平安朝文学と仏蘭西映画


 最近仏蘭西映画を見て感ずることは、それが日本の平安朝時代の文芸精神と、不思議に或る本質の点でよく類似してゐるといふことである。二十世紀の現代仏蘭西映画を見て、十一世紀頃の古い日本をイメーヂするのは、聯想があまり懸絶して、少しく荒唐無稽のやうに思ほれるが、事実は意外によく酷似したものがあるのである。
 最近の仏蘭西映画、たとへば「巴里の屋根の下」や「商船テナシチイ」や、それから「我等の仲間」などを見た人は、何よりもそのモチーヴの中に、文化の疲労したアンニユイを強く感ずるだらう。それの映画に出てくる物は、自然でも人物でも、すべてが皆アンニユイに疲れはててる。若い男や女でさへが、知性の澄み切つた所在なさと、文化の爛熟した倦怠さとで、通人のやうに人生を退屈してゐる。彼等の笑ふ声を聞いて見給へ。若い男女の恋人等が、嬉々として戯れてゐる時でさへも、その笑ひ声の中に、何といふ空洞(うつろ)な、寂しい、退屈しきつた反響があるのだらう。彼等の生活の中には、あの独逸的な力強い人生我執や、露西亜的なロマンチツクな情熱などは少しもない。況んやアメリカ式の蛮的な生活力や、油ぎつた青臭いセンチメンタリズムなどは、映画を通じて知る限り、仏蘭西人の生活情操には全くない。
 アドルフ・マンヂウといふ映画俳優が居る。彼は現代仏蘭西の文化人を代表し、生粋巴里ジヤンの象徴だと言はれて居る。僕はこのマンヂウの映画を見る毎に、「通人の悲哀」といふことを痛感する。通人の悲哀とは、何もかも知り尽し、趣味があまりに洗練され、知性があまりに明徹にすざることで、人生への希望と興味を失ひ、不断のアンニユイに悩まされてる地獄人の悲哀である。そしてこの「通人の悲哀」こそ、すべての仏蘭西映画に通じてゐるモチーヴである。爛熟すぎることによつて、文化は人間の野性を奪ひ、生きるための強い闘志と、生活者としてのエネルギイを消耗させる。仏蘭西映画を見て、日本の平安朝時代を聯想するのは、その両方の文化の素質が、この点で共通してゐるからである。勿論当時の日本の文化は、一部の殿上貴族人に専有された文化であつて、近代欧州の文化の如く、デモクラチツクに普遍されてるものではなかつた。しかしその一部の貴族人等は、文化の殆んど爛熟し切つた絶頂の世界に住み、知性と趣味牲の最高な教養から、人生への希望と興味を喪失し、生活意欲の熱情を消耗して、不断のアンニユイに悩まされてた。(もつともこの点から言へば、江戸時代の日本人も同じであつた。その点で日本の江戸文化が、現代の仏蘭西文化と共通する所が多いのは、長く巴里に滞留してゐた日本人が、帰朝してから殆んど皆江戸趣味者になることの事実が実証してゐる。しかし江戸文化には、真の知識階級的インテリジエンスが無かつたので、本質的にはやほり平安朝時代の方が、現代仏蘭西に近いのである。)
 独逸映画の情操には、イデーに対するロマンチツクな憧憬や、人生に於ける悲壮な英雄詩(エピツク)的な争闘や、ハイネ的な感傷性に富んだ抒情詩(リリツク)やが主潮してゐる。だが仏蘭西映画の情操には、そんなロマンチシズムが全くなく、あくまで自然主義的なレアリズムが主潮してゐる。そしてもちろん、悲壮精神の英雄詩もなく、ハイネ的センチメンタリズムの抒情詩もない。仏蘭西映画のエスプリは、純粋に主知主義的、散文精神的のものである。だがそれにもかかはらず、全巻を通じて何かの或る「うら悲しきもの」が流れてゐる。その 「うら悲しきもの」の本体は何だらうか。此所に我等の問題が残るのである。
 かつて自分は、雑誌「四季」に書いた或る短文中で、仏蘭西語のサンチマンと言ふ言葉は、日本の古語の「あはれ」に相当すると叙べたが、まことに仏蘭西映画を見て感ずるものは、日本語の「あはれ」と言ふ語が情操するところの、或る一種の意味深き哀傷感(ペーソス)である。映画ばかりではなく、他の多くの文藝、特に就中抒情詩のエスプリとして、仏蘭西人は昔からこのサンチマンを重視してゐる。だが仏蘭西人の言ふサンチマンは、日本語の感傷…それは知性の欠如した少女文学を聯想させる…とは、全然内容のちがつた別物である。そしておそらくはまた、英語にも独逸語にも、これに適応する外国語は無いであらう。外国語のセンチメンタルといふ言葉は、すべて情熱的なものや、パツシヨネートの精神を意味してゐる。だが仏蘭西の詩人等が言ふサンチマンは、むしろその反対のものであつて、静かに物侘しく、アポロ的典雅の知性と趣味性の教養を要素してゐるところの二種のインテリジエンスの哀愁感(ペーソス)を意味するのである。そこでこの仏蘭西語に邁応する言葉は、世界を尋ね探して、おそらく日本語の「あはれ」より外にないであらう。
 仏蘭西映画を見て感ずるものは、実にこの同じサンチマンの「あはれ」である。そしてこの「あはれ」は、サマンや、ルレーヌや、ボードレエルやの、すべての仏蘭西の抒情詩からも感じられる。それは独逸的な感傷とは正反対に、魂の沈静した、侘びく果敢なげな哀愁感であり、我が平安朝時代の昔の詩人が、仏教の影響の下に情操した、かの「物のあはれ」の詩情と極めて酷似したものである。「物のあはれ」の本質については、佐藤春夫君が既によく行き届いた論文で解説されてる如く、知性と趣味性の最高な教養に立つたぺ−ソスであり、一切の感傷を排するところのリリシズム、一切の内容を否定するところの韻文主義である。そしてこれがまた、最近仏蘭西の詩壇で呼ばれてゐる「純粋詩」の精神とも符節するのだ。平安朝時代の和歌、例へば古今集や新古今集などが、その本質に於て純粋詩のイデーと一致し、ヴアレリイ等の説く詩の理念に当為してゐることは、前に自分が他の論文に於て詳説した。
 日本の文化は、上古奈良朝時代に於て、ロマンチシズムの圭情主義へ潮流し、詩精神の最高な発育を遂げた。それから爾後は、次第に詩精神が衰退して、代りに散文精神が勃興し、レアリズムと主知主義の主潮する時代が来た。紫式部や清少納言の才媛を生んだ平安朝は、実にレアリズムの主知主義が全盛した散文精神の時代であつた。しかし如何なる時代に於ても、人生にポエヂイするものがある限り、詩が亡びるといふ事は有り得ない。散文黄金時代の平安朝に於ても、依然として尚詩は生き残つた。しかしその詩は、万葉集の如き主情主義のものでなくして、時代の主潮である主知主義に立脚してゐた。彼等は感傷を排斥し、主観を迫ひ出し、ひたすら知性の冷徹を尊重した。そして内容的なものを詩から除外し、歌を純形式主義の文学にした。(仏蘭西に於ける純粋詩の主張が、全くこれと同じである。即ち詩を純粋の韻律…韻律即内容…まで形式化さうと意志してゐる。)
 所でまた、この時代に於けるポエデイの本体が、実に唯一の「物のあはれ」であつたのである。「物のあはれ」の情操には、勿論多分に仏教からの影響があり、諸行無常の諦観等が要素してゐる。しかしより本質的の要素は、彼等の文化所有者たる殿上人等が、自己の生活に対するアンニユイの悲嘆であつた。現代の仏蘭西人と同じく、そのあまりに爛熟した文化によつて、生命意欲のエネルギイを消耗され、生への強い興味を失ひ、すべての夢とロマンチシズムを無くした彼等は、アンニユイの無間地獄を彷徨しながら、すべての自然と人生とに、果敢なく侘しい物のあはれの哀傷感を感じて居た。生への強い情熱と、青春のロマンチシズムとを失つた人間は、必然に避けがたくレアリストになり、ひたすら知性によつて人生を散文的に見ようとする。しかも彼等の魂の中に、尚それで止みがたい情感の世界があり、ポエヂイの何物かが要求されて残るとすれば、かかる人々にとつてのリリシズムは、唯一の「物のあはれ」のぺ−ソス以外にないであらう。そしてこの同じぺーソスが、仏蘭西の詩人によつて歌はれるサンチマンの本質であり、日本の詩人によつて歌はれた「あはれ」の本体なのである。
 それ故に「あはれ」とサンチマンとは、すべての抒情詩の中から追ひ出された、最後の唯一のリリシズムの核である。平安朝時代の詩人は、その主知主義のアポロ的端麗を尊ぶために、抒情詩の和歌の中から、すべての万葉的情熱と感傷性とを叩き出した。そして尚且つ、一切の主観的リリシズムを篩ひ出し、最後にただ一つ、抒情詩の本質として残したものが、実に「物のあほれ」のぺ−ソスだつた。そしてこの残された抒情詩の本質を、僕等は同じ仏蘭西の詩や文化の中に感ずるのである。特に就中、それを映学に於て最も印象強く感ずるのである。前に言ふ通り、仏蘭西映画ほどレアリズムに徹底し、知性のつめたさを感じさせるものはない。そこには殆んど、何等の感傷主義もなく浪漫主義もない。しかし全巻に通じて、一種の嘆息に似た哀傷感が、漂渺としてうら悲しげに流れて居る。その果敢なく煙のやうなリリシズムこそ、今日の仏蘭西人と仏蘭西文化に残されてゐる、唯一の侘しいボエヂイではないのだらうか。
 平安朝の文学を読んで驚くのは、どこにも「笑ひ」がないと言ふことである。諧謔は至るところに弄されてゐる。ただその諧謔が、如何にまた果敢なく悲しいことであらう。万葉集の歌の中には、心から朗らかになつた「哄笑」がある。しかし古今集の歌の中にも、源氏物語の巻の中にも、そんな哄笑は一つもない。彼が諧謔を弄する時、それは笑ふのでなくて泣いてるのである。そしてこの同じ「泣き笑ひ」を、僕等はトーキイの仏蘭西映画で耳にしてゐる。その映画の中では、若い青年の男女でさへが、嬉々として戯れながら、空洞な悲しい声で笑つてゐる。仏蘭西映画を見て、彼等の笑ひ声を聞く時ほど、文化頽廃者の悲哀とアンニユイとを、日本語の「物のあはれ」に翻訳して、うら侘しく心に印象づけられることはない。
 平安朝の貴族は、殿上に栄華な生活をして居りながら、実には全く実力がなかつたのである。特にその中期をすぎでは、実権が全く武士豪族の手に移り、貴族はその玩具の傀儡にすぎなかつた。都の宮中に居りながらも、彼等は絶えず盗賊や暴徒から脅やかされ、いつも百鬼夜行の闇中に住む如く、戦々兢々としてをののきながら、力無くも陰陽師の祈祷にすがり、迷信と呪文によつて身を守つて居た。高い教養をもつた文化人が、美しい衣服をきてをののきながら、無知な野人や暴徒の為に脅迫され、玩弄物視されて生活してゐた歴史風景をイメーヂするのは、それだけに既に十分あはれに傷ましいことではないか。彼等が厭世的であつたことは、仏教の影響を除外しても、当然考へ得られることであつた。
 今日の仏蘭西人も、事実上にアメリカのバーバリズムで征服されてる。それ故にまた、彼等の文化がよけいに悲しく見えるのである。王朝文化の最後の花は、あの悲しい新古今集のリリックだつた。この最後の歌集が世に出た時、彼等の貴族は完全に没落して、事実上に新興武士階級の奴僕であつた。それ故にこそこの歌集は、八代集の中で例外的にまで悲しいのである。そこではもはや「物のあはれ」が、知性人の冷徹と静観とを突破して、正に素朴な感傷にまで破れようとさへしかかつて居る。(その代表が式子内親王であり、西行であつた。今の仏蘭西映画を見て、たまたま新古今の歌を思ひ、定家や式子内親王を聯想するもの、おそらくただ僕一人ではないであらう。