進歩思潮の反動性


       汝自身の現実を知れ!

 明治以来の日本に於て進歩的思想と呼ばれた多くの者は、今から顧みて実に不思議な畸形的の感じがする。例へば明治の政治に於て、最も極端な進歩思想と考へられてた、あの板垣退助の自由民権主義はどうであつたか。仏蘭西革命の影響を受け、ルツソオの民約論によつて刺激されたあの急進思想の支持者は、実に不平士族の一群と地方農民であつたのである。この前者は、明治の改革によつで衣食の道を失つた人々であり、後者は封建制の古い伝統に強い愛着を持つところの人々だつた。そして要するに彼等は、新政府の資本主義文化に不満を抱いてる反動家の一群に外ならなかつた。自由民権主義の名は新しく、彼等の叫ぶところは尖端的だつた。しかもその実質してゐる精神は、逆に封建制への思慕から来て居る反動に外ならなかつた。
 自由民権党の壮士たちは、当時の政府当局者を罵つて「人民の敵」と呼び「自由の敵」と言ひ、そして「時代の進化を知らない頑迷固陋の反動者」と罵つた。しかし今日から考へて、実の進歩主義者は彼等になく、却つて資本主義の開明と発育に努力した政府当局者の側にあつた。明治の歴史を思ふ毎に、僕は当時の政府当局者の苦心、特にあの偉大なる政治家伊藤博文の功績を考へずには居られない。彼の如きは新日本の政府が要求した、真の健全な進歩主義者であつた。
 かうした自由民権思潮の反動的矛盾性は、未だ全く資本主義文化の開明期にあり、如何なる西洋十九世紀的の社会も実在しなかつた日本に於て、観念的にのみ欧州の新しい思潮を移入したことの誤謬にあつた。そこでルツソオの民約論は、彼等の観念上にのみ存在する空概念で、実質を組織する内容物は、之れと全く異なる遺伝の反動思潮となつたのである。
 日本の文壇の歴史に於ても、これと同じやうな反動思潮が、表面上の進歩主義の名で幾度か唱へられた。例へば先づ自然主義がさうであつた。自然主義の文壇は、これを欧州十九世紀末の新思潮から学び入れた。だが当時の日本、明治末期日露戦争当時の日本が、文化的にも社会的にも、同時代の欧州諸国と類縁のなかつたことは事実である。第一日本には自然主義を生むための思想的根拠(実証論の懐疑思想)が何所にも無かつた。西洋の自然主義は、熟爛した世紀末文化の虚妄と倦怠から生れた。然るに当時の日本は、戦勝によつて始めて資本主義国家のリストに加入し得たばかりの新進国で、国民の元気溌剌として希望に充ちて居た。こんな現実する国情の下で、独り文学者だけが、世紀末的な表情をし、インテリの見得坊と芝居気から、借物の懐疑思想に悩ましさうな顔をしかめて、無理に努めて深酷がつて居た風景は、まるで猿芝居の図そつくりであり、今から考へて全く滑稽の感に耐へない。
 日本の自然主義者も、やはり自由民権思潮と同じく、欧州のそれを観念上にだけイメージしたことによつて、内容上には全く別の伝統的文学になつてしまつた。即ち人も知る通り、日本の自然主義の文学は、実質的にはあの東洋的枯淡や俳味を精神とする心境小説、身辺小説のことなのである。自由民権主義が実には開明資本主義への反動であつた如く、日本の自然主義文学も、実には明治以来の新文明がイデアしたロマンチシズム精神への封建的反動だつた。そして日本では自然主義以来、僕等の新しい詩が芽生えなくされたのである。
 自然主義は一例である。その他日本に興つた多くの新しい文学的イズム、特に進歩主義の観念で提出された文学的イズムは、たいてい皆一種の反動思潮にすぎなかつた。例へば民衆主義がさうであつた。民衆主義は、ホイツトマンやトラウペルから学んで、これを欧州大戦時に於ける米国の政事的宣伝と結びつけ、米国式人道主義のデモクラシイを唱導したものであつた。しかも日本に於けるその文学は、実質的に農民の封建的反動思想と結合して、近代資本主義文化への敵意として現はれた。
 最近、詩壇に於いて唱へられたシユル・レアリズムの如きも、観念上には仏蘭西尖端詩派のそれを移入した進歩詩派であるけれども、実の作品としての文学毒は、逆に却つて日本伝統の低徊的風流趣味の文学にまで、詩を回避させようとするところのものであつた。それは西洋詩の本質する人間性の情熱を、枯淡な無関心で抹殺することを詩学にした。
 かくの如く、すべて西洋から直訳輸入した進歩思想は、日本に於て逆効果の文学となつて実現されてる。そ
してこの喜劇の生ずる真原因は、現実の日本にない虚妄の物を、単なる観念上の空概念として、もしくはインテリの進歩がつたモダン意識で、空無に移入して来たことにある。今日の詩人及び文学者に対する重要な警告は、何よりも先づ日本の現実する社会と文化を見、汝自身の生活する実相を書けといふことである。有りもしない外国文化の空観念で、幽霊のやうな詩や小説を作り、進歩思想を気取つてインテリぶつたところで何になる。昔の日本の漢詩人は、支那文化の直訳観念で漢詩を作り、自らそれをインテリの自誇として居た。だが今日文学史上に残つてるものはなく、そんな生活実態のない漢詩ではなく、却つて彼等が軽蔑し、卑俗低級視してゐたところの和歌俳句であつた。
 「汝自身の現実を知れ!」「汝自身の生活を表現せよ!」これが今日、我等の文学者にあたへる真の「進歩主義的な警告」である。