趣味と感傷
仏蘭西の詩人は「趣味」で書き、独逸の詩人は「感傷」で書く、といふことが定評されてる。確かにまたその通りで、例外を除く外事実である。だが仏蘭西の詩人たちは、その失はれた感傷を、彼等の国語の特有する美しい音楽で埋め合せて居る。即ち独逸人が毒舌する如く、仏蘭西人はその音楽に聾した耳を、詩の中に求めて聴いてゐるので、仏蘭西の詩ほど、音韻の美しさを重視するものは世界にないといはれてゐる。(そのくせ仏蘭西人には、本物の音楽が解らない。独逸人はそれを皮肉に笑ふのである。)
かうした点で仏蘭西の詩は、日本の平安朝没落期に於ける、文化の爛熟から生れた「新古今集」等の歌とよく似て居る。人も知る如く新古今集の歌は、純粋に形式主義の文学であり、スタイルとフォルムを重現し、感傷を押へて知性を尊び、すべてに於て趣味を尊重した、ダンヂイズム的美学主義の抒情詩である。しかしながら新古今の歌は、同時に音楽を第一義に重成し、内容よりもむしろ音楽としての美しさを採点した。読者試みに百人一首の歌を読め。如何に内容が空虚であるか。そして如何に音楽が美しいか。新古今集の和歌が、純粋に技術的形式主義で、万葉集などの純粋な感傷主義とは、美学的に全く正反封の主張に立つ詩であるにも関らず、尚且つ定家や俊成等の和歌が、僕等の読者に特殊な詩的陶酔をあたへるのは、全くその音楽のためなのである。換言すれば僕等は、それ等の音楽によつて、スヰートな美の詩的恍惚に導かれて行くのである。それ故にもし、定家や俊成等の歌から音楽をマイナスすれば、後には単に「技術としての詩」「形式としての表現」が残るばかりだ。そしてかくの如き文学は、決して読者に詩的感動をあたへることは出来ない。それは一種の「美学的韻文」であるとしても、決して本質的意味での 「詩」ではない。
仏蘭西近代の詩は、多く皆技巧的形式的であり、感傷よりも寧ろ趣味によつて書いて居る如く思はれるが、音楽を重視することは一義的であり、特に就中ヴァレリイの如き、過去の高踏派の如き、ラムボオの如き、技術的主知主義に偏重する詩人たちほど、音楽を第一主義に置いて居るのである。これは勿論当然の話であつて、主知的形式主義の詩から音楽を除いてしまへば後に残るものは「美学的韻文」の外になく、詩そのもの (即ち詩的陶酔の実体)が無くなつてしまふ。つまり此の種の詩は、詩の内容から追ひ出したセンチメントを、形式の音楽が奏するセンチメントで、代りに交流させてゐるのである。
日本の詩壇で、かつて 「詩・現実」一派の人々が唱へた詩論は、かうした詩の本質問題に関して、驚くべき認識不足を暴露させた。彼等が仏蘭西の主知主義を直訳して、詩の内容からセンチメント(感傷)を排斥せよと叫んだのは好い。だがそれと同時に、詩の形式から韻律を奪ひ、音楽を除去し、詩を散文で書けと言ふに至つては、驚くべき二律反則の自家矛盾である。「詩を散文で書け」といふ命題は、主知主義の詩人が言ふべきことではなく、却つてその対蹠たる主情派の詩人や自由詩人(彼等はすべて内容主義者である)が、別の立場で言ふべき筈の言葉である。主知主義の詩や形式主義の詩にして、もし実にその韻律、音楽を無くしてしまへば、その文学はもはや何等のポエヂイでもなく、単なる「美学的散文」もしくは「印象的散文」にしか過ぎないのである。そして僕は、ずつと前に早くから彼等の詩を、正しく「印象的散文」と命名した。−仏蘭西の詩人は趣味で書き、独逸の詩人は感傷で書く。−如何にも、その通りであるかも知れない。だが仏蘭西の詩人と雖も、所詮やはり感傷で書いてるのである。なぜなら仏蘭西の詩人たちは、詩の奏する音楽(形式の美)の中に、彼等の感傷を盛るのだから。すべての詩の原理は「感傷」に尽き、すべての詩の実体は「主観」に属する。所詮して僕の著書「詩の原理」が説いたところは、この平凡自明な第一原理に外ならない。