公衆道徳について
交通告示と交通道徳
「花時は事故多し、相互に注意せられたし」「道路に唾を吐くと罰せられる」等、この頃の警視庁の交通告示は時局下にふさはしく、きりつとして気持ちの好い文章である。これが少し以前だったら、「花時はとかく事故がありがちですから、お互に注意致しませう」とか「道路に唾を吐かないやう、公衆衛生を守りませう」とか書くのだらうが、時局下に入つてから、こんな女学校作法のふやけた公示がなくなつたのは、それだけでも胸がすつきりして気持ちが好い。これはいつか他の雑誌でも書いたことだが、「お互に交通道徳を守りませう、警視庁」と書いたゴーストップの告示の下から、いきなり巡査が飛び出して「おいこらツ、信号が見えんかツ」と怒鳴りつける。そんなことなら初めから「信号に注意すべし」と書けば好いのだ。ヘンな猫撫声で「お互に守りませう」なんて書くから、却つて不愉快な反感が起るのである。官僚主義といはれるかも知れないが、やはり警視庁らしい告示をするのが好いのである。例の人口に膾炙した「この土手に登るべからず 警視庁」の公示は、近頃何処にも見えなくなつたが、あれは警視庁の告示としては典型的の名文だと思つてゐる。要は簡単にして権威があり、しかも人民保護の精神がよく現はれてるのが好いのである。「今度自動車の駐車場が出来ましたから、自動車にお乗りの方は駐車場からお乗り下さい」なんていふ外国語直訳的の公示も苦笑ものだが、一しきり流行した「おいしく戴けます」式の華族女学校言葉は、紳士的でなくつてむしろ厭らしい感じがする。警視庁がこんな流行にかぶれたのは、たしかにデモクラシイを履きちがへた弊風だつた。
ついでだからいふが、鉄道省の「お降りの方がすんでからお乗り下さい」も、「降りる人がすんでから乗つて下さい」とすべきで、不必要に「お」や「方」などの敬語をつけるのは、前と同じ理由によつて不愉快である。この公示が最初出た時には、「お乗りのお方はお降りのお方がお降りになつてからお乗り下さい」といふのであつた。まるで「坊主が屏風に坊主を書いた」式の迷文で、息をつかずに三遍言へたら、鉄道省からお褒美がもらへるのかと思つたほどだ。それから言へばこの頃の「乗り降りはご順にお早く」などは、告示として急速に進歩したのである。進歩といへば、この十数年来、日本人の公衆道徳が進歩したことも驚くべきものだ。少し昔は、往来でも電車の中でも、群衆の通行する到るところに喧嘩が見られた。そしてその喧嘩の原因は、一寸突き当つたとか、袖が触れたとか、足を踏んだとかいふことだつた。そのころ外国の事情を書いたものに、ロンドンあたりの町では、往来で一寸人がすれちがつても、一々「ご免下さい」「失礼致しました」と詫びるのでまるで町を歩きながら、お辞儀をし通してるやうなものだと書いてあるのを読み、日本がそんな文明国になるのは、一体幾百年の後のことだらうと思つたが、それが僅々十数年を経た今日、すくなくとも東京等の大都会地では、目のあたり現実されることになつた。今では日本も西洋と同じく、通行人が礼節ある紳士人に変つて来た。昔は一寸突き当るたびごとに、すぐ「気をつけろ」とか「馬鹿野郎」とか怒鳴つた人々が、今では反対に帽子を脱ぎ、一々「ご免下さい」とか、「失礼しました」とかいふのである。昔の人たちは、その喧嘩つぽく威張ることに見栄を感じ、一種の勇み肌的、江戸ツ児的の自誇を持つてた。今の人たちは反対であり、礼節正しい紳士人であるといふことに、都会生活者としての教養を自誇してゐる。江戸ツ児の勇み肌や喧嘩人種は、今の都会人の目から見て、野蛮実に厭ふべき劣等種属として蔑視される。そしてこの新旧思想の交替が、僅か十数年の短日月に行はれたといふことほど、日本文化の変遷について急速な進歩を語るものはないのである。永井荷風氏はその 「墨東綺譚」に於て、銀座街頭に格闘する洋服人種の酔態を書き、野蛮唾棄すべき現代日本の国を呪詛してゐる。すくなくとも一昔前に此して、日本人の一般教育が向上し、したがつて文明的紳士人になつたのは事実である。西洋諸国の都会地では、酔漢が蹌踉として街路を彷徨する如き図を、何人も決して見ることができない。法律がそれを禁じ、警察が処罰するからである。だがその取締が法規されてない日本に於て、深夜の街上に多少の酔漢が乱舞するのは、あながち野蛮の証左とのみも見られないであらう。
荷風氏の讃美する江戸時代は、多くの点に於て今の混沌雑駁たる過渡期時代の日本より善く、江戸は東京にまさつてゐたかも知れない。だが公衆道徳といふ点だけは、遙かに今の日本人の方が、昔の江戸人より紳士的で、文明人としての資格をもつてる。僕は時として、錦絵に見る江戸の町に、昔の江戸人として住んで見たいと夢想する。だが白昼泥酔した酔漢が、公然として市中を闊歩し、婦女子に戯れ、猥褻の言語を弄し、或は故なくして通行人に喧嘩を吹つかけ、野蛮醜悪の狂態を演じながら、一人のこれをとがめるものなく、平然として大衆がこれを黙過してゐた社会のことを考へると、江戸錦絵の夢は幻滅して、昭和日本に住む現実の幸福さを、しみじみ考へずには居られないのだ。白昼酔漢が横行して、婦女子に戯れる如き野蛮の醜態は、昭和現在の日本に於ては、僅かに陽春四月、小金井や飛鳥山の花見に於て、一部無教育者のグループに見られるばかりだ。
日本人の公衆道徳が、概して尚欧米に劣つてゐるのは、汽車汽船等の文明的交通機関が舶来して命日の浅い上に、長く封建の社会制度に環境してゐた習慣が、未だ充分に脱けきらない為である。しかし、すくなくともただ一事だけ、我等の側の交通道徳が、欧米人にまさつてゐると断言できるのである。それは汽車電車等の中で、僕等の常に見る如く、日本人の徳義心に訴へて、不文律の法律となつてるものである。即ち人々は、先づ第一に老人子供、傷病者、及び重い荷物を持つた人、赤児を背に負つた人等に席を譲る。最後に尚時としては、まれに若い男が、婦人のために席を譲る場合もある。然るに西洋では、この最後のものが、いつも逆の最初に来てゐる。しかもそれは、若い男のみに課せられた義務ではない。老年の杖にすがるやうな紳士でさへが、元気溌剌とした若い女のために、自ら席を譲つて立たなければならないのである。仕事帰りの重い荷を抱へ、へとへとに疲れ切つた中年の労働者が、テニスのラケットを持つた娘の為に、荷物を抱へたなりで立たねばならぬといふ習慣は、女尊男卑の観念がない僕等にとつて、むしろ非道徳以上の悪風習としか考へられない。僕等の日本人が時として婦人のために譲席するのは、混雑と動揺の烈しい中で、その楚々として困憊する女性に対して、弱者としての同情と気の毒さを感ずるからであり、老人や傷病者に席を譲る場合と、全く同じ一つの心理、同じ道義心から出てゐるのである。すくなくともこの点での道徳律では、日本人の方が合理的であるし、正しい道義心にも適つてゐる。
公衆道徳と家族主義
支那人の道徳観について、多くの日本人が不思議がることは、自分の家族以外の他人に対して彼等が全く無関心で居ることである。先年物故した支那の小説家魯迅が、かつて日本に留学して居た時、多くの支那人が殺戮される映画を観て同胞の支那人見物がゲラゲラ笑つてるのを見、憤然として祖国の為に憂へたといふことだが、戦地から帰つた人の話を聞いても、支那人の通有性には、さうした極端な自己主義があるらしい。自分と無関係の他人のことなら、人から掠奪されようと虐殺されようと、平気で笑ひながら見物してるといふ話である。そのくせ彼等は、孔孟の教を固く守つて、父母に孝に、兄弟に順に、長幼に序に、朋友に信なることは、真に感嘆すべきものだと言ふ。つまり彼等の倫理学は、徹底的の家族主義に立脚してゐるのである。その父母や兄弟に対しては、厳しく孝順の道を尽しながら、家族や朋友以外の一般人に対しては、「赤の他人」として全く倫理的観念を持たないのである。
ところで日本人の公衆道徳が、本質的にかうした支那人と共通してゐる。途中でその知人や親辺の者と逢つた日本人は、西洋人の評する如く、最も礼節正しい人間であり、互にお節儀の百万遍を繰返して挨拶する。だが緑もゆかりもない路上の他人に対しては、反対に最も礼節のない人間であり、人にどんな迷惑をかけようと、どんな無作法をしようと、一向に道徳的責任を感じない。混雑した汽車電車の中で、その家族等と同乗する日本人は、血眼になつて席を探し、親、子供、嫁、姑等が、互にそれを礼節深く譲り合つてる。だがその席を得るためには、無理に割り込んで他人を押しのけ、他の乗客等に対しては、言語道断の無礼をしながら、あへて少しも良心に恥ぢないのである。つまり彼等の倫理観には、家族だけがあつて他人がなく、知己親辺だけがあつて公衆がない。かうした国民の社会に於て、公衆道徳が発達しないことは当然である。公衆道徳の本源は、すべての人間を平等に紳士として、平等に敬意を表しようとするところの、個人主義のモラルと礼節観念を根拠としてゐる。支那人と同じく、儒教の家族主義によつて訓育された日本人は、この点で近代社会の協同生活に適しない。親孝行や悌順やの、家族道徳を第一義とする倫理観は、おのづから他の公衆に対して、排他的の自己主義になるからである。すくなくとも現代に於ては、個人主義を通過しないやうな全体主義や、個人主義と相容れないやうな家族主義は、文明国の社会に適用されないのである。