私の詩人とツアラトストラ
序にかへて
1
私の詩人は、年三十歳の時、ニイチエのツアラトストラと共に山に入り、鳥と雲とを友として閑寂孤独の生活をした。そして年四十歳の時、ツアラトストフと共に森を出で、山を降つて人間の世界へ這入つて行つた。その時我等は、途で一人の気高い老人に逢つた。老人は私の詩人とツアラトストラを見て言つた。そもそもお前等は、何の為に彼等人間の中に降つて行くのか。彼等に何物かを与へる為か。彼等に何事かを語る為か。だが彼等は、決してお前等の贈物を受けはしない。決してお前等の言葉を開きはしない。彼等は愚昧と食慾の表象であり、却つてお前等を誤解し、侮辱し、敵意するばかりである。止めて山に帰り、森林の中に隠遁せよ。そして汝の孤寂を楽しみながら、星と、月と、雲と、鳥とを歌ひつづけ、美しき神々への讃美を書け。いかに? それがツアラトストラの道ではないか。いかに? それが詩人の詩人らしく、藝術家の藝術家らしい、真の純潔の道ではないかと。
だがツアラトストラは頭を振つた。そして老人と別れた時に、大きな声で笑つて言つた。神々は既に死んでる。驚くべきことには、あの老人がそれを知らないのであると。私の詩人は、その時神々の一人の中にミユーゼの広かな幻映を見た。そして私の同伴者の、大きな哄笑の後につけ加へて、幽かに呟いて自分に言つた。
「然り!ミユーぜもまた。」
2
私の詩人は、ツアラトストラと共に町へ入つた。その時町の四辻に、沢山の群集が集つて居た。軽業師の藝人が、縄渡りをするのを見ようとして、人が集まつて居るのであつた。勇敢なツアラトストラは、たちまち彼等の中へ進んで行つた。そして人間が一つの橋
― 禽獣から超人への過程 ―
にすぎないといふこと。人生が一の縄渡りであり、軽業であるといふことの真理を説いた。だが群集は聞かなかつた。人々はツアラトストラを嘲笑した。そこで我が説教者は、かくも愚昧な者共を反省さすべく、昔猶太の預言者がしたところのあの恐喝。火と電光とによつて撃滅さるべき、人類のおそろしい最後を説き、それによつて彼等の心に、救ひへの戦慄を呼ばうとした。だがツアラトストラの語つたことは、それにもまして忌はしく、浅間しい人類最後の地獄絵だつた。彼は言つた。その時地球は縮小し、気温は冷却し、生物は次第に死滅して来る。そして侏儒のやうな人間
― 最後の人間 ―
だけが後に残る。彼等はただ生存する為に、生命をつなぐ為にだけに生活してゐる。彼等は何も考へない。何の悩みも知らない。蚤、風、バクテリアと同じく、地上の這虫としてうごめいてゐる。彼等は最も長く生き残り、最も長く繁盛する。そしてかつて有つた人間中の、だれよりも幸福を感じてゐる。かかる「最後の人」にとつては、もはや恋愛もなく、理想もなく、正義もなく、ロマンチックな詩情もない。「恋とは何ぞや」「詩とは何ぞや」と、彼等は怪しみながら質問する。そして自ら、かかるロマン精神を持たないことさへを悲しまない。なぜなら彼等は、自ら幸福であると思つてるからだ。彼等はただ、必要のために働らいてゐる。しかも働らくことすら、少しの熱意も興味も持たない。彼等は檻の内の豚のやうに、互の身体をすり合せ、それによつて温を取つて生活してゐる。しかもその浅ましい生活を、自ら少しも浅ましいと思つてゐない。
ツアラトストラによつて語られた、この「最後の人間」の姿は、私の詩人の心を氷のやうに凍結させた。これほどまでに厭はしく、汚辱された人間がどこにあらうか。かかる人類の末路を聞いて、戦慄しない魂がどこにあらうか。私の詩人は、それの大きな効果を見ようとして、群集の方を向いた。だがその時、全く予期しない逆の効果が、群集の声によつて叫ばれた。彼等は口々に叫んで言つた。ツアラトストラよ。俺等をその「最後の人」にしてくれ。その幸福な人間
―
最も長く繁盛し、そしてかつてあつた人間中での、最も幸福な人間
― にしてくれと。
私の詩人は、その時山で逢つた老人のことを考へた。老人の言葉は賢かつた。星と、月と、鳥と、雲とを友として、自分はただ独り、自分の歌を歌つて居ればよかつたのだ。彼等と我とに、そもそも何の関りがあるのだらう。「我が舌は、彼等の耳のためにあらず。」と、その時またツアラトストラも、悲痛な絶望の言葉で言つた。そして私の詩人の手を握つて、密かに耳元でささやいた。「山へ帰らう。今一度、我等は森林を見ねばならない。」
だがその時、急に群集が静かになつた。縄渡りの軽業が始まつたのだ。一つの峠から一つの峠へ、一本の縄を渡つて、無智な道化者が伝つて行く。これが人生の過程であり、人間の表象された運命なのだ。
その時、不意に群集の中に騒ぎが起つた。軽業師が墜落したのだ。憐れな、負傷した無智の男は、ツアラトストラに救ひを求めた。そこで私の同伴者は、やさしく彼を介抱しながら、群集に向つて説教した。見よ。人生は没落から出発する。なぜなら人生は過程であるからだ。私はすべての没落したもの、墜落したもの、冒険によつて身を亡ぼしたもの、その魂を浪費するもの、一滴の酒をも残さないものを愛する。彼等は超人への過程であるからだと。しかし私の詩人は、その時ツアラトストラの側を離れ、もつと通俗的な平易な言葉で、私の「詩人の使命」を演説した。私は言つた。我々は「深さへの上昇」をせねばならない。この悪しき時代に於ての、すべての虚偽を否定するもの、一切を懐疑するもの、一切を拒絶するもの、何物をも信じないもの。かかるすべてのニヒリストと、かかるすべてのアナキストと、かかるすべてのデカダンとを私は愛する。なぜなら今日の詩精神は、深みの底へ下ることによつて、自己を克服しつつ上昇し、否定の泥水を浴びることによつて、肯定を浄化せねばならないから。すべての没落人は私の友で、すべてのニヒリストは詩人の隣人であるからと。
だがその時また、群集の中に嘲笑の声が起つた。皆は異口同音に叫んで言つた。然り。然り。汝の言ふことは全く正しい。なぜなら俺たちこそ、正に今日の時代のデカダンであり、虚無人であり、没落人の代表だから。見よ。俺たちは理想を持たない。俺たちはモラルを知らない。美とは何だ。真とは何だ。俺等はその何物をも軽蔑する。そして尚、ヒユーマニチイそのものをさへ
―
。かつて一度も、俺等はそれを考へたことさへもない。最も愚かな人間だけが、人生の意義について懐疑を悩む。だが俺たちの時代人は、そんな愚かなイデーについて、一度もかつて思惟しなかつた。俺たちの生活には懐疑がない。悩みもなければ苦労もない。俺たちはただ生きるやうに生きてるだけだ。そしてその無意味な生活そのことを、少しも悲しいとさへ思つてないのだ。昔の十九世紀末のデカダン詩人は、人生の意義を見失つた懊悩から、日夜に酒を飲んで自暴自棄の生活をし、時代の苦悩を自虐的に悲しみ傷んだ。だが俺たちの時代人は、そんな苦悩や感傷さへも、とくの昔に忘れて居るのだ。見ろ。俺たちこそ真の本質のニヒリスト、真のデカダンスの没落人だ。そしてその故に、汝の求めてる隣人であり、詩人の新しき使命を負ふものなのだ。さあ。俺たちを祝福してくれ。俺たちと握手しようと。そして私を嘲笑し、私を苦しめることを意識しながら、厭やらしい悪臭のする手で私を握り、周囲中からはやし立てた。
「我が舌は、彼等の耳のためにあらず。」私は悲しくなつて心に呟いた。その時ツアラトストラもまた、群集を見捨てて去らうとして居た。その時既に夜が近づき、大地は薄暮の色につつまれて居た。そして私等の去つた後で、群集の声高く笑ふのを聞いた。「見ろあの狂人の説教者、ツアラトストラの後について、一疋の瘠せた驢馬が歩いて行く。自ら何物をも所有せず、自ら何の栄養をも持たないくせに、人を説教しようとするところの妄想狂者。あはれなロマンチストの影が歩いて行く。」