意律の薄暮

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 詩歌の鑑賞と解樺
          講 演


 詩といふものは、本質的に皆象徴主義のものでありまして、内容の意味を言葉の暗示、象徴によつて、表現
するやうにできてるのであります。詳しく言ひますと、作者の方で具鰹的に説明する代りに、讃者の方で、そ
の暗示の言葉から色々な聯想を呼び起して、讃者自身が意味を作りあげるやうに、できでるのであります。そ
れですから、この鮎から申しますと、詩は音欒と同じやうなものでありまして、それを味ふ人の主観、聯想の
相違によつて、色々にちがつた鮮澤がされるのであります。例へばショバンの或る音楽の中に、ボンボンボン
と、ピアノの音が績いて聞える所がありますが、或る人は、それを戦争の場合であつて、小銃の音の象徽だと
解挿して居ります。然るにまた、或る他の人たちは、それを雨の降つてる音、鮎々々といふ、雨だれの音だと
解しまして、互に主張をかへず、大に議論したことがありましたが、詩の場合にも、かういふことがよくあり
まして、一つの同じ俳句、同じ詩が、それを鑑賞する人、讃み味ふ人によりまして、全く反対な、別々の意味
に鮮挿されることが、珍らしくないのであります。
 これから、俳句について、さうした二三の例をお話し致します。頼村の俳句に

 負けまじき角力を寝物語かな
イ′∫ 無からの抗争

といふのがあります0これは、必ず勝つ筈の角力に負けて蹄つた角力取りが、その口惜しさを、寝物語して、
女房に話してる0とも辞されますが、一方からはまた、大事な勝負を、明日に控へた角力取りが、必ず明日は
勝つて締ると言つて、女房に話してる0と言ふ風にも解されます0つまり前の方の坪澤によりますと、勝負の
終つた、その日の夜の膚物語といふことになりますが、後の方の鰐繹にょりますと、勝負の始まる、その前の
日の夜の事になるのでありまして、つまりデート(目附け)が全二ロちがつてくるのであります。同じくまた
蘇村の句に

 二人して結ぺば濁る清水かな
といふのがあります0私の膵澤では、これは多分、作者の衆村が普子供の時、劫馴染の女の子と野遊びをして、
小川の水をすくつたりして、楽しく遊んだ時のことを、後に追懐して作つた俳句だと思はれます。然るに江戸
時代の宗匠たちは、かうした俳句を、たいへん道徳的、儒教の道学主義的に解拝しました。つまり、これは、
一人で行へば清く澄むぺき事を、二人で行ふからして、濁つて悪になる、不道徳になると言ふ風に、牌挿した
のであります〇一礁江戸末期の人たちは、俳句やその他の詩歌を、無理に道学的、教訓的に鮮粋したがる癖が
ありました。例へば芭蕉の俳句に

      あした
  大風の朝も赤し唐辛子
といふのがありますが、これも江戸末期の宗匠たちは、道孝的に鮮繹しましで、つまりどんな激しい環境血塗
化や、不慮の災難に建つても、異質を守る人は、依然として貞操を代へない、といふ意味の教訓の句として、
 ノ般に酵挿して店主した0かうした鰐秤の良ろしくないといふことを、大に強く力説しまして、俳句の■新しい
、、増せ表題貞一一一−ヨ一
姶めて日本の俳壇に敦へたのは、貿に、明治の俳人、正岡子規
でありました。子規の鉾確によりますと、この句は、環にかうした風景の純粋の印象、印ち、暴風雨の吹き荒
らした翌朝の賓景を、そのまま焉生したのであつて、その外に何の寓意もない、純粋に馬生の旬であるといふ
ことになります。かうした別々のちがつた解繹について、何れが果して正しいかといふ事は、後に錦、時間が
あつたら申しあげます。

          つちか
  人なき日藤に培ふ法師かな

といふ頼村の句があります。これは普通には、参詣人のない、間合の寺の閑静な蓋頃に、和尚の坊さんが、ひ
     こ ヤし
とりで藤に肥料をやつてる所。どこかの山寺の、もの催い、ごく閑静な、室問の風趣を叙景したものと鮮澤さ
                                                  こ や し
れますが、或る人はこれに異説を立てて、大にちがつた解稗をしました0その説によりますと、藤の肥料は酒
粕であるのに、煎村の頃の徳川時代では、寺に酒や酒糟を置く事が厳林bされて居た。そこで参詣人のない日を
              こ や し
選んで、こつそりと、内密に肥料をやつてる。といふ意味の俳句だと言ふのです0これは少しコジツケのやう
ですが、かういふまあ、撃つた解繹もあるのです。もつと奇抜なのは

 起きて見つ寝て見つ蚊帳の贋さ哉

といふ句があります。これは成る貞淑の女の人が、良人に死別れまして、孤閏の寂しさを歌つた人情味の深い
句として、普通に鮮挿されて居ますが、これにもまた奇抜な攣つた鰐澤をする人があります0その説によりま
すと、その女の作家が、或る時、大名の家に招かれまして、一夜そのお邸に泊る事になつた0平常、裏長屋の
小さな狭い豪に住んでる者ですから、始めて油つた大名の家で、何十負数といふ大きな座敷の中に、一人で、
イJ∫ 紙からの抗争
「「

蚊帳を栢つで寝てるので、すつかり吃驚しまして、「起きて見つ寝て見つ蚊帳の廃さ哉」と詠んだといふので 畑
                                                              ∠・
あります。

さて、前にお話しました通り、詩、特に俳句のやうな短い藷は、言葉が出来るだけ省略されて、すぺて暗示
の象徴によつてるのでありますから、讃者の聯想の仕方によつて、色々なちがつた併繹ができてるのでありま
す0ではそれらの解澤の中、どれが正しいか、どれが間違へてるか、正邪の判定をどうして見別けるかと言ひ
ますと、これは論理上では、その判定ができないのであります0なぜなら例へば、赤といふ色は、或る人にと
つては危険信琉の象徴だと牌梓£、或る他の人にとつでは−懸の情熱の象徴と脾挿されませうが、土の場合、
そのどつちの鮮繹卑正しいのであつて、理論1には誤謬といふものがあり得ないのです。詩は象徴ですから、
今の場合の例と同じく、讃者によつて、どう屏革して豊Hいので、論理的には、決してまちがつた璧秤といふ
ものはないのであります0しかし拳術的鑑賞としての、償値の↓から判定する場合には、たしかに善い解梓と
患い鮮繹、行き届いた正普の解澤と、思ひちがへた邪道の絆梓とを、剣然として直別すぺき定規があります。
これからそのことを申しあげます。


 藷の目的とする所は、他の美術竺菅栄やの拳術と同じく、結局言つて「美」の創造といふことであります。
葵術や音楽やほ、宇宙菌象、人生嘉、あらゆることを素材として表現しますが、その究極の目的債俺はご)
れに拝する人の心に、一種墾蹟にして快美なる蓼術的恍惚、即ち「美」を感じさせるといふことに重きてるの
 写ノ0誇の方では、ニの特殊の美意識を「詩美」と言つてゐますが、つまり詩の究極目的は、この詩実費表現
     、づペ碩題一−
凋d淵題詞爛瀾朝爛刹那鮎劉郎耶酬祁別離酎表は、これが針者にあたへるところの、詩実の感の康男や演題
の程度によつて決するのです。
 故に詩の鑑賞では、この詩美を理解する、詩美を汲むといふことが、第一の根本條件であります。詩歌の書
き讃者、書き鑑賞者とは、そのインテリゼンスする高い美的教養によつて、作品の内奥にまで深く分け入り、
暗示のあたへる聯想の糸を充分に繰り撰げて、作者が自ら漁期しない以上にまで、諸共の満喫を味ひ、これを
理屏鑑賞する人を言ふのであります。反対に恋しき讃者とは、その詩美を理解し得ず、もしくは澄薄にしか解
し得ない人を言ふのです。
 そこで前にあげた俳句について、一々その解碍の是非正邪を判断しませう。先づ最初に、終りの方で引例し
た旬、

  起きて見つ虐て見つ蚊帳の虞さ哉

について、前述した二つの鮮揮を比較しませう。元来この俳句は、抒情詩としてあまり高級の物ではなく、卑
俗な人情に堕した月址的の旬ではありますが、しかし前の普通の酵浮、印ち良人を失つた女が、孤閏の寂しさ
をかこち嘆いた句と解する限り、そこに偽らざる哀切なセンチメントが感じられ、卑俗ながらも一種の抒情詩
的詩美が感じられます。然るに後の方の辟揮、即ち作者が大名屋敷へ泊つて、蚊帳の廣さに驚いたといふ辟繹
では、人情的にも諷刺的にも、何等の詩美を感じさせるものがなく、全く詩としてナンセンスの物にすぎなく
なります。故にこの場合では、前の辟澤の方が正しく安富であり、後の方はコジツケの邪解だといふことにな
るのです。
イJ7 無からの抗争

 人なき日藤に培ふ法師かな
 これもやはり同じことで、前の方の素直の解繹、即ち山寺の閑寂な董景を寂したと見る方が正しいのです。
なぜなら後の方の異説的の酵澤、即ち寺に禁断の酒粕を、人なき日に内緒で肥料すると言ふ意味では、この俳
句の中心興味が、この鮎のパズルを宿庫とするところの、一種の「謎々L「考へ物L以外になく、何等詩とし
ての美的イメーヂを感じさせるものがないからです0前に言ふ通り、かうした奇警の解秤と維も、論理上には
決して必しも誤つては居ないのですが、詩歌の目的が実の表現にある以上、諸共を無祓したこの種の列じ物的
脾澤は、詩の鑑賞として邪道であり、コジツケであるといふことになるわけです。

 負けまじき角力を寝物語かな
 この俳句には、前申したやうに二つの異説的牌繹がありますが、この場合は、どつちにしても大して詩美の
優劣に攣りがない0負けまじき角力に負けて、妻に癒物語をしたと言ふのと、逆に負けまじき角カのことを、
その前夜の夢物語に話すと言ふのでは、句の辟辞される意味がちがひますが、諸実の受け取る感性の貿から見
れば、どつちも似たり寄つたりであり、大して優劣の差がありません。故にこの場合では、南方共が正解であ
り、膠角引分けと言ふ所でせう。
     ふ とん
筋かひに布囲しきたり脊の春
                       ム とん
これは前に引用しない津村の句ですが、この布圃が女布囲であるか、男布鞘であるかといふことについて、
かづで俳人の問にノ議論が起りました0眈に幾度も申した通り、詩は讃者の聯憩に訴へる象徴でありますから、
頭耶感懐勧鞄鞍つで屠ない漁り、とつちに解符しても好いのであつて、論理上から理警阜PふLゝ何れの辞・
窄も誤つては居ないのです。しかしこの句の場合は、「春の管」といふ聯想からしても、如何にも艶めかしい
感じがするので、男布圏と解するよりは、女布囲と解する方が、一席適切にして芳烈な詩美を感じさせます。
故に詩の鑑賞としては、女布観説の方が優つて居り、すぐれた鮮繹だといふことに辟結します。

 二人して結ぺば濁る清水かな

 かうした句を、追撃的、教訓的に解稗するといふことは、前申した通り、江戸末期俳人の通癖でありまして、
いはゆる月拉といふのであります。これは丁度今日のプロレタリア作家たちが、すべての文拳をマルキシズム
の公式的倫理畢で併読づけると同じく、一種の捉はれた時代思潮の偏見でありました。かうした政治や道徳の
イデオロギイに捉はれては、拳術の本質する生命の美を、到底率直に感受することができなくなります。
 さてこの句の如きも、「二人」といふ言葉の聯憩次第で、どうにでも辟秤できます。前言ふ通り、私はこの
句を幼年時代の追懐と屏稗して、作者の劫ない時の子供姿と、その劫馴染の女の子とを、イメーヂに浮ぺて考
へましたが、もしこの「二人」を、成人の男女にしてイメーデすれば、この句は濃厚な懸愛詩になるわけです。
しかし何れにしても、かうした解帝は句の詩美を味ひ、詩美を鑑賞の主眼としたところの、正しい認識の仕方
であります。之れに反して月盤俳句の宗匠等が、好んでする道学的の鑑賞法は、マルキストの文肇批判と同じ
く、始めから功利的の目的意識に立つてゐるので、詩美を対象としないのでありますから、勿論これは誤つた
邪道の解梓と見るぺきです。
メ⊥3壱至当 j題。題一一一一一一一一ヨ
■lF一ゴ.P L一} 一山一勺レ nソ蕗り・− バー.‥1・】っ一▲d一j・召月1叫
大凰の朝も赤し唐辛子
〃9 無からの抗争

 これも昔の宗匠たちは、前言ふ如き道草的、教訓的の意味に解しました。正岡子規の事業は、かうした月改
宗匠の迷妄を啓蒙して、新しい俳句の革命をしたことでした。子規の説によると、俳句はすぺて趣味(美的感
性)によつて、句に現はれた印象のまま、一切の寓意や観念を混入せず、純粋感覚のままに受取るぺきものだ
と言ふのです。そこでこの芭蕉の旬の如きも、子規流の鮮繹によると、大凰の吹いた翌朝の風物を、畢にその
印象のままで、檜嘉的に罵生しただけの旬であり、他に何の思想的寓意もないといふことになります。
 しかしこの芭蕉の句は、果してそれだけの物でせうか。私はこの句の中に、作者の或る一つの思想、人生観
が寓されてゐると思ひます。それはこの句を讃みますと、畢にさうしたスケッチ的印象の外に、何か或る悲壮
のもの、荒蓼たる人生に封して、敗残の戦ひを挑んでゐるところの、芭蕉その人の強い意志、詩の情操化した
哲学、思想性といふものが感じられるからであります。この句に限らず、すぺて芭蕉の旬には、例へば「この
道や行く人なしに秋の暮」等の如く、単なるスケッチ的焉生以外に、一種の思想性(人生哲季)を寓意したも
のが多いのです。蕉門末期の江戸俳人が、前言ふやうな道畢的観念から、俳句を一種の革意詩に鮮辞しょうと
したことは、つまりかうした芭蕉の旬凰を曲解し、卑俗化したものであつて、尿因的には操る所が深いのであ
ります。
 それ故私の考では、もちろん月並宗匠の鑑賞法は邪道ですが、これに封放した子規一漁の鑑賞法も、反動的
の偏見に走つたやうに思はれます。詩の最も正しい誠賓の鑑賞法は、あらゆる部分に行き届いて、できるだけ
底深く詩美を汲み取り、少しでも多く有償資質を認めることです。そこで例へば、今の芭蕉の俳句の場合、そ
れが単なるスケッチの葛生句であり、他に何の思想も寓意もないと感ずる人は、さうした印象的感銘以外濃
作者の止揚された人生観の思想を感じ、それによつて二盾の詩的悲壮美を感ずる人よりも、庶詩に封す針理解
 が浸く、鑑賞が不充分である、といふことになると思ひます。昔の月蝕俳人等は、諸共を離れて塩草的に詩を
「「冒
=椚…粥H胴悶
は、禽意詩が悪いといふ埋窟はどこにもない。むしろ成る種の詩は、思想性や習孝性やがあることによつて、
詩美の重厚な陰影を増してくる筈です。とにかく私は、子規の栴へた克生主義といふことには、美学上の立場
から賛成しません。
 講が徐事に亙りましたが、詩歌の鑑賞、及び鰐繹についての常識は、これで大鰹お鮮りになつたと思ひます0
以上の引例は、便宜上すべて俳句を用ゐましたが、この一つの同じ原則は、もちろん俳句のみならず、和歌で
も、新膿詳でも、自由詩でも、一切の詳について同じであります。


 以上はJOAKの放逸講演(趣味講座)のために書いた原稿であるが、時間の都合上、賓際の講演では、前の方のごく
一部分しか話せなかつたので、後にまた「寧垂新聞」主催の文肇講演合で、改めて再度講演したが、その時もまた時間切
 れで、最後まで話すことができなかつた。よつて此所に原稿全文を採録した。