詩人の位置
日本で詩人といふ存在は、新礁諸の昔からして、常にカリカチユーアの名で呼ばれ、椰愉的な皮肉と滑稽味
で見られて爽た。島崎藤村氏は、過去に新饅詩人と呼ばれたことが、如何に恥かしく侮辱的に感じられたかを
追想して、そぞろに感慨深く書かれて居るが、今日の文壇でも、詩人といふ名はやはり一種の戯蓋感をもつて、
すフJ 無からの抗争
牛ば椰捻的に用ゐられてる0「あれは詩人さ」といふ言葉の蔭には、常に「ウフフフフ」といふ嘲弄の薄笑ひ
が伴ふのである。
何故に日本では、詩人がかうした戯量感をもつて見られるのだらうか? 西洋では半ば宗教的な璧只をもつ
て、紳棟のやうに穐拝される「詩人」といふ名が、日本でほ逆に漫量的の滑稽感を以て、侮辱的にさへも言は
れるのだらうか↑ けだし此所には、一つの理由と原因が無ければならない。谷崎潤一郎氏ほ、故芥川寵之介
氏との合議に放て、日本の詩人は皆酢豆腐なりと言つたさうだが、或る意味の見方に於て、この皮肉はたしか
にょく穿つてゐる0酢豆腐とは、落語に出てくるキザな半可通の人物である。日本の成る小説家は、かつて新
佳詩人を許して「赤シャツ」と諷したが、これもまた一面でょく官つてる。赤シャツとは、夏目漱石氏の小説
坊つちやんに出てくる一人物で、これもまた酢豆腐と同じく、キザでイヤミの典型的人物である。たしかに僕
等の詩人は、世間からさうした諷刺の眼で見られてゐるし、また賓際に見られる要素を具へて居る。なぜなら
僕等の詩人は、普から星や董を歌つたり、際士的なぜスチェアで女の前に膝まづき、愛する私の女神よI・な
んて言つたり、ラムポオだの、ゴルレーヌだの、象徴汲だの、超現賓汲だのと、日本の現賓文化と関係のない、
あまりに距離の還すぎる外国垂術を持ち廻つたり、洋服の襟にバラを挿したり、髪の毛を長くして縮らせたり、
牛可通の悌蘭西語をしやぺつたりしたからである0僕等の気取つたハイカラ最近流行の楼子を見て、大向の大
衆が「イョオ0酢豆腐!」と冷やかすのも官然だし、文壇が舌を出して「赤シャツ」と呼ぷのも一理がある。
かうした僕等への嘲笑は、単に詩の文畢的内容ばかりでなく、同時にまた黍循形態にもかかはつて居る。新
慣詩が一般からカリカチユール的に椰赦されたのは、彼等が星や糞を歌つた以外、その七五調の反覆する小壌
唱歌的稚態にあつたのである0日本の韻文としては、和歌と俳句が最も長い歴史を有して居り、時間の充分な
訓練を経で、率術的に至実の完成を蓋して居る0之れに比すれば新饉詩は、漸く態生拗の文筆であり、革衝と
して未熟生硬なものに過ぎない。和歌俳句の複雑精緻な頚文に慣れてる巧から、新牌詩が子供久しく単調に頻ミ1L。∃」.。』。一。.1
ぇるのは首然である。しかも生々たる壮年男子が、おつぼ口をして気取りながら、甘たるい小学唱歌のやうな
歌を唄つて居るのだ。大衆にとつてこれが馬鹿馬鹿しく、漫量的に思はれたのは自然である。
新髄話の七五調が厳つてから、僕等の詩は言文一致を採用し、自由詩と斡するものを作つた。僕等はこれを
「藷」と構したのだが、賓には何の韻文でもなく、単に散文の句鮎を廃して、代りに行を別けてライン書式に
書いただけの、一種不可思議攣アコリンの文学だつた。しかもその多くは、小説や論文にさへならない無内容
の感想を、長々と活粁口調でしやぺつて居るのだ。新笹詩以後の今日まで、詩といふものが文壇から軽蔑され、
濁りよがりの酢豆腐文孝と見られてるのは、一面に於て全く官然のことでもあつた。今日僕等の詩人は、すぺ
てかうした非難と侮辱を肯定し、自ら深く羞恥反省するところの自覚を持つてる。賓際他の論文にも書いた如
く、過去に僕等の詩人群は、大抵みな赤シャツ焦の一味であり、でなければぞフマサ組や良寛塑の仲間であつ
た。つまり我々詩人の不幸は、未だ眞のインテリが磯生しない以前の日本、近代的文化が生育し得ない以前の
日本で、ロマンチックにも西洋の夢にあこがれ、欧洲十九世紀や二十世紀の舶来文化と詩文孝とを、我々の現
質する牛封建的な社台に直詳し、苗床の無い土壌の上に、生えない種を蒔かうとしたことの夢想にあつた。多
くの一般的な日本人が、未だ筒儒教の道徳覿から脱却せず、樺愛を情痴的な醜事として意んだ時代に、濁り星
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ゃ董の線を讃美し、騎士的なフェミニズムで女性に膝まづいた新饅詩人は、常時に於て確かに漫室化される材
料だつた。しかもすぺての漫薫と諷刺とは、底に必ず敵意の針をかくして居る。僕等の新饅詩人等が、常に大
衆から漫壷硯されて居るといふことは、同時にまた僕等の詩人が、時代の保守主義者から敵保税され、恰悪税
されて居ることの事資を示すのである。
賓際僕等の詩人たちは、この圃の文化に於けるエトランゼで、孤猫な異邦人として生活して来た。明治以来、
イ2∫ 無からの抗争
我々の詩人が為した仕事は、杜禽と環境の文化に対する、一つの「叛逆精神」以外に何も無かつた。日本の文
壇と大衆とは、常に僕等を嘲笑し、浸垂化し、白眼現して爽た0そしてまた僕等の方でほ、逆に彼等を軽蔑し、
白痴祓し、鬱勃たる飯逆の重言隠して撃止して来た0僕等の詩人の高い誇りは、新日本の紀元する若い文化
を、それの前衛に立つて高く歌ひ、抒情し、且つ指導するところの抱負にあつた。賓際僕等の肇衝は未熟であ
り、生硬で粗雑な試作品に過ぎなかつた0しかも僕等の詩人でなければ、だれが明治以来の新日本を、それの
現賓するりリシズムで歌つたらう0歌人も、俳人も、小説家も、すぺて皆過去の俸統の古い意識で、安易な環
境に住んで文筆して居た0彼等の小説や俳句やは、季術晶としての完成さと、大衆的の普遍性とで、たしかに
僕等の詩に健つて居た0しかし彼等の文拳には、新日本の文化と理念を掲げるところの、指導精神が故乏して
居た0眞の文化的指導精神を持つたものは、僕等の詩と、詩文寧の外に無かつた。
明治の新確詩の史的意義は、七五調の幼稚な反覆形式にあるのでなく、若く新しい日本の文化と理念とを、
青年の純潔なりリシズムで高く歌ひ、新しき詩梢紳を呼び起したといふことの事業にあつた。白秋、有明等の
詩もさうであつたし、今日の所謂自由詩や散文詩の意義もさうである。今日僕等の書いてるものが、詩として
の哉律に紋乏し、拳術品としての美的構成に快けてることは、何よりも僕等自身が承知しで居る。しかも現代
の日本に於て、僕等以外にだれが「時代の詩」を書いてるか0和歌や俳句の作者たちは、全く時代の外に超越
して新日本の文化や理念と関係なく、博統の古い趣味に閉ぢ鶴つて居る。たとへ今日僕等の詩が、擬似韻文の
似而非詩であり、蓼腐的に生硬粗野なものだとしでも、すくなくとも、僕等の詩人のエスプリだけが、今日の
日本で「詩」を書いてるのだP僕等の詩人群が居なかつたら、現代の日本で「詩」といふ文学は滑城するのだ.
歌人や俳人やの、すぺての日本の詩人の中で、ひとり僕等の仲間の者たちだけが、特に「詩人」といふ名を濁
占しでゐるのも、決しで必しも僧越な稗呼ではない。