叙事詩と抒情詩




 「詩」といふ言葉を、「韻文」と同義字に辞する限り、詩には無数の種類があるわけである。なぜならどんな
内容の文学−物語でも、小説でも、随筆でも、感想でも、論文でも−詩学の方則する韻律形態で書く以上、
それは「散文」でなくして、「詩」であるから。そこで昔は、実際に詩の種類が無数にあつた。古代ギリシャ
時代には、叙事詩、抒情詩、諷刺詩、寓意詩、警句詩、劇詩など、およそ文学の内容する種目だけ、それだけ
多種多様の詩が存在した。しかし「詩」といふ言葉を、界なる文学の形態でなく、文筆の本質する内容から判
定する時、此等多種多様の韻文学は消滅して、ただ一つの純粋の詩即ち「抒情詩」しか残らなくなる。この一
つの良識を、欧州近代詩壇に教へた最初の人は、実にエドガ・アラン・ポオであつた。西洋の詩人たちは、ポ
オによつて始めて 「韻文」と「ポエヂイ」との区別を知り、純正の意味で言はれる詩文学が、何を意味するか
を知つたのである。(日本の詩人だけは、あへてポオの啓示を待つ迄もなく、上古の発生以来この良識を所有し
てゐた。記紀の歌の出発からして、日本の詩は抒情諸を以て一貫し、抒情詩以外のどんな詩文学も認めなかつ
た。その原因と理由は、前に私が他の論文<純粋詩としての和歌>で詳説した通りである。章尾、註、参照)


 そこで近代、特に十九世紀以後に於て、詩と呼ばれる文筆の一般ジャンルは、それ自ら抒情詩を意味するや
うになつて来た。稀れなる例外を除いて言へば、今日の詩壇で「詩」といふ言葉は、それ自ら「抒情詩」を指
し、両者がシノニムにさへなつてゐるのである。故にまた「抒情詩」といふ言葉が、今日に於ては対語的の語
義を失ひ、無意味な空語になつてしまつて居る。つまり単に「詩」といへば、それだけで既に充分であり、殊
更ら抒情詩などといふ断り書を、看板に出す必要がないのである。
 しかし抒情詩といふ言葉も、これをさらによく検討すれば、多くの曖昧な要素を含んだ言葉である。そもそ
も抒情詩とは何だらうか。一般の常識によれば、抒情詩とは、主観の意志や感情が心象するところのものを、
物語的描写の記述によらずして、直接のイマヂネーションとして表出する文学を意味してゐる。故にもし、詩
文学といふ広汎の科学体系中で、叙事詩を歴史学とし、寓意詩を哲学とし、諷刺詩を政治学とし、劇詩を社会
学とすれば、抒情詩は正に心理学の教室部門に当るのである。そしてこの心理学を、極度に抽象して純粋化し
たものが、マラルメ等による近代の象徴派であり、ヴアレリイ等による超現実派などの詩である。
 しかし抒情詩(リリック)といふ言葉を、単にかうした「心理詩」として解するのは、いくぶん本来の語義から遊離して
ゐる。なぜなら抒情詩といふ言葉は、本来叙事詩に対する語義を本質してゐるからである。前に言ふ通り、上
古は詩の種目が無数にあつた。しかし真に詩文学を代表して、その二大分野を劃すべき範疇の詩は、実に「叙
事詩」と「抒情詩」の二つしかない。エピックとリリックとは、単に詩形態の上での対語でなくして、詩精神
の特色上でも、対語としての意味を持つてるのである。

 叙事詩といふ言葉を、文字上の外見から解する限り、それは物語詩と同様であり、単に事件を記録的に書い
た韻文に外ならない。しかしもしそれだつたら、1古の女詩人サツホオや、文奉復興期の抒情詩人ベトラルカ
やポツカチオの詩文革も、ホーマアと同じく叙事詩の名で呼ばれなければならない筈だ。なぜなら此等の人々
の詩は、草書上に於て一つの績愛物語詩であり、事件を小説的に記述したものであるから。しかもサツホオは
抒情詩の元組と呼ばれ、ぺ土フルカヤボツカチオは、近世に於ける抒情詩人の代表的妄匠と言はれてる。敷革
詩と物語話とは、決して必しも同じ名の文学ではないのである。
 叙事詩の眞楕紳は、ホーマアによつて典型的に代表されてる0ホーマアが歌つたものは、古代に於ける英雄
 エ▲ピ ッ ク
の侍記であり、大冒険者の記録であつた0そのモチーグする詩棉紳は、すぺての悲壮的なもの、戦闘的のもの、
ヒロイツタなものにょつ†二質されてる0そこで即ちエビカルハ叙事詩的)といふ言葉は、強い意志によつて
反燈するところの、男性的な逗ましい諸精神を意味するのである。之れに対してリリカルハ抒情詩的)と言は
れる言葉は、すべての涙ぐましい、感傷的なる、優美な女性的の詩棺紳を意味しでゐる。女詩人サツホオを始
めとして、ぺ土フルカやポツカチオ等の懸愛詩人が、その橙愛詩の故に「抒情詩人」と呼ばれるのはこの故で
 ある。
 昔の東那人は、宇宙の原理を陰陽の二元に相封させて考へた0そしてこの思想は、今日に放ても→根的に普
当那郎桝割那削り卜→針針削が詩碑紳
〕「ト1.kヒ
渕弧温
和される。そしてこの前者がエビツタであり、後者がリリックであるとすれば、今日虻代の詩壇1抒情詩以
外の覇文筆が磨滅されてる現代−に於てさへも、侍且つ本質上での叙事詩と抒情詩とは、事質上に対立して
賓在してゐる箸である。


 最近の詩壇に於て、叙事詩や諷刺詩やを復活させよと説く人がある。もしこの主張が、文字通りの古風な希
聴的領文拳を指すのだつたら、今日現代の日本に於て殆んど意味のない主張である。西洋でさへも、故事詩の
歴史は、ゲーテのフアウストやシルレルの群盗で殆んど終り、現代では抒情詩だけが唯一の詩である8況んや
覇律形態の不備な日本語、特に口語の自由詩などで、クラシックな叙事詩を書くなんてことは、言語観念の上
だけでも矛盾した妄想である。現代の詩人にして、もし叙事詩を書かうと欲するならば、必然にそれは散文
(詩的楕紳をもつた小説など)として、新しき時代の詩形厳に表現さるべき筈である0ゲエアやシルレルのや
ぅな詩人でさへが、もし現代の日本に生きて居たら、彼等のフアウストや群盗やを、必ず散文の小説で書いた
にちがひないのだ。〔最近芥川賞に入選したコシヤマイン記なども、現代の意味で言はれる叙事詩である0あ
れをもし七五調なんかの敢文で書いたら、とても退屈で讃めはしない。)
 現代には抒情詩があるばかりだ。といふょりも、抒情詩以外の韻文寧は、今日に於て存在し得ない理由があ
るのだ。しかし前に言ふ通り、ひとしく抒情詩といふ中にも、これをモチーヴの内容から観察する時、そこに
また「英雄詩的なもの」「諷刺詩的なもの」「勉景詩的なもの」「感傷詩的なもの」等の笹別があり、この鮎か
ら分類して、大撃左をエビカル・リリック(英雄詩的抒情詳)と、リリカル・リリック(橙愛詩的抒情詩)
とに範疇し得る。例を近代の詩にとれば、二イチエの悲壮な思想詩や、ハイネの祀骨董義詩などほ前者に度し、
イJ9 無からの抗争

ゴルレーヌの哀傷詩や、ハイネの橙愛詩などほ後者に属する。
是の詩壇は、自然主義以後の文壇に於て、その賓彗義的意レアリズムの影誓うけた結果、諸楕慧純
粋さを失つて甚だしく散文化した0自然主義はすぺての詩精神を排斥したが、特に就中りリシズムを排斥した。
すぺてのリリカルのもの、警詩的のものは、自然主義にょつて汚慧され、毒の芥籍に投げ込まれた。官
時のかうした文拳芸に育つた詩壇は、りワシズムの軽蔑からして、自然にエビカルの英雄的争闘詩へ流れて
行つた0そこで自然主義以後に育つた詩は、人造汲、民衆汲、プロレタリア等の自由彗あり、何れ是合
意識や政治意警イデーしてゐるところの、戦綱的、英雄的、男性的のエビカル抒情詩であつた。まれに眞の
リリカル抒情詩を書いてる作家は、富時の詩壇から最も無理騨に誹誘された。
だがこの誹諺は、今日の批判に於て、誹雪白身の側にその讐罪を判決孟る。なぜなら彼等の自由詩、
特に民衆渡やプロレタリア漁の詩は、その本質の黍術慧に於て、詩毒の生命たるぺき「英霊そのもの」
を快いて居たからである表はどんな傾向の詩でも、本質に於て実意誓根擾とする文畢である。例へば杜含
羞詩人としてのハイネと、橡愛詩人としてのハイネは、二つの別な纂の詩人ハエピックの詩人とリリック
の詩人)であり、その作品豊た大に風貌を異にして居た0しか豊の票の警を通じて、ハイネの詩の本
質に流れてゐるものは、;の強い純粋の拳衝意識1実の創彗の熱情1であり、そしてこの実意攣の
ものが、言葉の誓い藁となり、或は勇ましい唱歌となつて、萱Hを実の胱惚たる蜃術的陶酔に導くのであ
る0そしでこの同じことは、パイロンについても、杜偶についでも、或は明治の書き新髄詩人であつたところ
の輿謝野鍵幹(彼は英雄詩人芸づて緻愛詩人を慧、叙事詩人であつて抒情詩人を雲た。)についても言
はれるの言る○                 ≠巨巨レl【l邑
 もペての竣接ローマに洩暴す罫ての藷の本質は美意識に重く。すぺでの男性的のエビカルの夢と、すネ七ヨ一点
の女性的のリリカルの詩とは、結局言つて一つの同質の物の攣化にすぎない。パイロンが剣を抜いて叫ぶ悲憤
憶慨の英雄詩をよみ、心気の高翔を感ずるところの讃者は、山方でその同じパイロンが作る哀傷無限の轡愛詩
を諭し、同じやうな陶酔と心気の高翔を感ずるのである。そしてこのすぺてに共通の一つのもの1それが詩
の賓鰹である − を、帥ち「美」もしくは「美意識」と構するのである。
 然るに自然主義時代の自由詩は、この美意識を忘却して居たのである。彼等の杜曾詩や政治詩やほ、蛮術を
美意識の外に失喪させて、粗雑な観念的働情からして、畢に野獣のやうに鳴親し、素朴な非番術的の狂暴佐か
ら、いたづらにバケツを叩いて演説したり、観念露出のデモクヲシイを叫んだりして、実の譜著すぺき詩垂衝
を、不快な雑音的の似而非文学にしてしまつた。美意識を持たない詩は、パン種のないパンと同じく、本来
「詩」といふぺき物ではない。即ちかかる文筆は、讃者に何の快美なる畢術的陶酔をもあたへないし、何の高
邁なる心気の高翔感もあたへない。単にそれは、不快な荒々しい、雑音的な苛立しさを感じさせるばかりであ
る。エビツタにまれ、リリックにまれ、杜合詩にまれ、政治詩にまれ、美意識を持たない物は詩ではない。そ
してこの一つの常識が過去に忘られて居たのである。
 美意識の本質は何だらうか。「英雄と詩人」の著者保田輿重郎君は、此所に一つの最も鮮やかな定義を下し
た。日く「有羞の情」であると。美の本質に於て、これほど適切に、含蓄深く、色気の艶に匂つた言葉を、か
つて自分は他に開いたことがない。


  天地有情の夕まぐれ
イ〃 無からの抗争
「■「

 わが鯵鸞の夢さめて
 風桟いつか跡もなく
 廿化も匂ひも夕月も
 うつつは脆き春の世や


すぺてのリリカルな抒情詩が、
〔土井晩寧)
それ自ら「有羞の情」であることは言ふ迄もない。此所ではこれと別のジヤ
ンルに属するところの男性的、英雄詩的のエビカルな詩を引用するのである0詩集「天地有情」に収められた、
土井晩率氏の長篇の詩は、すぺて歴史の盛衰を叙し、英雄の悲壮な運命を歌つたホーマア的の叙事詩であるが、
いかに純粋の美意識によつて、有羞の情深く歌はれてるかを見よ。「天地有情の夕まぐれ」といふ、
に匂はれた有差の博さへも、大正昭和の散文化した詩には全く失はれて居たのである。
この一句
寂実天賓後
園底但焉費
我里盲鎗家
世乱各東西
存者無滑息
死者馬塵泥
購子因陣敗
憤即」釆尋夜P践
寂実たり天賓の後
園鹿ただ蕎泰
我が里石像家
世乱れて各東西
存する者は消息なく
死する者は塵泥となる
膿子陣敗れるにより
蘇り来つて香践を尋ぬ。
k
久行見箋巷
口授気惨懐
但封狐輿狸
竪毛怒我喀
四郷何所有
一二老寡委
宿鳥橙本枝
安鮎町且窮横
久しく行いて杢巷を見る
日に痩せて架惨懐
ただ狐と狸とに封す
毛を竪てて我を怒りで暗く
四郷何の有る所ぞ
一二老塞妻のみ。
宿鳥本の域を橙ふ
安くんぞまた窮楼を辞せん。 (杜甫)
巨巨巨しrlll邑
 戦争の惨害と非人道を怒り、鬱熱どして悲痛の情を叙ぺた杜甫の詩である。これを大正昭和頃に流行した、
日本のプロレタリア話や牡曾主義詩と比較して見紛へ。両者の詩精神は、その抗争的のこと、悲憤的のこと、
叙事詩的のことに於て共通する。しかも両者の詩垂術は、根本のエスプリに於て全く異つてる。即ち杜甫の詩
には有羞の情(美意識)があり、後者の詩にはそれが鉄乏してゐるのである。故に前者の諸事循は、本質に放
て一種の美しいりリシズムを感じさせ、それの高揚から讃者を侠美な陶酔に導くのに、後者はその陶酔とりリ
シズムを感じさせるものがないのである。そしてこの本質の 「酵」がないといふことは、それが眞の詩楕紳に
ょつて歌はれたものでなく、散文的、非美意識的の感激性から、単に素朴的に鳴壊され、ヒステリカルに怒鳴
られたものにすぎないといふことを箕澄する。
 詩といふ肇術は、単に素朴的の感動やヒステリカルの激情やを、床姶蜃生的のパッションで鳴妹する蜃衝で
はない。普の自由業壮士が演壇で怒鳴つた自由民樺論のゼスチュアは、彗循の一歩手前にある素朴的の興奮で
イイ∫ 無からの抗争

ある0季術としての詩は、かかる激情を「情緒化」し「美意識化」する所に出費する。即ち言へほ、それが
「有羞の情」を帯びて優に色気深く歌はれる時、始めて叙事詩や抒情詩やが生れるのである。
それ故にすぺての詩は−言カ〜の詩でもりリカ〜の詩でも1本質に於ては竺つの「美しいもの」に
すぎない0逆に言へば、その「美しさの酔」を感じさせるものだけが、眞正の意味の詩なのである。所でまた
すぺての美しいものは彗日であり、メロヂイであり、心を楽しく悦ばせるものであるから、・結局しで詩豊丁の
本質は、廣義の意味で言はれるりリシズムに革きるのである0そして此所にりリシズムといふ言葉は、エビツ
タに射するリリックを指すのでなく−保田輿重郎君のいはゆる有羞の構(美意識の本質)を指しでるのである。

叙事詩と抒情詩、もしくは叙事詩的のものと抒情詩的のものとの柏封関係は、此所に至つて充分明らかにな
つたと思ふ○リリックといふ蔓業の狭い意味は、エビツタに射する言葉であり、したがつてその限定された極
地の詩は、純粋に感傷凰な轡愛詩を指示するのである0同じやうにまた、リリカルといふ言葉、抒情詩的とい
ふ言葉の狭い意味は、すぺての哀傷的のもの、轡愛感的のもの、物のあはれ的のものを意味してゐる。しかも
またこの同じ言葉は二万に於て詩精神の本質してゐるところの、純正の美意識そのもの、有羞の情そのもの
のセンチメントを指示してゐる0故にこの廣義の語によつて解する時、りリシズムが一切詩情の本源であり、
抒情詩といふ言葉の中に、扁の詩の本膿が包括されることになる○近代の新しい詩が、すぺて皆「抒情詩」
といふ議念によつて包括されながら、しかもその中に叙事詩的のものや、諷刺詩的のものや、自然叙景詩的
のものや、その他の種々な撃つた詩を所鹿してゐること、及び「眞に詩と言ふぺきものは抒情詩の外になし」
と言づたポオの言葉の深い幽玄の意味などが、これによつて始めてょく了鮮されるであらう。
岳‥γEトlll
勺ヨ研「「
           表し髪茎上に敷いてが戦雪那へば、記ヨ
ゃぅな叙事詩があり、謡曲のやうな劇詣があつた。しかし日本人の観念では、此種の文筆を「議ひ物」と呼び、純正の意
味の詩と認めなかつた。純正の意味で詩と日されたのほ、日本に於て和歌俳句の抒情話に限定されてた0故にホーマアの
ゃぅな文季は、日本では「議ひ物」の部に縮入せられて、厳正の意味の詩に属さないのだ0