英雄と豪傑
豪傑と英雄とは、素質的にタイブのちがつた人種に属する。豪傑といふタイブの代表者は、支那の水滸伝に出て来る花和尚魯智深や、三国志に現はれた関羽、張飛のやうな人物、日本でいへば荒木又右衛門とか、岩見重太郎とかいふ人々だらう。
かうした豪傑連には、何れも一つの範疇的なタイブがある。支那風に形容すれば、豚肉百斤を裂いて啖ひ、酒一斗をあふり、力千人を越え、鼾声雷の如く、身の丈一丈余、髯髭熊の如くに生えてるところの、半人半獣の怪物を表象させる。ところがこの豪傑連、見かけの怖しさに似もやらず、案外皆人の好い単純の好人物で、恩誼に感ずる情が深く、義侠心に富み、信義に厚く、自己を知るもののために身命を惜まないといふ気概をもつてる。
これに対して英雄といふのは、人物の風貌からして、ずつと普通の人間に近当現実的である。英雄には、ナポレオンや頼朝を初めとして、概して髯の尠ない、瘠身白ルの人が多い。気質も神経質で陰性であり、藝術の天才などと同じく、変質者型の人物が可成多い。英雄の見本は、支那で漢高組、魏の曹操、秦始皇、日本で源頼朝、織田信長、足利尊氏、徳川家康などであらうが、何れも陰性で変質者型の人物であり、豪放快活といふやうな趣きは少しもない。もつとも中には、豊臣秀吉のやうな例外もあるけれども、これもやはり豪傑とはタイプがちがふ。現代の英雄たるヒットラアの如きも、五十余歳になる今日まで、酒も飲まず煙草も吸はず、女色を遠ざけて独身生活をしてゐる上に、菜食主義で押し通してゐるといふのだから、これも一種の変質者たることは明らかである。ロムブローゾによれば、シーザアもナポレオンも歴山大王も、例外なしに皆精神病者として診断されてる。要するに英雄と豪傑とは、その超人間的な点において類似してるが、豪傑の超人性は、主としてその肉体的、生理的(腕力や、体格や)の方面にあり、英雄の超人性は、その精神的、心理的の方面にあるやうに思はれる。
英雄といふタイプは、支那、西洋、日本を通じて共通に存在するが、豪傑といふタイプだけは、どうも西洋にはないらしく、歴史上にも、文学上にも見かけられない。プルタークの英雄伝を見ると、古羅馬の英雄中には、ずゐぶん豪放磊落の人物もあつたらしいが、本質はやはり極めて理智的であり、政略的であり、僕等の観念する豪傑といふタイプとは根本的に全くちがつた人物である。豪傑の本場は、何といつても支那であり、水滸伝がその見本帳の如く思はれる。水滸伝は支那の一大劇詩であり、シルレルの劇詩「群盗」と対応して、東西における盗賊文学の巨篇であるが、この小説に現はれる百余人の群盗は、今の支那における匪賊の頭目や、それから成り上つた軍閥の首魁みたいなものであらう。言葉をかへて逆にいへば、支那の匪賊や軍閥やは、昔ながらに伝統をひいてるところの、水滸伝的豪傑の子孫なのである。
支那の大衆が水滸伝を愛することは、日本の大衆が浪花節を愛して、国定忠治や森の石松に感激する如く、今でも都邑の至るところに、大道講釈師が卓を叩いて、水滸伝豪傑談を弁ずるところに、群衆が熱狂するといふ話であるが、つまりかうした「豪傑」といふ観念自体が、支那人のヒロイズムをイデーしたものに外ならないのだ。実際生活において、極端に打算的で利己主義者である支那人が、逆にその道徳観において、豪放磊落な野性的快男子や、義侠に勇む熱血児やを、イデーすることも当然であるし、特にまた、さうした豪傑達の怪物然たる超人間的性が、荒唐無稽を好む支那人のファンタジイに投ずるのであらう。
しかしその社会的の原因は、常に政府官僚の虐政に悩む彼等が、一方で匪賊の跳梁に苦しみながらも、一方ではまたこれによつて、政府の悪虐官吏に復讐したり、時には自己の傭兵として、自衛のために逆利用したことによるのであらう。つまりいへば、彼等の場合における「豪傑」は、日本の町人における「侠客」みたいなものであらう。日本の大衆に浪花節が愛され、侠客無頼の徒が崇拝され、時には白浪五人男的な純然たる盗賊が、市井人の美化された英雄となるのも、大体江戸時代の社会状態が、支那と類似点を持つてゐたためであらう。
豪傑といふタイプの、純然たる原型は、しかし日本では稀である。戦国時代の武士や浪人中には、日本流の見方で、まさしく豪傑と呼ばれ得る人々がたくさん居たが、支那の原型に此してレアリスチックであり、超人性がすくない上に、人物の規模が小さく島国的である。況んや侠客仁義の徒に至つては、あまりに純日本的でありすぎる。ただ古事記に現はれた素戔鳴尊だけが、大陸的雄大な豪傑タイブを表象してゐる。そして素戔鳴尊を尊崇する日本人は、支那人と同じく一体に豪傑型を好むらしい。源為朝が大衆に愛されるのも、平親王将門が江戸ツ子に親しまれるのも、同じ豪傑ファンのヒロイズムから来てゐるのである。
豪傑が大衆に愛されるのは、無邪気で、単純で、腹に悪企みがなく、感情一途に殉じて、権謀術策がないからである。これに対して英雄は、性格が複雑で気質が陰性であり、感情よりも理性に克ち、極めて権謀術策に富んでる政治家であるから、本質上に大衆にとつて親しみがない。特に日本人の如き、明朗単純を好む殉情肌の国民からは、概して英雄は人間的に毛嫌ひされる。頼朝も、尊氏も、信長も、家康も、日本人の大衆には甚だ人気がない。日本の大衆に好かれる英雄は、僅かに秀吉ただ一人だけであらう。もちろん秀吉と雖も、その権謀術策にたけてることでは、他の英雄の人後に落ちない曲者だが、気質上の明朗性と闊達性との故に、日本人の民族的好感に持てるのである。
英雄といふ人種は、決して修身教科書に出るやうな人種ではない。つまり彼等は、普通の意味での善人や、仁者や、義人ではなく、他のもつと別の範疇人に属するのである。彼等に共通する性格は、権力意慾の旺盛なこと、指導精神の強烈なこと、人心統御術に長じてること、権謀術策に富んでゐること等である。かうした性格天稟は、決して修身教科書的のものではない。しかしまた彼等は、決して悪人といふタイプではない。すべての英雄人は、本質的に言つて皆超道徳の善人であり義人でもある。
なぜなら彼等は、一代の世運時潮を、常にその正しい大義に導き、乱世を収攬して平和を築き、人心をしてその帰すべきところに帰結せしめ、以て人類国家の秩序と安寧を保護することを、その究極理念として良心してゐる人々だから。彼等のトリックたる政治的欺瞞や、老獪な外交手段や、複雑怪奇な権謀術策は、すべてこの究極理念のための方便として、道徳命題の止揚下にあるものに外ならぬ。天は人類の非常時に際して、温顔厚徳の聖人を選ばないで、逆に却つて辛辣の手段を取り、劇毒薬の使用と殺人戦争の術に長じた、英雄といふ名医を天降すのである。
今日及び今日以後の日本において、英雄といふタイプの人間が、果して必要であるか否かは疑問である。(民主主義が完全に行はれてる国家には、いはゆる英雄の出る必要がない。)しかし何れの場合においても、英雄といふタイプの中に、豪傑をイデーしてはならないといふことだけは、世人の常識すべき緊急事だらう。天下を治めるものは、常にかならず英雄であつて、豪傑ではない。加藤清正はいかに誠忠無比の人であつても、家康に代つて天下を治むべき人物ではない。木曾義仲は胸を叩いて、誠心一徹天に通ず、何ぞ人に通ぜざらんと常に言つたが、政治家としては無為無能で、源頼朝のために亡ぼされた。関羽は千斤の青龍刀を振り廻し、軍をやること神の如く、義に厚い人であつたが、天下を統御する人材としては、到底曹操の敵ではなかつた。国定忠治は愛すべき熱血の快男子だが、彼に一郡一郷の政治をまかすのは、狂人に天下を委するよりも尚危険である。
ゲーテはその政治論の中で言つてゐる。拙劣といふことは、時に個人の場合では許される。だが政治の場合には、拙劣は絶対に許されない。なぜならそれは、何千万人といふ多数の民衆や国民やの、財産生命にかかはる禍を招くからだと。実に政治家の重大責任は、何千万人といふ大多数者の運命を、一身の決意に負つてるといふ点にある。彼がもし過つて溝に陥れば、彼に背負はれてる何千万人の民衆が、ひとしく皆溝に陥らねばならないのだ。かかる重大責任を負ふべき人は、単純な感情によつて激する如き、道義的感傷人であつてはならぬ。英雄は常にセンチメンタリズムを克服し、時には人情道徳さへも蹂躙して顧みないところの、鋼鉄の意志を持つた人々である。内に確乎不動の精神と計画を持し、遠謀深慮に富み、臨機応変の機知に長じ、大局を綜合的に直観する叡智にたけ、政治手段としての老獪性や複雑怪奇性やを、多量に具備してゐる人々こそ、国家の大事を安心して委するに足る人々である。頼朝も、家康も、漢高祖も、ヒットラアも、ナポレオンも、皆かうしたタイプの人々だつた。およそ修身教科書や浪花節列侠伝の人物中から、我等の英雄をイデーしようとする日本人の思想ほど、非常識にして危険千万のものはない。代議士の選挙においてさへも、必要な常識は、愛情の好意による決意でなく、主義の是非を批判する理性上の決意である。すべてにおいて日本人は、理性によつて行動する術を学び、且つ理性によつて良心することの新しい道徳律を掴得せねばならないのである。