支那と中華民国




 支那の作家蒲軍が中野重治に答へた言葉(文墾七月改)の中で、不思議に思はれたことが一つあつた0それ
は日本の作家やインテリたちが、「支那」といふ言責を使用するのが、彼等に封して侮辱的な悪感をあたへる
といふ抗議であつた。支那のことを支那といふのが、どうして侮辱的の意味になるのか0この心理はちよつと
不可解である。支部人に封する侮辱的な構呼ほ、日滑戦争以衆未だに我が国民の一部に戎留してゐるが、それ
は支部といふ言斐とは別である。資際僕等の使つてる「支那」といふ言葉は、中野男の答へた通り地理的の稲
呼であつて、英国、猫逸、燐蘭西などと言ふに同じく、何等の侮辱的の意味もないのである0賓際にまた僕等
の仲間で、特に侮辱的の意味を意識しながら、この語を俊つてるやうな人は一人もなからう0況んや「支那」
を支那と呼ぷのは、ひとり僕等の日本人ばかりでなく、世界各図共に共通の国際語である0シナ、ヒナ、チナ、
チャイナの語は、英、米、濁、俳、露の世界各国人が共通に使つてゐるのだ0日本人が使ふ場Aロにだけ限つて、
支那人が侮辱を感ずるといふのは、何か特別の心理がなければならないQ
誇軍氏の抗議によれぼ、支那には現に「中華民国」といふ園鱗があるのだから、その名で呼んでもらひたい
と言ふのである。昔から日本人は、支那に封していつも園競を栴呼してゐた○即ち「湊」「唐」「宋」「明」
「清」等の名で呼んで居た。そして時にその一国訳(撲や唐)を以て、支那の一般的な全稀代名詞とした0し
イ0ア 無からの抗争

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かし今度の中華民国といふ言葉は、ちょつとかういふ工合に使用できない。現に僕等の仲間にしても、この語
を使ふのは何となくテレ臭く撲つたい0先年日支親善の唱へられた時、政府の注意によつて、新聞紙等が盛ん
にこの語を使用したが、文拳者の仲間で使用した人は殆んどなかつた。かうした言葉には、外交政策のわざと
らしい白々しさが感じられ、少し皇晶としての音感性がないからである。そして文筆者は、絶封に質感性の
ない言薬を使用しない0僕等には「支那の孔子Lとは言へるけれども、「中華民国の孔子」なんてことは、ど
うしても白々しくて言へないのである。
 しかし今の支部人、特に新興支那の前衛を気負つてる畢生や智識階級の人々が、自ら「支那」といふ語を嫌
忌する心理は、一應僕等にもよく了騨できる0それは支那、ヒナ、チャイナの語が、十九世紀以来世界的に軽
蔑され、その帝髪と共に非文明の嘲笑的構語とされて爽たからである。今や新しく目醒めた支那は、かうした
過去の廠らしい記憶を、自ら勉めて忘却しょうとしてゐるのである。丁度その心理は、更生した出鉄人が過去
の前科にふれる言葉を、ひたすら恐れて神経質になつてるやうなものである。しかしそれは支那ばかりではな
い0かつて我々の日本も、ジャパンといふ園名でチヨンマゲと共に諷刺董化され、世界の喜劇的嘲笑を受けた
のである0しかし今日では、ジャパンが少しも侮辱的の意味でなくなつた。それは賓質的に日本が一等囲にな
つたからである。
 中華民国といふ言葉が、峯々しい外交語としてテレ臭く感じられるのは、今の支那にその賓質がないからで
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ある0普の嘉は確かに字裔第言文明圃で、正に文字通りの「中華」であつた0自ら国旗を中華と掛しない
でも、昔の日本人ほ支那を尊んで「華撃と呼び、支那人を尊構して「華人」と言つた。しかし今日の支部は、
公平に観察して「宇宙第」の文明囲」とは思はれない〇一般に教育の普及しない鮎から言つても、世界墟以下
に笑伴が低く1むしろ日本よりも劣つて居ると思はれる0それが自ら自尊誇大して中華民国(宰領隻、の文明
】喝〕一卜lq叫〕ふのであるから、h結局濁り威張りの茎語であつて、第三者に通用しないのは首然ヤある。
 僕は新興支那の創建者が、何故こんな園娩を選んだかを不思議に思ふ。なぜならこの圃競の拍爽には、支那
人の侍就的悪疾である排外思想が露骨に表示されてゐるからである。すぺての外国人を夷狭と稀し、西戎と呼
び、南攣と購しみ、濁り自ら中華と稗して尊大侶傲するのは、支部人の遁侍的な病疾であり、十九世紀以来支
部のあらゆる国際的失策は、ひとへにこの病疾の自ら招いた結果であつた。単にまたそればかりでなく、近代
に於て支那が文化に立ち遅れ、日本にさへも撹先を刺されたのも、同じくその頑迷な尊大心と排外思想の為で
あつた。新しく目醒めた新興支那は、よろしく先づこの種の因襲的嘗慣を一掃して、撥刺たる進歩主義に更生
せねほならないのである。しかも新興支那の建設者は、彼等の第一に革新すぺき閑襲の精紳を、逆にその国境
の旗に掲げて得々としてゐる。ニこに彼等の指摘さるぺき矛盾があるのだ。
 かうした支那の現状は、しかし色々な鮎で明治維新前後の日本と似て居る。我々の図に於ける新興日本の革
命者等も、かつては支那人と同じく外国人を爽秋と構し、頑迷な排外思想で凝り固まり、義和囲の暴徒と同じ
く異人を斬り、外人居留地を焼打ちにし、速に聯合軍の総攻撃をうけて大敗した。そして今の智識支那人等が、
自ら支那といふ自縛を嫌ひ、すぺての支部的のものを意むやうに、明治初年の智議日本人等が、同様にまたす
ぺての日本的なものを妹ひ、自国の国粋的な文化を軽蔑した。
 支那に遊んだ一日本人が、彼等の或るインテリ青年に向つて、大に支部の文他を賞頒するつもりで、孔子の
僻数を説き、老子の哲拳を讃め、李白の詩を紹讃したところが、逆に却つて封手の感情を害したといふ話をき
いた。つまり今の支那智議人種は、支那といふ記憶を忘れるやうに、一切の支那的のものを清算して、新しい
民族として復活したいのである。だから彼等は、自国の過去の文化について、何の愛着も持たないばかりか、
むしろこれを嫌厭さへして居るのである。
イ0タ 無からの抗争
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所で明治初年の日本が、殆んどまたこれと同じであつた0明治政府は、すぺての日本的なものを牛関野墳と
して排斥し、すぺての西洋的のものを文明開化として民に敦へた0最も驚くぺきことは、小学校で量産史を
数へないで、羅馬興亡雲俳蘭西革命ばかりを敦へた0是歴史は未開な野轡人の歴史であつて二目ら恥辱す
ぺきものと思惟したからだ0そしてこの警精神は、今日で為、僕等の蓋1者やインテリゲンチェアの中に
深く慧込んで雪0即ち僕等の表常識は、つい革近に至る準すぺての西洋的な奉術文普以て高級とし、
すぺての日本的、倦統的なものを目して低級とした0僕等の仲間の羞丁者は、芭蕉や西鶴に此警れて腹を立
て、ゲ÷やトルストイに比較されて得意になつた0そして新興支那のインテリと同じやうに、自圃の古い文
仕や拳術について語られる時、自己卑↑の羞恥心で眞赤になつた。
世界の都合の至る所に、その射髪をたらし、支那靴を履き、嘉服を着け、宗料理を食ひ、忘その圃枠
の風俗を欒へないで生活してゐるほど、それはど中華嘉の自尊心が強い宗人等も、今日では既に洋服を着、
散髪をし、彼等の所謂「夷汝の攣風」を模倣してゐるのである0そしてこの董は、今日の地球に於て、彼等
が自ら「中華」でないことを星党したことの讃左である0今の新興嘉の賓情は、過去の日本と同じく明らか
に欧米璧什である0彼等の女畢生や男畢生は、全く西洋流のクリスチャン的、もしくは唯物主義的の教育をう
け、これと矛盾する圃粋の儒教や道教を撰斥し、あらゆる俸統支那の美風美俗を軽蔑してゐる如く思はれる。
たしかに今日の瘍合に於て、この維新の破壊と革命とは必要だらう0それは日本に必要であつた如く、今日の
宗に於ても必要な過程であらう0しかし既に今日、西洋心酔の迷夢から漸く醒めつつある僕等にとつて、か
かる宗の現状は少しくユー写スにも感じられる0↑度明治初年の文明開化風景が、今の僕等にとつでやや
諷刺費的懐古の題材であるやうに0そのやうにまた「中華民国」といふ言葉がまた、別の意味で僕等にユ主
ヲスの一瞥をあた入るのも事賓である0
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