悲しい新宿
世田谷へ移つてから、新宿へ出る横合が多くなつた0新宿を初めて見た時、田圃の中に建設された、一夜作
りの大都合を見るやうな気がした0周囲は眞閤の田舎道で、田圃の中に蛙が鳴いてる。そんな荒蓼とした境野
の中に、五階七階のビルヂングがそ酔え立つて、・悲しい田舎の花火のやうに、赤や青やのネオンサインが鮎つ
て居る0さうして眞果の群衆が、何十高とも敷知れずに押し合ひながら、お玉杓子のやうに行列して居る。悲
しい市街の風景である。
だが慣れるにしたがつて、だんだんかうした新宿が嫌ひになつた。新宿の数多いビルヂングは、何かの張子
こ や し
細工のやうに見えるし、アスハルトの街路の上を無限に績く肥料車が行列して居る。歩いてる人間まで田舎臭
く薄ぎたない0新宿ほどにも人出が多くて、新宿ほどにも非近代的な所はなからう。昔私が子供の時、新宿ほ
街道筋の宿場であつて、白く挨つぽい田舎の街路が績いて居た。道の南側に女郎屋が放び、子供心の好奇心で
覗いて歩いた○その女郎屋の印象は、私の故郷上州で唄ふ盆踊りの歌「鈴木主水といふ侍は、女房子供のある
その中で、今日も明日もと女郎買ひばかり0」どいふ歌の田舎めいた俺しい旋律を思ひ出させた。そんな田舎
臭い百姓歌の主人公が、灯ともし頃に羽織をきて、新宿の宿場を漂泊して居るやうな気がした。そしてこの俺
しい印象は、ネオンサインの輝く今の新宿にも、不思議に依然として残されて居るのである。
新宿の或る居酒屋で、商人たちの講を聞いて悲しくなつた0皆がロをそろへ三ロつてることは、百貨店の紫
柴が小賓商人を餓死させると言ふことだつた。少し酵の廻つて来た連中は、00や00等の百貨店を焼打ちし
て、すべての高層建築を新宿から一掃しろと主張して居る○それから最後の結論として、皆が一緒に歎息した
ことは、昔の馬グソ臭い・新宿情趣が、近代文明の為に次第に廃滅して行くといふことだつた○蓄音機はのぺつ
に浪花節をかけ通して居た。私は妙に悲しくなつて、酒も飲まずに出てしまつた0あのビルヂングの林立する
新得の町々に、かうした多くの人物が生棲してゐることを考へ、都合の隅々に吹きめぐる秋風の蒲條といふ響
を開いた。
新宿で好きなのは、あの淀橋から煙草工場の方へ出る青梅街道の通である0停車場のガードをくぐつて坂を
登ると、暗い煤ぼけた古道具や、安物の足袋など店に並べた、垂の宿場そつくりの町がある0街路は冬のやう
に白つちやけて、昔ながらの大道店が、ガマの油や、オットセイや、古着類や、縞蛇や、得饅のわからぬ壊れ
た金物類などを費つてる。歩いてゐる人たちも、一様に皆黒いトンビを着て、田舎者の煤ぼけた様子をして居
る。秋の日の催しく散らばふ青梅街道。此虞には昔ながらの新宿が現存して居る0しかもガードを一つ距てて、
淀橋の向ふに二事や三越のビルヂングが彗止し、峯には青い庚台風船があがつて居る0何といふ悲しい景色だ
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二拓ク 廊下と室房
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