詩について 2




 三木消氏が讃賓の夕刊で、日本文壇に於ける詩の貧困を嘆いてる0論旨は僕が前から繰返して幾度も述ぺて
ることであるが、文壇に共感者を得たことは珍しくまた悦はしい。僕等の繰返してる「詩人の嘆き」は、日本
の文壇にとつて馬の耳に念俳であり、幾度言つても仕方のない話だと思つてあきらめて居たが、近頃、河上徽
太郎、小林秀雄、中河輿一、林庚雄、川端康成氏等の文壇人が、次第に少し宛僕等の意味を了解して衆てくれ
たのは悦ほしい。日本の文壇が本気になつて「詩人の嘆き」を了解し、且つ自らそれを眞賓に共感してくれる
∫βj 日本への同辟

時、初めて日本に眞の新しい近代的文学の芽が生えるのである。なぜなら「詩人の嘆き」の根擾してゐる輿底
因が、それ自ら日本文壇に現在するあらゆる悲劇の本原に外ならないのだから。
 室生犀星君が「復讐の文畢」といふ随筆を書いて問題になつてるが、そもそも文学の本質が復讐にありと言
ふ説を唱へた人は、英国の虚無詩人デカツサスであり、これを日本に紹介(熟語)したのはニヒリストの辻潤
氏であつた。デカツサスによれば、ドストイエフスキイも、ストリンドペルヒも、ショーペンハウニルも、ニ
イチエも、ボードレエルも、すべての第一義的な文学の梢紳は「復讐」だといふのである。復讐とは、何に対
する復讐なのだらうか。社台に対する復讐なのか。人生に封する復讐なのか。結果として文学の意識する復讐
とは、自己とその運命に対する普遍的な復讐なのだ。そこで文学の小乗的悲嘆は「生れざりせほ」といふ哀傷
の抒情詩に壷きてしまふし、その大乗的悲願は「人類の普遍的にして永世的なる救ひ」といふ宗教本願と一致
してしまふっそしてこの小乗的悲嘆と大乗的悲願とを、共にそのエスプリに於て純粋に詠嘆高唱するものが
「詩」なのである。ボードレエルの詩をもつて「復讐の文孝の最高典型」とデカツサスが許したのは、適切す
ぎるほど適切である。


 三好達治君が、帝大新聞に僕の詩論集の評を書いてゐる。その中に僕の説を反駁して、日本の詩歌が本来印
象的イマヂズムの構成によるものであり、僕の説の如く書架的韻律構成を本義とするものに非ずと論じて居る。
その賓澄として俳句をあげ、俳句が非普架的な印象詩であると断じて居る。それからして三好君は、僕の詩論
が西洋流の直詳思想で、日本詩歌の本質に邁應しない邪説だと結論して居る。果して苧つか。も一度僕の議論
を陳述して、三好君の解答をお願ひしよう。
 日本語の構成が、本衆「靡舌」ょりも「沈款」に通するやうに出来てること。西洋人が石行に書くところを、
日本勾詩人は撞か二行に書き得る者こ。郎ち言へ昔日本請はその一昔架に紋乏してゐるところ曇味の琴
である含蓄にょつて取り返して居ることは、僕もその三好男が許した詩論集(純正詩論) の一章で詳説した通
りである。したがつてまた日本には、古来叙事詩の如き「おしやぺりの詩」が生れないで、和歌俳句の如き寸
金的な「沈黙の詩」 のみが教育して衆たことも、やはりその論文で僕の詳説した通りである。そして此所まで
の所は、三好君の説と僕と全く同感一致して居る。
 さて此所で考へてもらひたいのは、詩といふ文筆の欲求される心的教生動機である。詩の呼び起される動機
には、必ず内的の抒情的感動が先に立つてる。センチメントの本質してない詩といふものは、胃袋のない食慾
と同じくナンセンスであり、且つそんな文撃はどこにも無い。そこで詩が欲求される前には、言語に於ける最
上の感情要素、印ち「韻律牲」が必然に表象されて来るのである。この一つの鮎では、日本の詩歌も外図の詩
歌も同じであり、世界を通じて凌生的に普遍共通である。試に日本の紳代の詩を見給へ。記紀の原始的な自由
律歌には、後世の短歌のやうな形式苛律こそなけれども、明らかに散文と異なる一種の節奏(音楽)がついで
居る。況んや萬菓以後に於ける和歌が、鶴律の音楽構成を持つて居ることは言ふ迄もない。ただ前に言ふ如く、
日本語の特殊性として、外圃語に此しで著るしく懲律要素に映乏してゐることから、自然に日本語の詩は短か
い形式になつた!と言ふのは、自然淘汰によつて長い詩が廃滅したのであつた1のである。
 日本語の詩の特色は、外国のそれに此して意味の深い含蓄、即ち言語の表象する印象性やイマヂズムに富ん
でることである。だが軍にそればかりで、日本の詩歌が成立し得る箸は擢封にない。なぜなら前に言ふ通り、
言語の構成する感情要素の第一鮎は、主として全くその抑揚や節奏の部に存し、且つそれが詩の呼び起される
内的表象に先立つて居るからである。且つまたさうであつたら、古代の和歌や俳句に於ける調律形態が、それ
の必然すぺき存在意義を無くしてしまふ。
∫βj 日本への岡辟

 三好君は、此所で特に俳句を賓澄として立論してゐる。俳句は日本の詩歌の中で、最も寸金的な短詣であり、
且つイマヂズムの手法を多量に要素して居る。俳句が和歌等に比して印象詩的であり、且つリリカルの書架実
に乏しいことは言ふ迄もない。だがこれは比較上の差別である。三好君の説く如く、俳句の構成が音楽美を無
親して、ひとへにイマヂズムの散文的本質によつてるといふ如きは、到底僕には承諾できない思想である。
の鮎の反語として、僕は特に芭蕉をあげて見たいと思ふ。
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  この秋は何で年よる雲に烏
  おとろ
  衰へや歯に噛みあてる海苔の砂
  浮きふしや旬となる人の果


 此等の句が情趣して居る本質のセンチメントは、或る何かの沌々とした嘆息 − 人生の侍びしさを噛んでる
ゃぅな嘆息− である。そしてしかもこの嘆息のりリシズムは、全く此等の句の言語が節奏抑揚してゐる音楽
性(畢のしをり)の中に費在してゐることを注意して見紛へ。芭蕉自身も深くこの鮎の表現効果を重成し、常
に弟子に戒めて「俳句は調ぺを旨とすぺし」と教へたと言ふ。資際芭蕉の旬から、その沌々とした嘆息の抑揚
と音楽感を除いてしまへば、後に残る賓在のポユヂイほ峯無にすぎない。頼村は芭蕉に比して大に印象汲的で
あり、リリカルの音楽要素に稀薄であるが、しかもやはり俳句としての本質すべき韻律は兵へて居た。三好君
の言ふ如く、日本の詩歌の構成さるぺき本質が、音楽性を衆現したイマヂズムにのみ存するといふことは、歴
史的にも現質的にも、僕の到底首骨し得ないところである。
                                               Y l .巨L.El
稟。彗軍用が.戎1る彗議頭喜表彰書いでみる。→新隷」と聾者考ほ、土井氏
の意味で新饅詩を言つたのだらうが、現在僕等の作つてる自由詩等の絶稀として適切な概念を現す言葉である。
従来文壇では、僕等の文筆を軍に「詩」と呼んでるけれども、詩といふ以上には、その概念中に和歌や俳句が
一切総括されるわけである。和歌俳句と封立する特殊な一新詩形としての僕等の詩を、漠然たる一般詩の名稗
で呼ぶのは誤つてる。そしてこの名朽の誤りが、同時にまた事賓上の詩概念を誤つてゐるのである。何よりも
先に、日本の詩人が自ら常識すぺきことは、僕等の所謂「詩」と構する文挙が、日本に於ては特殊的の一詩文
孝であつて、外閲に於て意味される如き、廣義の一般詩を観念して居るのではないといふことである0そして
この常識の成立から、僕等の詩と構する特貌文挙が、現代日本の文化線上に於ける使命や特権を自覚すること
ができるのである。
 そこで前に言ふ通り、僕等の文拳を「詩」と呼ぶことは誤つてる。僕等の自由詩や新澄詩やは、和歌や俳句
と封立して、一般的概念の言語が示す「詩」の一部顆に編入さるべき筈なのである。では正常の構呼に於て、
何と呼んだら好いだらうか。新饅詩や自由詩の名は、此等を絶拝する現代語の一般観念に対して狭すぎるし、
さうかと言つて長話や欧風話の名も可笑しい。これはやはり土井氏の敏明した「新詩」といふ名に限ると思ふ。
賓際僕等の詳は、明治以来の新文化が初めて生んだ新しい詩で、俸統詩歌の和歌俳句等に封立するものなのだ
から、正統の意味に於て文字通りの「新詩」である。今後僕は、必要の場合すぺてこの名構で書くことにした。
例へば従来畢に「詩人」と書いた場合を、必要に應じて「新詩人」と書くことにした。「新詩人」は「歌人」
「俳人」に対する言葉であり、かく言語の意味が限定されることから、僕等の文学の、現代日本に於ける棒線
な文化的使命が判然して来る。単に僕一個でなく、詩壇と文壇とジャーナリストとの一般に対しても、廣くこ
の言葉の使用をすすめて、普遍的の名将にしたいと思つて居る。
Jβア 日本への同辟
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