東洋の太鼓
 太鼓といふものは、欒器の中でいちばん原始的な感じがするものである。人々がまだ、笛や胡弓やの旋律的
楽器を態明しない以前、人間は木片を叩いて調子を取り、リズムに合せて唄つて居た。リズム楽器としての太
鼓は、原始に書架があつて以来、人間がいちばん始めに造り出した楽器であらう。賓際にまた太鼓の音には、
原始の遠い夢を思はす郷愁がある。
 去年の春頃、私は「ベンガルの槍騎兵」といふ映童をトーキーで見、印度の土人が鳴らす太鼓を聴いて悲し
くなつた。白い死の墓場のやうな沙漠のヰで、ボコボコボコボコといふ太鼓の音が、無限に長く侍しげに鳴つ
てるのである。それは村祭の夜に聴く銭守の森の太鼓よりも、もつと侍しく夢幻的で、人類の遠い先祀が生活
してゐた、原始への悲しい追憶をそそるのだつた。
 印度でも日本でも同じであるが、一膿に東洋の太鼓の音は、妙に悲しい素朴の哀調を帯びて居る。そのくせ
何虞か問のぬけた所があり、長閑かでユーモラスの音色を持つてる。さうした太鼓の音をきくと、我々  印
度人やアラビア人や、それから支那人や日本人やの東洋人  が如何に平和を愛する閑雅な農牧民族であつた
かが鮮るのである。反封に西洋の太鼓は、始めから軍隊の士気を鼓舞するやうに造られて居る0特にあの小太
鼓の音は、それを顆くだけでも心が勇み、歩調そろへて戦場へ進みたくなる。嘲帆と太鼓。それは西洋人がい
ちばん先に敏明したすべての西洋音楽の起原であつた。なぜなら彼等のゲルマン人やラテン人やは、有史以来
〃ア 廊下と室房

の轡冬まなき民族争闘を繰返し、必死の血塗られた苦戦によつて、漸く他人種からの虐殺と被奴隷とを兎かれ
て爽た0西洋の太鼓の音は、野獣のやうに狂親しながら、裸饅に斧を振つて森林の中を駈け廻つて居たところ
の、肉食人種の拳固的な原始生活を思はせる。
東洋の太鼓は、長閑かな春の光の下で、花見廟を踊つたり、豊年廟を踊つたり、祭の日の星憂の上で、馬鹿
磯子のヒヨットコ踊りをしたりするのにふさはしい0それは戦争には全く向かないところの、平和な牧歌風の
太鼓である0幕末の徳川政府は、悌蘭西式の歩兵除を訓練するため、長崎に留畢生を渡して軍隊太鼓を稽古さ
せた0その時の人選には、旗本の道楽息子であるところの、馬鹿磯子の名人等が選ばれた。「太鼓」といふ一
つの概念から、一方の名人が一方を兼ねると思つたのである。だが馬鹿嚇子の太鼓の青から、軍隊調練のスト
イツタな精紳は俸授されない。そこで折角の歩兵隊も、造化た茶袋踊になつてしまつた。
 アメリカのジャズ音楽が、パンジョーと一緒に日本の太鼓を取り入れたのは傑作だつた。すぺての西洋楽器
の中で、太鼓だけが不調和にドンドコドンドコと鳴り響いてる。それが如何にもジャズらしく間が抜けて面白
い0東洋の古い文明が、西洋を茶化して馬鹿にしてゐるやうにも準えるのである。
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