日本語の不自由さ
日本に生れて日本語が不自由だなどと考へるのは、日本人が日本人たることを拒絶するやうなものであり、まさしく非国民的な思想かも解らない。しかし今日の日本で、電車や自動車の走る東京の町を歩く時に、和服が不自由だと感ずることが事実ならば、そしてそれを感ずることが、必しも非国民的思想でないとすれば、僕等が今日の日本に於て、日本語を不自由と感ずることにも無理がないのだ。
かかる日本語の不自由性を、今日最も強く感じてゐる者は、僕等のエッセイストと科学者とである。なぜならこの二つの者〔科学とエッセイ)は、共に近来西洋から来た舶来品で、古来の伝統日本に無かつたからだ。伝統の口本文化は、本来「ことあげせぬ国」を誇りとして来た。そこで日本語には論理的な要素が殆んどない。論理的な要素とは、概念を抽象上に分析配列して、これを判然明白に説明することのシステムである。一二の例をあげょう。
音響トハ空気ノ振動ニヨツテ生ズル音波ガ、聴覚器官ノ末梢神経ニ伝達シ、中枢神経ニヨツテ知覚サレル所ノ現象デアル。
読者はこの文章を読み終つて、最後に今一度そのセンテンスを頭の中で組み建て直し、漸く初めて音響の理を了解し得る。いかにも煩瑣で廻りくどく、しかも曖昧不明瞭の「非論理的」文章である。だが日本語では、これより外に同じことを説明する方法がない。上例はむしろ最善の文章であり、この種の者の中での、最も解り易く書かれた名文でさへある。しかもそれすらが、このやうに廻りくどく感じられるのは、「空気ノ振動ニヨツテ生ズル音波」といふ如き一つのフレーズが、この観念の説明上で、順位を逆にしてゐるからである。これを仮りにもし、次のやうに書き換へて見給へ。
音響トハ音波(空気ノ振動ニヨツテ生ズル)ガ、ソレノ伝達サレル末梢神経(聴覚器官ノ)ヲ経テ、中枢神経ニヨツテ知覚サレル現象デアル。
として見給へ。ずつと直接法的に解りよくなるであらう。更らに尚次の如く書き直して見よ。
音響トハ一ノ現象 ― ソレハ中枢神経ニヨリテ知覚サレル
― デアル。ソノ現象ハ音波 ― 空気ノ震動ニヨツテ生ズル
― ガ、聴覚器官ノ末梢神経ニ伝達スルコトニヨツテ生ズ。
とすれば、一層説明が判然として、論理的明確性を増してくる。だがこれでは、殆んど全く日本語の文章とならないのである。読者はこの索引符号のやうなセンテンスを、普通の日本語の文章に直す為に、二重にまた骨を折らねばならなくなる。しかし仮りに、さうした文章意識を離れた立場で、純粋に観念の構成上から考へて見よ。この後者の説明法に於けるシステムが、前者よりも遙かに解りよく論理的に明確であることを知るであらう。つまり音響といふことを説明する為には、最初に先づそれが一の知覚的現象であることを説き、次にその知覚が、音波によつて喚起されることと説くのが、最も解り易い論理的な説明である。そしてこの際、音波が如何にして生ずるかといふやうなこと、或は知覚がいかにして喚起されるかといふやうなことは、その音波や知覚やの主語の次へ、ダッシユとして附加すれば好いのである。然るに日本語では、「空気ノ振動ニヨツテ生ズル音波」と言ふやうに、肝心の主語(音波)がフレーズの一番最後に来て、附加のダツシユが長たらしく前口上を述べ立てるので、前後矛盾し、支離滅裂となり、論理的に頭の中が混乱して、容易に意味の取れない難物となつてしまふのである。
僕の亡なつた老祖父は、半ば笑談まじりによく言つた。日本は世界で正道を歩む唯一の頭だ。なぜなら見よ。西洋の言葉でも、支那の言葉でも、皆逆さに引つくり返つて読むではないか。日本語だけが真直であり、正しく逆立ちしない言葉だからと。しかし西洋人や支那人の方から見れば、日本語の方が逆に引つくり返しになつてるわけで、これはどつちが正しいといふ問題ではない。ただしかし言ひ得ることは、外国語(特に欧洲語)の方が、日本語に比してロヂカルであり、科学的の明確性と判然性とを、多分に持つてると言ふことである。したがつて科学論文の類は勿論、すべての文筆的論文の表現には、僕等の国語がこの点で大きな負担となつて来る。今日その負担を、最も痛切に感じてるものは科学者であり、次に僕等の文筆的エッセイストである。
文学的論文、即ち所謂エッセイに於ては、もとより科学文献の如き論理性や、概念の明確性やを必須としない。エッセイは
― それが文学作品である限り ― 作者の主観的な情操表現であるからである。しかしながらエッセイは、とにかく文学の中での「議論」であるから、詩や小説の類とちがつて、思想の解説に於ける判然性や明確性やを要求する。その上に尚、最も要求されることは、文藝修辞としてのゼスチュアである。すべての文学的論文は、それが高邁な精神で書かれるほど、必然に叙事詩的のエスプリを帯びることから、言語に韻律的の節奏性が加つて来る。この点に於て、エッセイは演説と同じである。強い情熱を以て語られる演説は、必然に韻文的の言語を生み、避けがたくゼスチュアが附加してくる。
所が日本語は、この点でまた大に不便なのである。そしてその理由は、前述べたことと同じ国語の構成法に基因してゐる。即ち主語がフレーズの最後に来ることと、判断がいつも文の終りに来ることである。特にこの後の事情
― 判断が文の終りに来ること ―
は、日本のエッセイストを常に最も渋難させる。次の例を見よ。
我等はかかる環境の中にあつて、人を困難ならしめる種々の事情と戦ひながら、充分に尚自己の社会的地位を獲得する迄、現状に忍従すべきか否か知らない。
かうした文章を読む場合、その筆者の意志する点が何所にあるかを、最後の一句に終る迄解らないのである。「我等は」といふ最初の一句は、「忍従すべきか否かを知らない」といふ最後の一句に連結して居る。そしてこの両者の中間には、長たらしい他の文句が挿入されてる。おそらく筆者は、この書き出しの最初の言葉と、最後の断定のフレーズとに、感情の力をこめて言ひたいのだらう。然るにこの中間に長たらしい幕合がある為に、最後の肝心な言葉は、すつかり気が抜けてアクセントを無くしてゐる。これをもし外国語で書けばI
d'ont know . とか Ich kenne nicht . とか言ふ工合になり、論旨の主眼である判断が先に出るから、自然そこに強い情操のアクセントがつき、文章全体が抑揚性のある真のエッセイとなるのである。
この判断が文の最後に来るといふことは、日本語でエッセイする時の最も大きな阻害である。僕はかつて前著「詩人の使命」中の或る論文にもそれを書いたが、かうした日本語の特性を利用して、昔から色々な遊戯が行はれてゐる。例へば「僕の好きな人は貴女より外にないと言ふことを約束…」といふから「する」と言ふかと思ふと、意外に「しない」と言つて対手をペテンにかけるのである。「する」のか「しない」のか、ノーかイエスか、文章の最後まで来なければ解らないのだから、読者にとつてこれほど歯痒いことはなく、筆者にとつてもこれほと不満足のことはないのだ。
しかし短所は同時に長所である。かうした日本語の特色は、判断の明確性を必要としない他の文学、即ち小説や随筆に於て、却つて多くの表現的利便を持つてる。元来日本の文学は(詩でも散文でも)外国のそれに比して象徴的であり、象徴的であるところに幽玄な価値をもつと言はれて居るが、言語が象徴的であるといふことは、言語が判然性を欠くといふことの対比であるから、日本の文学がシムボリックに発展したのは当然である。そしてかかる文学の代表は、小説としてはおそらく源氏物語が唯一者だらう。判然性といふ点から見れば、これほど難解で曖昧な文章は世界にない。そしてそれだけ、一方に象徴的の含蓄性が多いのである。
日本の小説は、近世に於ても皆この源氏物語の系統から出発した。すくなくとも文体に於て、源語は日本小説文学の規範であつた。例へば徳川時代に於ける西鶴の如き、特にその文藝に於て、構想に於て、源語を直系したものであつた。明治になつてから、一時新しい西洋直訳体の小説が試みられたが、最近は既に廃つて、室生犀星や谷崎潤一郎流の談義体小説が文壇を風靡してゐる。この種の小説の特色は、文章に句点がなく、主語が判然せず、どこまで行つてもずるずるとして断定がないのであるから、西洋風のエッセイ文章に慣れた読者にとつては、まことに歯痒くじれつたいことの極みであり、その上にまた恐ろしく難解に感じられる。しかし日本語の真の妙趣を理解し、源語や西鶴を読み得る側の読者にとつては、これほど面白く滋味のある文章はないのである。そしてその妙味は、主語がダッシユの裏に隠れ、判断が最後までずるずる引つ張られて行くところの、長談義のプロセスの中に存するのである。故に日本の文学が、小説でも随筆でも、古来から皆本質上に於て「談義的」のもの
― 長火鉢を前にして語る人情話的のもの ― となるのは自然である。
要するに日本語は、外国語の逆手を行く所に長所を持つてゐる。したがつて日本語は、「談義」に適し「解説」に不適であり、「物語」に適して「論文」に不適である。かかる日本語を以てする以上、今日ある如き文壇小説、今日ある如き文壇随筆は、永久に「日本的な文学」の本体を決定する。そして要するに千年前にあつた如く、枕草子や源氏物語の系統以外、如何なる新しい変化も発展も望めないのだ。たまたま新奇を欲して文学の革命を試みた者も、僅か一朝にして忽ち元の黙阿弥に還元し、初から何も起らなかつた如くである。森鴎外と芥川龍之介は、日本の文学を談義小説から革新しようとして、西洋風なエッセイ文体によつて創作した。そしてしかも、その故にまた二人共小説家として失敗した。日本語で小説する場合、エッセイ流の断定主義や判然明白主義は避けねばならぬ。鴎外と龍之介は、この禁断を犯した故に、国語のヂレンマにかかつて自滅したのだ。
日本に生れて、日本語の不自由を言ふのは、単にそれを考へるだけでも非国民的な思想かもしれない。しかしニィチエは独逸に生れて、絶えず独逸語の不自由を言ひ続けた。彼の文学情操の中に、多分に非独逸的、外国的のものがあつたからだ。況んや今日現代の日本人は、幼老に関らず多分に欧化した社会に住んでる。そして我々は、科学や哲学やの如き、非日本的なる舶来の学問をする要に迫られてるのだ。して見れば今日の日本文壇にも、伝統の小説や随筆以外に、西洋風のエッセイが要求されてない筈もない。だがその時代の要求を、如何にして僕等の文筆に生かすべきかと言ふことが、芥川龍之介以来の問題なのだ。そしてこの問題を発展させれば、何故に日本に於ては、西洋的知性が発育しないかといふ、根本的なインテリゼンスヘの懐疑になるが、此所では一先づ筆をおかう。