないところの、奇怪な似而非フォルマリズムの「散文」である。こんな文学は、本質上に於て決して「歌」と呼ぶことができないのだ。
かうした時代に於てこそ、人々は歌壇の革命を絶叫し、失はれた「歌」の復活を呼ばなければならないのだ。白秋氏等の提唱する新古今主義の運動も、この音楽復興の革命精神と結びついてこそ、初めてジャーナリズムとしての歌壇的意義があるのだ。なぜなら新古今集の本質する藝術精神が、それ自ら徹底的の音楽至上主義であるからである。今日の時代の歌人は、もはや古の殿上人でもなく公卿階級でもない。諸君は新古今人の趣味を真似る必要もなく、況んやその古雅な歌語を模倣する必要もないのである。しかしただ学ぶぺきは、そのエスプリとしての時代的抒情詩性と、音楽を一義とする象徴主義の究極性とである。特に今の時代は、文化が「歌」とリリシズムとを喪失して、人々がその虚無の寂蓼に悩んで居る時代である。正しい認識に於て提唱される「ネオ新古今イズム」が、もし今の歌壇に実在して居るとすれば、これほど時代的に新しい糧を意味する行動はない。