日本への回帰
我が独り歌へるうた 我れは何物をも喪失せず
1
少し以前まで、西洋は僕等にとつての故郷であつた。昔浦島の子がその魂の故郷を求めようとして、海の向うに龍宮をイメーヂしたやうに、僕等もまた海の向うに、西洋といふ蜃気楼をイメーヂした。だがその蜃気楼は、今日もはや僕等の幻想から消えてしまつた。あの五層六層の大玻璃宮に不夜城の灯が燈る「西洋の図」は、かつての遠い僕等にとつて、鹿鳴館を出入する馬車の轢蹄と共に、青春の詩を歌はせた文明開化の幻燈だつた。だが今では、その幻燈に見た夢の市街が、現実の東京に出現され、僕等はそのネオンサインの中を彷徨してゐる。そしてしかも、かつてあつた昔の日より、少しも楽しいとは思はないのだ。僕等の蜃気楼は消えてしまつた。そこで浦島の子と同じやうに、この半世紀に亙る旅行の後で、一つの小さな玉手箱を土産として、僕等は今その「現実の故郷」に帰つて来た。そして蓋を開けた一瞬時に、忽然として祖国二千余年の昔にかへり、我れ人共に白髪の人と化したことに驚いてるのだ。
2
明治以来の日本は、殆んど超人的な努力を以て、死物狂ひに西欧文明を勉強した。だがその勉強も努力も、おそらく自発的動機から出たものではない。それはペルリの黒船に脅かさた西洋の武器と科学によつて、危ふく白人から侵害されようとした日本人が、東洋の一孤島を守る為に、止むなく自衛上からしたことだつた。聡明にも日本人は、敵の武器を以て敵と戦ふ術を学んだ。(支那人や印度人は、その東洋的自尊心に禍され、夷狄を学ばなかつたことで侵略された。)それ故に日本人は、未来もし西洋文明を自家に所得し、軍備や産業のすべてに亙つて、白人の諸強国と対抗し得るやうになつた時には、忽然としてその西洋崇拝の迷夢から醒め、自家の民族的自覚にかへるであらうと、ヘルンの小泉八雲が今から三十年前に予言してゐる。そしてこの詩人の予言が、昭和の日本に於て、漸く現実されて来たのである。
明治の初年、東京横浜間に最初の汽車が開通した時、政府の公告にもかかはらず、民衆の乗客が殆んどなかつた。牛乳を飲むことさへも、異人臭くなると言つて嫌つた当時の人々は、すべての文明開化的の利器に対して、漠然たる恐怖と嫌悪の情をもつてたからである。明治政府の苦心は、かかる攘夷的頑迷固陋の大衆を、いかにして新しく指導すべきかと言ふことだつた。伊藤博文等の政府大官が、自ら率先して鹿鳴館にダンスを踊り、身を以て西洋心酔の範を示したことも、当時の国情止むを得ざることであつた。自ら西洋文化に心酔することなくして、いかにしてそれを熱心に学ぶことが出来ようか。過去僅か半世紀の間に、日本が西洋数百年間の文明を学得したのは、世界の奇蹟して万人の驚異するところであるが、この奇蹟を生んだ原動力が、実に鹿鳴館のダンスにあり、国あげて陶酔した、文明開化への西洋崇拝熱にあつたことを知らねばならぬ。
しかしその西洋心酔の真最中にも、日本は治外法権を撤廃し、条約改正を行ひ、朝鮮の不義を糺弾し、あくまで民族的自主の国家意識を失はなかつた。即ち八雲が観察した如く、日本人の西洋崇拝熱は、西洋に隷属する為の努力でなくして、逆に西洋と対抗し、西洋と戦ふ為の努力であつた。そして遂に支那を破り、露西亜と戦ひ、今日事実上に於て世界列強の一位に伍した。もはや我々は、すくなくとも国防の自衛上では、学ぶだけの者は自家に学んだ。そこで初めて人々は長い間の西洋心酔から覚醒し、漸く自己の文化について反省して来た。つまり言へば我々は、過去約七十年に亙る「国家的非常時」の外遊から、漸く初めて解放され、自分の家郷に帰省することが出来たのである。
だがしかし、僕等はあまりに長い間外遊して居た。そして今家郷に帰つた時、既に昔の面影はなく、軒は朽ち、庭は荒れ、日本的なる何物の形見さへもなく、すべてが失はれてゐるのを見て驚くのである。僕等は昔の記憶をたどりながら、かかる荒廃した土地の隅々から、かつて有つた、「日本的なるもの」の実体を探さうとして、当もなく侘しげに徘徊してゐるところの、世にも悲しい漂泊者の群なのである。
かつて「西洋の図」を心に画き、海の向うに蜃気楼のユートピアを夢みて居た時、僕等の胸は希望に充ち、青春の熱意に充ち溢れて居た。だがその蜃気楼が幻滅した今、僕等の住むべき処の家郷は、世界の隅々を探し廻つて、結局やはり祖国の日本より外にはない。しかもその家郷には幻滅した西洋の国が、その拙劣な模写の形で、汽車を走らし、電車を走らし、至る所に俗悪なビルヂングを建立して居るのである。僕等は一切の物を喪失した。しかしながらまた僕等が伝統の日本人で、まさしく僕等の血管中に、祖先二千余年の歴史が脈搏してゐるといふほど、疑ひのない事実はないのだ。そしてまたその限りに、僕等は何物をも喪失しては居ないのである。
また一切を失ひ尽せり
と僕はかつて或る抒情詩の中で歌つた。まことに今日、文化の崩壊した虚無の中から、僕等の詩人が歌ふべき一つの歌は、かかる二律反則によつて節奏された、ニヒルの漂泊者の歌でしかない。AはAに非ず。Aは非Aに非ず、といふ弁証論の公式は、今日の日本に於て、まさしく詩人の生活する情緒の中に、韻律のリリシズムとして生きてるのだ。
3
僕等は西洋的なる知性を経て、日本的なものの探求に帰つて来た。その巡歴の日は寒くして悲しかつた。なぜなら西洋的なるインテリジエンスは、大衆的にも、文壇的にも、この国の風土に根づくことがなかつたから。僕等は異端者として待遇され、エトランゼとして生活して来た。しかも今、日本的なるものへの批判と関心を持つ多くの人は、不思議にも皆この「異端者」とエトランゼの一群なのだ。或る皮相な見解者は、この現象を目してインテリの敗北だと言ひ、僕等の戦ひに於ける「卑怯な退却」だと宣言する。しかしながら僕等は、かつて一度も退却したことは無かつたのだ。逆に僕等は、敵の重囲を突いて盲滅法に突進した。そしてやつと脱出に成功した時、虚無の空漠たる平野に出たのだ。今、此所には何物の影像もない。雲と空と、そして自分の地上の影と、飢ゑた孤独の心があるばかりだ。
西洋的なる知性は、遂にこの国に於て敗北せねばならないだらうか。遂にその最後の日に、僕等は「虚無」と衝突せねばならないだらうか。否々。僕等はあへてそのニヒルを蹂躙しよう。むしろ西洋的なる知性の故に、僕等は新日本を創設することの使命を感ずる。明治の若い詩人群や、明治のロマンチツクな政治家たちが、銀座煉瓦街の新東京を徘徊しながら、青白い瓦斯燈の下に夢みたことは、実にただひとつのイデー
― 西洋的知性の習得 ― といふことではなかつたらうか。なぜならそれこそ、あらゆる文明開化のエスプリであり、新日本の世界的新興を意味するところの、新しき美と生命との母音であるから。過去に我等は、支那から多くの抽象的言語を学び、事物をその具象以上に、観念化することの知性を学んだ。そしてこの新しいインテリジエンスで、万古無比なる唐の壮麗な文化を摂取し、白鳳天平の大美術と、奈良飛島の雄健な抒情詩を生んだのである。今や再度我々は、西洋からの知性によつて、日本の失はれた青春を回復し、古の大唐に代るべき、日本の世界的新文化を建設しようと意志してゐるのだ。
現実は虚無である。今の日本には何物もない。一切の文化は喪失されてる。だが僕等の知性人は、かかる虚妄の中に抗争しながら、未来の建設に向つて這ひあがつてくる。僕等は絶対者の意志である。悩みつつ、嘆きつつ、悲しみつつ、そして尚、最も絶望的に失望しながら、しかも尚前進への意志を捨てないのだ。過去に僕等は、知性人である故に孤独であり、西洋的である故にエトランゼだつた。そして今日、祖国への批判と関心とを持つことから、一層また切実なヂレンマに逢着して、二重に救ひがたく悩んでゐるのだ。孤独と寂蓼とは、この国に生れた知性人の、永遠に避けがたい運命なのだ。
日本的なものへの回帰! それは僕等の詩人にとつて、よるべなき魂の悲しい漂泊者の歌を意味するのだ。誰れか軍隊の凱歌と共に、勇ましい進軍喇叭で歌はれようか。かの声を大きくして、僕等に国粋主義の号令をかけるものよ。暫らく我が静かなる周囲を去れ。