ドン・キホーテを見て


.世にも悲んい馬眞を見た。ドン・キホーテである。
 セルバンテスの原作で、私が初めてこの物語をよんだのは、まだ二十一歳の時であつた0郁層者の名前は忘
れたが、両手でやつと持ちあげるやうな大部の本で、活字がぎつちり詰つて居た0私はそれを讃むために、早
稲田の蘭書館・へ三日績けて通つたことをおぼえて居る○それを讃んでる間は、轡各ノ滑稽で笑ひ通した0だが
後で頭脳に残つたものは、あの純情無比な正義の人、ドン・キホーテに封する無限の愛敬と思慕であつた0そ
れは架茎の人物でなく、私にとつては本官に現賓する人物であり、どこか近くの世界で、不易に呼吸してゐる
やうに思はれた。
映董で見たドン・キホーテiそれは詩人ポール・モーランによつて脚色された は、或る鮎で原作とち
がつて居た。だが或る鮎では、原作よりも秀れた精神を表現して居た0原作でよんだドン・キホーテは、不断
に眉を怒らしながら、力の及ばぬ敵に対して、悲壮にも槍を構へて突撃するところの「戦ひの騎士」「怒の・騎
                                              べ−ソス
士」の表象だつた。だが映毒で見たドン、キホーテは、もつと多分に抒情詩的の要素を持つた「哀愁の騎士」
であつた。このドン・キホーテは賓に悲しい○そして「悲しい」といふ言葉の中に、あらゆる「美しさ」を合
ノ〃 嘩下と室房

めて居る悲しさである0シャリアピンの唄の美しさはあへて言ふに及ばない。中でも門出の勇ましい唄。武者
修業の旗中で歌ふ悲しく寂しい櫻の唄(こんな悲しい懸の嗅がどこにあるか)など、顆いた後まで耳に残つて
忘られない。
 だがそれょりも伶好いのは、ドン・キホーテの容貌風宋である。どんな董家も、これ以上の人物をドン・キ
ホーテにイメーデすることは出来ないだらうと思はれる。それほどよく人物が浮出してる。即ち如何にも古武
士らしく、貴族的で気品があり、勇気凛々として居る。そのくせ眼には無限の哀愁が湛へられ、見るも痛々し
く悲しさうである0「愁ひの騎士」上してのドン・キホーテは、原作よりも逢かによくこの馬眞で語りつくさ
れてる0そしてそのすぺての悲しみは、唄と音楽の中に融け行き、美しい抒情詩となつて現れるのである。
 私の知つてる青年(と言つても畢生だが)は映真のドン・キホーテを見て、古武士であつた老年の租父を聯
想したと言つた0他の一人の子供は、乃木大賭のやうな菊がしたと言つた。だがドン・キホーテは、畢純な古
武士ではなく、生れつきの夢想家であり、寂しい宿命的な「詩人」なのである。彼が熱情したものは、眞の純
潔な人情と、眞のアプリオリの正義であつた0そしてこんなものは、勿論二つながら現賓の世界にない。人々
はそれを知つてる0だがドン・キホーテだけはそれを知らない。彼は「現資」に無い物を、常に有る物として
考べ、イデアをザインの世界で錯覚して居る。そこで即ち、彼は折紙つきの「狂人」なのである。
 かうした彼の武者修業は、白痴のサンチョが駄洒落た如く、たしかに「愚者修業」にちがひないのだ。しか
もその馬鹿馬鹿しさの中に、人間性の最も痛ましい不易の悲哀が賓在して居る。あの映董の中で最も感銘の深
い一つの場面0虐げられた農民の不幸を救はうとして、義憤に琴乙たつたドン・キホーテが、風車に向つて突
撃する姿ほど、勇壮で、高貴で、人の心を強く動かす印象がどこにあるか。それから筒、彼を頗物にするため
に作づた芝居の中で、多くの人々に嘲弄され、慢属と咲笑との眞中に立たされながら、厳然として或験を持し、
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ぁくまで騎士とし▼て行為して居る彼の姿ほど、悲壮に痛ましい印象がどこにあるか。しかし流石に彼ち人々の
悪計に気が付いて来る。そしてあの馬鹿正直な男 彼は虚偽といふことを一切知らない−が、悲痛な嘆息
をもらして言ふ。「さては汝等、よくも拙者を欺き居つたな!」
 ドン・キホーテの一生は、不断の敗北の歴史であつた。彼は一度も曹つて勝利といふことを知らなかつた0
彼は敗北のために生れたやうな人間であつた。そして我々は、彼の敗北の中にのみ、人間性の最皇息味の深い
詩を見るのである。そして終に、彼の最後の敗北が来て、あの山のやうに積まれた騎士物語の古い書物Tそ
れが彼を狂人にさせたと人々は思つてる。だが本官の原因は、もつとずつと深遠な所にあり、人々はそれを知
らない  が焼かれた時、映董の最後の唄が歌ふ。
「かくて書物は焼かれ、愁ひの騎士ドン・キホーテは死に行けり。されども彼の生涯は末代までも語りつがれ
ん。彼は死なず、長く人々の心に残りて、とこしへに悲しく、悲しく、悲しく、生きながらへん0」その音楽
の滑えた時、私の頻の上に、いつしか浜の俸つて居るのを感じた。