春琴抄の詩精神


 「春琴抄」を読んで今さらに感じたことは、谷崎潤一郎氏の強烈な詩精神である。一体谷崎氏は、初期から詩人的な傾向を有する人であつた。(灰聞するところによれば、氏は少年時代に詩人を志したさうである。また実際に新体詩なども作つて居る。)かうした氏の詩人的素質は、初期の夢見がちな耽美派小説に最もよく現はれて居る。特に「少年」の如きは、北原白秋氏の「思ひ出」が歌つてる幼年の心理とローマンスを、散文の形
式で小説に書いたやうなものであつた。谷崎氏が若し今少し純粋に詩人的な人物だつたら、後年にもずつと押し通して、文字通りの散文詩人になつたかも知れない。しかし谷崎氏は純粋の詩人であるべく、あまりに生理的な脂肪質に富みすぎて居た。(純粋な詩人といふものは、殆んど精神と神経ばかりで出来てる。)谷崎氏の場合には余りに人間的のナマ臭みが張すぎた。そこで彼は、小説家になる外はなかつたのだ。
 かうした出発に於て、彼はモーパッサンによく似て居る。モーパツサンもやはり詩人を志して文壇に出た。しかし彼の詩は、あまりに生理的な肉のナマ臭さ(それを日本では俗臭といふ)が強すぎて、詩美の純粋なメタフイヂツクに入り得なかつた。そこで彼は詩を断念して小説家になつた。谷崎氏の場合も、これと全く同じ事情によつて、次第に純粋な小説家となり、そして小説家となることによつて大成した。
 しかし最近中老期に入つてから、流石谷崎潤一郎の肉体にも衰へが来た。そしてこれと逆比例に、精神的な愛への欲求が強くなつて来た。そこで彼は―西洋の多くの文学者等が、老年に達して一般に傾向するやうにプラトニックラヴへの抒情詩を強く欲情するやうになつて来た。彼の「蓼喰ふ虫」ほ、この切ない抒情詩の第一部的な表現だつた。この小説は、前篇と後篇との間に連結がなく、構想としての欠陥や不備を暴露してゐるにもかかはらず、全篇にみなぎるその熱誠至純な抒情詩的詠嘆は、異に切々として悲しく人の魂に迫るものがあつた。
 「春琴抄」の文学してゐる精神が、やはりその「蓼喰ふ虫」の同じ抒情詩に外ならない。
 「蓼喰ふ虫」では、一人の寂しい老人が、若い娘のやうな妾と一緒に生活し、菅笠を被つて西国巡礼に出かけたり、春光の下で野天芝居を見ながら、重箱の弁当を喰べたりして居る。これはあの老いた盲人が手ずさびに弾きならす、上方地唄のやるせない哀調であつた。「春琴抄」のリリシズムも、やはりまたその盲人の哀傷であり、琴の音色にからむ情痴のやるせない詠嘆である。「蓼喰ふ虫」を読んだ時、私は直接作者に向つて「音楽だね」と批評したが、今度の「春琴抄」の場合もまた、同じやうに音楽が感じられ、そして音楽ばかりが頭に残つた。音楽とは、私の意味に於て抒情詩のシノニムなのである。
 とにかくにも日本の作家の中で、谷崎氏の如く純粋な詩的精神を持つてる人はすくない。そして此所に詩的精神と言ふのほ、単なるダンディ風な文筆趣味を言ふのではなく、全体感をもつてイデアを夢み、或る生活の理念のために、情熱をかけて悶々止まないところの精神を言ふのである。そしてこの詩的精神こそ、それ自らまた真の文学の精神でなければならない。故に谷崎氏が詩人的作家であるといふことは、とりも直さず真の大文学者であることを立証する。
 世に「体当りの文学」といふ言葉があるが、谷崎氏の小説こそ、真にその体当りの文学の好見本である。彼の壮年時代には、異常性慾の著しい情痴と体当りをし、全生活を投げ出して食ひ付くやうにそれを書いた。実にこの作家の文学は、筆で「書く」といふよりは、歯で「噛みつく」といふ方が適切なほど、生理的な必然さをもつた表現である。そして最近にはまた、老境に近い人生の悲哀や孤独やと、真向から食ひついて体当りをして居る。かうした種類の文学者は、昔から西洋には沢山居た。西洋ではむしろ、それが文学者の普通な範疇にさへもなつてる。しかし日本には稀れであり、一谷崎の居る事がむしろ不思議でさへもある。
 かうした本質上の意味に於て、谷崎氏は全く純粋に西洋風の文学者であり日本人としての例外である。日本の文学者は、生活や人生の苦悶に対して、早くから仏教的の諦観であきらめてしまふ。「老人が老齢を悲しんだところで何うなるのだ。」「騒いだ所で仕方がない。どうせ人生はかうしたものさ。」といふのが、日本の作家の一般的人生観である。したがつて彼等は、その青春時代の夢と一緒に、早くからすべてのロマネスクを無くしてしまふ。日本の文壇語と言はれるレアリズムとは、かうしたロマネスクを無くした文学、即ち「心に詩を失つた文学」を言ふのである。だが真の本質的な文学は、手法に於てのレアリズムを取る場合も、精神に於ての詩的精神を没却しては有り得ない。私はそれを信ずる。日本のすべての新しい世紀的文学は、谷崎潤一郎の精神から出発しなければ偽であると。谷崎氏のやうな人が珍しくなく、文学者の一般的な範疇と見られるやうになつた時、その時始めて日本の文学は世界的になる。