悪ニヒリズムを排斥する

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 日本文学に於て、致命的に欠乏してゐるものはヒューマニズムである。僕はずつと昔、自然主義の全盛時代
から、終始一貫してこのことを熱弁して来た。だが「われ笛吹けども人々踊らず」。僕は聴者の居ない山頂の
稀層空圏に孤独で立ち、破れた鉄板を叩いて空しく怒るばかりであつた。所が最近、やつと文壇の人々が自覚
して来て、遅まきながらモラルやヒューマニチイヘの呼び声が高くなつて来た。廿年孤独に耐へた僕の詩人生
活も、決して無駄ではなかつたといふ気がするのである。
 しかし今日の文壇は、いたづらに叫び声ばかり高くつて、一もその実質に値する文学がないのである。例へ
ばその一証として、流行のニヒリズム文学がさうである。シェストフに刺戟されて以来、日本の文壇には「虚
無」といふ言葉が流行し、まるでインテリの合言葉のやうにさへなつてゐる。だが今の文壇に、果してそんな
ニヒリズムの文学があるだらうか。
 ニヒリズムといふ観念は、言ふ迄もなくロマンチシズムの対蹠である。もつと詳しく言へば、ロマンチシズ
ムの幻滅したのがニヒリズムである。この二つの観念は、丁度「善」と「悪」とのやうなものであつて、一つ
の同じ線の上で、反対の方向に矛盾してゐる対蹠である。善と彗の警は、それが道徳観念といふ】つの共
同の線の上で1互に反対のイデアを慧して居る表にその共同の線(道徳驚)が無ければ、初めから二つ
興に要しない0僻警葦の思想が、華芙に無明として排斥するのは、かうした粕封観念の誓る所が、
雫丁
所篭して正反共に→であり、無差別であることを言つたのである。
 ロマンチシズムとことリズムとが、同じやうに立た一つの相封観念である。そしてこの▲雨着の基調する共何
の−線が、即ちヒューマニズムなのであるD故にヒユーマニスムの基調が無い所には、始めから浪漫主義も虚
無主義もある筈がない。この場合に有り得る文孝は、根抵の基調を別にするところの、他の全く別の改行線上
の文孝である。所で日本のニヒリズムと稗する文学、ニヒリストと自解する文孝者が、本来のそれとは全くち
がつた、この改行線上のものなのである。
 日本で最初にニヒリズムを旗博した文学は、人も知る如く自然主義の文畢だつた。自然主義は一切を懐疑し、
一切を香定し、一切の理想を持たないといふこと。即ち言へばアンチ・ロマンチシズムのドキュメントを以て
出優した。しかしこの「虚無への信條」は、世紀末の不安と懐難が、一切既成の宗教や道徳を破壊したことか
ら、荒蓼たる應跡の中を漂泊した魂の哀歌だつた。ゾラも、ツルゲネフも、モーパツサンも、かうした世紀末
的磨跡の中で、魂の最も深い悲嘆にくれてた漂泊者だつた。彼等の中の一人も、決してそこに安息や平和を見
出さなかつた。然るに日本の自然主義文学といふものは、おそらくこの正反対のものであつた。日本の自稗し
た自然主義者や1一ヒリスト等は、却つてその虚無の中に安住し、春先の縁側で日向ぼつこを楽しみながら、懐
疑もなく苦悩もない、長閑な身過小説や心境小説の顆を書いて居た。西洋から輸入した自然主義は、日本で全
く似もつかぬ別種の文畢になつてしまつた。何故だらうか↑ 日本の文畢者の生活に、本質的のヒユーマl一チ
イが無かつたからである。
                                       イPエイ
 細に言ふ如く、ニヒリズムは、ロマンチシズムの反語である。そして反語といふものは、本質上では同じ精
神の表裏にすぎない。鹿西亜や俳蘭西の自然主義者が、一切を香定し懐疑した時、彼等の魂は虚無の寂蓼に歓
欲しながら、よるぺなき絶望のイデアを求めで、暗黒の中から生の意義を求めあがいた。彼等はロマンチシズ
jβア 無からの抗争

ム芸定したが、ロマネスクの精神そのもの1人生の意義を求める熱情、ヒユー三ティそのもの1を捨
てはしなかつた0そして此所に、篭の深酷で悩ましいニヒリズムの毒があつた0然るに是の作家等は、
初めからそのロマネスクの精彗ヒユニュチイを持たないのである0したがつて理想に封する幻滅もなく、
懐疑に攣る苦悩もない…れは室つて春雪苫のものである○しか畠ら精し三ヒリズムを望してゐる。
何が表ニヒルなのか↑この誓に意味することは、イデア塞く、モラルもなく、またその霊に射する
イ三イもなく、単に有るがままの葺貰を、有るがま主に安住して生普ること。つまり言へば、どうせ
人生とはこんなものさといふ、無精者の捨て鉢苫で、ゴロゴロと葦警して居ることなのである。そしてこ
の「無精者の妻痩」を、是ではニヒリズムの羞丁、自然主義の毒と名づけたのである。
最悪文壇で、蔓宗董雲撃的ニヒリズムが流行して居る0何の情熱的なヒユー三チイ塞く、震
の貰の中毒任してゐるやうな人間が、その安住してゐることを以三ヒリストと白梅しで居る。しかも世
間の悪いことは、ニヒリズムといふ語の流行的慣値に幻惑されて、こんな連中を高く買ひ込み、さも時代の尖
端人か何かのやうに、彗て錯覚して居ることである二ニヒリズムはロマンチシズムの反語」であるといふ
こと0そして「ニヒリスーはヒユニュストの同筆」であるといふこと0この一つの解り切つた常警へが、
                          / ′ 二 人
未だに警ないでゐる日本の文壇を考へる時、僕は獣のやうに身を霞はして怒りたくなる。
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