日本の使命
講演 軍人会館にて
明治以来、わが日本は、西洋の文明を吸取することに努めて来ました。この努力は、非常に絶大のものであ
りました。それは今迄長く、鎖国状態にありまして、平和な、太平の夢をむさぼつてゐた日本が、一躍して、
急に、世界の烈しい生存競争裡に出るやうになりましたので、何もかも一度に、しかも急速のスピードで、学
ばなければならなかつた。これは西洋が、過去幾世紀に亙つて、長い歴史をへて、やつと造りあげた近代文化
の大きな建築物を、僅か一日一夜にして、急速に造り↓げるやうな仕事でありました。これは非常に急がしい、
そして骨の折れる仕事であり皇す0そのため我々日本人は、過去牛世紀の問、殆んど不眠不休で、夜も歪も、
一寸の休むまがないはど、急がしく、殆んど超人的な努力を以て、西洋文明の吸取のために働いたのでありま
す0この驚くぺき努力によつて、今や我々は、漸く先づ一通りに、西洋文明の物質的な外観だけは、自家に吸
取して、季ぶ事ができたのであります0即ち軍備に於ても、産業に於ても、また近代国家の杜禽的組織におき
ましても、殆んど西洋の先進文明園に比して劣るところがなく、事賓上に於て、世界の一等国となつたのであ
ります。
そこで我々の日本人は、今一寸一服、一やすみといふ心理状態になつてゐます。それは過去に、今迄、非常
な努力を以て超∧的な、殆んど人力以上ともいふぺき、無理な強行軍をして来たのでありますから、此鹿で、
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そこで、今迄、目が過るやうに忙がしく、次々の仕事に迫はれて、何も物を考へる暇がなかつた我々の日本
人が、漸く初めて、しづかに物を考へるやうになり、且つ自分といふものの本性を、反省するやうになつて衆
ました。即ち私共は、今日に至りましで、漸く初めて、西洋文明と東洋文明、また特に、自国の日本文化と西
洋文化の封立を、反省するやうになつて衆ました。すると同時にまた、明治以来、自分等の熱心にやつてきた
仕事、即ち西洋文明の吸取といふ仕事が、自分等の日本人にとつて、一倍いかなる文化的意義を持つかと言ふ
ことを、反省して考へるやうになつて衆たのであります。そのため初めて、最近になりまして、一般国民の問
に、「日本的なものへの自覚」もしくは、その再認識、再批判といふことが、考へられるや‥っになつてきたの
であります。
そこでこれから、西洋文明と東洋文化、特に日本文化と西洋文化との、本質上に於ける相違の鮎を述ぺてみ
たいと存じます。
西洋文化の本質となつて居ります精神は、一言で言ひますと、二元的なものの相封的な対立であります。即
ち二つの矛盾したものが、互に噛み合ひ、征服し合ふところの、戦ひの精神、争闘の文仕であります。例へば
西洋人の宇宙観では、自然と人生とが、互に封立して、矛盾観念の相剋となつて居るのであります。ですから
西洋の科挙の精神は、人間が自然を征服するといふ、争闘の精神からできてるのであり主す。また宗教に致し
ましても、西洋のは、紳と悪魔の封立、善と窓との拳闘、姦魂と肉饅、即ち量と肉との戦ひ、といふ工合に、
あく迄相封的、二律反則的のものの相剋。一方が一方を征服するといふ、戦ひの意識が貰ぬいてゐるのであり
ます。キリスト教は、〓呼教を標梼して居りますが、資際には、紳と悪魔、盛と肉といふ二元的のものを封立
させて、この両者の不断の争劇を説いてるのでありますから、本質上から言ひますと、やはり二元敦、相対主
JイJ 日本への同辟
義の宗教といふことになるのであります。それからまた、西洋人の人生観には、自我と非我、主観と客観とい
ふ二つのものを、常に矛盾観念としで、相封的に封立させてゐるのであります。ですから例へほ、オイツケン
などのやうに、人生の目的は、自我が非我を征服する、主観が客観を克服するといふ風な、考へ方も生れて承
るのであります。
かうした考へ方ほ、西洋の肇術、文孝に於て、最もよく具鰹的に現はれて居るのであります。即ち西洋の文
拳や肇術の楕紳となつてゐるものは、いつも垂と肉との革ひ、もしくは主観の自我が、客観の非我に封する矛
盾の悩み、相剋といふやうな形式になつでるのであります。
男女異性の問に置きましても、やはりかうした二元的の相剋観念、一方が一方を征服するといふ、争囲の観
念が強いのであります。そこで例へほ男女同権論とか、女権損張論とかいふ議論が、西洋にはさかんに起つて
来るのであります。これはつまり、女が男に封する権利の主張であつて、異性問に於ける、相剋の戦ひであり
ま寸。
すぺての西洋の文明は、要するに皆、かうした矛盾観念の封立と、その相剋の戦ひ、争闘の意志に出覆して
ゐるのであります。然るに、日本、及び東洋の文化といふものは、その楕紳におきまして、全く之れとちがつ
て居るのであります。東洋人は、すぺでを一元的に考へる。相封的に考へないで、絶対的に考へるのでありま
す0したがつてまた、東洋には、矛盾観念の対立といふ、相剋の思想がないのであります。例へほ我々は、自
然と人生を相射的の別のものに考へないで、互によく融化し、調和した、一元的のものに考へるのであります。
ですから東洋には、「自然を征服する」といふやうな言垂が、古来からなかつたのであります。西洋人が、初
めてアルプスの虞女峯へ登つたり、或は北極を探険したりした時は、必ず「自然を征服した」といふ言葉を使
ひますが、日本人は、例へば弘法大師のやうな人が∵初めて深山の遺を開拓した時は、自然を征服したと育つ
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しい歌を作つたりして、自然の美を讃美するのであります。山に登つて、歌を作る日本人の菊持と、自然を征
服したと言ふ西洋人の気持との問には、ずゐぶん大きな相違があると思ひます。つまり我々は、自然の中に自
分を融化し、自然と人生とを、不離の山元的のものに見るのですから、相剋的の戦ひがなくつて却つてこれを
楽み、讃美するところの、歌が作れるのであります。
宗教でもさうでありまして、東洋の宗教、例へば俳敦の如きは、キリスト教のやうに、紳と悪魔、壷と肉、
もしくは善と悪といふやうな、矛盾観念を相対させないで、これを無差別に、一元的のものに見てしまふので
あります。即ち沸数では、善意不二、煩悶郎菩捉、或は色印是杢、杢印是色といふエ合に、善も恵も、紳も悪
魔も、靂魂も肉澄も、絶対の一元境地に於ては、本質上に皆同じく、無差別のものだといふことを説くのであ
ります。
ですから東洋の思想には、主観と客観、自我と非我とが、互に矛盾観念として相対する事がなく、この二つ
のものが、いつも一つに融和し、所謂主客一如といふ境地に入つてるのであります。かうした東洋の思想は、
我々の文学や璽術品に於て、最もよく現はれて居るのであります。例へば芭蕉の 「古池や蛙とぴ込む水の普」
といふやうな俳句は、一方から見れば、自然の客観を描馬した句でありますが、同時に一方では、作者の主観、
即ち自我のイデーを歌つた句でありますから、此所では主客が全く一致し、自我と自然とが、一如になつてる
のであります。西洋では、かうした詩や文筆が、殆んどまれにしかないのであります。西洋の文学といふもの
は、ホーマーの詩の如く、戦争や冒険のことを書いた、争闘的の精神の強いもの、もしくは自我の主張を強く
叙ぺた、エゴイスチックの文筆ばかり多いのであります。
これは要するに、西洋文化の出教してゐる梢紳が、矛盾観念の相対といふ、相対の争ひでありまして、その
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エスプリは力と争闘であります0これに反して東洋の文明は、紹封の眞如をイデアとする発と調和の文明であ
ります0ですからまた、西洋文他の表現は、常に弱肉強食といふ覇道的な手練主義となつて現れ、東洋のは、
相互扶助といふ王道的な平和主義となつてゐるのであります。
さてこのやうに、東西文化の本質的な相違を考へて衆ますると、今日の地上に於きまして、何故に白人が世
界を征服し、西洋が東洋を虐げてるかといふことの理由が、前のことから鮮つて来ると思ひます。前に申した
通り、東洋の文化精神は、美と調和でありまして、本質的に平和主義のものでありますから、力と争闘の覇道
主義的な西洋の侵略に射しましては、丁度、狼の前の羊のやうなもので、到底封抗することができないのであ
ります0その爵、この十八九世紀以来、支那も印度も、殆んど皆、西洋の為に侵略されてしまつたのでした。
然るにただ濁り、日本がこの侵略から遁がれ、東洋に於ける唯一のチャンピオンとなりましたのは、明治の閲
図と一所に、我々が非常な努力と熱心を以て、西洋の文明を畢び、これを自分に取入れたからであります。こ
れは、日本人の非常に聴明な所だと思ひます0支那の如きは、日本よりもずつと早く、日本がまだ鎖国してゐ
る時代からして、盛んに西洋と交通して屠りましたが、縛局、日本よりも立ち遅れてしまつたのは、彼等の支
那人が、少しも西洋文明を本菊になつて畢ばうとしなかつたからであります。それは支那人が、自国の文化に
封して、非常に強い自尊心をもつて居りまして、すぺて外国人を夷秋と呼び、外図の文明を初めから低級なも
のとして、軽蔑しでゐたからであります0然るに日本人は、かういふ鮎は、非常にハンブルな心をもつてる、
好奇心の強い、大へん勉強好きの圃民でありますから1昔からして、支那や印度の文明に接しましても、自分
を姦しくして、熱心にこれを勉強し、速にこれらのものを自分の血液に滑北する事に成功しました。同じやう
にまた、今日では、西洋の文明に接しまして、これを熱心に勉強してゐるのであります。
明治時代の政府か「文明粥化」といふ言葉をモットオと致しまして、吐合百般の風俗習慣を、すべて西津と
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きましたことも、常時の国情に於きましては、まことに止むを碍ない、官然な政策だつたと思ひます。もし日
本人が、支那人の如く、自国の侍統文化に封しまして、頑迷不遜な自尊心をもち、外国人を夷秋として軽蔑す
る如き、排外的な思想をもつて屈ましたら、到底今日の如き、強大な日本帝国を建設する事ができなかつた。
支部や印度と同じく、我々るまた、西洋に侵略されて、亡国の民となつて居たかも知れないのであります。明
治以来、我々が、自国の侍統のものを一切皆犠牲に供して迄、熱心に西洋を畢び、むしろある時代には、欧化
心酔主義にまでなつたといふ事は、これは日本の自衛のために、日本を西洋の侵略から防ぐ為に、止むを得な
い、自衛の手段であつたのでした。今日、日本がもつてる、この強大な軍隊、旺盛な資本、優秀な技術は、皆、
かくの如くして、西洋から孝び取つたものに外ならないのです。言はば日本は、今日、西洋の武器、西洋の文
明によつて、逆にその本家の西洋と対抗してゐるのでありますが、これは日本の自衛のために、併せてまた、
亜細亜を西洋の侵略から守る鳥めに、止むを得ない、正常防衛の手段なのであります。
此虞で皆さんに、一寸、印度のことを考へていただきたい。印度人は、支部人と共に、世界のいちばん古い、
そしていちばん高い文明を建設した、優秀の民族でありますが、それだけまた、自尊心が温くで、今日まで偽、
自分の俳敦や、ウパニシャツドの文化を、西洋のキリスト教文化よりも、逢かに優秀のものと考へて居るので
あります。そのため、近代に於きまして、西洋からの侵略をうけましても、決して西洋の文明を学ばうとしな
い。あくまで彼等は、東洋的、印度的な純粋の文化楕紳で、西洋と対抗しょうとしてゐるのであります。かか
る印度人の代表的な英雄は、皆さんも御存じの、聖雄ガンデイであります。ガンヂイは、西洋の侵略に封しで、
決して武力や暴力を以つてしてはならない。なぜなら、それは、敢の学園的な西洋文明に対して、印度の平和
主義の文明が、屈服することになるからだ。といふ徹底した国粋思想からしまして、皆さんも御存じのやうに、
∫イア 日本への同締
絶食と瀬抵抗主義とを以て、英国人を困らして居るのであります。私は、このガンヂイの、いかにも徹底した、
悲壮な楕南に封して、まことに深い同情と敬意をもつたのでありますが、しかしかうしたやり方では、結局、
今日の東洋を、西洋の侵略から、防ぐことができないと思ひます。我々の東洋を守る為には、やはり今日の日
本がやつてるやうに、西洋の文明を自家に革んで、散の武器を以て、逆に敵と戦ふょり外に仕方がない。これ
は決して、ガンヂイのいふやうに、東洋文明の西洋文明に封する屈服ではないと思ひます。外見上では、或は
たしかにさう見えるかも知れませんが、根砥の意志は、むしろその反封のものだと思ひます。
小泉八雲のラフカヂオ・ヘルンは、その日本に封する文明覿の中で、かう言つで居ります。今日の日本人は、
自国の侍統の争い文化を忘れて、ひたすら西洋文明の模倣に夢中になつてる覿がある。これはまことに愚な、
悲しいことのやうに思はれる。しかし日本人は、今日でも決して、心の底から西洋を崇拝してゐるのではない。
反封にむしろ、彼等は、心の内密の奥底には、西洋文化を軽蔑し、むしろ西洋に封して、旺盛な敵衝心さへも
持つでゐるやうに思はれる。それは何故かといふと、そもそも日本の開園といふものが、日本から自態的に進
んでやつた事ではなく、西洋の軍艦や大砲に脅かされて、その張勢な、西洋の近代的な科挙文化や、物質文明
に対して、自分を守る為の、自衛上の必要から、止むを得ずしたものである。それであるから、将来もし日本
が、一通り西洋文明を自家に吸取して、自ら近代的の科学図家となり、西洋の大砲や軍艦に封して、少しも脅
威を感じないやうになつた暁には、忽ち今日の、欧化主義や、西洋心酔主義を捨ててしまひ、自国の俸統の文
仕について、必ず再認識を始めるだらう。そして異に、日本人の民族的使命を、自覚するだらう。と言つて居
りますが、ニの濠言は、今日現に、歴々として、普つてゐる如き現があります。八雲が日本に生きて居りまし
たのは、日滞戦争から、日露戦争頃の時代でありましたが、その頃から見ますと今日の日本が、長足の進歩を
致しまして現に軍備に於でも、産業に於ても、何等西洋に劣らないほど、強勢な娃代国家となつてるのであ
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て之れを逆に撃破することもできるのであります。そこで八雲の換言した通り、今や漸く圃民が西洋心酔の
夢から目覚めまして、日本の国粋の文化を再認識し、「所謂日本的なもの」の本質について関心をもつやうに
なつて爽たのであります。そしてこのことは、同時にとりも直さず、我々が、日本人としての民族使命を自覚
した事になるのであります。つまり詳しく言ひますと、今日、西洋の相対的権力主義の文明、力の文明に対し
て、東洋の理想である絶射的平和主義の文明、実の文明を防禦しますのは、今日アジアに於て、ただ日本人し
かない、これが日本の使命なのであります。しかし今日、すぺての永遠平和のイデーを防禦するために、我々
は止むを碍ず、戦ひの中に身をおかなければならない。過去に於ける日露戦争も、また只今の日支事攣も、賓
にかうした文化的な、自衛の目的から、止むを得ず行つた戦ひであり蓋した。我々の文化の目的とする使命は、
もとより絶対の平和主義、王道精神にょるものでありまして、決して西洋人の考へるやうな、好戦的な、侵略
的な固民性から出てゐるものではないのであり主す。ですから、要するに今日に於ける我々の日本人は、一方
に於て、紹えず西洋の文明を吸取することが、まだまだ大に必要でありますが、同時にその棉紳に於て、民族
的の高邁な自覚をもち、日本人の文化的使命を忘れないことが最も緊要であると思ふのであります。長れ多く
ほらから
も、明治大帝の御製に「四方の海みな同胞と思ふ世になど浪風の立ち騒ぐらむ」といふのがあります。これは
日露戦争の時の御述懐でありましたが、日下の日支事攣に際しましても、やはり私共は、この御製の楕紳を深
く考へ、一貫しで、日本の進むぺき世界的文化精神を、常に反省して居る次第であります。
jイ9 日本への岡践
当町