辻潤と低人教
－ 「痴人の濁語」を讃みて1
・軸・
辻潤といふ人物は、今の日本に於て最も興味のある存在である。彼の要素を構成してゐるものは、過去に彼
の受けたすべての教養、即ち江戸文学と、キリスト教と、俳教と、英国文撃と、それからニヒ町ズムの哲学と
である。そこで彼は戯作者のやうにも見えるし、破戒坊主のやうにも見えるし、キリストのやうにも見えるし、
市井の心学者のやうにも見えるし、そしてまたダダイストのやうにも見えるのである。
酒を飲んでる時の辻潤は、絶えず駄洒落を連優して傍若無人に皮肉を言ふ。萄山人といふ江戸の狂歌師は、
彼の時代の虐たげられた鬱憤をはらす為に、駄洒落と皮肉で世に放蕩したが、辻潤もまた俸統をひいたところ
の、昭和の狂歌師萄山人といふ面影がある。しかし漕が醒めて悲しくなると、彼は尺八を吹いて街上を彷捜す
る0尺八のやるせむい哀調と旗愁とは、辻潤の詩に於けるりリシズムの一切である0彼は笛を吹きながら濁り
で泣いて居るのである。
彼の周頗には、いつも市井のルムペンや労働者が集つて居る。人生に敗残した失業者や無職者は、彼によつ
て自分の家郷と宗教とを見出すのだらう。耶蘇の弟子たちが漁師や乞食であつたやうに、辻潤の弟子もまた、
市井の「飢ゑたるもの」「貧しきもの」．の一群である。彼は此等の弟子たちに固まれながら、紹えず熱心に虚
ヽ ヽ ヽ ヽ
無の礪音を説教して居る。しかし耶蘇のやうな態度ではなく、ゴルレーヌのやうな酔態で、ヨタのでたらめを
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州∥
飛ばしながら説教する0そこで彼の弟子たちは、不敬にも師のことを「辻」と呼びつけにし、時には師の頭を
撲つたりする。これは不思議な宗教である。
一燈辻潤とは何物だらうか？ 彼は詩人であり、文寧者であり、そして同時に生活者であり、宗教家である。
彼はその近著「痴人の濁語」に於て、あます所なく自己の本領を語つて居る。彼が過去に於て考へたすぺての
ことは、自己の本質を知るといふこと、人間生活の正しい意味を知るといふことだつた。所でこの考へは、ゲ
ーテも、トルストイも、チェホフも、ボードレエルも、それから伶繹迦もソクラテスも考へたことであつた。
つまり言へばそれは、すべての本質的な文聾者と宗教家に共通する生活だつた。すぺての第一流の文学と文学
者が生きて来たやうに、辻潤もまた正しく一流の文筆者として、過去に生活して来たのであつた。
然るに不幸にも、これが辻潤に於ける悲劇の出饅する基因になつた。なぜなら日本の現代文化と現文壇は、
こゐ種の宗教的シンセリチイを持つた文聾者を、順調に生かすことが出来ない事情になつてるからである。有
島武郎はなぜ死んだか0生田春月はどうして死んだか○多くの眞面目な詩人たちが、何故に受難者とたつて苦
しんでるか0辻潤のやうな文学者が、日本に生れるといふことは悲劇である。彼の日本で生くぺき道は、文壇
に尻をまくつて早く逃げ出し、生活者としての自我に孤立する他はないであらう。そこで辻潤の選んだ道は、
ペンで書く文学の表現でなく、生活そのもの、人格そのもので表現する文学だつた。つまり彼の場合で言へば
「辻」といふ人そのものが、それの表現された「作品」なのであつた。
此虞に於てか彼は一つの宗教的人格になつてしまつた0しかもそれは信仰を持たない宗教家（こんな矛盾し
た言葉はない）で濁る0彼はスチルネルと共に自我経を説き、親鸞と共に地獄一定を説き、トルストイと共に
無抵抗主義を説き、老子と共に虚無を説き、悌陀と共に乞食の生活を敦へ、ゴルレーヌと共に酒中の人生を教
へるけれども、彼自身の魂が安住する家郷の救ひは何虞にもない0彼は永遠に鎗躁としてゐるルムペンであり、
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、亀一心
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．壌治者であるに過ぎない．しかも彼の周歯に集る弟子たちは、彼の中に自己の家郷と平和の救ひとを見出すの
である。丁度あたかも、文学作品の讃者たちが、作品の中に自己の家郷を見出すやうに、辻潤の場合にあつて
は、彼の「人物」の中に、「生きた讃者」が住んでゐるのである。その生きてる讃者たちは、多く皆半纏を着
た熊さん八さんのたぐひであり、辻潤の著書の一頁すらも讃んで居ない。のみならず師の先生を、自分等と同
じ無学ものだと思つてゐる。・
褒術が宗教でないやうに、かうした辻潤の生活もまた宗教ではない。しかしまた成る意味で、それは一種の
宗教なのでもある。辻は自ら自己を「低人」と弼して居る。低人はニイチェの「超人」に封する反語で、谷底
に住む段落人と言ふ意味だらう。そこで彼の説く救ひの道は、資にこの低人の宗教であり、それ自ら「低人
数」になつてるのである。もしニイチェのツアラ寸ストラが、公許される如く文牢としての宗教ならば、自ら
人格によつて生活に行為してゐる辻潤の低人数こそ、まさしくニイチェ以上の宗教と言はねばならない。
かつて僕は「この人を見よ」といふ論文を書き、辻を現代日本の受難者キリストに誓へた。耶蘇は人類の悩
みを一人で引き受け、罪なくして十字架に架けられた。今の過渡期的混乱を極めた日本にあつては、インテリ
階級がすべての悩みを一人で引き受け、罪なくして十字架に架けられる犠催になつてる。すべてのインテリゲ
ンチュアは受難者である。しかし就中彼等の中でも、環境との妥協を排して純一に自己の清節を守るものは、
最も痛ましく悲劇的である。何人にまれ、辻潤のやうな生活をするものは、現代日本の文化と社倉では生きら
れない。畢に牡合ばかりでない、インテリ仲間の倶楽部である文壇でさへ、容易に生きることが出来ないので■
エレヂイ
ある。「漫落の歌」と「低人数」とは、辻の場合に於て必然であり、悲しき絶望の哀歌である。彼は現代文化
の犠牲となり、罪なくして十字架を負つたキリスト者である。
日本文頓に於ける辻の存在は、一人の「背徳者」といふ感じがする。それは彼が酒飲みだつたり、無祀節で
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あつたり、アナアキストであつたりするからではない0日本文墳の現状する、あらゆる卑俗と無良心的な償値
に対して、彼が居直り強盗的な大々しさで、イロニイの泥足を投げ出してることを言ふのである。彼は人間と
して極めて内気に小心な男であり、ルムペン的性格のお人好しと臆病さを範疇し㌻る男である0しかも彼の
聴明と自尊心は、文壇の無償値な虚名を見破つてゐる0そこで多くの似而非大家や文壇名士が、彼の酒盃の前
で無稽節にコキ降され、駄洒落まじりの皮肉で散々にやツつけられる。或る多くの人にとつて、彼はたしかに
アナアキイ的無頼漢であるにちがひない。
辻は自らその著に書いて、自分といふ人間は、ゴシップの材料を作る為に、この世に生れて来たやうなもの
であると自嘲して居る0文壇が辻潤を見るところの眼は、全く畢にそれだけであり、いつも文壇噂話にユーモ
アの種を作るところの、チャップリン的道化役者としてしか考へてない。しかもチャップリンの笑ひが悲劇の
逆説であることさへ、日本の常識的な文壇人は知らないのである0僕はかつて大森に居た時、日本の詩人の不
遇を悲しみ、日本の文壇と文化を怒つて居たことから、交友の小説家等から被音妄想狂患者といふニックネー
ムを陰口された0卑小な小人輩の住む政令では、理想家が常に狂人や道化者と見られるのである。
辻潤はいつも酵つてる0もし酒を飲まなければ、生きることの苦悩と悲哀に耐へないからだ。まれにアルコ
ールの気がない時、彼は死んだ鮒のやうにぼんやりして居る0その時生きることの無意味と退屈きが、死のや
うに時間の持績を教へてるのだ0彼はまさしく無能力者で、低人的痴呆のやうに見えるのである。そこで彼の
敬虔な信徒たちが、喜捨の代りに御神酒を捧げ、ロボットの心臓部へ電驚かけて、肱の臥卦すのを待つて
お み・ぎ
るのである0か㌧て江戸前の駄洒落と共に、彼の心学低人数は始■まつて来る。それは誓の宗教であり、無
産者の宗教であり、エゴイストの宗教であり、性格破産者の宗教であり、そして同時に、最も純粋で悲しい近
代インテリの宗教なのだ。
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