演芸随筆

怪談劇について

 この頃の見物人は、歌舞伎の怪談を見てゲラゲラ笑ふ。怪談なんていふ物は、今日の見物人にとつで意味がなく、時代おくれのものになつてしまつたと、多くの人々が書いてゐるのを見て、僕は少々不審の気がした。なぜなら人間に悪夢の夢が絶えない限り、気味の悪いものや、物凄いものに対する、怪談へのスリルや恐怖心がなくなるといふことは、道理上あり得ないことだからである。皮相な考へ方をする人々は、今日に於ける科学教育が幽霊や化物を抹殺したことから、今の若い人々にとつて、怪談が無意味になつたといふが、元来人間の恐怖心といふものは、人類の遠い昔の先祖から何万年となく遺伝されたものであり、抜きがたく本能化してるものであるから、いかに科学が化物を否定したところで、恐怖心そのものを到底消滅する筈のものではない。その証拠には、西洋でも日本でも、相変らず見世物の「化物屋敷」が繁昌してゐる。そしてしかもその見物人は、多く皆年の若い男女であり、幽霊や化物の出る毎に、キヤツキヤツといつて悲鳴をあげてる。ところでその同じ見物人が、歌舞伎の怪談劇を見る場合に、ゲラゲラ笑ふといふのだから一寸理窟に落ちない不思議である。
 この不可思議事を解かうとして、最近僕は或る怪談劇を見物した。それは有名な「四谷怪談」で、俳優は一流ぞろひの顔ぶれだつたが、成程人々の言ふ通り、劇の怪談的クライマックスに達する時、きまつて見物人がゲラゲラ笑ふ。しかもその最もよく笑ふのは、「化物屋敷」の見世物小屋で、最も悲鳴をあげて怖がるところの、若い女や娘たちなのである。
 そこで僕は考へたが、これは「怪談」そのものの罪ではなく、劇の演出そのものに、根本的の錯誤原因がある為である。僕の見た舞台に於ても、役者の熱演にもかかはらず、怪談的効果に於て全く失敗した演出だつた。元来怪談劇のスリルは、幽霊が出て来る迄の前提にある。お化そのものが怖いのではなく、それがいよいよ出て来る前の、ドロドロの太鼓の音や、暗闇で燃える鬼火や、あの息づまるやうな沈黙の時間やが怖いのである。そしてまたさらに、その怨霊を必然ならしむる因果の前提条件 − いかに怨めしく残酷な目に逢はされたか、いかに非道に虐殺されたかといふやうなこと − が、すべて芝居に筋書きされ、前以て伏線されておかねばならない。僕が子供の時に見た歌舞伎劇には、さうした伏線や前提やが、充分に行き届いて演出されてた。それは実際に物凄く気味の悪いものであつた。然るにこの頃見た怪談劇では、さうした最も大切な要素のものが、極めて簡単に手軽く扱はれ、殆んど皆事実上に省略されてる。そこでは必然の理由なくして死霊が現はれ、気味悪さの雰囲気なくして、唐突に化物が出て来る。即ち言へば、怪談を構成すべき筈のストリイと心理学とが、殆んど全く無視されてるやうな演出だつた。これではスリルを与へる代りに、お伽噺的ユーモアの滑稽感を与へるばかりだ。
 しかし見物 − 特に若い女たち − がよく笑ふのは、純粋に滑稽を感じて笑ふのではない。それは彼等の笑ひ声が、ゲラゲラでもなくクスクスでもなく、一種特別の作り声であることから、容易にその心理を推察される。つまり言へば彼等は、半ば滑稽であると同時に、実際は半ば怖がつてゐるのである。そこで周囲へのテレ臭ささから、自分の恐怖心をかくす為に、わざと声に出して笑ふのである。「怖さ笑ひ」といふ言葉が、もし字引にあるとすれば、今日の怪談見物の笑ひ声が、まさしくその怖さ笑ひであるかも知れない。だが要するに今日の怪談劇は、もはやそのスリルの演出効果を喪失して、半ば喜劇化したものになつてしまつて居る。つまり今の怪談芝居は、今の見物人にとつて、流行語の所謂「怖いみたいなもの」になつてるのだ。「怖いみたいなもの」とは、少しも怖くないといふことの反語である。それでは怪談が怪談になり得ない。
 今日の見物人は、昔の無科学時代の人々とちがつて、幽霊や亡魂やが、迷信以外に実在しないことをよく知つてる。だが前に言つた通り、人間の本能する恐怖心は、容易に理性によつて説服されない。今日の舞台でさへも、脚本と演出さへ結構だつたら、充分に成る程度迄、スリルを効果づけることができるのである。そこで脚本について考へれば、鶴屋南北等の怪談劇は、ストリイの現実的な自然性に於ても、人に気味悪さの恐怖感をあたへる、あらゆる心理的な舞台技巧に於ても、申分なく行届いたものである。故に今の舞台の失敗は、主としてその演出に存することが明らかである。第一に今の芝居は、舞台や場内やの照明が、概して皆明るすぎる。原則としてお化は明るい所へは出られない。全体にもつと電燈を暗くせねば駄目である。(僕の見た芝居では、舞台に役者が出入りする毎に、花道の電燈をパツと明るくした。それが折角の怪談気分を、いつも肝腎のところで打壊した。)その上前に言ふ通り、必要な前提条件が略化され筋が抜き読みになつてる上に、怪談の生命である残酷性や凄惨性が、殆んど舞台上に演出されない。これでは全く、骨ぬきにした演出であり、怪談にならないのが当然である。だがその罪の責任は、今の俳優にもなく脚色者にもない。言ふまでもなく責任は、警察の取締法に基因してゐる。電燈を暗くすることも、残酷の場面を演ずることも、すべて警察の取締りが許さないのだ。一体言つて日本の警察は、民衆の無邪気な娯楽に対して、必要以上に煩さく神経質な干渉をしすぎる。だがさうした法令を知つて居ながら、すぺての不可能な条件の下に、骨ぬきにした劇を上演するのは、良心的でない以上に、興行として愚策である。今日以後の怪談芝居は、南北式の型を離れて、新しく一転換をする必要がある。


義太夫の将来

 先に猿之助の「寿三番」を見、近くまた芦燕、仁左衝門の「忠臣蔵道行」を見ても感じたことだが、義太夫の将来といふものは、おそらく別趣の舞台方面に発展するであらう。普通の芝居で所謂「床(ゆか)」と称される義太夫は、一人の太夫と一人の三味線弾きとによつて、劇の内容を物語的に解説するものであるが、寿三番や道行のやうな舞踊劇で、所作事の伴奏となつてる義太夫は、長唄や常磐津の出語りと同じく、多人数の楽人が舞台に並んで、極めて賑やかに合奏される。ところが義太夫の音律といふものは、甚だ男性的で線が太く、且つヴォリユームが豊富なので、その多人数から成る合奏や合唱は、実に豪壮雄大の感じをあたへる。清元や常磐津などの、女性的で繊細な音曲は、かうした義太夫交響曲の前に出ては、もろくも吹き飛ばされてしまふほどである。実際、寿三番や道行の時の観客は、座席から伸びあがつて見物し、大悦びに熱狂して喝采した。昔とちがつて、今日のやうな広い大劇場では何よりも音量の豊富といふことが必要なので、義太夫はこの点で先づ一得してゐる。その上にまた、今日の観客は、一体に豪壮で明るく、線の太い雄健なものが好きである。清元、常磐津、新内のやうなものは、夫々ユニイクな善い味をもつてる浄瑠璃だが、あまりに線が細く陰気であり、今日の観客の時代的好尚に適しない。比較的陽気で男性的な長唄は、この点で今の時代に適合し、他の音曲を圧倒して居る形であるが、その長唄でさへも、太棹のバスで合唱する義太夫の前に出ては、怒涛の蔭の小波(さざなみ)でしかない。おそらく近い未来に於て、舞踊劇(所作事)出語りとしての義太夫が、長唄、常磐津を圧倒し、舞台を独占するやうになるかも知れない。
 しかし一般としての義太夫音楽は、今日の大衆から悦ばれてない。その本場である大阪でさへも、文楽の衰運と共に、年々歳々廃つて行く傾向がある。今日大多数の人々は、長唄に対して相当の興味を持つても、義太夫に対しては全く鑑賞の耳を持たない。その明白な理由は、義太夫の内容である「義理人情の世界」が、今の時代の人々には、もはや意味の圏外になつてるからである。その上義太夫の地である会話が、本来人形芝居の腹話術的セリフである為、甚だ不自然の誇張にすぎ、今の人々の感覚には、むしろ極めて醜怪グロテスクの感じをあたへる。すくなくとも一般としての義太夫は、今の時代人の趣味に合はなくなつた。
 しかし義太夫節そのものの旋律には、他の繊弱で頽廃的な江戸歌謡の類に見られぬ、上方的豪放の明朗な美しさがあるひそしてこの豪健な旋律美が、所作事の舞台に於て、今の観客にアッピールするのである。さうした種類の義太夫 − 舞踊劇の伴奏としての義太夫 − は、他の普通の床物とは違つて、人物の会話といふものが殆んどなく、義理人情の責道具もなく、純粋に義太夫節の旋律ばかりで出来てるところの、言はば音楽上の抒情詩である。そこで本来、音楽上の叙事詩(語り物)である義太夫から見て、かうしたものは傍流であり、異例的な曲種に属するかも知れないが、実際今の大衆にとつては、その異例的な曲種だけが、義太夫としての時代的魅力をもつてるのである。思ふに義太夫の将来は、益々その本格的の物が廃つて行く一方に、かうした異例的な抒情物が歓迎され、遂には長唄等と同じく、純粋の 「謡ひ物」として、舞台や公衆の間に栄えるだらう。


歌舞伎と新作

 歌舞伎の所謂「新作」と称すするものは、殆んどその大半以上が愚劇であり、見るに耐へないものばかりである。いつもさうした所謂「新作」を見る毎に、昔の伝統されてる旧作物が、劇としての仕組に於ても、舞台技巧の工夫に於ても、いかに優れて完美した藝術であるかといふことを常に事新しく感慨させられる。
 今の所謂「新作」が詰らないのは、思ふにその作者たちが、歌舞伎劇の本質的精神を知らないからだ。歌舞伎は一種のオペラであり、メロドラマであり、多分に幻想的な詩美を生命とするものである。歌舞伎の舞台から、その詩美と幻想性をマイナスすれば、それはもはや事実上の歌舞伎ではない。さうした生命的な効果のために、昔の劇作家等は、あらゆる史実と現実を無視するやうな、荒唐無稽の夢でさへも、恐れなく大胆に脚色した。然るに今の作家たちは、歌舞伎を履きちがへたレアリズムで解釈し、その本質的生命たる詩や幻想美を、却つて逆に抹殺することばかり考へて居る。稀れにさうでないものがある場合は、何の舞台効果としての意味もなく、単に多数の人物がゾロゾロ舞台を歩くやうな、退屈で他愛のないレビュー的なものばかりである。
 明治以来の日本で、真に芝居らしい芝居を書いた劇作家は、黙阿弥の外に、唯一人岡本綺堂氏があるのみだつた。綺堂氏の作物だけが、所謂「新作」の中で、劇としての充分な鑑賞的価値を持つてた。「曾根崎心中」や「修善寺物語」等を見ても解るやうに、この賢明な新作者は、歌舞伎の本質的なエスプリをよく知つて居り、どの作の舞台に於ても、溢るるばかりの詩美と幻想性によつて、観客の心を魅惑し尽した。今日でも尚、綺堂物の新作だけが、「芝居らしい芝居」を感じさせる。極端に言へば、現代の歌舞伎に於て、綺堂物以外に「新作」がないのである。
 今日、歌舞伎が衰頽した理由には、もちろん色々な事情があるであらう。たとへば第一に、若く美しい女形が居ないといふやうなことが、その重大な原因になつてるだらう。(歌舞伎の中心的魅力は、昔から常に女形であつた。)だが一つには、優れた劇作家が居ないことにも原因する。その上にまた俳優自身が、誤つた新時代の教育を受けたことで、自ら歌舞伎劇を曲解し、履きちがへたレアリズムの脚本や、何の色彩もなく音楽もなく理窟詰めの台詞で通すやうな文学劇を、好んで自ら演出したがることなどにも、大いに関聯してゐるのである。才人市川左団次でさへが、綺堂物から別れた後では、夢も色気もない退屈な理窟芝居を続演して、大衆の見物から完全に飽かれてしまつた。(彼がその死の直前に於て、久しぶりに「修善寺物語」を上演し、往年の喝采と人気を取り返したのは、偶然にその最後の花を飾つたわけであつた。)
 要するに今の新作作家が詰らないのは、彼等が皆本質上の散文作家であつて、真の詩人でないからである。元来、劇の脚本といふものは、西洋でも日本でも、古来多く韻文で書かれ、広義の「詩」の一種目と見られてるし、実際にまた文学の本質上でも、戯曲は散文学に属しないで、むしろ詩文学のジャンルに入れられて居る。それ故に西洋では、近松やセクスピア等の劇作家を、一般に「詩人」といふ名で呼んでるのである。そのわけは、劇そのものの藝術的本質が、元来、詩と夢とを豊富に所有してるからである。特に就中、日本の歌舞伎劇のやうなものは、その幻想実に充ちてることで、詩藝術中の詩藝術である。
 それ故に歌舞伎の作家等は、何よりも先づ彼自身が、真の「詩人」であることを条件とする。然るに今の日本の戯曲家等は、概ね皆本質的にプロゼツクの散文作家で、近松やセクスピアの如き、豊富な夢と詩とを心に持つた真の「詩人」が、殆んど全く居ないのである。ただ一人例外として、過去に岡本綺堂氏だけが、唯一のリリシズムを所有してゐた詩人であつた。しかし彼既に去つて無く、その衣鉢を継ぐべき人さへ、いつの将来に出るか解らないのだ。