韻文学の興隆


      1

 事変以来、詩壇が沈滞して振はなくなつたことは事実である。もつとも一部には秀れた詩人が現れ、相当価値のある詩集も出版されてゐるけれども、概して詩壇全般の空気が沈静し、何となく活気がなく、火の消えたやうな寂しさが痛切に感じられる。これに反して和歌や俳句の韻文は、時局下のジャーナリズムに乗つて活躍し、出征軍人の作品なども混つて甚だ賑やかに活気づいてる。特に盛んなのは七五調の韻文(軍歌、流行歌、国民歌謡の類)であり、これが殆んど時局下に於ける、韻文学の王座を占めてる観がある。
 その上にも、一時全く廃つてしまつたと思はれた漢詩などが、時局以来復活して、一部人士の間に返り咲の流行をしてゐるし、概してこれを鳥瞰すれば、事変下に於ける日本の韻文学は、多方面に亙つて極めて隆盛に活気づいてることは事実である。
 ただひとり、この間にあつて寂しく振はないものは、僕等が普通に「詩壇」と称してゐる自由詩の世界である。厳正に言ふと、自由詩は領文に属する文学ではない。すくなくとも今日、日本の文壇で通称されてる意味の自由詩といふ文学は、一種の散文に属する文学なのである。故に今の事変下に於て、和歌、俳句、新体詩等の「韻文学」が隆盛であるといふことは、その「韻文学」の概念から、自由詩を除外することによつて、完全に定説づけられる。つまり今の時世では、韻文が流行して自由詩が廃つてゐるのである。
 さてこの現象には、もちろん深い文化的、社会的の原因が存するので、それを考へて見ようと思ふのである。先づその原因の一つは、自由詩の出発が、西欧詩の模倣や輸入から伝統されてるといふことである。明治詩壇のいはゆる浪漫派新体詩時代から、或はそのずつと以前の新詩出発から、僕等のいはゆる「詩」といふ文学は、旧来の日本詩歌に所有してゐなかつたところの、西欧詩の新鮮な香気や情操を取り入れ、これによつて和歌俳句とちがふ別種のポエヂイを創造して来たのであつた。しかしこの新文藝は、伝統の時日が尚極めて浅いため、形式上にも未だ藝術として充分に完成されず、内容上にも民族的に未だ血液化されてゐないのである。そこで今日のやうな時局に遭遇し、国民の全部が民族意識の強い自覚に結束してゐる時、歴史的伝統のない舶来文学の類が、大衆の情緒に触れなくなるのは当然である。人は生死の非常時に際する時、一切の知識や気取りを忘却して、祖先以来肉体の中に遺伝されてるところの、純な本能的感情によつて行動する。多くの日本の詩人たちが、酒に酔つて朗吟する時の詩や彼等の平常作るインテリ気取りの自由詩ではなく、日本の古い素朴な民謡や、或は先祖以来血肉の中にポエヂイされてるところの、日本の古い伝統の歌なのである。
 今日の如く、時局に際して国民が生一本になつてる時、伝統の民族的情操を欠乏した西欧まがひの所謂「詩」が、時局下の文化心臓から迂遠されるのは止むを得ない。そしてこの反対に、和歌俳句が今日隆盛してゐる理由も、同じ一つのことで説明づけられるのである。
 しかしながらそれだけではない。他にもつと大きな根本的な原因がある。もし原因が、単に上述したことだとすれば、かつて明治時代の新体詩が、日清、日露の戦役時代に為したところの、あの花々しい文壇的活躍について、疑問を提出されねばならないのである。多くの人々の知つてるやうに、日本のいはゆる新体詩(七五調等の新体韻文)は、日清戦争時代に軍歌や唱歌として隆盛し、さらに日露戦争時代には、高級な文藝作品として、多くの秀れた詩人や作品を産み、時局下の文壇に全躍的の活動をしたのである。

   2

 すべて戦時に於ける文化情操は、一面に於て伝統的、保守的であると共に、一面に於ては進出的、躍動的であるのを常とする。保守主義とロマンチシズムとは、戦時に於ける文化情操の矛盾した両面を対立する。日清、日露の両役に於て、新興文藝の新体詩が隆盛したのは、たまたま時局下に於ける国民の颯爽たる進出的の社会情操が、ロマンチックの詩人群によつて反映されたものに外ならない。然るに今日現代の日本に於て、詩がこの時局の進出的風潮に乗らないのは何故だらうか。その理由の重大性は、実に今次の戦争が、以前の二戦役と本質を異にする点にあるかも知れない。政府はしきりに国民精神総動員を説き、新日本の世界的躍進を言ふけれども、一般民衆の感情中には、充分に了解できないものがあるらしく、颯爽たるロマンチシズムの社会情操は、尚高潮するに至つて居ない。したがつて今日の時局下に於ける文化情操は、単に保守的伝統的の一面を支持するのみで、その戦時気分の半面であるところの、進出的、躍動的の積極的燃焼性を持たないのである。今日の我文壇に於て、保守的の和歌俳句が栄え、新興文藝の新しい詩が振はないことの理由は、前に述べた事情の外に、実にまたかかる逆の事情も存するのである。
 しかしさらにもつと本質的の原因は、今日の日本や独逸、伊太利等の如く、全体主義的国家を意向してゐる社会に於ては、本来自由詩といふ如き文学が、藝術理論の根拠に於て存生し得ないといふことである。自由詩といふ文学は、本質に於て「韻律への反則」であり、「反韻文的なもの」なのである。ところで韻文といふものは、元来クラシックの精神に立脚した文学である。即ち詳説すれば、内容よりも形式美を重んじ、自由を抑へて規律を厳にし、個性を揚棄して範疇に止揚し、均斉、典雅、荘重、調和等の公式美をモットオとして、感情のエゴイスチックで奔縦な表出を、藝術上のデカダンスとして邪悪視する文学である。クラシズムの本質は、これを要するにストイシズム(厳格主義・規律主義)を精神とする形式文学で、その社会的情操は、強権的貴族主義の国家組織に属してゐる。世界の文化史上に於て、上古中世に韻文学が隆盛を極めたのは、実に韻文学そのものの本性が、古代社会のクラシックな文化情操を表現してゐたからである。
 西洋で散文学が発生したのは、極めて最近の歴史に属し、近代資本主義の国家の成立以後のことにすぎない。資本主義の文化情操は、すべてに於てクラシズムの対蹠に立つてる。即ちそれは、形式よりも内容を重んじ、規律を無視して自由を尊び、エゴの個性を強調して、類型的のカテゴリイを排斥する。そしてその社会情操は、デモクラシイの民主主義国家に属するのである。したがつて近代文化史上に於ては、クラシックの韻文学が凋落して、代りに自由主義の散文学が興隆して来たのは当然である。
 ところで自由詩といふものは、かうした資本主義の文化情操を、詩の細胞内に輸血した文学である。故に自由詩の精神は、本質的に反クラシズムのものであり、散文学に対する詩の自己逆説をイロニイしてゐる。つまりそれは、詩を散文化することによつて、詩を時代情操の中に転生させようとするものである。(だが詩を散文化することによつて、詩が本質上に存在し得るかといふ疑問は此処で侮れないことにする。)とにかく銘記すべきことは、詩それ自身が散文化して来たほど、近代の社会がデモクラシイに自由主義化し、散文的に商業主義化して来たといふ事実である。
 然るに今や、世界の情勢に一大変化が興つて来た。民主主義の商業国家は、ソビェートやファッショの強権主義的国家の為に、正にその文化的危機に曝されてる。といふことは文藝上に於ける自由主義や個人主義の思潮が、漸く旧時代のものに追ひ込まれて、逆にクラシズムの文藝恩潮が、新時代の地球上に復活しかけて居るといふことである。すべて強権主義や全体主義の国家に於ては、個人のエゴイズムが抑制されて、全体としての民族的イデーに範疇づけられる。此処で貴重されるものは、個性の発揚でなくして全体の理念であり、自由でなくして規律であり、内容でなくして形式であり、そして要するにストイックな貴族精神である。故に全体主義の国家社会に於て、当然発生すべき文藝思潮は、実にそれ自らクラシズムに外ならないのである。そしてクラシズムの文藝思潮は、それ自らまた散文学の形式主義と規律主義とが、一切文学をリードするところの思潮なのだ。
 このやうな新しき事情の為に、既に久しく磨滅の悲運にあつた韻文学が、今や再度、古代の繁栄を呼び戻さうとする機運に向つてる。現に伊太利等に於ても、ダンテの神曲の如き雄大の韻文学が、ファッショの青年詩人によつて、盛んに新作されてるといふことであるし、独逸に於ても、今は小説の時代でなく、詩の時代であると言はれてるさうである。そして此処に「詩」といふことは、もちろん、「韻文学」を指してるのである。
 さて此処まで考へる時、今の時局下にある日本に於て、、和歌、俳句を初め、七五調、五七調等の韻律を持つ厳正の韻文学が、社会の文化層に新しい勢力を以て興隆してゐることが、当然の理由を帰納し得るのである。前に日清、日露の戦時に於ても、軍歌その他の格律をもつ領文学が、文壇の藝術詩たる新体詩と竝行して、盛んに流行したことは既に述べた。そして当時の藝術詩であつた新体詩は、今日の自由詩のやうなものでなく、厳正な形式的規律による真の韻文学であつたことを、此処で特に注意しなければならない。
 なぜなら同じ時局下にありながら、今日のいはゆる詩壇(自由詩の詩壇)が、往時に反して全く意気消沈してゐることの原因が、実にこの詩形の相異といふ一事に存するからである。
 前にも既に言つたやうに、日本の自由詩といふものは、本来「韻文」ではないのである。ナチス独逸に於て、小説よりも詩の時代と叫ばれる時、それは「詩」の観念からオミットされるものなのである。なぜならそれは、本来韻文精神が立脚してゐるところの、クラシズムとは縁がなく、逆に却つて、民主主義社会の自由主義に出発してゐる文学だから。今の日本に於て、正首に「韻文学」と言はるべきものは、和歌俳句の外には、市井の歌謡詩たる軍歌、流行歌、俗謡の類があるにすぎない。新体詩亡びて以来、日本には文藝価値のある韻文学が、伝統の和歌俳句以外に全く中絶してゐるのである。そこで今の時局下にある日本、全体主義的統治下にある日本に於て、しきりに韻文精神が要求されてる時、低俗ながらも市井の歌謡詩人等だけが、かかる需用に応じてペンを取り、時代の新しき詩精神をひとり背負つて立つてる現状である。
 彼等の多くの作品は、現状としては卑俗にすぎる。しかし将来、世界の新機運が韻文学を復活する時、おそらく新日本の新しき詩壇を開拓するものは、今日市井に住む彼等の歌謡話人の中から、選んで送られた一人の天才的チャムピオンの手に帰するであらう。之れに反して、今日純文藝のインテリを誇る文壇的自由詩人の将来は、おそらく暗澹たるものであるかも知れない。まことに詩壇は銷沈してゐる。だが詩が衰へたのではない。衰へたのは自由詩である。今の時局下にある日本は、詩よりも先づ韻文精神を要求してゐるのである。