文学の革命
  市民権の掴得へ


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 「インテリとは何ぞや」といふ標題で、先に自分は一文を発表した。しかしこの一文は、自分にとつて些か物足りない論文であり、未熟の憶説といふ感じがした。よつて此所にこれを補ひ、一の完全な物にす ると共に、併せて他の事を論じたいと思ふのである。
 インテリゲンチュユアといふ言葉は、正しい語義に於て「知識階級」といふことである。そしてインテリジェンスと言ふ言葉は、知識的教養といふ意味であり、インテレクチュアルの生活とは、理性によつて行為する生活といふ意味である。そこでこの語源的字義から批判すると、日本の江戸文化は全く反インテレクチュアルの文化であつた。前の論文に於て、自分は学者や浮世絵師をインテリと呼んだ。しかし字義の正当な意味に於て、彼等の無智な町人藝術家は、決してインテリゲンチュアと呼ぶべきではない。彼等はたしかに、当時の社会に 於ける高級な「文化的教養人」であつた。そしてしかも、インテリではなかつたのだ。これは不思議のことで ある。なぜなら外国では、インテリといふ言葉が、それ自ら文化的教養人を意味して居り、両者がシノニムになつてゐるからだ。反インテリであつて、しかも文化的教養人であるといふやうなことは、希臘以来の文化史を有する西洋人には、到底考へられない矛盾であらう。これは日本だけの特殊現象である。そしてこの特殊現象の中に、あらゆる現代文学の悩みと矛盾がひそんで居るのだ。
 同じ月の同じ雑誌で、偶然にも阿部知二氏が、この問題で私の先鞭をつけて論じた如く、かうした日本文化の特殊現象は、それが支配階級によつて指導されず、町人によつて建設された為であつた。どこの国のどの時代でも、支配階級は常にインテリゲンチュアである。故に阿部氏の言ふことは正論であり、一々私の敬服して首肯するところであるが、ただ大に賛成のできない点は、阿部氏がこの種のいはゆる横丁的町人文化とその文学とを、日本の現代に於てさへも、或る程度まで肯定し、決然たる挑戦の意志を見せてないことである。此所 で再度自分は、日本文化とインテリゲンチェアの問題を論じなければならないのである。
 外国に於ても日本に於ても、上古の文化は常に支配階級者によつて独占され、知識学問することの権利は、貴族と僧侶にのみ限られた。人間は理性を所有し、理性によつて行為することに於てのみ、姶めて、「人間的」な生活をし得るのである。然るに上古に於ては、貴族と僧侶との少数者だけが、知識を所有することによつて 理性人となり、それらの支配階級者だけが、特に選ばれて人間的な生活をした。かかる古代に於て、庶民は全く虫ケラ同様のものであつた。しかしながら西洋では、早く既に希臘時代からして、ヒゥーマニチイの正義が叫ばれ、庶民の支配者に対する抗争意識が、哲学や文藝やの観念で表現されてた。そして近世都市の発達以後は、遂に庶民が完全に勝利を得て、此所にいはゆる「市民権」を掴得することになつたのである。市民権とは、単に政治上の一権利を言ふのでなく自由に大学に入学して、学問知識を掴得し、理性人としてのインテレクチュアルな生活を、支配階級者と同様に所得し得ることの権利を言ふのだ。
 このやうにして西洋では、文化が早くから庶民の所有に帰し、理性人としてのインテリジェンスが、一般的に広く普遍したのであつた。然るに日本は、この点で大に事情が異つて居た。日本は明治維新になる日まで、過去に一もデモクラシイが叫ばれなかつた。しかも明治のデモクラシイ(四民平等権)さへも、民衆自らが叫び要求したものではなく、支配階級者たる政府の方から、逆に布告して民衆に与へたところのものであつた。これはおそらく日本の政治と国情とが、世界に類なく平和な善い状態にあつたことを証明する。しかしながらそれは、民衆の理性人的独立を長く阻礙し、真のヒューマンライフを民に与へず、彼等を長く蒙昧にしたことで不幸であつた。日本に於ては、真の「市民」と言ふものがなく、単に「町人」や「百姓」やの、虫ケラ同然の民衆だけが実在して居た。
 日本に於て、民衆が始めて文化を所有し、藝術らしい藝術を持ち得たのは、だれも知る如く江戸時代だけであつた。丁度あだかも、西洋に於ける近世都市の発達が、彼等の市民文化を生んだやうに、江戸時代に於ける商業都市の発達が、自然に民衆の生活を豊富にして、日本に於ける平民文化を生んだのである。しかしながら西洋では、その庶民文化がデモクラシイと共に起つた。即ち彼等の藝術文化は、貴族や僧侶の独占から、民衆が戦ひ取つたものであり、文化それ自体の本質が、それ自ら「市民権」であつたのである。然るに江戸時代の町人文化は、いかなるデモクラシイの市民権でもないものだつた。徳川政府は民衆を圧迫し、一切の学問教育を民に禁じて、全く庶民の人間的理性生活を虐圧した。史家はしばしば、江戸時代を賞して「民衆の光栄ある歴史的時代」といふ。だが実際に言へば、江戸時代ほど民衆のひどく圧制され、非人間的に扱はれた時代はないのだ。鎌倉、室町の時代に於て、特に重視された庶民の訟訴権(民権の保護)さへも、徳川時代には苛虐的に踏みにじられ、富豪の私有財産は、理由なくしていつでも政府に没収された。「錦きて畳の上の乞食かな」と言つた或る知名の俳優の感慨は、それ自ら江戸町人の心境を代表してゐた。なぜなら彼等は、物質的には充分恵まれて居りながら、社会的には全く人格を蹂躙され、非人間同様に扱はれて居たからである。
 かうした奴隷的境遇にあつた江戸町人等が、彼等自らの為の藝術を創造し、一種の奴隷文化を生育させたと云ふことは、まことに傷ましくも悲惨のいぢらしい情に耐へない。(この意味で、江戸藝術ほど哀切に悲しみ極まるものはない。) 今日、我々は深く彼等に同情し、且つその文化に特殊の誘惑をさへ感ずるのである。だがさうかと言つて、さうした文化や藝術に賛同し、今日の社会にそれの伝統を承諾することは絶対できない。なぜならそれは、「市民の文化」ではなくして「奴隷の文化」であるからである。この点に於て、自分は阿部知二氏と大に意見を異にする。阿部氏はそれを「平民の文学」「民衆の文化」と呼び、支配階級に対立するところの、別のデモクラシイの文化であるやうに観察してゐる。そしてまたその故に、多分の同感的温情を以て見て居るのである。だがそれは決しで「平民」の掴得したデモクラシイの文化ではない。それは虐げられた民衆共が、あらゆるその無教育の下司ばつた猥談卑語を交しながら、夜の女中部屋で戯れ騒ぎ、以て自らその日暮しのしがなさを慰めてる文化である。奴隷が自ら戦ひ取り、デモクラシイによつて建設した「市民の文化」と、奴隷がその奴隷的な卑劣な根性で、下司ばつた猥談をして悦んでゐる文化とは、全く精神の本質を異にして居る。今日現代の日本文化が要求するのは、この前者であつても後者でない。むしろ今日に於て この種の伝統文化を撲殺するこそ急務なのだ。


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 再度インテリの議事に帰らう。前言ふ如く西洋では、インテリとしての知識人が、それ自ら文化の教養人を意味するのである。日本に於ても、やはり上古中世はさうであつた。遠き奈良朝時代は言ふ迄もなく、中世の平安朝時代に於ても、貴族や僧侶やのインテリジェンスをもつた知識人が、常に文化を指導するところの藝術家だつた。降つて武家の支配した近世室町時代に於てさへも、詩や小説やの文学から、音楽や美術やの藝術に至るまで、すべて知識人種としての武士や僧侶が創作した。即ちインテリに非ずば藝術家でなく、藝術家でなければインテリでなかつた。
 西洋では、かうした貴族僧侶の藝術が、後に平民の手に移つたけれども、その時は既に平民がインテリになつて居たのであるから、変化した物は単にその所有者にすぎず、或る階級から或る階級へと、一つの同じ物が順ぐり手渡しされたにすぎないのである。即ちこの現象を社会台的に言へば、昔の「騎士」といふ言葉が、今日の「紳士」といふ言葉に変り、元の「貴族」といふ言葉が、新時代の「市民」と言ひ変つたにすぎないのである。此等の言葉の変化につれて、文化の相貌は時代的にちがつて来たが、内容のエスプリは同じであり、ひとしく理性の指導する高邁性を本質した、インテレクチュアルのものであつたのである。
 然るにひとり日本に於ては、この文化の系続する炬火リレーが、途中の江戸時代で切れてしまつた。即ち日本の文化歴史は、上古から室町時代までが西洋と同じであり、以後は全く一変して、世界に類なき特殊の物になつたのである。そして今日「国粋的」とか「伝統的」とか言はれるものは、多くこの中断以後に於ける江戸文化の系統を曳いてるのだ。そしてこれを「国粋的」といふ語の中に、我等は深い悲しみを感ぜずに居られない。なぜならそれは、日本歴史に於ける「最も悪しき頁」を代表する文化であり、そして実に「奴隷の文化」でさへあるからである。
 明治維新の革命は、実にかうした文化を一新し、奴隷の自由を解放して、本居宣長のいはゆる「神ながらの日本の国」へ、美しく復古しようとする運動だつた。しかしながらこの革新精神は、政治上の実利性と矛盾を生じ、未だ今日に至る迄、本質的には一も実現されて居ないのである。そして勿論、文学上に於てもまた同様である。尾崎紅葉等の硯友社文学は、精神に於て江戸戯作文学の新変貌だつたし、後に興つた自然主義は、単にその文章と文学のフォルムとを、西洋の小説から新しく学んだだけで、結局江戸伝統の町人文学となつてしまつた。今日、日本浪曼派の保田與重郎君等が、しきりに日本武尊を頌し、柿本人麿を讃へ、或は和泉式部等の王朝詩人を説教するのは、単なるクラシズムの懐古趣味に淫するのではなく、遠く本居宣長の遺志をついで、明治維新の改革を時代に現実しようとするところの、昭和維新への雄大なロマンチシズムを企画してゐるからである。日本文化をその原始の純粋牲に帰さうとする精神は、とりも直さず日本を世界線上に押し出さうとする精神であり、これが日本の全インテリが熱情してゐるルネサンスである。
 今日の日本に於て、かうした時代の熱情と没交渉に生活し、ひとりルネサンスの気運から取り残されてゐるものは、いはゆる文士と称する文壇的小説家連中である。もし呑気といふこと、何も考へずに居るといふことが、幸福の決定条件であるとすれば、彼等ほど幸福の人間はない。彼等は時代の苦悩を外にし、涼しい顔をして伝統の中に納まり、阿部氏のいはゆる横丁的町人文学を書いてるのである。しかも自ら衿持して、それを「世界的ユニイクな国粋文学」と誇つて居る。紫式部の源氏物語や萬葉の日本歌(やまとうた)やは、たしかに或はその自称価値に値して居る。だが今日の文士が書く西鶴や式亭三馬の亜流小説等が、何でそんな賞嘆に値しよう。たとへそれが、日本独自の文学であるとした所で、畸型が自慢にならないと同じやうに、何の自慢にもたりはしない。否々。もつと根本的に糾弾すべき、文化的の罪悪性がそこにあるのだ。
 今日の日本は、明白に言つてもはや江戸時代の日本ではない。あの民族の恥づべき一大国辱史、奴隷文化の時代は既に過ぎた。現代日本の首肯してゐる一のモラルは、我々の文化的市民権を確立して、過去の奴隷境遇の生活から、完全に新しく解放されると共に、インテリとしての理性人生活をしたいと言ふことである。この文化への強い理念は、単に「西洋にあこがれる」とか「伝統に叛逆する」とか言ふ類の、皮相な和洋対照観念で論じらるべきものではない。これは実に今日の社会を通じ、全日本の民衆がひとしく皆一様に熱情してゐるモラルであり、正しく鉄案的の当為である。もしこれを否とする者が居たら、その人は実に、全日本の民衆を敵とする立場にあることを知らねばならぬ。
  しかも日本の大多数の文壇人等は、自ら意識せずしてこの民衆の敵となつてる立場に居るのだ。なぜなら彼等は、かうした時代に於て、民衆のモラルが欲求する文藝を書かないで、却つて逆にそれを軽蔑しさへして居るからである。それ故に民衆は、彼等のいはゆる文壇小説に背中を向け、岩波文庫の外国文学ばかり読んでゐるといふ有様である。外国文学は、すくなくともこの時代に於て、民衆の欲求してゐる真質の物 ― 知性の独立、自由の生活、市民の感情、及びすべてのインテリジェンスが本質する人間としての行動規範 ― を教へてくれる。所で今日の文壇小説は、江戸戯作者のそれと同じく、一切何事も教へてくれず、民衆のモラルに触れるものがないのである。
 奴隷文化の生んだ江戸藝術が、それ自身として完成した藝術であり、今日過渡期のそれに比して、遙かに美しく立派な物であることは、私と雖もよく知つて認めて居る。だが今日に於て、その同じエスプリを伝統するといふことが、無意味以上に悪であることを啓発するのだ。阿部氏は此所で温情的な批判をして居る。即ちかかる文学は、かかる文学として市井的に存在させつつ、一方でこれに指導的批判精神を生ぜしめよと言ふのである。文学がもし、そのエスプリに指導批判精神を有するならば、それはもはや阿部氏のいはゆる横丁的町人文学ではない。それこそ立派なインテリゲンチェアの文学である。故に阿部氏は此所で矛盾してゐる。かつて明治時代に於て、演劇改良といふことが唱へられた。即ち市川団十郎等が、俳優の河原乞食的下品と無教養を自辱して、これを西洋のドラマの如く、王侯貴族や士君子の前に演じて恥かしからぬ物にすべく、しきりに俳優の教育を説き、脚本演出の気品を工夫した。だが歌舞伎役者が学問をし、インテリゲンチュアになつた時は、歌舞伎それ自身が亡びる時に外ならない。歌舞伎が士君子の見るべき物となつてしまへば、本来女中部屋の猥談から出発した江戸藝術は、そのエスプリを失つて消滅する。今日の日本に於ける江戸伝統精神の文学は、その指導性やインテリジェンスを欠いてる故に、裏町住ひのしがなさや人情の佗びしをりを、日本的のユニイクな小説で書き得るのである。この点阿部氏の折衷説は、いささか演劇改良論に類する節がないでもない。
 要するに我等は、今日の日本に於て、インテリジェンスを基調とする文化と文学を望んでゐるのだ。それは西洋的なものへの崇拝でもなく、国粋的なものへの反動でもない。今日の日本の社会が、必然的にかかる当為を掲げてゐるのだ。藝者が一世の師範であり、文化の最尖端に立つ教養人であつた如き時代は、今日の社会に於て荒唐無稽の虚妄にすぎない。既に市民権を掴得した現代では、民衆が奴隷の生活から脱却して、理性人としてのインテリ生活をして居るのである。故に文学もまたこれに準じなけれほならない筈だ。昔は「文化教養人」といふ言棄が、粋人や通人の意味に解されて居た。だが今日の日本に於ては、その同じ言葉がインテリゲンチュアの意味に解されて居る。知識人でなくしで、しかも文化的教養人であるといふ如きは、今日の常識ではナンセンスである。
 ヒューマニズムの当為性とは、人間が人間として、人間的の生き方をするといHふことに外ならない。そして人間的の生き方とは、理性によつて自律的に行為することの生活である。インテリゲンチェアとしての文学者が、社会上に使命してゐる文化意識は、かかる正しきヒューマンの生活を、常に懸命に考へ、且つそれを批判し、指導し、民衆を高く導いて行くことにある。即ちインテリゲンチュアとは、人間性の当為に対する批判者であり、文化の指導者であるところの人物、及びその階級者一般を指す言葉である。藝者や遊里の粋人たちが、いかにしてインテリの範疇たり得ようか。そしてまた、かかる江戸町人文学を伝流するところの文学者等が ― 。
 かつて自分は、「インテリ以前の文壇」といふ一文を書き、このあまりにも卑俗的なる、町人文学的なる文壇を痛嘆した。必ずインテリは出なければならぬ。だがインテリはどこに居るのだ。インテリジェンスとは、単に学間や智識やを、頭脳の図書館に詰め込んでることの教養でなく、時代の文化が所有する教養性を、自己の血液の中に同質化してゐることのセンスを言ふのだ。しかもそんなセンスの所有者が、果して現代の日本に幾人居るか。日本に現在してゐる知識人とは、西洋の思想や学問やを、博覧強記的に記憶してゐる概念人や、江戸時代の「物識り」的自誇を身上とするぺダンチックの先生たちやの外にはない。之れに比すれば粋人や藝者たちは、今日のインテリ仏蘭西人などと同じやうに、真にその時代の所有する高級な文化相を、自己の血肉の中に教養してゐるところの人たちだつた。単にもし「文化的教養人」といふ点から見れば、今日の一般的知識階級者等よりも、昔の無知な江戸人の方が遙かにまさつて居た。今日の低劣化した藝者でさへも、尚この点で伝統的の誇りを所有し、我等を「田舎者」として軽蔑する権利をもつてる。そしてこの藝者の衿持こそ、自らその藝の渋味や甘味を誇る小説家等が、外国文学的なるすべてのインテリ文学を軽蔑して、野暮臭く垢ぬけのしない物と難ずるところの衿持なのだ。
 要するに今の日本には、西洋的の意味で言はれるところの、真のインテリジェンスといはれるものがなく、真のインテリ人種が居ないのである。今日の文化的教養人は、あはれにも時代錯誤の江戸趣味者と藝者との外には居ない。かかる荒蓼たる文化の過渡期虚妄時代に、何物をも所有しない心の飢餓が、一方で過去の完成した古典美に帰ると共に、一方では自国の現状に絶望して、直接外国文学に救ひを求めるのは当然である。古典的国粋主義と、直訳的欧化主義とは、今日の日本に於て対蹠する別の精神でなく、全く同じ表裏の両面に外ならない。
 しかしながら我等のモラルは、この「インテリ以前の日本文化」を、それの荒蓼たる虚無の現状から救済して、新日本の世紀を創造することに意義を感じ、それの当為にのみ生の希望を感じて居るのだ。たとへ現実上の事実として、今の日本に真の意味のインテリがなく、インテリジェンスの生活がないとしても、尚且つ我等はイデアとして、当為性のゾルレン的命題として、それを熱意しなければならないのだ。まことに現代の辞書に於て、文学者の意味でモラルといふ言葉は、正しく「当為(ゾルレン)への熱意」といふことの外にはないのだ。即ち我等は一切を犠牲にしても、時代の新しい文学を建設すべく、倫理的に熱意せねばならないのだ。

 

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 最後に自分は、この国の不運な詩と詩人について一言しよう。但し此所に詩人といふのは、いはゆる俳人や歌人のことではない。彼等は今日の文壇的小説家と同じく、伝統の雰囲気の中に生活して、安易な苦悩のない生活をして居るのである。此所で自分が指してゐるのは、現代日本の過渡期虚妄の中から発生して、不断に懐疑の歴史を繰返しつつ、結論のない迷路を彷徨し続けて居るところの、我等の新派詩人のことを言ふのである。したがつて此所に詩といふ言葉も、伝統の和歌俳句でなく、我等の解釈に従つで言ふのである。
 詩といふ文学は、すべての文学の中にあつて、本質的に最もインテレクチェアルの文学である。なぜなら詩は、人間生活の卑俗な裏町的現実世界を、それの俗識によつて描出する必要がなく、主観の感情やメタフィヂックやを、直接に高調して表現する文学だから。この点から観察する時、小説は最も俗論に近く、卑俗な一般人情と密着してゐる。詩人は常に文学中の貴族であり、超人情の高邁な哲学者である。しかしながら小説家は、もつと俗世界に近く生活し、功利的で野卑な世間人とも交際して、世態人情の表裏を描写せねばならないのである。小説家があまり貴族人でありすぎたら、決して本格的の小説は書けないだらう。小説家に於けるインテリジェンスや詩精神やは、常にその生活の内部に於てインヴィジブルに隠匿され、止揚されてゐるものでなければならない。然るに詩人とエッセイストとは、一切の苦労人的人情世界と交渉なく、その最高の文化理念や美意識やを、直接のインテリジェンスによつて表現する権利をもつてゐる。詩人とエッセイストとは、文学者中の「武士階級」で、小説家は正に「町人階級」を代表する。
 それ故に「詩人」といふ語は、常にインテリの主脳者を代表し、同時にまた文化の最高な指導者を意味するのである。西洋に於て、ゲーテ、バイロン、マラルメ、ニイチェ、ヴァレリイは、事実上に於て皆一代の大知識者であり、偉大なる教養人であつたばかりでなく、文化批判の指導者として仰がれたところの人であつた。支那でも王維、李白、杜甫等の詩人、何れも皆一世のインテリを代表した主脳人で、同時に「志士」として、人生の理念的指導者として観念された人たちだつた。
 しかしながらこれは、文化がインテリジェンスを根拠として、知的理念の高邁性を掲げる場合の話である。江戸末期の日本や、今日現代の日本の如く、インテレクチュアルの貴族精神が軽蔑され、逆に反インテリの無知性や卑俗主義やが迎へられる社会にあつては、真の詩といふ文学、詩人といふ文学者は、事実上に於て存在
の可能性がないのである。もしかりにこの種の者が、何等かの様式に於て有るとすれば、それは文化の下積に虐げられて、惨めに貧しく嘆いてゐるところの、ウドンゲ的陰性現象の花に外ならない。なぜならかかる文化の社会にあつては、卑俗的反インテリの文学者が、一切の文壇権威を独占して、より高貴な理念を掲げるすべての者は、地下室に監禁される目に逢ふからである。
 かうした現状の日本に於て、いはゆる「詩人」と称する連中はど、憐れなみすぼらしい存在はない。かつて「インテリ以前の日本文壇」を書いた私は、同時にまた「インテリ以前の日本詩壇」といふ一文を書き、二部作として別々の雑誌に発表した。その文章の内容は、現代の日本に真のインテリとしての詩人、ゲーテや、シルレルや、マラルメや、ヴァレリイやのやうな詩人が、殆んど全く一人も居ないといふことを書いたのである。即ち今日の日本詩人は、江戸時代の俳句宗匠と同じタイプの詩人であつて、しかも社会的にもつと冷遇されて居るところの、惨めにいぢけた隠花植物のうらなり的存在であり、全く詩人としての健全な発育をして居ないのである。(筆者の私自身が、またその憐れな一人であることは言ふ迄もない。)
 私が常に憤つて悲嘆するのは、かかる詩人等の貧困無能なる事実ではなく、詩人をかかるうらなり的不具に生育させ、不健康な湿地に追刑処分してゐるところの、日本文壇の悪むべき不文律である。そしてこの不文律は、彼等がその文化意識のイデオロギイを、近代性のヒューマニズムに根拠しないで、江戸町人文化の卑俗主義に伝統し、名人気質の藝術意識に置くことに原因してゐる。日本の文壇者等が、かかるイデオロギイを一蹴して、西洋と同じくインテリ性の文化理念に転向精進しない限り、日本に於て、永遠に詩といふ文学は発育せず、詩人の浮び上る瀬はないのである。
 室生犀星君によれば、私は「十年一日の如く」「文壇を目の敵にして」戦つて居るさうである。だが私の戦ひは、私人的のひがみ根性や、ヒステリカルの被害妄想狂(或る人は私をさう解してゐる)によるのではない。実に自分の意志は、かかる文壇意識の背後に於て、日本文化の革命すべき一大邪悪性を見るからである。今日我等の周囲に於て、いかに多くの圧制的社会悪が行はれてゐるか。徳川幕府の陰険な封建的虐政と、それによつて生育した奴隷文化の江戸情操とが、今日現在の日本に於ても、どんなに何我等を苦しめ、民衆の生活を陰惨にして居ることだらうか。人類に希望をあたへず、ヒューマニチイの理念をさへも虐圧する如き悪文化を、それの伝統的な遺伝に於て継承してゐるやうな文壇が、今日に於て果して許されるものだらうか。そもそもまた、新しい時代の理念を持たないやうな文学が、今日の文壇を独占して好いものだらうか。
 私が「詩」について論ずることは、同時に常にこの「文壇」について語るのであり、併せてまた広く、この時代の世相、風俗、宗教、政治、家庭等を包括するところの、「文化一般」について論ずるものである。つまり言へば私の議論は、常に詩を中心の内包として、文藝、社会、文化一般の外延に広く拡大して行くのである。私の過去に書いた「絶望の逃走」等のアフォリズムも、「純正詩論」等の詩論集も、結局皆私にとつて、同じ一つのテーマの内包的、外延的の変化にすぎず、これを畳めば一本の扇子に縮まつてしまふのである。私は単なる文壇やジャーナリズムを対手として、女子小人の私憤を怒り戦つてゐるのではない。
 文学が理性に自律し、ヒューマニチイが尊権され、インテリジェンスの指導性が原則してゐる文壇では、その最も純粋にして高邁なエスプリを掲げる文学、即ち詩が一切の者の上に、高く権利して仰がれるのは当然である。故に西洋の文学史や、文藝年鑑では、開巻第一頁に先づ詩を編して詩人を論じ、次にエッセイスト、戯曲家、小説家の順に及ぼすのである。即ち外国では、詩と詩人が文壇の山頂的高所に権威し、次に次第に峠を降つて、小説がその最低の山麓に居るわけである。つまりこのプログラムは、より藝術的に気品が高く、インテリ牲の純のものほど高所に居て、より藝術的に雑駁のもの、より俗衆に近い大衆文学的のものほど、文壇的に地位低く見られてるわけである。
 然るにもし文学が、そのインテリジェンスを失ひ、指導性の精神を無くするならば、このプログラムの順位は忽ち逆に転換する。即ち娯楽本位の大衆文学や、卑俗主義の通俗小説やが第一位に来て、詩やエッセイやは文壇の最下位に追ひ込められる。そして現代日本の文壇が、殆んどかうした逆転換をしてゐるのである。しかも尚彼等は、その文壇小説を以て大衆小説の上位に置き、この一つの点だけでは、藝術の気品や純粋牲を主張してゐる。けだし彼等のいはゆる文壇小説 ― 大衆小説に対して、彼等はそれを藝術小説と称してゐる。 ― は、江戸文学者の矜持した名人気質を伝承して、藝の「コク」や「渋味」やを重要視し、その点での藝術的気品と純粋性とを、自ら高く自尊してゐるからである。しかもそのインテリジェンスを欠き、真の藝術的高邁牲を持たないことでは、却つてむしろ大衆文学以下であり、かの職人的名人藝を以て矜持したところの、江戸戯作者の黄表紙的町人文学と精神の卑俗さに於て選ぶところはない。
 かかる文学が横行し、文壇を我が物顔に独占してゐる限り、およそ詩はこの国に緑のない存在である。日本に於ける詩の歴史は、厳重に言つて、元禄の芭蕉、天明の蕪村までで中絶された。爾後の全く詩精神を失つた江戸末期には、もはや真の詩といふ文学がなく、擬似韻文の地口、雑俳、川柳、狂句のやうなものばかりが流行した。そして現代日本の文壇が、かうした江戸末期の伝承である以上、今日の文壇に詩が有り得ない ― と言ふよりも、文壇が詩を入れ得ない ― のは当然である。
 だがこの「当然」は、単に当然として好いものだらうか。今やこの国の文学は、その町人的奴隷主義を脱却して、正に市民権を掴得すべく、一大デモンスーレーションを敢行せねばならないのだ。そして今日の「町人の文学」が、明日の「市民の文学」に変つた時、始めて詩と詩人とが、この国に生活し得る権利を得るのだ。今日現在の事実として、日本の詩は甚だつまらないものにすぎない。それは瘠地に生えたうらなりの胡瓜であり、藝術としての形態さへも充分に具へて居ない。そして日本の詩人等は、概して皆教養の程度が低く、到底外国の詩人と同列に評し得るやうな存在ではない。正直に言つて日本の詩と詩人とは、平均点に於て文壇の下層位にあるかも知れないのである。自分はこの事実を肯定する。だがそれによつて卑下する代りに、逆に自ら昂然として、我等をこの瘠地に種蒔き、栄養不良のものに強ひたところの、日本の文壇と文化に対し、あへてその不義の罪過を鳴らして迫まるのである。
 「話及び詩人といふ観念は、今日に於て一つの抽象観念にならうとしてゐる。それの実在性が稀薄であるほど、イデアが強く熱情される。」と、最近私が或る雑誌(改造十一月号)に、アフォリズムの形式で書いた言葉は、要するに前言を簡約して、日本に於ける詩の発育不全を嘆いたのである。たとへ今の日本に於て、完全の意味で詩と言はれ得る文学、真正の意味で詩人と呼ばれ得る文学者が、現実的に一もないとしたところで、尚且つ「詩」といふ観念だけは、日本の文壇にイデアとして、あらゆる文学と文学者のモラルとして、熱意的に強く思慕されねばならないのである。なぜならその一つの抽象観念こそ、インテリジェンスを本質する文化に於ては、文藝の最も純粋で、最も高貴なエスプリを表象する規範だから。詩を軽蔑するところの文壇は、それ自ら下に低落して卑俗化する文壇であり、詩を尊重するところの文壇は、それ自ら上に高翔して貴族化する文壇である。そして此所に貴族化するといふことは、ヒューマニチイの当為を良心に掲げるといふことである。 
 しかしながら詩といふ文学は、元来文化の熟爛した絶頂に咲く花である。例へば支那では唐時代、西洋では古代ギリシャと近代の仏蘭西にのみそれが満開した。文化の未熟な過渡期時代には、むしろ常に小説等の散文の方が栄えるのである。なぜならかうした時代には、文学が必然的に政治や社会状態と交渉して、その純粋の意味の「藝術牲」を形態的に完成し得ない状態にあるからである。そこで例へば、最近の支那に於ても、スペインに於ても、また帝政末期の十九世紀露西亜に於ても、常に文筆の主潮が小説によつて代表され、詩と詩人は殆んど事実上に存在せず、貧窮極まる隠花植物として蔭に咲いてた。今日の日本に詩と詩人がなく、小説がひとり文学を独占してゐるのは、この点から観察してむしろ当然の現象でもある。
 しかしながら、かうした文筆の環境する時代的現象と、文寧のゾルレンすべき当為性とを、無知に混同してはならないのである。帝政末期の露西亜は、幾多の世界的大小説家を輩出しながら、プーシキン以来、殆んど一人の詩人らしい詩人さへも生まなかつた。にもかかはらず彼等の文壇では、詩といふ観念が常に小説の上位に於て、高く尊貴に仰がれて居た。「現代の露西亜に於ては、文学の最も卑俗な形式、即ち小説によつて詩精神が書かれてゐる。それは我等の文化に於ける嘆きであるごとメレヂコフスキイが言つてる如く、彼等の文学者が求めたものは、実は小説でなくして詩(詩精神)であつたのである。
 所で僕の問ひたいのは、日本の一般文壇人が、かうした高邁な文学イデアを持つてゐるか否かと言ふこと。小説以外に文筆する道がないほど、文化的に蒙昧な過渡期の日本に対して、自らその嘆きを嘆いてゐるか否かといふ一事である。おそらく、彼等は、そんなモラルの一片さへも持たないのだらう。それ故にこそ彼等は、自らその職人文学の小説を以て自足して居り、詩と詩精神を軽蔑してゐるのである。要するに僕は、今日の日本に於て「詩藝術」の有無を問ふのでなく、「詩精神」の有無を問ふのである。詩といふ言葉を、もし詩藝術 ― 文学の部門的なジャンルとしての詩藝術 ― と解するならば、明白に言つて、今日の日本は未だそれの生れ得ない文化発生以前の状態にある。今日僕等の作つてる憐れに貧しいウドンゲの花を、諸君が嘲笑の目を以て迎へるのは妥当である。だがその故を以て、僕等の仕事を軽蔑し、詩精神そのものを汚辱する故に、あへて憤りを以て諸君に公開状を書くのである。重ねて言ふ。詩及び詩人といふ言葉は、今日の日本に於て一の「抽象観念」にすぎない。そしてまたそれ故に、これが日本文学に於ける今日の当為性 ― ゾルレンの命題 ― となつてるのである。