日本人の戦争文学
時局が始まつてから、ジャーナリズムの俳歌壇は、出征兵士の作品で持ち切りだが、それらの和歌や俳句をよんで感ずることは、結局日本人の詩情操といふものが、如何なる場合にも花鳥風月趣味であり、自然吟詠の風流的述懐以外になく、我等の伝統する国粋の「詩精神(ポエヂイ)」といふものが、所詮ただの一つの種しかないといふことである。勿論、戦線にある兵士の作品には、敵前行動の危険な経験を歌つたものや、日常の軍務に関する事柄や、或は決死の報国覚悟を強く表現したものやがあるけれども、多くそれらの作品の根柢となつてゐる詩情は、昔ながらの日本詩歌に伝統してゐるところの、自然吟遊の風流述懐に尽きるのである。例をあげれば、野営の天幕の外で秋の虫が鳴いてるとか、斥候に出た帰途の山路に月が出て居たとか、或は砲火に壊れた家の軒に、百合の花が咲いてたとかいふ類のものである。
歌や俳句の詩ばかりでなく、かうした日本人の情操は、他の一般の戦争文学にも共通してゐる如く思はれる。たとへば火野葦平氏の「麦と兵隊」の如きも、かうした日本人的詩情を強く表現した文学の代表である。「麦と兵隊」をよんだ時、僕は何よりも強くその「俳味」を感銘した。あの作品の中には、戦線に於ける兵士の偽らない実感が書かれて居る。だがあらゆる場合の経験を通じて、その物の見方、感じ方の方程式は俳句である。俳句といふ言葉を、さらにもつと詳しく翻訳すれば、自然吟遊詩的であり、花鳥風月趣味であり、虚心坦懐主義的であり、物のあはれ的リリックであり、侘しをりや寂しをり的であり、そして要するに、古来日本の詩歌文学に伝統してゐるところの、あまりに日本人的ユニイクな詩情なのである。
此等、出征兵士の和歌に歌はれてるすべてのこと、「麦と兵隊」に書かれてるすべてのことは、単に文学上に表現されたことだけではない。おそらくすべての日本人、すべての日本兵士等が、作者と皆ひとしなみに感情してゐることなのである。新聞雑誌の通信記者は、何れも皆筆をそろへて、戦場に於ける日本兵の風流心を話してくれる。彼等の兵士は、敵前に居て決死の突撃をする刹那にさへ、路傍に咲く一輪の花を愛で、その匂ひを嗅ぎ、その枝を折つて帽に挿すといふことである。昔の文学作者は、歴史上にかかる幾多の例を伝へ、優にやさしい日本武士の物語をした。だが我々は、今度の戦争によつて、初めてその日本古式士の物語が、偽りのない真実であることを教へられた。すべての日本兵士は、皆その背に梅花を挿して戦つた梶原某の子孫なのだ。
かうした日本兵の詩情や心境は、到底外国人に理解できない謎であらう。そしてこれが理解できないといふことは、日本人の戦争文学と、外国人の戦争文学とが、本原の精神に於ていかに異つてゐるかを語るのである。僕は若い時から、可成西洋の戦争文学を好んでよんだが、「麦と兵隊」のやうな物は、外国の作品には殆んど無かつたやうである。西洋人の書いた戦争文学といふものは、たいてい戦争の悲惨や、死に直面する心理やを描写し、且つその間に於ける個々の将兵のパソナリチイを点出して、戦争全体を厳粛な人生哲学の問題として提出してゐる。然るに「麦と兵隊」や、出征兵士の和歌俳句には、さういふ哲学の問題が少しも入つて居ないのである。以前に僕は櫻井大佐の「肉弾」をよみ、篇中の人物に個性がなく、どの将兵も一様の場合に処して、一様に類型的であるのに驚いたが、今度の時局に現れた戦争文学をよみ、やはり同様な感を深くするのみである。
日本の戦争文学に「哲学」がないといふことは、つまり日本人の文学イデーが、俳句に尽きるといふことを語るのである。このことは前にも他の論文で幾度か書いたが、日本の詩歌(和歌、俳句)は、おそらく世界で最も日常生活的な現実主義の抒情詩である。西洋の詩といふものは、初めから超現実の文学であり、神の摂理や、宇宙の神秘や、真実美への憧憬や、ヒューマニチイの探求やを歌つてゐる。日常生活的の茶飯事に属することは、西洋の文学イデーで詩(ポエム)の範疇に入らないのである。「水無月や鯛はあれども塩くぢら」とか「葱買つて枯木の中を帰りけり」といふ類の卑近な身辺生活記録を、ポエヂイの観念に所有する人種は、おそらく世界にただ日本人だけであらう。ところで「麦と兵隊」を初め、日本人の戦争文学のモチーヴとなつてるものが、結局皆この俳句なのである。勿論日本の俳句にも、或る種のユニイクな哲学があり、或る種の人生問題が含まれてゐるかも知れない。だが西洋の言葉で意味するやうな哲学(悟性の提出する思想上の懐疑)といふものがない。なぜなら日本人の文学情操には、本来「批判」といふものがないからである。
批判のない人間は、勢ひ素朴の感傷主義に殉情する。それ故日本人の戦争文学には、一方またこの感傷主義が極めて濃厚である。櫻井大佐の「肉弾」も、この感傷主義が濃厚なことで、西洋の戦争文学と類を異にしてゐたが、「麦と兵隊」等の文学も、やはり本質に於て同じ一つのセンチメンタリズムを貫流してゐる。ただ後者の感傷主義は、前者の琵琶歌式なのに反して、より多く俳句的であり、枯淡閑寂的である点でちがつてゐる。この種の日本的リリシズムを、昔の俳人は「侘しをり」と名称した。「侘しをり」のリリックと琵琶歌の感傷性とは、日本人の情操の中に同化されたる、仏教教養と儒教教養の相違にすぎない。
かうした日本の詩人の感傷性は、必然に大衆の所有する浪花節的センチメンタリズムとも共流する。浪花節のテーマは義理人情の世界であるが、日本人の戦争文学は、一方に俳句的であると共に、一方にこの浪花節的センチメンタリズムが著るしい。戦線に居る兵士たちが、常に最も感傷的になる場合は、両親や兄弟の事を考へ、義理恩愛の情を思ふ時ださうであるが、「麦と兵隊」にも、さうした兵士の心理がよく如実に描写されてゐる。然るに外国の戦争文学には、この種の義理人情的センチメンタリズムが、殆んど何処にも描出されてないのである。かつて二・二六事件の時、有名な「兵に告ぐ」の文句の中で「お前等の親たちもそれを願つてゐる」といふ一節があり、それが最も強く兵士の心を動かしたさうであるが、おそらく戦線にゐる兵隊と将校とが、日常の陣営生活で語つてる話題の大部分も、同じやうに親兄弟に関すること、義理人情に関することであらう。そしてこの話題の出る毎に、将兵互に手を握り合つて、感傷の涙を流してゐるにちがひないのだ。そしてこんなことは、おそらく欧米人の軍隊内では想像できない。
だがこの人情的な感傷性が、日本兵の忠勇無双の支柱となり、肉弾の原質となり、世界に冠たる強兵の素因になつてることを、多くの外国人は知らないのである。前に僕は、日本の戦争文学に個性描写がないと言つたけれども、おそらく戦場に於ける日本の軍人等は、将卒を通じて一様に没個性となり、義勇奉公のイデーの下に、一の心境的範疇に同化してしまふのかも知れないのである。けだし人間の心といふものは、集団の中で孤立することが不可能であり、常に集団によつて雰囲気的に同化される。況んや敵前に居て生死の行動を共にする一団の中に居る時、各人のエゴが全体の中に没却されるのは自然である。日本の通俗的な戦争文学に於て、すべての将卒が一様に皆忠勇無双の勇士であり、義勇報国の一念に凝り固まつてる範疇的人物の如く描かれてゐるのは、すくなくとも或る特殊の場合に於ては、ウソでない真実であるかも知れない。
さて此処まで来て考へることは、結局すべての日本人は、伝統の日本人でしか有り得ないといふことである。明治以来、僕等は西洋風の学校で西洋の学問をし、万事につけて欧米の文化を理念して来たけれども、結局もとの赤裸になつてみれば、俳句や浪花節によつて養成された、素朴の日本人にしか過ぎないのである。「麦と兵隊」の作者も、かつて若い時には「山上軍艦」といふ詩集を書き、バタ臭い欧風の詩を書いて、紅毛異人のダンヂイを模倣した。だがその帰する所は、所詮皆日本の伝統詩人に化するのである。そして彼等が伝統詩人に化した時、彼等の最も赤裸な「本当の文学」が生れたのである。僕の如き凡庸詩人も、過去に長い間「西洋の国」を夢み、バタとチーズの匂ひにあこがれたが、所詮今にして思へば、かかる文学上の文明開化が、真に身に附いて残る所何物ぞといふ思ひがする。僕の文学者としての一生は、すべて「迷夢」であつたかも知れないのである。