虚無よりの建設



 僕は子供の時に油絵を見て、何よりも空の青い色を不思議に思つた。特にパノラマ館に入つた時は、あの油
絵具で描かれた空が、幻燈でみる透明画のやうに思はれてならなかつた。かうした詩的イメーヂの起つた理由
は、今考へて見ると充分に説明のつくことであつた。つまり油絵具で描く洋画の空は、実際の日本の空の写実
でなくつて、西洋の空の色を直訳的に模写したものなのだ。日本の空はいつも低く、湿気で曇暗にくもつてゐ
るので、洋画の油絵具のブリューやコバルトが出すやうな、明るく清澄に冴えた青色の空は日本にはないのだ。
僕等が子供の時に油絵を見て、空の色から不思議なエキゾチックを感じたことは、子供の正直な鑑賞眼が、そ
の絵の空に日本を見ないで、異国の見知らぬ空を見たからだつた。
 日本の実際の空の色は、浮世絵がいちばんよく写実的に描出してゐる。廣重などの絵に見る通り、日本の空
にはいつも薄い霞があり、水蒸気で色がどんより沈んで居る。油絵具を用ゐる限り、かうした日本の空の色は、
決して如実に描写することが出来ないだらう。それは日本の特殊な絵具、特に浮世絵の版画絵具でのみ描ける
のである。油絵で描いた日本の風景画など、皆ウソの藝術であると言へるのである。ただ非現実を措いてゐる
ことで、夢幻的なエキゾチックな感をあたへるだけが、油絵の悲しい特色であるかも知れないのだ。

10-02-056

かうした奇怪量賓は檜ばかりでなく、今日の過渡期時代を表徴するところの、すぺての是文他の中に現
存して居る0是人が日本の自然を描くために、塞慧の垂家たちは、長い間かかつて特殊の翼を簡明し、
特殊の描語手法を研究し緯けて爽たのである表枝にまた外国人は、外国の自警描くために研究して爽た
のであつた0それに西洋の油檜具や洋室の手誓そのまま用ゐて、是の現貸する風景や人物を描かうとする
のは、その表慧識の賃に無理のヂレンマが存するのだ0そし三のヂレンマは、今晶在する是の美術、
藁、毒、政治、杜曾、風俗、制度の表文仕に量適して共存して居る0例へば今日多くの日本人等は、
日本の璧纂に合はない洋服を着、風嘉候に合はない洋館の中に生汚して居る。そして是の政治と政治
家とは、今日××××××のヂレンマに面接し×××××の間彗鮮決のできない音感に障入つてる。
僕等の現代是文慧、同じく貴かうした過渡期的ヂレンマの中に漂つて居る表に就中僕等の作る
「詩」といふ文挙がさうであり、時代のあらゆる矛盾性と悩みの相とを、ひとりで背負ひ込んだ表象みたいな
ものである0それは多分に喜劇的でもあるし、同時にまた悲劇的でもあるところの、一つの奇妙な文寧的存在
に属して居る。
 堀口大草君の近著「季讐詩心」によれば、菓共和圃の新しい詩人たちは、自国の熱荷風物を少しも歌は
ず、温帯地方の季節に鹿する、秋や冬の詩ほかり書いてゐるといふことである。その理由ほ、新興国であるこ
の圃の帝人たちが、文化の規讐欧洲に求め、ピルレーヌやサマンなどの誓手本にして、詩彗にもそれを
直苧ることの結果だと言ふ0冬や秋の季節が無い苧圃の詩人たちが、秋冬の話を書いてゐるといふaは、
開くだけでも馬篤農しく滑稽である○しかもその滑稽を笑ふことは、同時にまた新興腎本の詩と詩人を実
 らことにもなるのである0なぜなら救々の詩人もまた、ブラジルの詩人と共に欧洲を規鞄に仰ぎ、新憶詩の出
現箕漁など、すべて西洋の詩と詩渡とに追批し、詩の内容でさへも、出来るだけ原物に近く横霹することを苦
心して来た。丁度その同じ苦心を、普の日本の漢詩人が、支那の詩を横荒することで姦して衆た0そこで彼等
の中の最も成功した詩人(小野笠など)は、時に支那人をさへ感服させる名詩を作つた。だが結局して、そん
な文学は無意味であり、猿芝居の名人季にしか過ぎないのだつた。
 日本の自然を描くためには、日本の檜臭が最も適してゐるやうに、日本人の抒情生活を歌ふためには、古来
の和歌俳句が最も適切してゐるのである。侍統のない所に奉術は生れ得ない0新鰭詩以来僕等の詩人がやつた
仕事は、畢にエキゾチックの舶来臭い刺戟によつて、時代の一時的な官能を揆つたこと以外に、あまり多くの
文化的意義が無かつたかも解らない。或は油檜兵で描いた杢の色のやうに、非現貴慮の故に夢幻を誘ひ、皮肉
の意味で詩的成功をしたのかも解らなかつた。

在朝のポノオ博士は、その講演(日本詩歌と外囲語)の中で、僕等の文筆に就いて次のやうな批判を琴へて
る。「明治以来の解放された新障詩にも多くの同情者があります0この形式は自由へ向つての努力、西欧へ向
っての突撃といふ、二つの大きな努力の表はれでありますが、私の見るところに由りますと、これは無銭砲な
努力であり、随分無秩序な突進であるやうに思はれます0偉大な詩人たちが、この形式の中に自己を見出さう
と努力して居ます。彼等はやがてそこに自己を見出すかも知れません0しかし今日迄のところ、彼等はまだそ
こに自己を見出しては居らないやうです。彼等が自己を見出さなかつた理由は、勢ひに酔うて突き進んだ彼等
が、千三百年も以前から、常に用ゐ硬けられて衆た在来の五句三十一昔といふやうな短かいストロフから、先
に例をあげた六句七十二者といふやうな長い旬(例出、堀口大挙作口語自由詩の一節)に、脚萌その他の標識
イOJ 無からの抗争

なしに、這とぴに移れるものでないといふことに、心付かなかつた雪あります0勿論りワシズムと、葦
と、人間味とは、新礁詩の中に束誓況して自由な纂を出したでせうが、しかし規則のない所に詩は存在し
ません。」云々。
「規則のない所に詩は存しません」といふ意味は、この誓「俸統のない所に詩は存し豊ん」といふに同じ
である0そして現代日本詩人の悩みが、賃にこの倦統のない歪の中から、何等かの詩拳術を摸索しょぅとす
ることにかかつて居る○かうした僕等詩人の理念は、↑度何も無い等に幻影を見て、突撃の槍を構へるドン
キホーテに似たやうなものである0それ故に「詩人」といふ諸ほ新雲人の昔からして、常に嘲笑的な意味を
帯びて椰攣れて来た0だがドンキホーテの禁さを笑ふものは、人間の最も厳粛な魂が宿命してゐる、悲劇
の意義について知らない所の俗物である0攻£新慣詩人は、まさしく表の喜劇人であつて、同時に悲劇人
として虞世して衆た0その喜劇人である理由は、僕等が季覚れの人種であり、是の風土環境に合はないと
ころの、ケタ外れの生活をしてゐるからであり、その悲劇人である理由も、また同じくそこにあつた。ドンキ
ホーテの武者修行は、風車と戦かつて肋骨宗られ、狂人病院に迭られることが終局だつた。僕等の詩人の武
者修行も、今日の散文詩時代に季節外れの甲宵を着、ケタ外れの槍を構へて人々に笑はれながら、所詮ほ虚妄
の敗北に終る外はないであらう0しかしこの漫期時代を一途に草文化の未警建設し与つとする葦の
理念は、義人ドンキホ与の俸記と共に、必ず後世の強い構紳に誓であらう。