思想人としての谷崎潤一郎と正宗白鳥

 彼は詩人としては天才だが、思想家としては小児にすぎない。といふのは、ゲーテがバイロンに与へた評であるが、この評はもつと一層適切に、日本の詩人や文学者に適用される。特に日本の詩歌人といふものは、昔から花鳥風月を吟詠してゐる風雅の士で、趣味に生きることを以て理想とする以外に、人生を「考へる」ことの思想を持たなかつた。今日の新体詩人や自由詩人と称するものも、この点では昔からの伝統人種で、彼等の殆んど大部分は、全く思想上の小児にひとしい。しかもこの国の風習では、思想上での小児たることを以て、詩人の詩人たる純情性の所以と認め、自他共に却つてそれを誇りにしてゐる有様である。
 かうした「ことあげせぬ」国ぶりの風習は、ひとり詩人ばかりでなく、日本のすべての文学者に共通してゐる。西鶴以来、江戸文化の花を飾つた幾多の文人小説家中で、真に人生をデンケンした作家が幾人あつたか。もちろん彼等は、体験によつて人生を味得してはゐたらうが、それを知性上に反省して、懐疑や問題を提出することを知らなかつた。そしてこの作家気質は、明治の硯友社文壇を経て今日に至る迄、依然として日本の小説家に伝統してゐるのである。
 日本の文壇に於て、僅かに多少思想らしきものが萌芽したのは、共産主義のプロレタリア文学が流行して、若い作家たちの間に所謂理論闘争が行はれた時だけだつた。さうした彼等の思想は、政治と文学とを混同し、経済学の原則で藝術を律しようとする如き、非条理極まる小児病的のドグマであつたが、しかも文壇の既成作家等は、一も立つてその攻撃に応ずるものなく、さうした幼稚な思想にさへ、完全に屈服されてしまつたほど、それほど全く無思想であつた。日本の作家たちは、日本の詩人が風流人を自誇する如く、自らまた人生の通人や苦労人を以て任じてゐる。通人のイデーは、野暮から垢ぬけることであり、一切何事に対しても、理窟ぬきに人生を達観することである。さうした作家の社会に於ては、思想するといふことが、理窟と同じく野暮の骨頂に考へられる。彼等がプロレタリア作家に対して取つた態度も、明らかに「野暮を対手にせず」といふ如き自誇を示した。もつともマルキストの文学論の如きは、本質上から見て、文藝人の対手にすべきものではなかつた。文学にたづさはる人が、真に人生に於て思想すべきことは経済学の概念知識や抽象理論を振りかざして、馬鹿の一つ覚えに勉強した弁証論などで、公式的な藝術論や人生論をすることではない。文藝の士がそんなことに熱狂するのは、中学一年生の乳臭時代に属してゐる。成長した文学者の仲間に於て、真に「思想」と呼ばれるものは、大学講座で学ぶ学問知識の謂でもなく、抽象理論の羅列でもなく、況んや外国思想の受売りでもない。文学上で言ふ「思想」とは、それ自らが文学の内容となり、作家の生活となつてるところのもの即ち作品の背後に哲学されてゐるところの、作家の生活体験への自己反省である。西洋の文学者等は、ジイドやヴアレリイを初めとして、すべて皆さうした思想を所有し、且つそれを詩や小説と共にエッセイしてゐる。然るに日本の作家たちには、作品外にも作品中にも、さうしたエッセイが全くなく、思想する精神が殆んど欠けてる。したがつてまたその文学が、身辺雑記的な報告文学の域を出でず、通人趣味の随筆に終るのも当然である。


 かつての所謂左翼作家の如きも、その借り物の理論闘争を捨てた今日では、もはや何事も思想し得ず、旧態依然たる伝統の日本的作家になつてしまつた。彼等もまた他と同じく、真の思想を所有して居なかつたのである。かうした日本の文壇に於て、二三の例外的な作家を見ることは、何よりも、興味深い問題である。私はその稀れな作家の中から、特に谷崎潤一郎氏と正宗白鳥氏とを発見する。谷崎氏について言へば、今日の日本の文壇で、彼ほどにも西洋臭く、西洋人的タイプの文学者はゐない。といふ意味は、人生に対して情熱的な祈祷をもち、自己のイデーを追ふことに於て、あくどい迄も執拗である点を指したのである。西洋人と日本人との相違点は、一言で言へば「主観的」と「客観的」といふことに尽きるかも知れない。西洋の作家たちは、徹底的にエゴが強く、主観の欲情するものを決して捨てない。彼等は自己の満足が充たされる迄は、永久に狂気の如く、人生のどん底まで執拗に探し歩いてゐるのである。フローベルのやうに、純客観描写のレアリズムを称へた作家も、本質的には主観に憑かれた人であつた。反対に日本の作家は若い時から既に客観人になり切つてる。彼等の揚合では、エゴが対象の中に融化し、主観人としての意慾が、自然人生の環境する世界に於て、客観化することを理念してゐる。したがつて彼等には、モノマニア的狂気や情熱がない。日本人の情熱といふものは、芭蕉がその俳句道に於て示した如く、幽玄閑寂の境の中に、静かに人生の煩悩を噛みしめながら、寂しく孤座してゐるやうな情熱である。
 最近の谷崎氏は、かうした日本人的な心境を理念とされ、さうした物への讃美と憧憬を書いてるけれども、おそらくは趣味の変遷を語るにすぎず、本質に於ての個性は、昔ながらに依然として西洋人臭いものである。(たとへば「春琴抄」の如きも、地唄の三味線によつて奏されたところの、基督教的モノマニアの文学である。)しかしこの小論に於て、自分が谷崎氏に興味をもつのは、氏がその小説以外の文筆に於て、卓越せる思想人としての風貌を示してゐる点である。倚松庵随筆や、陰影礼賛や、文章読本やを初めとして、氏の多くの随筆を読んだ人は、氏がいかに敏鋭叡智の知性人であり、いかによく人生を情熱しながら、いかによく事物の本質を直観するところの、真の意味の哲人であるかを知るであらう。この点に於ても氏は日本の文壇に稀らしく、ジイドやフローベルの如き西欧の文学者と、素質を一にしてゐるところの作家である。真の文学者は、素質上での哲人でなければならぬといふゲーテの言葉は、それらの西欧作家に当るやうに、谷崎氏にもよく当つてゐる。すくなくとも日本の文壇には、谷崎氏の如く生活を思想し、併せて文学を思想してゐる作家はゐない。そして此処に思想するといふ意味は、抽象理論を弄ぶといふことではない。作者の強烈な主観によつて、人生を体験から直観し、これを自己のドグマによつて、批判的に認識づけるといふことである。谷崎氏のエッセイは、悉く皆主観の強烈なドグマである。しかもそのドグマの中に、いかなる学者や思想家も知らないやうな、驚くべき生きた真理を掴み出してる。かうした手品は、単に「考へる」だけの人には出来ない。「感ずる」だけの人にもできない。その両方を合算して、その上にも、主観の強烈な意慾を押し通す人でなければ不可能である。ところで日本の文壇人には、概してその「主観の強烈な押し」がないのである。そのため日本的な作家の知性は、彼等を真実への探求に導かないで、批判なき身辺雑記の低徊に紛らしてしまふ。
 谷崎氏の小説は、実に全身全盛、真に身を以て書いてる「体当り」の文学だが、そのエッセイもまた同じやうに「体当り」で、何うにもならない切実の実感が、思想する呼吸の一々に息づいてゐる。「文章読本」の如き、比較的組織立つた論文風のものであつても、読者はそこから抽象の理窟やロヂツクを感じないで、作者その人の直接に体験してゐる「人生」を痛感する。況んや「陰翳礼賛」のやうなものになると、あまりに切実なる作者の悲願が、綿々として泣訴される嘆きを感じ、悲しくも美しい抒情詩をよむ思ひがする。一体に谷崎氏の最近の文学は、小説でもエッセイでも、すべて本質上の「抒情詩」といふ感じがする。もつと詳しく言へば、盲人の弾く地唄の三味線が旋律する、あの寂しくも艶めかしい、しかも何うにもならない情痴無常のぺ−ソスを歌つたところの、世にも悲しい抒情詩である。人は谷崎氏の文章を礼賛するが、私は氏を名文家とも美文家とも思つてゐない。ただ氏の文章は、いつもその「心の限り」を体当りに叙べてるのである。そしてそれ故に、いかなる英文や名文にも増して、読者の心を強く打つのである。かつて昔、神戸で谷崎氏と逢つた時、氏は私に向つて、当時私がまだ読んでゐなかつたところの、二人の文学者を紹介し、日本の最も偉大な詩人と、最も本格的な小説家だと言つた。その一人の詩人は岡倉天心で、一人の小説家は中里介山であつた。前者は英語のエッセイだから別として、後者の「大菩薩峠」は、どう読んでみても名文ではなく、むしろ悪文の範疇に属するだらう。しかも谷崎氏がそれを推挙する所に、氏の文学観の根拠するものが窺はれる。そしてこの点が、常に体当りの裸を嫌つて、文章の粋実に凝つた名文家の芥川寵之介と、対蹠的な関係になつてるのである。


 正宗白鳥氏は、漸くこの最近に至つて、初めて真の善き理解者を得、正当の文壇的功績を認められて来た、と言つても好い程の作家である。実際氏の文学事業は、長い間一般によく理解されてゐなかつた。その原因の主なるものは、氏が西洋流の知性人であることによつて、あまりに日本人的な日本の文壇から、批判の圏外に置き去りにされたのである。自然主義といふ名で呼ばれたイズムの中には、本能主義や暴露主義や写生主義やの、色々な矛盾した複雑なものを含んでゐるが、本来浪漫主義の反動として興つたこの文学運動が、感性よりも知性を重んじ、現実に即して人生を観察しながら、不退転の懐疑を続けるといふ一義をモットオとする限り、正宗白鳥氏の如きは、真に自然主義の本道を行つた正統派の人と言ふべきだらう。他の多くの輸入文学と同じく自然主義の文学運動も、日本へ渡来してから全く本来の良心(真実への探求熱意)を失ひ日常茶飯の身辺記事を漫談的に書くタダゴト文学と化してしまつた中に、正宗氏一人がその正統の道を歩み、本来の良心を失はずにゐたといふことは、却つて日本の文壇に於て、氏を異邦人的な孤独者にした所以であつた。
 かうした点に於て、正宗氏もまた、谷崎氏と同じく、体質的に西洋人臭い作家である。ただ両者の大いに異なる所は、谷崎氏が浪漫派の抒情詩人であるに反して、正宗氏はむしろ抒情詩を否定するところの、懐疑的なニヒリストであるといふ点である。しかしニヒリストの反面は常に必ずロマンチストである故に、正宗氏の場合は、むしろ抒情詩やロマンチシズムやが、生活の内部に止揚されてるといふ方が当つてゐる。したがつて正宗氏の文学風貌には、谷崎氏のやうな派手やかさがなく常に地味にくすんでゐて、燃え立つやうな情火が見えない。しかしそのくすぶつてる埋火の中には、不断に熱して冷めないところの、綿々たる人生への悲願と情熱があり、真実への恒久な浪漫的イデーがある。およそ日本の文学者中で、正宗氏の如く真に人生を懐疑し、深刻に悩み続けた人はないであらう。かうした点に於て、氏はジイドやトルストイやの外国文学者と全くその運命を一にしてゐる。
 私は近頃、正宗氏の随筆を最も多くの興味を以て愛読してゐる。むしろ私は、小説以上に氏の随筆を愛読してゐるのである。一体私は日本の文壇で言はれる「随筆」といふものを好まない。日本で随筆と言はれるものは、たいてい詰らぬ身辺雑記で、その上乗の出来と言はれる物も、落語の名人圓朝の人情話を、長火鉢の前で聞くやうなものである。(もつとも日本では、小説の名作と言はれるものも、たいてい一種の随筆であり、その玄人受けのする面白味とは、所詮「話術のうまみ」に過ぎない。)ところで正宗氏の随筆だけは、かうした範疇から脱したもので、異に思想する精神とヒユーマニチイを持つて書かれた厳粛なる「良心の告白」である。さうした氏の随筆は、谷崎氏のやうにリリックではないけれども、冷静な知性によつて仮借なく現実を凝視し、良心のあらゆる隅々を反省させる。そこには常に熾烈な主観が燃焼して、内攻してゐる無言の「叫び」が聴えてゐる。谷崎氏の印象は「悲しい人」といふ評に尽きるが、正宗氏の印象は「痛ましい人」といふ言葉で尽きる。氏は実に日本に於て、過渡期の十字架を負つた受難者の一人であり、新日本文化の矛盾と闘争に正面して、勇敢に負傷した犠牲者である。
 正宗氏のやうな作家が、今日の日本に生れたことは、氏のために非常に不幸な宿命だつた。氏がもし仏蘭西や独逸に生れたなら、さうした受難者になることもなく、結論のない懐疑のために自ら傷つくやうな悲劇もなかつた。仏蘭西や独逸の如く、文化がその伝統の上に正しく秩序してゐる国々では、文学がもつと楽しく余裕あるものになつてるので、すべての文学者等が、専念にその創作の中で藝術の美的完成を楽しみ得る。然るに今日の日本では、むしろ文筆する以前に、現実の切実な問題や矛盾が感じられ、純粋な藝術的美意識を著しく妨げる。今日の日本に於て文壇的に多くの仕事をするためには、さうした知性的の反省や感受性から、全く無関心になつてる外はない。そしてまた実際に、さうした非思想的な人たちばかりが、日本の文壇を構成してゐるのである。かかる社会に於て、正宗氏の如き敏鋭な思想的知性人が、多くの犠牲を強ひられるのは当然である。氏がもし外国に生れたならば、もつと楽しくもつと多くの小説を文学することも出来たらうし、おそらくまたその文壇的声望も、今日あるよりは数倍も高くなつてゐたにちがひない。西洋では知性人であることによつて楽しく、且つ文壇的に幸福であることが、日本でその逆になつてる程、文化の痛ましい現実相はない。
 永井荷風氏や、島崎藤村氏や、それから佐藤春夫氏等も、また異に「思想する精神」を持つた文学者である。しかしこれらの人々については、他日別の機会に語ることにしようと思ふ。