四季同人印象記



                                       瀦
僕が「四季」の同人になつてるのは、どういふわけかと人によく聞かれる。別に主義を一にしてゐるわけで
もないし、蓼衝行動を共にしてゐるわけでもないので不審されることは尤もだが、賓は畢なる友情関係なので
ぁる。但し僕が年長者なので、友情と言つても、自然に多少先輩的の取扱ひは受けてるけれども、とにかく一
種の友情関係にちがひない。それで以下「四季」の知友諸君について、漫談的に僕の印象記をかいてみょう0
三好達治
 三好君を初めて知つたのは、伊豆の湯ケ島へ滞留してゐた時であつた0この時三好君の同行した友人に、梶
井基次郎と淀野隆三とがあつたので、併せて三人を初めて知つた〇三好君と交際するまで、僕は殆んど若い文
畢青年に知己がなかつた。もちろん僕を訪問して来た人々や、周囲の事情でしばしば逢つた人はあつたが、ど
ぅいふものか、僕の方で胸襟を開いて語るやうな青年がなかつた0従来の経験から、僕は若い人たちと交際し
て、いつも不愉快の思ひばかりしてゐた。といふのは人々が僕を理解してくれない為に、こつちで胸襟を開い
て交際すると、それがいつも悪く誤解され、却つてひどい目に逢はされるのである0と言つて僕には、先輩と
してのポーズを取つて、差別意識的に人と交際することができないので、自分の子供のやうな若い人にも、常
に封等人として話をし、眞創にぶつかつてつきあふので、理解力の態達しない若い人々に、誤解されるのは無
理からぬことであつた。しかしその為、僕は常に不快な腹立たしい思ひをつづけ、本来孤濁癖のある自分が、
いょいょ益ヒ交際嫌ひになつてしまつた。特に自分より年の若い青年とは一切逢ふのが厭になり、断然寄せつ
けないことにさへきめてしまつた。
 かうして長い間、厭人癖の孤濁に生活してゐた僕が、三好君と知つて以来、大いに人生観を明るく一欒する
ゃぅになつて衆た。と言ふわけは、三好君の人物が、従来僕の知つてる青年とは、全然範疇を異にした別人種
であつたからだ。何よりも僕は、三好君の精神が高邁であり理解力がょく、インテリタイプなのに驚いた0過
去に僕は、一度もこんな愉快な青年に逢つたことはなかつた0「汝、決して若者と語ること勿れ」といふ僕の
∫βJ 阿背

過去の苦い禁止令は、三好君と逢つてすつかり辟令になつてしまつた。畢に三好君ばかりではない。梶井君や
淀野君やの友人が、また質に菊持の好い青年だつた。最近でこそ、僕は比較的多くの親しい知己を青年の間に
持つてゐるが、その常時には初めての経験なので、せにはこんな青年たちもゐるものかと思ひ、過凄の井の中
の蛙であつた自分の愚を、つくづく偏見的にさへ反省した。
 三好君とは、大いに一緒に酒を飲んだ0酒をのんで酔つぱらつても、差支へないと思つたからである。それ
迄の自分は、若い人と一緒に酒をのんで、いつも必ず悔恨した。つまり僕が酵中でする言行が、若い人にとつ
て軽侮や誤鰐を受けたからであつた。それでまた「汝、若者と酒を飲む勿れ」といふ禁令が、僕の生活に一つ
加はつたわけであつた。然るに三好君と逢つてから、またこの禁令も解禁された。三好君となら、いくら酵つ
て野性のナイーヴな本心を暴露しても、決して誤解や軽侮を受ける心配がないと思つたからである。つまりそ
れほど理解力が聴明に餞達してゐる青年を、三好君に於て初めて知つたわけであつた。淀野隆三君は、或る文
章の中で僕との交際のことを書き、湯ケ島で初めて僕と知つて以来、自分は勿論、三好、梶井の人生観や文学
観やに、エポック的の一攣化を来したと書いてゐるが、これは僕の方でも同様であり、たしかにその時以来、
僕の人生観は多少とも明るくなつて爽た。これは僕の方で、三好君等に感謝せねばならないことである。
 三好君は人と話をする時、胸を張つて直立不動の姿勢を取り、軍隊式に、ハイツ、ハイツと言ふ。陸軍幼年
学校に居た時の習性が、未だに残つてゐるのである○彼は一種妙な豪傑笑ひをする。爽快な笑ひであつて、し
かも杢洞に寂しい笑ひである○或る人が三好君の表情を許して、泣いてゐるのか笑つてるのか解らないと言つ
たが、人物そのものの性情が、一燈さういふ風に出来てるのである。彼は一見男性的のやうに見えて、賓は意
外に女性的の菊の弱い人間である○彼の純情さもりリシズムも、すぺてこの女性的の気質を反映してゐる。彼
の性椅の中には、魂の不潔さといふものが少しもない0僕の知つてる範囲の中で、三好君は最も心情の高貴性
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と美しさを持つてる人間である。そして賓にこの一鮎が、僕の交情的に深く引きつけられた所以であづた0


      堀辰雄
 堀君と初めて知つたのは、騒馬の禽の時であつた。威馬の禽といふのは、常時室生犀星君を中心として、敷
名の青年が集合してゐた雑誌「饉馬」の同人合のことであつた。その禽の席上で特に二人の青年だけが、僕の
眼に印象強く映じられた。一人の青年は、非常に情熱的の顔をして、いつも眉を怒らしながら、人生への戦ひ
を挑んでるやうに見えた。他の一人は反封に、女のやうに優しく、どこか瀞芸日不全の坊つちやんのやうで、内
気にはにかみながら物を言つてるやうな男であつた。そして二人共、一見してそのインテリ的神経質や聴明性
ゃが、他に群をぬいて解るやうな男であつた。その一人が即ち中野重治君であり、他の一人が即ち堀辰雄君で
あつた。室生君は後で僕に言つた。「どうだ。二人共好い青年だらう。駿馬の誇りだよ。」と0
 堀辰雄といふ男は、不思議に一種の雰囲気をもつた男である。彼の側で講をしてゐると、いつも何かの草花
ゃ乾変のやうな匂ひがする。彼が香水をつけてゐるのではない。人物の性格から来る匂ひなのだ。敷人の人が
集つても、彼が一人座に居るだけで、特殊の集合的アトモスフイアが構成される。彼はいつでも中心人物であ
る。そのくせ何もしやべるのではない。いつも座の片隅に坐つて、ニヤニヤ笑ひながら人の謡を聞いてるだけ
だ。それで中心人物になるのだから、これは人徳の致すところと見る外はない。畢に座談の集合ばかりでなく、
同人雑誌の集合などでも、彼はまた奇態に編輯の中枢人物になるのである。現にこの「四季」などもさうであ
るが、彼が中心部にゐて編輯すると、不思議に顔ぶれの揃つた好い雑誌ができるのである。それは単に彼が友
人運にめぐまれてゐるといふだけではなく、やはり他を煮きつける人徳の牽引カがあるからだらう0
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 彼は非常に聴明な男である。頭脳の明晰といふことと物鰐りの好いといふことでは、「四季」同人中でも彼
に及ぶものはなからう。彼は一切議論をしないが、彼の前では、賓際議論する必要がないといふ感じがする。
それほどよく辟つてくれてゐるからである。しかしこの聴明さが、文学上では却つて彼を薯毒し、作品を臆病
なものにしてしまつてゐる。も少し彼が馬鹿であつて、我武者羅に強く物を言つてくれたら好いと思ふ。
 堀君は生粋の江戸ツ子であり、典型的の都合人である。そして此虞に、彼のあらゆる洗煉された趣味が出餞
してゐる。彼には野性人のラフな展性が殆んどない。そしてこれがまた文学上の映鮎でもあり、またそのレフ
アインされた文学の特色でもある。彼の文畢は、丁度彼の人物と同じやうに、饅臭からくる香水(乾変や高原
植物)の匂ひを感じさせる。それが好きな讃者にとつては、一寸たまらない魅力だらう。
 人間の中には、時々灼きつくやうな烈しい友情を感じさせるものと、広かになつかしく、心の隅に思ひ浮ぺ
るやうな、静かな友愛を感じさせるものと、二通りの型の人間がある。室生犀星君が「やちまたに酒をあふり
て道すがら中野重治を思はざらめや」と歌つたのは、中野君がこの前者の型の人間であることを表象してゐる。
これに反して堀君は、秋の峯に散らばふ雲でも見ながら、時々なつかしく思ひ出すやうな友情的存在である。
僕は時々、どこかの高原地方の侍しいホテルで、堀君と二人、ぞフンダの藤椅子に坐つてる夢を見ることがあ
る。それが醒めてから、何といふわけもなく、非常に悲しい気分になる。精神分析聾者に判断させたら、どう
いふ夢占になるのか知らない。
                                                         I絹

      丸山棄
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丸山君と知つたのは、極く最近である。或る日女中が顔色を攣へてやつて来て、玄関に恐ろしい人が来て立
ってると言ふ。多分押要りでも来たのかと思つて逢つて見ると、それが丸山菜君であつた。ちつとも恐ろしい
頚なんかしてゐないが、歎つてむんづりふくれ返つてるので、女中が少々気味惑く思つたのだらう。しかし逢
って見ると、割合に打解けて謡をするし、性質が素直で純粋なので、すぐザツタバランに親しい間柄になつて
しまつた。僕は今迄かつて、丸山君のやうに純情な男を見たことがない。その純情さは、時々いぢらしさを感
じさせる位である。この鮎では、室生犀星君が同様である。けれども、彼はそれを逆説的に表現し、故意に毒
舌を弄して向つて来るので、結局こつちも腹が立つて喧嘩になるといふわけである。丸山君にはその室生的逆
説がないのであるから、僕としては非常に交際がし易いのである。しかし丸山君と附合つてると、時々大きな
駄々つ子といふ感じがする。その駄々つ子が昂じて来ると、室生君とは別の仕方で、一種の逆説的なスネ方を
する。さういふ時には、一つ位眉を引つぱたいて、しつかりしろ! と怒鳴つてやりたくなる。つまりあまり
性質が善良すぎて、こつちが苛々してくるのである。
 大きな子供である丸山君は、一つの玩具箱を持つて楽しんでる。その箱の中には、帆、ランプ、鴇、マスト
などが入れてあり、時にはまた折紙の鶴などが這入つてゐる。彼は輿謝蕉村と同じやうに、それによつて追憶
の夢に耽り、魂の時間的郷愁を侍しんでゐるのである。この悲しい子供は、永久にそのベッドの中で泣かして
おくより仕方がない。
辻野久憲
 辻野久憲君は、「四季」同人中での唯一の哲学者であり併せて情熱的なヒューマニストである0この鮎の素
質に於て、他の何人よりも僕とよく性情的に牽引する。すくなくとも思想的方面では辻野君が最もよく僕のヒ
jOj 阿苛

ロソフイとメタフイヂツタを理解してくれてるのである。
 辻野君と知つたのは、第一書房の辟りに、有楽町ガード下の酒場で飲んだ時からだつた。その頃辻野君は
「セルパン」を縞輯してゐた。そして辻野君の嘗番であつた頃の雑誌が、僕にとつて最も面白いセルパンだつ
た。辻野君と話してゐると、宇宙萬有、一切の眞諦を知り蓋して、哲学の高い批判線上に高揚したやうな感じ
になる。賓際彼は、驚くぺき高い見識と批判カとをもつて一切の日本文革を痛快にやツつけてしまふ。僕はそ
の秀才ぶりに驚嘆して、試みに彼の年をきいたら、二十八歳だと言ふので、二度吃驚すると共に、馬鹿馬鹿し
く腹が立つてしまつたので、三十にもならない青二才のくせに、何が君に解るものかと言つてやつた。しかし
内心では、彼の秀才ぶりに僕が嫉妬を感じたのだつた。
 辻野君のことを考へると、不思議に壁に向つて坐つてる机寵之助を聯想する。何かその背後にある虚無の影
が寂しいのだ。しかし机寵之助には感傷性がなく辻野久憲にはそれがありすぎる。「四季」に書く随筆などに
は、特にそれが多すぎて困る。その感傷性の中に、もつとヒロソフイを入れたら好いと思ふのである。とにか
く彼はまだ若い。聴明ではあるが同時にまだ青臭いところも多い。ただそのヒューマニストとしての本質だけ
は、日本の若い文壇中でも、稀れに尊く買はれるぺき珠玉品である。彼がもし順常に成育したら、芥川寵之介
の知性に人生熱情をプラスしたやうな作家になるか知れない。なることを所つてゐる。


                                                                                      、・ヽ
      竹村俊郎
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「四季」同人中で、僕のいちばん古い蕾友である。山形の蕾家に生れ、古い家族主義の陰惨な宿命的壌頓に育
つた彼は、素質的に厭人病者のやうなところを持つてる。英囲のロンドンに三年も滞留しながら、殆んど何盤
彗川1‥』「¥−盲†幼、.増
こ磯見物せすγ†宿のふ室に閉ぢ−〕軒つせ、.終日英語を勉強してゐたといふ。以で人物の」般を零すぺきである0
 彼は今、大森の馬込に風雅な居を構へ、室生犀星と垣を隣して 「庵泣ぺん冬の山里」といふやうな隠遁生活
をしてゐる。彼には文壇的野心などいふ俗臭が少しもない。詩壇や文壇のことなど彼にとつてはどうでも好い
のである。彼は常に昂然として俗界を睨祓し、常に怒る所ある如く眉をそびやかして巷間を闊歩してゐる。ま
ことに眞の高踏渡であり「一代の清廉を楽しむ「高士」といふ感じである。
 竹村君は天質的の 「貴族人」である。偲傲、偶屈、我執、尊大、勇気、剛健、潔癖、廉恥、エゴイズム等、
すぺて貴族人の特質する性情を血肉的に具備してゐる。僕は彼と接するごとに、常に英園貴族人の一風貌を幻
想して、自らもまた昂然たる気分に上昇する。「人が眞に何物かであるならば、何事をも為す必要がない。」と
倣岸人のニイチエが言つた。竹村君の如き人は、たとひ何事をも為さないとしても、それ自身で眈に一の人格
的存在である。僕は竹村君と一所にゐる時、自分が一小人にすぎない俗物であることを知り、しばしば儀恥し
て気が引けるのである。
 他に神保光太郎、津村信夫、立原道造等の同人諸君について書きたいのだが、これ等の若い諸君とは、未だ
知ること極めて浅く、親交といふ程度まで行かないので、他日の横合にゆづつておく。
 以上に書いた「四季」の諸君は、個別的に夫々性蒋がちがつてゐるが、どこか一つの鮎で共通符合したとこ
ろがある。その一致鮎は、性情の「純粋性」といふことと、気質上のインテリタイブといふ鮎である。つまり
僕が「四季」の諸君と親しくするのは、この鮎での牽引を感ずるために外ならない。不満や映鮎を言へば澤山
あるが、その一つの牽引を感ずるだけで、僕には交際人として充分である。
30ア 阿背