自作詩の改作について

 昔自分が作つた著作の詩や文章を、後に手を入れて改作するといふことは、もとより作家の自由権内であり、他から文句を入るべきことではない。しかしその改作が、原作に比して甚だ拙い改悪だつたり、もしくは原作の情趣を破壊した別作だつたりする場合は、その原作の愛読者にとつて、貴重の宝石を傷つけられたやうな寂しさと憤りを感じさせる。この場合に作家の方では、自分の作つた自分の物を、自分で壊すのだから勝手であると言ふだらうが、既に発表されて読者の公有となつたものは、美術館に陳列された名画と同じで、いかに作者の画家と雖も、勝手に墨を塗ることはどうかと思ふ。もちろん作家自身は原作が意に充たないから手を入れるので、自ら改悪を意識して改悪する人は、狂人に非ざる限り無い筈である。だが往々にしてその結果が、作家自身の意に反するので、此処に作者自身の主観批判と、読者の側の客観批判とが、鑑賞上の法廷に対決して、正邪の判決を争ふ必要が生じて来る。
 此処で自分が、特にかういふ問題を提出したのは、詩人に於てそれが著るしく、改正是非の問題論が、絶えず詩壇にあるからである。詩は他の散文とちがつて、言葉の一言一句に修辞を凝らし、一語一語が内容の生命となる文学だから、少しく藝術的良心に富んだ詩人は、常に自分の作品を反省して、多少でも意に充たない個所を発見すると、改作せずには居られない焦慮と義務を感ずるのである。そこで過去の詩集や作品やが、後に再度発表刊行されるやうな場合になると、殆んど先づ大抵の詩人が、原作の幾分かを改正するのが普通である。その結果として、原作の未熟や生硬が修正され、一層完美した藝術品と成る場合と、逆に原作の美を傷つけ、あたら宝玉を汚損する場合とがある。
 ところで問題は、その「改良」と「改悪」とが、どんな原因事情によつて、どうして区別を生ずるかといふことである。この宿題を説くためには、人間の意識生活が、常に流動変化してゐるものだといふこと、したがつて意識主体としての個人は、永久不変の一人者でなく、年齢や境遇の変化によつて、資質的に別な人物となつてることを、前提に常識しておかねばならない。そこでこれを具体的に説明すれば「若きエルテル」を書いた青年時代のゲーテは、後に自らこれを否定して、愚にもつかぬ感傷主義と自嘲した老年時代のゲーテと、全くその意識内容を異にしてゐる二人の別な藝術家だつた。この場合にもし老年のゲーテが、「若きエルテル」を改作したらどうであらうか。おそらく彼はその旧作を、ぺたぺたに墨で塗りつぶしてしまふか、もしくはそれを全く原作とちがふところの、別な情趣の物に書き直してしまふであらう。そしてこれが、一般に「改悪」と言はれるものの場合である。即ち原則的に言ふと、その旧作を書いた時とは、全く人生観を異にし、思想感情を変化してしまつた後の作者が、後の立場に於て、前の旧作を加筆訂正した場合がさうなのである。この場合には、藝術に対する鑑賞の方式やイデーやも、過去に旧作を書いた時とは、おのづから別のものになつてゐるから、その後の立場で前の原作を改正するのは、全く藝術上の主義流渡を異にする他の作家が、自分と別派に属する他の人の作品を、勝手に自己流に書き改めるやうなものである。
 ところでかうしたことが、二人の全く別な作家の間に起つた時、たとへばAといふ一人の作家が、自分と全く主義傾向を異にする、他のBといふ作家の創作を、自己流の藝術批判で加筆訂正した場合は、明らかに原作者への冒涜であり、一種の著作権侵害になる。たとへば最近の歌壇で、アララギ派の歌人たちが、石川啄木の歌に加へた冒涜の如き、その最も著るしい悪例であつた。子規の写生主義をモットオとしてゐる現歌壇人は、「明星」の浪漫主義を系統した啄木の詩精神とは、全く藝術上の対蹠的関係に立つものであり、和歌に於ける鑑賞上の美学イデーを逆にしてゐる。にもかかはらず前者のアララギ歌人は、啄木の歌を稚拙として誹謗するため、故意にその歌を添削加筆し、以てやや歌の体を得たりと嘲弄した。だが彼等が改作して、歌の体を得たりと為したものは、啄木の原作とは全く似もやらぬ駄歌であつて、原作の詩的な情熱やヒューマニチイが、殆んど跡形もなく消滅され、代へるに平淡無味の散文精神が、アララギ的写生歌の形式で表現されたものであつた。即ちその改作されたものは、石川啄木の歌ではなくして、実際にアララギ歌人の和歌であつた。
 かうした場合、啄木がもし地下に生きて居たら、その無理解な改作者等に向つて、藝術上の冒涜罪を訴訟し得る。だがこれが上述のゲーテの如く、同一作者の場合ならどうであらうか。この場合には、改作した人とされた人と、冒涜した人と冒涜された人とが、同一個体に属する作家であるから、責任者への民事訴訟は成立しない。しかし啄木が死んだ後にも、啄木の藝術の愛好者が居るやうに、ゲーテが感傷主義を捨てた後にも「若きエルテル」の愛読者は多数に居る。さうした作家と作品の愛読者は、彼等の宝石を汚損する者に対しては、それが他人であると同一作家であるとに関らず、ひとしく一様に、冒涜者としての憤りを感ずるのである。
 さて私が、此処にこんなことを長々と叙べたのは、明治大正の詩壇に於て、私の最も崇敬愛慕する先輩の詩人たちが、現にしばしばさうした「改悪」を反覆して、折角に貴重な原詩を汚損し、珠玉を壊して瓦石に変へるの愚を為して居るからである。たとへば私の知つてる範囲で、薄田泣菫氏や蒲原有明氏がその例である。特に、蒲原有明氏は、この悪癖(?)が甚だしく、氏の藝術の誠意ある愛好者等を、常に怨めしく歎かせて居る。有明氏の作品が、改作する毎に悪くなつて来るのは、天下の詩人識者が皆知るところで、いやしくも氏の藝術を愛する読者が、ロをそろへて惜しみ悲しむところである。もつともそれだつたら、改作の方の詩を見ないで、原作の旧版を読めば好いわけだが、悲しいことに、原作の旧版詩集は、今日悉く絶版して、全く市場に影を絶つてるので、今日の読者たちは、否応なしに改作の新版を読まねばならぬ。現に第一書房から出てゐる「有明詩集」も、岩波文庫や新潮文庫の「有明詩抄」も、悉く皆後に幾度か手を入れた改作詩集で、その多くの詩篇は、殆んど原作の純な詩情を喪失して居る。そのため私の如きも、前から久しく蒲原有明論を意図しながら、文献に欠乏して、今日まで手をつけかねてる有様である。(昔持つてゐた初版本は、概ね手許から散失してしまつた。)
 世評に対して敏感な有明氏は、かうした世の非難に応へるために、幾度か自ら釈明を試みて居る。氏はかう言つてゐる。詩は言葉の藝術であり、言葉を洗煉修辞し、言葉を一層深く彫琢づけることによつて、同時に内容のポエトリイを充実させることができるのである。それ故に自分が、新版毎に著作を添削するのは、それによつて自分の詩藝術を、より充実したものに完璧させようとするところの、止むを得ない藝術的良心によるのであると。まことに詩といふ藝術は、氏の言ふ通りのものであり、また氏の潔癖にして熾烈な藝術的良心に対しては、何人も畏敬の念を禁じ得ないことであるが、しかも氏の改作の精神に関しては、容易に同感できない疑問がある。

 詩が改作によつて善くなる場合と、改作によつて悪くなる場合があることは、前に既に叙べた通りであるが、改作によつて善くなる場合は、過去にその旧作を書いた当時の意識内容(感情や、思想や、藝術観や、人生観や)が、依然として人格の本質に一貫してゐながら、文学する修辞上の技術だけが、習練によつて一層老巧になつた場合である。たとへばボードレエルの或る多くの詩篇の如きは、改作によつて初めて初期の稚拙を脱し、世界的の名詩となつたと言はれて居るが、この場合のボードレエルは、初期の浪漫的な抒情精神を、一貫してその意識内容に持つてゐたのである。然るに有明氏の場合は、これと事情が異なるやうに思はれる。今日の老境に入つた有明氏には、おそらく初期の 「草わかば」や「独絃哀歌」時代の抒情精神−ロセッチの影響を受けたあの若々しいリリシズム−が、殆んど多分に涸燥してゐると思はれる。今の有明氏は、ずつと遙かにクラシックの美を尊ぶ、主知的形式主義者になつたにちがひない。さうした今日の有明氏が、今の心境による美学批判の鑑賞眼で、過度の全く別な心境で書いた旧作の詩を読む時、多くの苦々しい不満と欠陥を感ずるのは当然だが、それによつて著作を添削するのは、晩年のゲーテが「若きエルテル」を抹殺し、アララギ派の歌人たちが、石川啄木の歌を改作するのと同じやうに、明らかに自作への冒涜を為す業である。先輩に対する非礼を犯し、あへて氏に奨めたいことは、かかる改作を試みるよりは、むしろ現在の氏の心境で、現在の氏の美学と詩精神によつて、別の新しい詩を創作されたいことである。
 かつて北原白秋氏の歌集「桐の花」が、久しい絶版の後で復刻した時、白秋氏もまた有明氏と同じ心境から、その著作に対する不満を叙べられ、加筆添削の意あることを語られたので、私は一応反対の意見を叙べたが、聡明にも白秋氏は、自ら反省して意をひるがへし、全く元の原作のままで再版した。之れに反して与謝野晶子氏は、新版の出づる毎に、しばしば旧作の歌を添削される。たとへば最近、改造紅から出版された文庫中の「みだれ髪・小扇・恋衣」中で、氏はその有名な「和肌の熱き血潮」の歌と並んで、「みだれ髪」中の代表作と言はれた「春みじかし何に不滅の命ぞと力ある乳を手に握らせぬ」を「春みじかし何に不滅の命ぞと力ある血をおさへずわれは」と改作されてるが、詩操上からも修辞上からも、旧作の方が格段にすぐれてることは明らかである。尚晶子氏は、その選集の後書にかう話してゐる。「現在と過去とを分けるのに、昨日と今日といふ言葉を用ゐるなら、私の初めの頃の歌を云ふには、一昨日といふ仮定を設けなければならない。私はこの一昨日を厭はしく思つてゐる。人から伝記を求められるのに筆を取らぬのも、更に甚だしく、一昨日を悪む情があるからである。咋日のことについては、訂正すべきはするが、一昨日といふものは手のつけられない過去で、自分の歌が非常に疎い他人の作としか思はれない。」と。ゲーテが晩年になつて想念した青年時代も、おそらくこの晶子氏と同じ「一昨日」であつたらう。晶子氏が自白してゐる通り、さうした一昨日の自分は、現在の自分とは別の人格に属する作家で、「非常に縁の疎い他人」としか思へないものであらう。のみならずその上にも、現在の自分にとつて、むしろ厭はしく忌むべき者にちがひない。ゲーテがエルテルを否定したのも当然だし、晶子氏が旧作を厭ふ気持ちも自然である。しかしまたそれ故にこそ、さうした現在の作家たちは、過去の別人格に属する自己の旧作を、自由に改作する権利がないのである。藝術上にもし法律といふものがあるならば、さうした作家等の自由権利を、適度に制限する条文があつてもよい。
 私の崇敬する先輩の詩人中で、かうした点に最も聴明な見識を持つて居られるのは、実に島崎藤村氏一人である。藤村の選詩集は、文庫その他で沢山出版されてゐるけれども、殆んど皆原作通りで、後から手を入れたと思はれるものが無い。多少添別されたと思惟されるものも、却つてむしろ旧作以上に善くなつてゐる。これは藤村氏が聡明であることよりも、実には文学者としての藤村氏が−亀井勝一郎氏の言ふ如く−詩人としての出発以来、終始一貫して「漂泊者の旅情」を精神してゐる為であらう。つまり抒情詩を書いた頃の藤村氏と、今日の小説を書いてる藤村氏とは、年齢の差を除いて、文学上のエスプリには全く同一人者なのである。私がかつてある小論で、藤村氏を「永遠の詩人」と呼んだのはこの為であつた。しかし風聞する所によると、近くその藤村氏が、過去に書いた「新生」、「春」等の小説を、新たに改作して書き直すさうであるが、どうした心境の変化かわからない。詩と小説はちがふけれども、文学としての本質点では同じだから、やはりその改作に対して、私は疑問をもたずには居られない。