歴史教育への一抗議
数年前の事である。京都の等持院へ見物に行き、女学生の修学旅行団と一所になつた。教師に率ゐられた娘たちが、足利氏十三代の木像の前に来た時、口々に喧々囂々としやべり始めた。
「これが尊氏よ。」
「こいつが義満だわ。」
「逆賊!」
「悪人!」
「こんな者。皆叩き壊してやると好いわ。」
「馬鹿ツ!」
「馬鹿ツ!」
そして口々に唾を吐きかける真似をした。僕は女学生諸君の烈々たる忠君精神に驚いたが、一方ではまた、こんな教育をして好いものかと言ふことに疑問を抱いた。引率の教師はおそらく後でこんな訓話を生徒たちにするのであらう。「皆さんもこの尊氏等のやうに、死して悪名を千古に残し、死後にも人から辱められるやうなことをしてはなりません。」しかし僕は考へるのである。悪名を千古に残したのは尊氏でなく、今日の学校教育の方針が、無理にそれを残させたのであると。なぜなら尊氏その人は、決してしかく腹黒の悪人ではなく、また真の憎むべき大叛逆人でもなかつたからだ。直木三十五氏は、尊氏を評して「成功した西郷隆盛」だと言つた。維新の元勲であつた西郷隆盛が、後に謀叛を起して朝敵となつたのは、彼自身の意志によつたのではなく、失職した不平士族や郷党にかつぎあげられ、半ばそれの犠牲的傀儡となつたのである。足利尊氏の場合が、これと全く事情を等しくして居る。尊氏がもし立たなかつたら、当時の失職した武士階級者は、必ず他の首領を見付けて乱を起したにちがひないのだ。
学校教育に於て、何よりも子供に致へなければならないことは、すべての日本人が生れ乍ら忠君思想に深いこと。日本に於ては、決して支那西洋に於ける如き、真の謀叛人や逆賊が居なかつたと言ふことである。この点の教育資料として、尊氏は最も好い題目を提供する。なぜなら足利尊氏は、西郷隆盛と同じく、最後までその朝敵となる運命を悲しんで居たからである。義貞の軍が錦旗をひるがへして改めて来た時、彼は剃髪しようとして臣下にさへぎられた。かつて後醍醐天皇から受けた御寵恩は、尊氏の心に銘じて生涯忘れないところであつた。彼が北朝を擁立した後に於て、吉野朝廷の如きは全く武力なき一片の葦にすぎなかつた。北朝の大軍隊を以て迫れば、これをただ一夕にして亡ぼすことが出来るのである。これがもし北條義時や北條高時だつたら、即座に遠島に流し奉つたにちがひないのだ。しかも尊氏があへて北條氏の轍を踏まず、北朝と竝んで南朝を竝立せたのは、心に深く皇室を崇敬し、畏れかしこんで居たからである。そのため彼は子孫三代の長きに渡つて、南北両朝間に反転の紛議を残し、容易に天下を統一することができなかつた。
後醍醐天皇が崩去された時、尊氏は声をあげて慟哭し、大寺院を建立して盛大な法事を営み、天皇の御冥福を祈り奉つた。当時大義名分の観念が殆んどなく、武士が朝廷を重んじない時代に於て、これが人心収攬の政略でなく、尊氏の赤心であつたことは明らかである。しかも尚尊氏は、自己の背恩の罪を深く悲しみ、夢窓国師に懺悔して日夜説教を聞いたと言はれる。仇敵楠正成が死んだ時さへ、暗涙を浮べて悲嘆したと言はれる彼である。旧恩厚き天皇の崩去に際して、如何に耐へがたく悲しみ傷んだかは察するにあまりある。だがそれ位なら、始めからなぜ謀叛などしたのだといふ疑問が起るが、西郷隆盛の場合と同じく、そこには時代の避けがたい潮流があつたのである。彼は心に涙を流しながら、手に弓矢を取つて敵に向つた。尊氏の一生は、日本歴史に於ける最も深酷な悲劇であつた。そして歴史教育の先生等は、そこを最もよく生徒に教へなければならないのだ。即ち言へば、日本に決して謀叛人や逆賊が居ないと言ふこと。すべての反乱は他の事情であり、そしてすべての日本人等は、生れながらの忠君主義者で、嬰児の如く天皇をしたひ奉つてることを教へるのである。
これは足利尊氏についでばかり言ふのではない。他のすべての歴史についても同様である。例へば平将門は、今日の歴史教科書に於て、天位を略奪しようと欲した逆賊のやうに教へられてる。しかも実際のことは、地方豪士の勢力争ひであり、親戚同士の血族争闘史にすぎないのである。将門によつて領地を奪はれた一地主が、朝廷に上告して救ひを求めたことから、単に官軍に抵抗して、賊名を受けたにすぎないのである。官軍に抵抗したことは悪であり、たしかに謀叛にちがひないが、これを草双紙的に誇張して、天位を覬覦する逆賊などと教へるのは、果して善い教育法であるだらうか。
二元を善玉と悪玉との二種に別ち、或は仁義忠孝奸佞邪悪などの種族に定義し、すべてのモラルを八犬伝式公式に分類して、両極の誇張した対立を示すことから、修身道教の手段とするのは、徳川氏が支那の儒教から輸入した教育だつた。支那の二十四孝や忠臣伝には、自分の腹を裂いて主君の赤児を内臓に入れ、敵の手から救つたりするやうな、怪奇的にまで義烈な忠臣孝子が現はれてくる。そしてこの一方には、鬼畜よりもひどい人非人や悪逆人やが出て来るのである。しかし今日の社会に於て、こんな支那式儒教道徳は無意味である。歴史は人間性の自然理に立脚して、事実を正直に語れば好いのだ。楠正成が忠臣であることはまちがひない。しかしその善玉を立てるために、足利尊氏を中傷して、無理に悪玉にする必要はない。かうした日本の歴史教育は、精神に於て正に徳川時代の古い遺風を伝統してゐる。現代の日本文化の中に残留してゐる、この儒教主義的のもの、徳川時代的のものを洗腸し尽さない限りに於て、世紀の新しい更生は望めないのだ。
僕が小中学の課程を通じて、歴史の教師から教はつた一つのことは、開国以来、未だかつて一度も、外国との戦争に於て日本が負けなかつたといふ歴史であつた。教師は、それを日本の光輝ある誇だと言つた。然るにその後、高等学校で歴史を教はり、日本がしばしば敗戦して居るのを知つて驚いた。支那との戦ひでも、朝鮮との戦ひでも、上古以来幾度も日本が負けてるのだ。特に海軍の方は、上古から秀吉の朝鮮征伐に至るまで、常に連戦連敗の連続史である。日本の海軍が、始めて外国との戦争で勝つたのは、おそらく明治二十七年の日清戦争が最初だらう。
すべてこんな事実は、大学や高等学校で公然と教へるのである。小学校と中学校だけで、それを隠して嘘の歴史を教へたところで、後ではすぐにばれてしまふ。そしてそれがばれた方では、前に教はつたすべての歴史を、根本的に懐疑するやうになるのである。こんな教育法が、果して国民教育上に善いだらうか。かつての帝政露西亜では、国民の一部だけを学校に入れて教育し、多数の一般民衆を無智のままとし、彼等の真理を知ることを深く恐れた。露西亜の兵士は、その無智のために勇敢だつた。しかも彼等の軍隊は、世界のどの列強よりも劣等だつた。
およそその根拠に、正しい哲学的批判を持たない歴史教育ほど、無意味で退屈のものはないのだ。歴史は「事実」を教へるのでなく、事実の「意味」を教へるところに、学問教育として意義があるのだ。僕の学校時代に於て、歴史ほど退屈で興味がなく、イヤで大嫌な学課はなかつた。なぜなら学校の歴史と言ふのは、事件の起つた年代や年号、事件に関する人間の名前、及びその場所、地位、系図等のものを、無意味に暗記することの勉強にしかすぎなかつたから。藤原道長といふ人名が出る毎に、僕はすぐにその生存年号、神武紀元、藤原氏系図等々を表象した。そしてしかも、道長がどんな人であつたか、どんな政治をし、どんな性格で、どんな文化事業をしたかといふやうなことは、殆んど一向に知らなかつた。これほど没興味で煩はしい学課はなかつた。
歴史は暗記力の養成ではない、民族の血に流れてる本質の生命力。民族の所有する政治的、文化的の創造力。過去に於ける民族の事業。及び将来に於けるその使命等を正しく教へて、国民の民族的自覚を基本づける学問である。歴史を教育されない国民に、真の愛国心や民族自覚のある筈がない。しかも日本の教育者は、歴史を他の諸学課の下位に置いて、極めて軽く見てゐるのである。単にそればかりではない。真実を隠して嘘を教へようとさへするのである。増鏡も大鏡も、学生の読書課目から禁じられた。そして能楽船弁慶は、ある史実を語ることによつて一部を止められ、源氏物語の上演さへも、同じ史実の理由によつて禁止された。真実の歴史を隠して、一体何を国民に教へようとするのであるか。今日我が国の教養ある青年や学生やが、概して皆愛国心に欠乏し、民族自覚に無関心であるばかりでなく、ややもすれば非国民的危険思想に感染される恐れがあるのは、全く学校に於ける歴史教育の罪である。歴史が正しい民族の歴史を語り、自国文化への正しい批判を教へないのに、如何にしで青年の愛国心を呼び得ようか。
かつてナポレオン戦争の時、敵の砲火に囲まれた伯林の一校堂で、哲人フイヒテがした一場の大演説ほど、独逸人を強く感動させ、愛国心を燃え立たしたものはなかつた。その演説の内容は、過去の歴史の歴史を遡つて、すべての独逸文化を批判し、独逸人の藝術的、科学的、及びすべての文化的世界使命を述べたのである。今日の日本の青年やインテリでも、かうした歴史批判を根拠とする演説には、おそらく強い民族意識を呼び起すにちがひないのだ。然るに政府はそれをしないで、国民教育の根本指導を、もつぱら実利的現実の富国強兵主義に置いてるのだ。歴史も修身も、すべての学校教育の教へることは、物の原理的探究でも批判でもない。そしてただ現実の社会に於て、日本を金持ちにせよといふこと。日本の軍隊を強くせよといふこと。そして国民各自に、処世上での世渡りを上手にし、如才なく金を儲け、成功のツルを早く掴んで、その上に身体を強壮にせよといふを教へるのである。なぜなら各人が金持ちになり、事業に成功し、身体が丈夫になるといふことは、とりも直さず日本の国利民福の増長であり、富国強兵の実をあげることになるわけだから。そして此所にも、実利主義の儒教精神(利用厚生)が伝統的に根を持つてるのだ。
今日の学校でする歴史教育は、つまりこの政府の方針する基本モツトオを、忠実に演繹したものに外ならない。だから国利民福や富国強兵に有害であり、もしくは無用である部分は、義務教育から除いてしまはうと言ふのである。これは正に実利主義の教育である。だが実利主義は、国民の民族意識や真正の愛国心やを、決して精神的に教育することができないのである。今日の青年等は、何事にまれ、それの理由と原理とを知らずして、物を愛することができないのである。本質に哲学的批判を持たない所の教育から、強制的に歴史を教へ、盲目的に祖国への殉愛を強ひる如きは、今の青年に対して無意味であらう。