彼等は何故に日本的なものを嫌ふか
大森義太郎氏の所論をよみて
1
自我とは何だらうか。手でもなく、足でもなく、頭でもなく、意識の夫々の部分でもない。自分を抽象的に分析すれば、結局自我といふものは無くなつてしまふ。だがそれにもかかはらず、自我が実在するといふこと(我有り)といふことほど、デカルトと共に確信できる事実はない。
頃日大森義太郎氏は、日本的なるものの本体を分析して、結局日本的なるものは何処にもないといふ結論を発表した。自我の本体を分析すれば、結局自我が無くなると同じやうに日本的なるものを大森式に分析すれば、結局それが虚妄の観念になるのは当然である。単に日本的なるものばかりではない。独逸的なるものも、露西亜的なるものも、仏蘭西的なるものも、すべてこの仕方で分析すれば、虚妄の観念になつてしまふ。例へば独逸的なるものの特色は、勇気、剛健、勤勉、規律、理念的、観念的、ロマンチシズム的だと言はれて居るが、この同じ民族気質は、アイルランド人にも共通するし、日本人にも共通するし、古代のローマ人にも共通してゐる。だがそれにもかかはらず、独逸的なる民族性がユニイクに実在するといふ事実は、どんな詭弁を以てしても否定しがたい。
大森氏の議論の重要点は、日本人の民族性を構成してゐる文化が、すべて支那、印度、西洋からの借り物であり、真のオリヂナルのものが無いといふ点であるが、今日西洋諸国の民族性や文化だつて、ローマ帝国の崩壊後に於ける、あの洪水のやうな人種移動の大汎濫後に生れたもので、彼等の文化の中には、諸民族の混血した色々雑多のものが含まれてるのだ。この点むしろ日本の文化や民族性の方が、はるかにずつと純粋である。原始日本の建国が、天孫人種や出雲人種を始めとして、種々雑多の人種の混血から出来てることは、今日ではだれも常識的に知つてることだが、その後に外国からの民族的侵略を受けなかつた為、二千余年の長い時日を経て、此等の混血が全く完全に浄化され、世界に類なく独自的で純粋な民族と文化とを血統したのだ。血族的にも文化的にも、日本的なるものほど純粋でユニイクなものは世界にない筈である。
日本の文化が、支那、印度等の影響をうけ、むしろ或る時代には、それの模倣から成長したことは確かである。しかし人種の混血の場合と同じく、日本人はそれを完全に自家に統一し、ユニイクに浄化してしまつたのである。だから大森氏のやうにして、個々の物を部分的に分析し、これを抽象上に解剖すれは、日本人の血には蒙古人も、満洲人も有るだらうし、すべての日本的なる文物には、支那、朝鮮、印度等が要素してゐることは勿論である。だが部分は全体の属性でなく、個々の細胞を集めたものが自我ではない.日本の三味線音楽の構成やメロヂイを分析すれば、印度音楽や、支那音楽や、南洋渡来の楽器奏法やの、種々なる外国的なるものの部分に分散して、結局日本音楽的なるものの実体は虚無になつてしまふのである。しかも日本音楽的なるものの特色は、決してその如何なる部分にもなく、統一としての全体性にあるのである。大森氏はこの全体性を名づけて「共通性」と呼び、日本の文化歴史を縦断的に観察して、結局それが「空なる形式」にすぎないと言つて迷妄視してゐる。空なる形式とは何んだらうか。自我の本体を抽象上に分析すれば、自我もまた「空なる形式」にすぎなくなる。昔ギリシアのエレア派の哲学者等は、運動といふ事実を抽象上に分析し、それが個々の点に於ける不動の連続であつて、部分的には運動といふ事実がないのであるから、全体としても実在する筈がなく、所詮運動といふ事実は虚妄であり、観念上には空なる形式にすぎないと言つた。かうした意味に於ける「空なる形式」とは、論理上に証明し得ない具体的の実在――直観には解つて居ても、概念上には分析抽象のできないもの――を言ふのである。だが運動といふ事実が論証できないからと言つて、運動といふ事実を否定することは出来ない。もしそれをあへてする人が居れば詭弁家である。
日本的なるものが確かに有るといふこと。外国的なるものと対立して、我等の文化や民族性やに、何かのユニイクなものが特色してゐるといふことは、いやしくも日本人である限り、だれでも本能的、直観的に解りきつてる筈である。大森氏のやうな人と雖も、勿論それは自ら解りきつてることにちがひないのだ。しかし筆者である所の氏の良心が、かかる意識上にぼんやりしたもの、抽象上に正体の捉へ得ないものを、そのまま素朴的に実在として許しがたく、懐疑の追及を迫られたことに、おそらく氏の論文の良心的な根拠があつたと思ふ。そして然らば、僕等も全く氏と同感であり、大森氏の懐疑するところは、同じく僕等の懐疑する所のものを、適切に代弁してくれたことになるのである。だがそれにもかかはらず、大森氏の所説が僕等に一種の反感的不満を感じさせるのは、おそらく他にまた別の原因があるからである。
2
プリポイの「対馬」を読むと、帝政末期に於ける露西亜の智識階級者が、いかに自国政府の失敗や敗戦やを、意地悪く嘲笑しながら批判して居たかがよくわかる。ブリポイの書中では、乗組の青年士官や水兵等やが、事々に上官の無能をあざ笑ひ、自国艦隊のヘマを愚弄し、日本人の勇敢さや、日本艦隊の機敏さを比較して、事々に自国海軍の臆病やだらしなさをコキ下し、日本海海戦に於ける自分等の敗戦を、ざまア見ろと言はぬばかりに、さも人事のやうにして痛快がつてゐる。
今日、日本の赤化した共産主義者は、かうした革命前に於ける露西亜インテリの敗戦主義を、そのまま自家に直訳して信奉してゐる。しかし今日の日本の事情は、帝政末期の露西亜とは同じでない。一般日本の民衆は、政府に対してそれほど情意的な復讐心を抱いてゐないし、政府の方の側からも、民衆に対して、それはど深い怨みを買ふほどの圧政暴逆をしてないのである。むしろ日本では、明治以来政府が進歩的な思想をもつて、封建的因循な民衆を指導啓発して来たのであつた。日本で敗戦主義を称へたところで、兵士も一般民衆も決してそれに雷同することはないと思ふ。
大森氏が「日本的なもの」を否定する根拠には、おそらくこの露西亜直訳的の敗戦主義、即ち自国のものを愚弄し、軽蔑し、憎悪し、ざまア見ろといふ復讐的な意識があるのではないかと思ふ。果してもしさうだとすれば、此所に自分は、大森氏の認識不足を指摘しなければならないのである。なぜなら帝政末期の革命前に於てさへも、霹西並の進歩的な青年や文学者等は、決して「露西亜的なるもの」を否定したり、反感したりして居なかつたからである。反対に彼等は、その露西亜的なるものを殉情的にさへ愛してゐた。それは例へば彼等の文学や小説に於ていちばんよく現はれてゐる。「我々露西亜人」「ああ露頭亜!露西亜!」「愛する我等の祖国、美しい露西亜!」「なつかしい露西亜!」等の言葉は、彼等の小説のあらゆる頁に現はれてくる。そしてそこでは、「露西亜」といふ言葉を発音すること自身が、すべての人々に、詩のやうな陶酔と興奮をあたへてゐるやうにさへ思はれるのである。ドストイエフスキイのやうな祖国主義者は勿論のこと、ツルゲネフのやうな西欧心酔主義者でさへが、その作品「処女地」や「猟人日記」の中で、どんなに深く、露西亜の自然と民衆とへの愛を示してゐることだらう。詩人プーシキンは革命精神の父と言はれてゐるが、しかも同時に情熱的な祖国精神の鼓吹者であつた。
つまり言へば、露西亜のインテリや進歩主義者が憎んだのは、ツアの専制政治によつて非人道的、非文明的に圧制されたことの不義であつた。即ち彼等は、露西亜政府の悪帝国主義を憎んだのであつて、露西亜の祖国そのもの、露西亜の文化そのものを憎んだのではない。反対に彼等は、さうした「露西亜的なもの」に対して、詩的興奮に近い愛を感じてゐたのであつた。それ故にプリポイの対馬敗戦記は、自国の艦隊が全滅した後になつて、皆の兵士が「祖国萬歳」と悲痛な声で叫んで居るのだ。即ち彼等の敗戦主義は、非人道の圧制政府を倒す為に、政府の行動に対て向けられた批判であつて、露西亜人であるところの、自国の民衆や文化に対して向けられたものではないのだ。
大森氏を始めとして、日本の左翼系の作家の中には、この点を誤謬してゐる考があるやうに思はれる。肝心の認識は、真に「日本的なるもの」の実体と、ファッショ的国粋主義者等が言ふ「日本主義的なるもの」とを、判然区別して考へることである。今日「日本主義」といふ言葉は、概ね何かの成る目的の為に利用されてゐる。その目的が何であるかは此所に深く糺明する必要はない。ただよく解つてることは、それが我等の自由を束縛し、文化の発展を阻害し、学問の自由を拒み、封建的圧制に近い暴力の形式となつて、常に僕等の生活を脅かしてゐることである。僕等の時代の文学者とインテリゲンチユアとは、かかる「日本主義的なるもの」に対しで常に不満と反感の闘志をもつて対抗してゐる。しかも僕等は真の「日本的なるもの」に対して、何等非国民的反感を抱く理由を知らない。
元来國體的なる観念性は、常にその時代の為政家によつて、自家に都合の好いやうに解釈される。たとへば徳川時代に於ては、封建制の安定を計る幕府の目的からして、それが朱子学の儒教によつて解説された。即ち主君に対する絶対服従、孝を徳の基とする家族主義、身分を知ることの階級制度等が、日本のユニイクな國體であるとして教へられた。それによつて孟子の思想でさへが、比較的民主主義的であるといふ理由で、非日本的、非國體的であるとして擯斥された。つまり徳川時代にあつては、非朱子学的なるすべてのものが、非國體的のものとして観念された。今日尚浪花節や江戸芝居によつて大衆に迎へられてる仇敵討ちや、赤穂浪士の復讐談やが、日本人の民族性を表象する「国粋的のもの」として思惟されたのは、それが徳川幕府の封建制を支持するところの、儒教の精神を表象したからであり、政府がまたそれを國體精神の精華として、一般に広く宣伝したからであつた。
本居宣長等の国学者は、かうした幕府の御用思想に対して明らかに正面から反対した。本居宣長等のやつた仕事は、かかる御用哲学の日本主義と、真の本然の日本主義(真の日本的なるもの)とを、理性の批判に照して判然と区別することであつた。そして遂にこの宣長等の方法論が、王朝復古の明治維新となつたのだつた。最近この国の文壇と文学者とが、しきりに日本的なるものの本体を問題にし、その点からまた古典への研究熱が高まつてるのも、おそらくは日本の現状の或どこかに、改革すべきものがあるからであり、政府の御用哲学筋のイデーの中に、何かの虚偽や欺瞞やがあることを、漸く人々が気付いたからに外ならない。
3
さて此所まで論じて来た時、僕が大森氏等の論文に対して、何を本質的に不満してゐるかが解るだらう。大森氏の母国否定的な敗戦主義は、本居等とは勿論のこと、露西亜の敗戦主義者ともちがふのである。今日議事されてる「日本的なもの」への検討は、左翼系の人々が邪推してゐるやうに、決して必しも「西洋的なもの」に対する島国的な鎖国攘夷思想ではない。況んや大森氏が無理にコジツケてしまつたやうに、資本主義か共産主義かの問題でもない。この問題の向ふ実体性はもつとずつと現実的に、大衆や僕等の生活に触れてるところの、日本の国内的実際事情に存するのである。僕等は大衆と共に、長い間何人かにだまされて居たのである。そこで中島健蔵氏が怒るやうに、僕等は「愚にされた憤り」を、大衆と共に深く感じてゐる次第である。中河与一氏は大森氏に向つて、日本に生れて日本を呪ふとは、何たる罰当りの奴であらうかと痛罵してるが、すくなくとも大森氏を始めとして、その同類の日本的敗戦主義者は、無下に日本的なるものを否定し、日本的なるものに虚無的の軽蔑を抱く前に、今一度「日本主義的なるもの」を検討して、これを真の「日本的なもの」から、抽象批判することの必要があると思ふ。
日本の古典を学び、日本的なるものを知ることによつて、自然的に国粋主義者となり、ファッショ的になるといふのが、左翼人のそれを毛嫌ひして恐れる理由である。だが日本人が日本を愛し、祖国の民衆と文化を愛するやうになることは、露西亜人が露西亜を愛し、仏蘭西人が仏蘭西西を愛すると同じことで、全く自然的に正統のことではないか。しかも仏蘭西人も仏蘭西人も、それがためにファッショ化したといふ話を聞かない。独逸人がナチスによつて統制され、露西亜人が共産主義によつて新生したのは、それとは全く別の政治的、社会的の必然事情によつたのである。もし祖国の文化や民衆を愛するといふことによつて、国粋主義者といふ名前で呼ばれるなら、国粋主義者たることまた大に好いではないか。諸君がもしマルキストであつたとしても、何等矛盾することもないし、恥かしいこともない筈である。