日本の軍人
世界の軍人の中で、いちばん軍人らしい感じのする軍人は、何と言つても独逸兵であらう。あの角の附いた鉄兜の帽子を被り、灰色の将校マントを肩に引つかけ、鼻下に鷲のやうな髭を生やしたカイゼル・ウヰルヘルムの風貌は、それ自ら独逸軍人の象徴であり、いかにも「英姿颯爽」といふ感じがする。今のヒトラアはチヤツプリン髭を生やして居るし、軍人と言ふよりは政治家型の風貌だが、やはりどこかカイゼルと共通のものが感じられ、そしてナチスの兵隊一般の印象が、いかにも軍人らしくチピカルに感じられる。もちろんこれは軍装ばかりの外観ではなく、独逸魂の基本的な精神から来る印象である。ニイチエが言ふ通り、独逸人といふ民族は、その国語からして軍隊の統合式に出来てるのである。彼等の将校や兵士たちが、最も軍人らしいチピカルな印象をあたへるのは当然である。
英姿颯爽といふ言葉の対蹠となるのは、おそらくアメリカの兵隊だらう。これはまた徹底的にデモクラシイで、彼等の軍隊から受ける印象は、軍人といふ感じでなくして、むしろカウボーイやスポーツマンを連想させる。実際またアメリカ人は、戦争をスポーツのつもりでやつてるのだから、まことに明朗で愛すべき兵隊である。仏蘭西の軍装は、ナポレオン以来最も古い伝統をもち、伊達者(ダンヂイ)の美装を以て世界に聞えたものであるが、近頃の軍装には洒落気が無くなり、実利的になつた上に、何となくだらけて気が抜けたやうに感じられる。つまり近頃の仏蘭西人が、文弱流れて戦争を嫌ひ、マルセーユ時代の情熱を失つた為であらう。
日本の陸軍の服装は、歴史上での伝統が無かつた為に、明治以来、種々雑多に外国のものを取り入れた。しかし概して言ふと、軍装の規定は、その当時に採用した兵制に準じたらしい。例へば日本の陸軍は、普仏戦争当時迄、主として仏蘭西式兵制であつた為に、明治初年、西南戦争時代の兵士は、軍帽を初めとして、一切皆仏蘭西式に準じてゐた。普仏戦争以後になると、新に独逸式兵制を採用したので、軍装もまた之れに準じて変化をした。日清、日露の両役で、日本軍が被つた桶型の黄色い帽子は、当時のいはゆる独逸帽で、ゲルマンの軍装を模したのである。ただ自分の不可解なる事は、鳥羽伏見役で官軍が被つた圓錐形の帽子と、上野戦争の時に、同じく官軍が被つた赤い猩々毛の帽子とが、何の根拠から来たものかと言ふ考証である。
日本の軍装も、しかし近頃は模倣を脱し、その独特の兵制と相俟つて、ユニイクな個性を帯びるやうになつて来た。日本の兵隊から受ける印象は、決して「英姿颯爽」といふ感じではない。と言つてアメリカ式の「明朗ボーイス」といふ感じでもない。何かそんなものでなく、ずつと実着で志節が堅く、律儀に生真面目なものを感じさせる。特にやや年を取つた、佐官以上の高級将校の風采には、さうした実着の印象が強く感じられる。カイぜル式風采の軍人は、日本の高級将校の中には殆んど見ない。日本の高級将校たちは、西洋の軍人たちのやうに、派手な軍服を見せびらかしたり、胸を張つて大道を闊歩したり、我こそ天下の軍人であるといふやうな様子を少しもしない。彼等はその風采からして地味であり、普通一般の世間人と、殆んど変るところがない。やや極端に言へば、一種の制服を着た「事務員」といふ感じさへするのである。
これは英雄風貌の好きな人には、散文的で物足りない気がするだらうが、一方から考へれば、極めて実質的に信用できる感じをあたへる。軍服姿に伊達を感じてるやうな軍人には、戦争の「詩」を任せることができるが、戦争の「散文」である「責務」を任せるには、少々不安を感ずる場合もある。況んや近代の戦争は、詩のロマンチシズムを喪失して、全く散文的にプロゼツクのものであり、すべてが組織的、実務的、科学的なつてるのである。今日に於て、[ 空白 ]のビヂネス・ワークだと言つた将軍さへある。かうした時代に、独逸帝政時代のカイゼル式軍人タイプは、いささか時代遅れといふ感じもする。世界を通じて、今日では軍人の風釆タイプが、次第に英雄型から遠く、事務員型に類近してゐる。この点から推論して、日本の軍人がいちばん近代的尖鋭の優者のやうにも考へられる。日本海海戦に於ける東郷大将の風姿の中には、何の颯爽たるヒロイズムもないけれども、何をやらせてもまちがひがなく、絶対の信頼と安心を以て、一切の戦争事務を任せ得るといふ印象がある。
日本の一般兵士の印象も、また世界に類なく特別のものである。彼等もまた将校と同じく、極めて実着質樸のものを印象させる。欧州外国の兵士に見る如き一種のゾルダ型ダンヂイズム(兵士的伊達風俗)は、日本の兵隊には全くない。日本の兵士はもつと実利的で色気がないが、実戦にはもつと強く役に立つといふ感じをあたへる。しかも彼等は、いつも快活で元気がよく、子供のやうに無邪気で天真爛漫である。或る外国の従軍武官が、日本兵を評して「勤勉で快活な小学生」と言つたのはよく当つてる。あのカーキ色の服に赤い軍帽を被つた兵士が、子供を対手にニコニコ笑ひ戯れてる顔を見ると、世界でいちばん愛すべき無邪気の兵隊といふ感じがする。しかもその志節の底には、鬼神も及ばぬ真の犠身的勇気が満ちてゐるのだ。まことに「忠勇無双」といふ言葉は、日本の兵士に於て適切によく当つてる。もちろんその同じ言葉は、外国の勇敢な兵士に於ても、同じやうに当る場合があるか知れない。しかしあの小学生のやうな顔をしながら、日の丸の旗を持つて出征する日本の兵士をイメーヂする時、この「忠勇無双」といふ同じ言葉が、日本兵にだけ特有する、別種の深い意味を帯びて聞えるのである。僕はこの夏田舎に旅行し、汽車が地方の各停車場に停る毎に、多数の見送人に見送られ、「歓呼の声に送られて」といふ、小学唱歌的の軍歌と日の丸の紙の旗とで、万歳を唱へられながら出征する兵士を見て、真に心の底から「忠勇無双」といふ感じがした。それは何といふ理由もなく、ある種の哀傷(ペーソス)をさそふやうなものでもあつた。
要するに日本の軍人は、風采上にも実質上にも、極めて着実質素の実用主義で、西欧の軍人風俗に見る如き、花やかなヒロイズムやダンディズムのロマネスクが無い。これは社会の風習がちがふからで、軍人が社交界の花形であり、舞踏会で美人にもてはやされる西洋と、そんな事の全くない日本とでは、その風采や気質の上でも、おのづから別個の軍人タイブができるわけだ。しかし日本人といふ国民は、一面極めて現実的の実利主義者であると共に、一面また趣味性に富み、美を愛する事の深い国民である。昔の封建時代に於ける日本の武士は、世界に類なく美術的な甲冑を創作し、戦争を優美な詩的イメーデにまで藝術化した。かうした日本式士道的な詩精神は、今日の軍人にも確かに伝承されてる筈である。しかも外見上に於て、今の軍人にその余裕がないやうに思はれるのは、明治の開国以来、外国の脅威に対する自衛の急務に急がしく、西洋の近代的火器戦を学ぶ為に、超スピードの努力を尽さねばならなかつたからだ。ひとり軍備ばかりではない。社会のあらゆる万般に亙つて、この半世紀間、日本は実に超人的の努力を尽し、孜々として西洋文明の吸摂に勉めた。それは後進国たる東洋の一小国を、西洋近代文明の侵略から防ぐ為に、必然にして止むを得ない自衛であつた。しかし西洋が過去数百年に亙つて完成した文明を、僅か半世紀で学ぶといふことは、殆んど人力以上の悲痛な超人的努力であつた。そしてその為、今日日本人の多くは悉く皆神経衰弱にかかつてしまつた。
先年独逸にオリムピック大会があつた時、日本のスポーツ選手に対する外人の批評はかうであつた。日本の選手は生真面目である。だがあまりに真剣すぎて余裕がない。真のスポーツ精神には、も少し明るい心の余裕(ユーモアや明朗性)が無ければならないと。日本の軍隊の行軍を見て、或る外人記者がやはりこれと同じ批評を下した。軍隊はスポーツではない。だが日本の軍隊を見て、西洋の軍隊のスポーツ的明朗性や、ユーモラスの余裕性やと比較する時、確かに或は、あまりに真剣すぎて悲愴な感じがするかも知れない。それはたとへば、欧州大戦に於ける「チツぺラリイ」や「ダブリンべー」の軍歌と、日露戦争で唄はれた「此所は御国何百里」の軍歌と比較する時、彼我兵士の心境がよく解るのである。
しかしかかる批評−日本人が真剣すぎるといふ批評−は、明治以来の日本が置かれた必死の一を考へる時、まことに悲痛な必然性を知るのである。多くの外国人が驚くやうに、この僅か半世紀間に、日本は奇蹟的な大事業を仕遂げたのである。無理に応にも、それを為なければ日本の独立が侵害され、外国に攻略されねばならなかつた。かかる死物狂ひの奮闘を続ける間、もとより僕等の日本人に、心の余裕などいふものがある筈はない。この半世紀間、すべての日本人の眼は血走り、顔は尖り、狐憑きのやうになつて突進した。日本の軍隊が「チツぺラリイ」を唄はないのは、僕等の民衆が「笑ひ」を忘れたこの時代に於て、まことに当然すぎることであつた。
しかしながら日本人は、元来明朗性に富んだ国民であり、岩戸神楽の昔から、笑ひとユーモアによつて夜が明けたのである。そして昔の武士たちは、馬上に弓を張つて和歌を作り、一騎打ちの名乗りをあげて挑戦したほど、それほどスポーツ的精神の余裕に富んだ心を持つて居た。日本がもし、今日の必死的難局を通過し終つて、世界の先進国と肩を竝べ、軍備にも、産業にも、スポーツにも、すべてに於て引を取らないやうになつたならば、そこでこそ我々は、初めて「弁慶の貯め笑ひ」をするであらう。そしてその時こそ、日本の軍装が美意匠され、日本の兵士の行軍が、ヒロイツクな詩美や明朗性をもつやうになる。現に最近、兵士の革帽が改正されてから、大にスポーツ的明朗性の感じを加へ、士官の帽子が前を高く反らしてから、青年将校の風采が著るしく颯爽として来た。そしてこの軍装の変化が、思ふに何事かの文化的背景を指示するだらう。
昔、日露戦争時代に、僕はまだ少年であつたけれども、町を行軍する兵士を見て、常に或る一種の圧迫された気分を感じた。それは勇壮といふやうな気分(詩的でヒロイツクな気分)でなくて、もつと何か真剣に切迫した、或る息苦しさを感じさせる気分であり、言はば一種の「凄気」とも言ふべき気分であつた。僕は昔、かうした兵士の行軍から受ける印象を、「軍隊」と題する詩に作つたが、その一節に「見よ。[ 空白 ]の行くところ、意志は重たく圧迫される。どたり、づしり、づしり、ばたり。」と書いた。然るに最近の軍隊からは、殆んどかうした印象を受けなくなつた。今の日本兵の行軍からは、昔のやうに「凄気」を感じさせるものがなく、もつと明朗でヒロイツクな印象、即ち「勇壮」といふやうな気分を強く感じさせる。これは勿論、日本の文化が向上し、一般的に兵士の情操がインテレクチアルになつた為にちがひないが、同時にまたそのことは、日本が明治以来の悲惨な悪戦苦闘を克服して、最近漸く一息吐くことができる程度の、自覚上の余裕と安心を得た為に外ならない。現に北支事変でも、日本の兵士や民衆やは、好んで洋楽旋律の勇壮快活の軍歌を唄ひ、昔の日露戦争時代のやうに、悲痛哀調の暗い軍歌や、薩摩琵琶風の歌曲をあまり好まなくなつた傾向がある。そしてかくの如く、日本人が朗らかになつたと言ふことは、とりも直さず近時に於ける、日本文化の一大変転期を語るのである。
この一文は、かつて朝日新聞の槍騎兵に書いた短文(軍装の美学)を、一篇の思想にまとめて編したのである。外国の軍隊のことは、映画や写真で見た印象を書いたので、実際の実物を見たわけではない。
日本軍の「凄気」については、我々よりもむしろ外国人の方が、より辛辣な印象を強く受けるらしい。日露戦争を描いた外国画家の石版画を見ると、日本兵が皆黄色い顔をして狂気的に目を釣りあげ、一種の凄気が画面にナマナマと表現されてる。近時の日本軍にこの凄気が薄くなつたことを憂ふべき文弱の徴として、密かに慨嘆してゐる将軍もあるさうだが、僕は却つてそれが日本の健康を証左するものだと思ふ。過去の日本は、無理の強行行軍によつて変態的に発育し、民衆が強度の神経衰弱にかかつてゐた。最近になつて、我々は漸くノーマルな健康を回復したのだ。