り種の文学者と日本の文壇

 独逸の文学者は「独り言」を書き、仏蘭西の文学者は「座談」を書き、露西亜の文学者は「議論」を書くと言はれてる。日本の文学者はどの範疇に属すだらう。明治以来の日本文壇は、一通り英仏露独等の外国文学に影響されたが、特に就中、露西亜文学から受けた影響が、最も広く大きいやうに思はれる、自然主義の初期に於ては、チエホフ、ツルゲネフ、トルストイ、ゴーリキイ、アルチバセフ等の作品が、金科玉保として日本の文士に愛読され、だれもがその模倣に孜々として努めてゐたし、大正中期以後になつては、ソビエイト露西亜の唯物主義や革命思想がプロレタリア文学の名によつて氾濫し、露西亜臭いルバシカ姿の青年文士が、一時日本の文壇を占領した。
 だがそれにもかかはらず、それらの露西亜文学から受けた影響は、今日現在の我が文学に、殆んど何等の痕跡をも止めてゐない。といふわけは、さうした露西亜的のものが、日本の文壇と文学者に於て、板に付かなかつたことを証明明してゐる。あれほど騒がれたトルストイやツルゲネフが、日本に一人の後継者をさへ作つたらうか。換言すれば我が文壇に、一人のトルストイ的、もしくはツルゲネフ的文学者が生れたらうか。更に最近のプロレタリア文学に至つては、自由民権党的な壮士気取りを除く外、どこに露西亜文学のエスプリが見られたらうか。彼等のやつた仕事は、露西亜の階級闘争やマルキシズムを、単なる概念で翻訳して、弁証論の観念記述をしたにすぎなかつた。それは真の文学ではなく、勿論またその本質に、真の露西亜的文学を血脈してるものでもなかつた。
 要するに露西亜文学は、本来人種的に血液型を異にする日本人にとつて、初めから輸血不適応のものであり、僕等の文壇と文学に於て、板に付きがたいものであつた。独逸文学もまた、もつと縁の遠い異血液型で、森鴎外等の早い紹介にも拘はらず、日本に殆んどその文筆的血脈を伝へてゐない。リルケやデーメルやノーヴアリスや、さらにゲーテやシルレルでさへも、今日尚僅かにその名前だけが知られて、作品の内容が知られてないといふ有様である。(知られてないといふことは、実際に理解されてないといふことである。)
 過去に舶来した西欧文学の中、日本の文壇と文学者とに、真に多少でも同血液型の輸血をしたものは、実に唯一の仏蘭西文学であつたといふことを、今日我々は改めて回顧して見る必要がある。実際日本の文壇には、仏蘭西型の文学と文学者とが、殆んどその大多数を占有してゐる、といふよりも、日本人の文学的精神そのものが、血脈的に仏蘭西と共通の類似点を持つてゐるのである。初めに言つたやうに、仏蘭西の文学者は座談を書くと言はれてゐるが、今日、日本の文学者が書いてる小説や随筆やは、独逸的の独白でもなく、露西亜的の議論でもなく、すべて皆本質上の「座談」であり、その点で極めてよく仏蘭西文学と類似してゐる。この理由は、民族的の文化情操そのものに、相互の類似点がある故だらうが、実際に歴史上の伝統文化に於ても、日本と仏蘭西とは似たところがある。ルイ十四世以来、近代の仏蘭西文学といふものは、言はば一種のサロン文学であつて、教養人の洗練された趣味性によつて、気の利いた穿ちや、機智にたけた洒落や、上品なエロチシズムやを主意とするところの、一種の世間話的文学であつた。(この傾向は、最近二十世紀の仏蘭西詩壇や文壇に於て、一層著しく特色してゐるやうに思はれる。)
 ところで日本の江戸文学といふものが、本質的にさうした傾向の文学だつた。黄表紙や人情本やの江戸文学は、言はば町人社会のサロン文学で、江戸ツ子の洗練された趣味性によつて、機智や洒落や穿ちやを本位とするところの、世間話的座談文学の一種であつた。
 さらにもつと古く、藤原平安朝時代の文学も、本質に於て仏蘭西文学と似たところがある。当時の宮廷貴族によつて書かれた詩や小説やが、本質的にサロン文学であつたことは勿論だが、その唯美主義的なこと、形式主義的なこと、エロチックなこと、機智を尊重すること、及び趣味を情熱の上に置き、野性的なヒユーマニチィを嫌ふことなどの点でも、ルイ王朝時代の仏蘭西文学と共通し、さらに主知主義やシユルレアリズム以後の現代仏蘭西文学とも相似してゐる。
 仏蘭西文学の著しい特色は、徹底的にレアリズムで、浪漫主義的要素がないことだが、この点が最も本質的に日本文学と一致してゐる。日本人の文学情操ほど、おそらく世界において現実主義的なものはないであらう。衣食住の日常茶飯事を、歌や俳句の詩材とする民族は、世界に日本人以外にはない。印度人や支那人でさへも、詩にあつては最も高遠で実在的のもの(非現実的な理念)を歌ふのである。日本人といふ民族は、素質的に浪漫主義の欠如した民族である。そしてこの素質の故に、我々は宿命的に独逸文学を理解し得ない。ばかりでなく、露西亜文学も英吉利文学も、所詮日本人にとつて同化しがたい異血液型の文学に属してゐる。なぜならこれ等の国々の文学も、多分に浪漫主義的の要素を、本質のエスプリに持つてるからである。最も常識的と言はれる英国人でさへも、文学上に於ては、独逸と共に浪漫主義運動の先駆に立つて活躍してゐるし、実際にまたその文学は、現実主義的であるよりは、むしろ多分に浪漫主義的である。
 そこで、僕等の日本人にとつて、真に気質的に理解し得る文学は、唯一の仏蘭西文学だといふことになる。明治以来、無選択に輸入された外国文学が、今日ほぼ清算された時代に於て、静かに現実を反省する人々は、それらの輸入雑貨の中で、ただ一つの物だけが、現に身に付いた財産となつてることを知るであらう。そればかりでなく、多くの仏蘭西系統に属する文学者が、一面に於て日本の江戸時代や平安朝の、伝統文化への憧憬者であることを知るであらう。たとへば永井荷風や堀口大学やが、その趣味生活の上に於て、江戸文化への深い思慕を持つこと、さらに堀辰雄や三好達治やの仏蘭西系詩人が、平安朝文学への強い執着を持つてることの、すべての必然的な理由を知るであらう。つまり言へばこれ等の詩人は、仏蘭西といふ鏡を通して、過去の日本の渾然とした文化の像を、その反射する同じ映像に見てゐるのである。
 だがこれ等の詩人(夢見る人々)は少数であり、大多数の日本の作家は、現実の混沌たる過渡期日本を、その現実の相に於て肯定してゐる。彼等の文学や作品は − 現実の日本の社会と同じく  − 決して仏蘭西的のものではない。にも拘はらずその文学の本質的な比較に於て、最も仏蘭西に近いのである。一言で言へば、彼等の作者はすべてレアリストであり、趣味生活者であり、座談的世間話の文学者なのだ。かつて日本に移植した浪漫主義が、殆んど満足の開花もしないでいぢけた苗のままで枯れたに反し、のちに仏蘭西から来た自然主義が、この国の文壇の土壌になづいて、抜きがたく太い根を張つたといふことほど、この事実を実証してゐる歴史はない。
 しかし例外はどこにもある。かうしたレアリストの公式してゐる我が文壇にも、稀れに異色的な変り種の文学者がゐる。たとへば過去の文壇で岩野泡鳴や小川未明、今の文壇で佐藤春夫や正宗白鳥の如き人々は、どう考へても仏蘭西型の作家ではない。泡鳴や未明やは、むしろ露西亜型の詩人であつたし、春夫や白鳥やは、独り言文学の独逸型系統に属してゐる。(その意味で佐藤春夫等を浪漫主義者と呼ぶのは正しい。)もつと他に例外者を求めれば、夏目漱石や芥川龍之介等も、アングロ・サキソンの英国型文学者に属するだらう。すくなくとも彼等は、仏蘭西型のレアリストではなく、したがつてまた、日本文学の公式的範疇者ではない。
 日本文壇の島国的偏狭性は、容易に異質的のものを容れないといふことに、その発育を妨げる素因を持つてる。そしてこの原因から、日本に於ける変り種の文学者が、概ね皆悲劇性を宿命づけられてゐるのである。岩野泡鳴や、小川未明や、芥川龍之介の如き人々が、日本の文壇に於ていかに悲劇人を宿命されたかを考へて見よ。佐藤春夫や正宗白鳥や、それから尚夏目漱石でさへも、日本文壇では漂流人であり、真に寂しい「独りぼつち」の孤独人であつた。だが日本文学の新しい刺戟と発展とは、いつもさうした孤独人によつて、異質的の変り種文士によつて啓発されてる。言はば彼等は、古い同族結婚の血液中に、新しい別種の血液を注ぐことで、文学の血液的腐化を防ぎ、溌剌たる若返りをさせる役目をしてゐるのだ。
 しかしそれにもかかはらず、今日の文壇に於てさへも、かうした変り種の文学者は、一般に好い待遇を受けてゐない。特に新進の若い人たちは、ジャーナリズム等によつて意地悪く登場を妨げられ、文壇から異邦人的に白眼視されてゐる。(日本のジャーナリストは、異質的なものを嗅ぎわけ、それを毛嫌ひすることに、特殊に敏鋭な感覚を持つてる。)たとへば最近、若いグループに興つた日本浪曼派と称するものは、反自然主義のロマン精神を掲げるものだが、その先導者たる保田與重郎、亀井勝一郎、芳賀檀等の人々も、文壇的には孤高であり、むしろその圏外に於て、独自の地位と読者を持つてるやうに思はれる。特に中河與一の如く、浪漫主義の旗色を鮮明に掲げた作家は、日本文壇では絶対に容れられない。ジャーナリズムの嗅覚が、かうした異質的の文学者を、理由なく毛嫌ひするからである。
 最近「人間キリスト」や「芥川龍之介論」を書いた山岸外史もまた、日本で珍らしい変り種の文学者で、太宰治等と同じく、独逸的モノログ文学の代表者である。特に「芥川龍之介論」の如きは、芥川といふ一作家の像を藉りて、著者自身の人生観や文学観を述べたもので、独白文学の典型と言ふべきものであるが、おそらくかうした文学者が、日本で文壇的に厚遇される日は遠いであらう。
 しかしながら今や、仏蘭西の没落を前にして、日本の文壇的風潮も動いてゐる。菊池寛のやうな人でさへが、今後の文壇の正統派は、浪漫主義になるだらうと予言してゐる。本来、気質的に浪漫主義者でない日本人が、果してさうした転回をするか否かは疑問であるが、すくなくとも新思潮は、若い詩人や文学者のゼネレーションに、反座談文学への鬱然たる気運を呼んでゐる。世界の新しい改造と共に、日本の文学もまた、何等かの大変動をするかも知れないのである。