寡作と多作 『文藝春秋』 12.12

    寡作と多作
             詩人の為に


   西洋の文学者、特に例へばトルストイやドストイエフスキイのことを考へると、何よりも彼等の精力絶倫さ
  に驚かされる。「戦争と平和」のやうな魔大な小説は、その本の厚さを見るだけで参つてしまふ。僕のやうな
   人間には、所詮一生かかつても書けさうでない。
   文学的才能がないからではなく、根気がとても績かないと思ふからだ。しかも彼等の西洋人は、こんな大作
  を幾つも平気で書いてゐるのだ。ゲエアの如きは、その全集が優に百科全書をしのぐ国書館だと言はれてるが、
  畢に質ばかりで言はれるのでなく、量に於ても正に魔大のものである。モーパツサンの如き短篇小説家でさへ
  が、身長の約半ばに達するほどうづ高く積み上げられる全集を残してゐる。ニイチエは子供の時から病弱なの
  で、人故の根気がなく、常に怠惰がちであつた。「世界の国々を巡り歩いて、最後に驚いて饅見することは、
  至る所に於て人間が怠惰の傾向を持つといふことだ。」と書いたニイチエは、常に彼自身の怠惰と無気力を嘆
  いて居た。しかもこの怠け者のニイチエすら、比較的短かい生涯に於て、十巻に亙る大部の著作を残して居る
   のだ。
   僕は日本の文撃と文孝者が、必しも西洋に劣るとは考へない。しかし精力の鮎だけでは到底西洋人にかなは
  ない。.もつとも日本人にも、稀には馬琴や近松のやうな作家があつたが、概して日本の文学者は寡作であり、

  量の仕事では勝味がない。この敗北の原因を、或る人々は生理的に鰐澤し、西洋人の肉食に辟してゐるが、僕
  はこの鰐稗に同感できない。筋肉労働の場合は別だが、文学の如き頭脳上の労作では、肉食よりも菜食の方が
  よく、却つてエネルギイが績くことは、今日学者の定説となつてゐるのである。僕の考へる所では、この問題
  は圃の廣表、祀合の組織、文化の傾向等による、一般的な環境の為だと思ふ。ロシヤや欧羅巴のやうな大陸で
  は、社禽の組織もまた大陸的で大柄の為に、文化の特質も之れに準じ、文畢そのものが、廣茫性を帯びた雄大
  のものになるのだと思ふ。反封に日本のやうな島国では、すべてがコセツいて小規模であり、繊細で神経質の
  ものにできてるから、かうした国土で育つた文学は、量よりも質の緻密を尊ぶところの、凝つた珠玉主義にな
   るのである。
   故にこの問題は、事賓上では鰹質やエネルギイの強弱と関係がなく、文学者のイデーや趣味性の問題となつ
  てくる。つまり日本の文学者は、外国の作家たちとは別の所1外因の作家が無神経ですましてゐる所−1へ、
  彼等が他の方面で使ふエネルギイを、それと同量の能率で注ぎ込むのである。だから量の上から外見すると、
  我々の文学は貧弱であり、非精力的のものに見えるけれども、賓際に使用されるエネルギイは、両者共に同量
  であり、決して日本の文学者が、西洋人に比して無気力と言ふことはない。そしてこの事賓は、最近日本人が、
  杜合の各方面で示してる驚くべき仕事の能率によつて賓澄されてる。エネルギッシュのことに於て、日本人は
  世界のどの国民にも負けてゐない。然らばひとり文聾者だけが、その鮎で外人に負ける筈はない。日本の文学
  の小規模なのは、全く我々がその能率と精力とを、凝り性の珠磨きに使ふからである。
   かう考へて来ると、トルストイだらうが、何だらうが、あへて恐るるに足らずといふ気がする。僕等の日本
  人だつて、彼等の如く些事に封して無神経であり、文学のイデーと趣味性がちがふならば、一生の中に「戦争
   と中和」をノ筋書き飛ばすこともできるのである。つまり言ふと、僕等にはそれが「出来ない」のでなく、馬

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瀾瀾[瀾届よう&・・「しない」のである。そしてこの馬よう鼻Lrない傾向は、僕等の詩人に於ていちばん強い。なぜなら詩
  といふ文畢は、本質的に珠玉主義のものであるからである。詩は小説の如く、大量生産によつて讃者を歴倒す
  る的の文学ではない。詩は一句一字に言葉をねり、一聯一行に思ひをひそめる的の文学である。それ故に詩は、
  本質上に於て全く日本趣味的の文学である。僕は東西の文拳を封照して、小説では西洋が我れに優り、詩では
  日本が西洋に優つてると信じてゐる。但し此所に詩といふのは、今の新膿詩のことではなく、昔の和歌俳句の
  ことである。人麿や芭蕉に匹敵し、常葉や新古今の歌に封立し得る高級な肇術詩は、おそらく僕は西洋に無い
  ことを確信してゐる。
   故に詩人は、西洋でも一般に寡作である。ゲーテは濁り例外だが、他の詩人の残した仕事は、量の上で逢か
  に小説に劣つて居る。キーツ、シエレー、ラムボオ、ボードレエル、ゴルレーヌ等、何れも皆片々たる数筋の
  詩集と、ごく僅かばかりの著作しか書いて居ない。ニイチエの如きも、その遺著の大部分はエッセイであつて、
  詩は殆んど僅か数十篇(本にして一筋の三分の一位)しかないのである。殆んど世界の多くの詩人は、室生犀
  星の所謂「一掴みの髪毛」ほどの著作を残して死んだのである。しかも詩人の仕事は、すぺての文学の中で最
  も永く不朽である。ボードレエルは、僅か「悪の筏」一筋の遺書によつて、十九世紀以来の彿蘭西文化をエス
  プリから襲へたと言はれる。今日ゾラやフローペルの名が漸く人々から迂遠になつても、ラムボオの名は世界
  に輝き、李太白の詩は萬古に新しく愛讃されてる。之を思へば、詩人ほど少量の仕事をして、詩人ほど寿命の
  長い文筆者はない。
   詩人の封舵的な地位にあつて、大量生産をするものは小説家である。小説家がもし、あまりに詩人的に神経
  質で、珠玉主義の凝り性だつたら、容易に大を為すことができないだらう。ドストイエフスキイは、常に賭博
  の借金で苦しめられ、赤馬車に催促されて書いたと云はれる。しかし借金の催促がないとしても、やはり彼は

 書いたであらう。トルストイは裕礪な貴族に生れ、少しも物質上の心配が無かつたけれども、あの宇宙的な大
 小説を書き績けた。小説家としては、多少粗暴な野性を以て、一生を書き飛ばす的の食慾が必要である。彼等
 の胃袋は粗らくて大きい。反封に詩人は、小さくて鋭敏な胃袋をもつてるところの、最も贅澤な少食の美食家
  である。
  美文的エッセイスト、即ちいはゆる散文詩人も、純正の詩人についで少食家であり、同じ様に後世に残る寿
 命が長い。即ち西洋ではパスカル、ニイチエ等がその例であり、日本では、余好や鴨長明が代表者である。
 「徒然草」を書いた乗好は、他に一筋の薄い歌集があるのみで、殆んど何の文学者的生活もしてなかつた。し
 かも彼が「つれづれのあまりに」退屈して書いた一筋の書物によつて、日本文寧史上に不朽の名饗を残したの
 である。鶴長明に至つては伺極端で、その唯一の名著「方丈記」は、今日の原稿紙に書き直して、漸く三十枚
 程度の片々たる随筆である。しかもこの一篇の散文詩によつて、源語数萬語を書いた紫式部や、その一生を筆
 硯の中に暮した西鶴、近松の徒と同じく、堂々眉を比べて文学史上に名を残した。
   これを思へば、文学の名筆など言ふものは全く量の多少に関係がなく、フルヒにかけた純質のものだけが残
 るのである。一生筆硯の中に暮して、数百巻の著作を書いた文士が、死後に全く忘殺され、一篇の作品さへ洩
 らない場合もあるし、一生に一度、退屈しのぎに書いた小品文で、後世に不朽の名著を残す文畢者も居る。昔
 の日本の或る歌人は、生涯の中にただ一首、異に満足する善い歌が作られたら、マこで既に充分だと言つた。
 畢責多くの詩人や文学者が、さかんに筆を弄して多作するのは、生計上のことの外に、眞に自己の思ふこと感
 ずることが、書いても書いても不満であり、充分文学することが出来ないからだ。もし文学する精神が満足さ
  れたら、殆んど多くの詩人文士は、即座に筆を折つて文学仕事を止めるだらう。そして彼が止めた時1印ち
 留県に」満足する一首の名歌が作られた時1その文畢は永く後世に残るだらう。この場合、それがh僅か、首の歌


Z1a引いも、十敷巻の小説であらうとも、文畢上の償値に於て同妄悶濁朋針渕朗朋
  に於て同列である。
  その故に詩人は、心して常に濫作を博しむべきである。詩は濫作することによつて、その良心のデリカを失
 ひ、珠玉性の季衝を喪失して、粗野な散文的のものに解膿して行く。詩人が小説家と同じく、大量生産を意図
 するやうになつてはおしまひである。詩王と呼ばれたポール・フォールも、濫作したことによつて讃者を失ひ、
 老躯を巴里の街路に彷捜してゐる。純情の詩人ゴルレーヌさへ、酒代を稼ぐために濫作して、末路は窮巷にの
 たれ死した。詩人は一筋の善い詩集を抱いて、生涯を終へるのが賢いのである。生計のための仕事としては、
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 何にてもあれ、詩以外の文学もしくは他の全く別の職業を選ぶがょい。書き詩人は、常に詩を作らないことを
 考へてゐる。そしてその時、不思議にもまた、、、ユーゼの恩恵が降るのである。
 一生の中にただ一筋、後世に残る名詩集を書いた詩人は、その飴の数千、敷萬日に亙る長い人生を、無為に
 ごろごろ寝込んで暮して居ても、それで既に充分、毎日仕事に精出してる小説家等と、絶決算に於て同償値の
 事を為遽げたのである。フイヒテが下宿屋の二階にごろごろして、毎日何もしないで暮して居る時、女中に職
 業を尋ねられて、考へる仕事をして居ると答へた。人間は無為にごろごろして居る時さへ、常に何事かを考へ
 てる。そして考へるといふことが、また一つの仕事なのだ。詩人が詩を書けない時は、あへて世間に恥ぢる何
 事もない。平然として大威張で、無為にごろごろして痩縛んで居れば好いのである。