さまよへる詩人群
        先駆者の悩み
 日本の詩人は、出教的に悲劇を背負つた存在である。といふのは、必ずしも物質に恵まれないといふことで
はない。その鮎ならば外国も同じことで、悌蘭西のやうに詩人を神様扱ひにする圃でさへ、ヱルレーヌ始め多
くの詩人が窮乏の中に餓死してゐる。詩人の貧乏は世界の通り相場であるし、また物質に換へられないところ
が、詩の詩たる高貴の奉術債値でもある。その鮎の不幸ならば、僕等もまた外聞の詩人と同じく、窮乏の中に
高い衿持を感じてもゐられるのだ。僕等の不幸はその鮎でなく、もつと深酷なところに根を持つてゐる。
 明治以来、日本の新しい文化が意志したことは、貰に西欧文明の輸入であつた。更生の若い日本は、全力を
あげて西洋の文化を革んだ。そして既に今日、我々の或る物は卒業した。特に軍隊と留学とは、却つて先輩の
外園を凌駕して来た。しかしながら精神上の文化は、しかく容易に輸入できない理由がある。美術も、音楽も、
演劇も、未だ漸く西洋の小学校を卒業してない。文畢の方面も同様であり、硯友社以来の小説が、今日漸く江
戸文化の俸統的臭気を脱した程度に止まつてゐる。これが西洋の近代文牽に到達するまで、前途伶ほ遼遠とい
ふ感じが深い。
 かうした創蒙期の開明時代に、最も大勝な冒険を試みたのは詩人であつた。言ふ迄もなく詩は文学のエスプ
∫2∫ 純正詩論

リであり、文学のあらゆる思想と感情とは、詩の表象する気分や感覚の中にエキスされる。賓にボードレエル
が書いモ篇の詩には、彿蘭西十九世紀末の文化が内容した全部の宇宙 懐疑思潮や、無神論や、デカダン
スや、ダンディズムや、俸統の深い天主教の信仰や1が、轟くみな象徴の香気によつてエキスされてる。百
の小説は一節の詩の中に憂される。詩は資に文蛮の中枢神経なのである。故に詩の輸入にして完全に為される
ならば、文肇の神経するエスプリだけは、すくなくとも輸入され得たのである。しかもまたそれだけ、詩の輸
入は絶大の難事であつて、到底他の散文寧のそれとは比較にならない。その困難の第一は形式であり、その困
難の第二は内容(精神)である。
 文学に於て、内容と形式とは表裏であり、必然不離の相関にある。西洋の詩の形式は、西洋の文化が情操し
てゐる西洋の精神の映像である。始めから西洋の精神がない日本に於て、西洋の詩の形式があるわけはない。
日本には昔から、和歌、俳句、今様、長歌等、すべて日本の文化が情操してゐる、日本の精神の形式するポユ
      リ リ ッ タ エビ ツ タ
ムがあつた。抒情詩も叙事詩も、すぺて西洋風の詩が形式するポエムは日本に無かつた。
 若き新日本の詩人たちは、かうした何もない非有の中から、冒険にも彼等のポエムを造らうとした。正に彼
等の出餞こそシエストフの所謂「虚無よりの創造」であつたのである。だがいかなる非凡の天才や、非有か
ら有為を創り得ない。止むなく彼等は古典を探して、長歌や今様やの七五調に、西欧詩の情操を詠み込まうと
した0しかしもとよりこの情操が、この形式に邁應し得る道理はなかつた。彼等の詩人の教養が、次第に西欧
的になればなるほど、この内容と形式との破綻が著るしく、自ら不満に耐へられないものになつてゐた。
 新饅詩以来の詩人の悩みが、貴にこの一つのことにかかつてゐた。如何にもして彼等は、日本語に西欧風の
韻律を求めようと苦心した。すくなくとも今様・長歌の古典を離れて、新しい詩形を求めようと苦心した。過
去の新燈藷史をひもとき、一度彼等先輩詩人の苦悩と焦燥とを考へる時、今筒ほ僕等の詩壇に目前してゐる必
∫2古
瑚翔柑柑柑柑柑澗柑渕凋胴澗瀾凋凋欄欄朋朋欄鋼悶 耶……耶がある卜賓に僕等の詩の歴史は、出費の驚から
冒険であり、羅針盤もなく海鞠もなく、未知の大海に乗り出た無謀壮紹の航海だつた。今日命ほ我々は、前途
             あ て
に一影の陸地も認めず、目標もなく磁石もなく、ただ潮流のままに任せて、渉洋たる大洋を漂泊してゐるに過
ぎないのである。希望はただ一つ、コロンブスが絶望しないといふことにだけ懸つてゐるのだ。
 あらゆる苦悩と苦悶の未に、新膿詩はしかしながら、一つの新しい形式を創造した。即ち蒲原有明氏等によ
つて駆使された自由詩の形態である。もちろんそれは、新日本の詩として完全なものではなかつた。しかしな
がらとにかく、新鰹詩より逢か複雑にデリケートで、西欧近代詩の情操を歌ふに邁してゐた。そしてこの形式
の餞見から、北原白秋氏や三木露風氏等の詩人を出した。(すべて詩人は、その形式の饅見と共に現はれて来
る。一つの新しい形式の創造は、同時に幾人かの才能ある詩人を生む。形式の後見されない時代には、詩人も
また決して生れてゐない。詩人の生れるのは宿命である。)
 かくて漸く前途に希望を認めた日本の詩壇は、ここでまた一つの大革命に逢過し、再度またもとの杢無の廃
墟に蹄つてしまづた。そしてこの革命の根ざした動機は、新慣詩以来の詩語であつた文章語(雅語)が、常時
の青年の耳に迂く、漸くその表現の時代的適切性を失つて来たことにあつた。大正期の詩人たちは、そこで文
章語の詩語を廃棄し、勇敢にも時代の日常語による詩を書き始めた。彼等の革命は成功した。だが同時にまた
詩を解滑させた。なぜならそこには、常時彼等の全く無自覚に看過したところの、一つの致命的なヂレンマが
あつたからだ。
 これよりさき、散文壇では、山田美妙粛氏の創見によつて、早く既に言文一致の小説が行はれてゐた。詩壇
が遅れながら口語詩に移つたのも、一にはこの文壇の潮流に動かされた為であつた。然るに日本の日常口語と
いふものは、だれも知る如く極めてプロゼツタの言葉である。したがつてそれは小説等の散文には邁應するが、
〃ア 純正詩論

州州.■.;.・ミ
元来グアースチックの詩の方には邁應しない○是の小説は、口語採用以来初めて眞の散文主義に立脚し、過
去の文章語による要的臭箸脱却した○然るに詩の方はこれに反し、口語詩によつてその要精神を失費し、
プロゼツタな散文の中に低落して行つた。
口語詩運動のテーゼとして、常時の詩人の唱へたことは、それが西洋外国の普通であり、日本も世霊にせ
よと言ふことだつた0そしてここに、今日昭和詩警伶ほ災ひしてる、彼等の認識不足が根を張つてた。すぺ
て言語は、歴史の長い毒的訓練によつて、初めてその微妙な拳術的情操を持ち得るのである。畝洲今日の言
語も、皆その毒的訓練によつて著した0然るに是の日常語は、昔から全然文学の度外に置かれ、僅かに
卑俗な民葦に使用された外、殆んど何の文学的訓練も受けてゐなかつたのである。是の日常口語と構する
ものは、全く自然雲的のラフの言語で、到芸術↓の使用に耐へ得るやうな、微小な陰影や音楽を有してゐ
ない0それは小説には耐へるとするも、詩の表現には不通であり、あまりに粗野で芸術的すぎる言葉である。
 しかも日本の詩人たちは、この自然霊的粗野の言語で、あらゆる感覚の微妙を極めた欧風近代詩を書かう
とした0その結果の破綻と矛盾は言ふ迄もない0官然の運命として、彼等は散文の中に低落して行き、遂に詩
そのもの、韻文精神そのものをすら無くしてしまつた0そしてまた再度、今日僕等は「虚無よりの創造」に出
饅しなければならなくなつた○今日詩壇のあらゆる苦悩は、如何にしてこの口語の中に美を求め、粗野の瓦を
拳術にし、何もない非有の園から、真の葺を結ばせょうかといふ苦心にある0しかもこの苦心は、過去の
新饅詩の出磯よりも、扁何ほ根本的に悩漂深∴陣痛の強い苦心なのである。
 最初の出雲ら今日まで、形式についてかくも烈しく悩み績けた僕等の詩人は、完また内容の精彗で、
ノ磨きぴしい先醸者の受警忍ばなければならなかつた0別の論文「西洋の詩と頁洋の詩」で書いたやうに、

一.J
∨遥
ヨ凋湖畑謂川周周J爪づ.。凄u.パ川。.1
                           [召川畑潤‥加州=J‥=湧∨音ハY当り1式
台本には未だ眞の西洋文化が態育してゐ恕いのである。留学と軍隊だけは西洋化しても、他の楕紳文明は全く
駄目で、畢にモダンボーイやモダンガールの、浮薄な趣味上のエキゾチシズムがあるにすぎない。西洋文明の
本質する精神そのものは、キリスト教と共に多くの日本人から毛嫌ひされ、文学上に於てさへも、殆んど全く
                                                     つ ち
態育してない。折角外国から移植した舶来の文奉思潮も、日本に衆ては一時だけの流行であり、まだ土地に根
が付かない中に枯れてしまふ。そしてすぐ次の新しい流行が移植され、同じやうに早く枯れてしまふ。結局残
るところのものは、昔からある俸統の俳句的・随筆的文拳  あまりに国粋的・日本的の文畢卜1にしか過ぎ
ないのである。
 かうした風土気候の中で、詩が如何に孤濁な存在であるかは言ふ迄もない。大衆はもとより、二小説家等の主
宰する文壇そのものが、始めから僕等の文学とは関係なく、風馬牛の世界に住んでるのである。彼等の要求す
る詩は俳句であり、和歌であり、随筆である。そして僕等の作る抒情詩やエッセイではない。抒情詩やエッセ
イやは、畢にそれが西洋臭いといふだけでも嫌がられる。或る新進のd評論家が、詩壇を一言で片付けてしまつ
た。日く「詩人は相愛らず一貫して、虎の毛皮の感覚を撫でて悦んでゐる。」と。俳句的なもの以外に、ポエ
デイのあることを知らない日本の文壇者流から見れば、近代の象徴詩もイマヂズムも、所詮その種の感覚遊戯
としか見えないのだらう。
 日本に眞の西洋精神が移植され、確資に近代文拳の基礎が出来ない限り、詩人の地位は永久に孤濁である。
僕等は文壇の纏子として、寂しい逆境を忍んで来た。そして伶ほ未来も、季節はづれの文孝者として、環境に
孤立せねばならないだらう。ただ一つ僕等の給持は、日本のあらゆる文明に先駆して、進歩の前衛に立つてる
自己を、寂しく自尊することの誇りにある。世界の何魔の園に於ても、詩人は文明の先駆者である。そしてま
た、その故に詩人は常に受難者である。しかしながら今日の日本のやうに、詩人が受難者であることは他国に
∫2ク 純正詩論

ない。
僕等の詩人は、新日本の第一文化を開拓すべき、最初の最も根本的な、中枢神経的な仕事をしてゐる。すぺ
ての文明と文化とは、図譜の創立によつて餞生する0言葉は文化の心臓である。そして僕等の詩人群は、賓に
その第一事業に蓋してゐるのだ○しかもあらゆる紹封的な困難と闘ひながら。虚無からの創造に努めながら。
僕等にして敗れる時、日本の希望は破れるのだ0しかも僕等の仕事は、かつて一の報いられた記憶もない。新
膿詩の昔から、僕等は詩人といふ名にょつて嘲笑された0文壇は詩に就いて、盲の批評もしなければ祀儀も
しない0そしてもちろん、一人の小説家に支沸ふ原稿料の、百分の一さへも詩人にくれない。
詩人の貧乏は定石である0だがその代り外国では、物質に換算しない名著をあたへる。詩人はポロポロの服
を着ながら、文壇の帝位に翳を持つて威張つてゐる0どんな有名な大小説家でも、詩人の前には頭をさげ、ア
カデ、、、イの第二土産は、いつも詩人のために席を杢けてる○たとへ資質上に於て、それが「公卿の位倒れ」で
あるにもせょ、日本の現状とは比較にならない○日本の文壇に於ける詩人の位置は、小説家よりも逢かに低く、
殆んど雑輩人夫にひとしい0詩人の報いられないこと、日本の如きは世界にない。

 日本の詩人群はどこへ行くのか0事業は大きくカは弱い0希望は遠く成果はすくない。詩情はあつて皇量
がなく、意圃はあつても造兵がない○あらゆる困難は前途を塞ぎ、しかも背後は断崖である。金もなければ力
もない0形式もなければ創造もない○しかも政合と環境に孤立して、永遠に先騒者の受難を濁りで負つてる。
安住の家もなけれ針故郷もない0苦悩多くして報酬なく、名著もなければ地位もない。前途は茫洋として希望
                                     いづ こ
に遠く、意志なき寂蓼に欽欲するのみ0ああ汝等漂泊者! 日本の詩人群よ何虞へ行く。
∫∫0
 日本の詩壇は、泡去に三つの川維新を持つてる。明治維新と、大正維新と、昭和維新である。
 明治維新は、すべてに於ける詩の黎明期であつた。この歴史は、新膿詩の創立から文語自由詩の完成に経つてゐる。
 大正維新は、口語詩の新しい出餞だつた。注意すぺきことは、この期の詩壇が明治詩壇からの鰭頼でなく、それと全く
絶縁したところの、別の新しい詩の紀元であつたことである。大正維新はエポックした。そして創造を逢げなかつた。
 昭和維新は、前代詩壇の総決算であつた。口語の採用によつて詩を失ひ、散文に鮮髄されてしまつた自由詩が、ここで
新しく批判され、清算され、詩の建て直しの第一歩に向つて、正しい認識の目を向け始めた。昭和維新は啓蒙である。清
算である。大掃除である。そして何もかも、一切また始めからのやり直しである。

 日本語の韻律に就いて、昔から熱心な研究を績けて衆た詩人に、故岩野泡鳴氏があり、現に礪士幸次郎憤と川路柳虹氏
とがある。韻律の饅見は、日本の詩にとつて第一の問題である。文壇からも社合からも、全然報いられないこの種の仕事
に、全力を蓋して汲頭してゐる人々こそ、眞の詩を熱愛する詩人であり、文化の争い殉教者と言はねばならぬ。日本の詩
壇は、今少し両士氏等の仕事に封して、眞撃の敬意を持たねばならぬ。


 口語自由詩の興つた昔時、日本の口語が非韻文的であるといふ理由で、賢くも異議を唱へた人々がある。昔時この正論
は、保守主義者と呼ばれて敗北した。そしてこの敗北したことが、却つて結果に於て詩の歴史を新しく態展させた。もし
口語詩が生れなかつたら、詩の歴史は過去に絶つたかも解らないのである。また大正詩壇の或る詩人等(民衆汲など)は、
詩の垂術的高貴性を冒漬して、自由詩を卑俗な散文に低落させた。しかし結果に於て見れば、その為に却つて自由詩の誤
謬が反省され、今日の啓蒙的清算時代を呼び起した。
 かくの如くすぺての歴史は、悪の勝利や誤謬の勝利が、却つて結果に於て文化の進歩に貢戯する。これをまた一方から
観察すれば、すぺての存在するものは必然の意義を有するのである。現詩壇に於ける著者の思想が、一方で現在する多く
の詩を肯定しながら、同時に一方でそれを香定してゐるのはこの為である。(「僕の詩論の方式と原理について」参照)
〃∫ 純正詩論

肘胤
日本国詩の創立へ
詩の未来
詩の未来はどうなるか?といふ質問は、文明の裏はどうなるか、といふことの笥に同じである。なぜ
なら詩は、文明の土塊に吹く「完の美しい準であるから0文纂える時は詩が柴え、文化衰へる時は詩も
衰へる0そして文化が未熟の時は、詩畠じやうに未熟なのである0外国の賓例は言ふ迄もなく、手近い日本
の歴史に見ても、詩の盛衰は文化のそれと表してゐる○彗に日本の歴史は、文化の三つの峠を持つてゐた。
萱朝時代と、芸朝時代と、それから近世の江戸時代である○そして奈良朝に要集、芸朝に八代集(古
今集より新書集に至る)江戸時代に芭苧熊村の俳句が生れた○しかも以↓のものが、是の詩の史上償値
に於ける全饅なのである。
ところで現代日本の文明が、どんな情態にあるかは言ふ迄もない○おょそ世界の国々は、彗にみな夫々の
過渡期を持つてる0雪亜にも西欧貨代の過渡期があり、彿蘭西に量命時代打過渡期があつた。だが現代
日本の如き根本的の大過渡期は、世界のどこの歴史にもかつて慧つた○外国の過渡期にあつては、畢に著
の警であり、国民歴史の長い俸統が、根本から覆されるといふやうなことは決して無かつた。露西亜も彿蘭
西も、今品ほ昔の停統の↓に文化してゐる○攣つたものは革に政鰹に過ぎないのである。然るに日本は、明
治以後とそれ以前で、歴史が二つに両断されてゐる○現在する日本の文化は、昔の江戸時代に柏増しないで、
竃聴け」晋輪
∫∫2
F.ト巨巨「巨Llllll
血博驚く歴史もな亀.全然縁のない別種のム堺が、不思議な顔を見
合はせながら、互に対立してゐるのである。
 かくも異常な過渡期の杜合は、考へるだけでも不思議である。一方に銀行があり、汽車があり、譲合があり、
ビルヂングがあるかと思へば、一方に季者があり、待合があり、畳があり、キモノがあり、紙の家がある0そ
してレビューと歌舞伎が対立し、ピアノと三味線が対立し、油檜と日本董が封立してゐる。人々は朝起きて洋
服を着、家に辟つて和服を着、合敢で近代的ビヂネスの仕事をしながら、家庭で浪花節を聴いて楽んでゐる。
何が一饅何事やら、わけの解らぬ百鬼夜行の妖怪文明とはこのことである。
 かうした日本の現状から、詩もまた二つの物に対立してゐる。ピアノと三味線、油檜と日本者に於ける如く、
現代日本のポエムもまた、欧風詩と国粋詩とに対立し、各ヒの別の世界で、夫々の存在意義を持つてるのであ
る。今の時代の日本人にとつて、洋服と着物とが必要である如く、今の日本の文化もまた、この南方の詩を所
要してゐる。しかも二つの詩の間には、何の調和もなく融合もない。洋服を着てゐる時間と、着物を着てゐる
時間とが、全然別の時間である如く、僕等の作る潜風の詩と、俳句等の囲粋の詩とは、日本人にとつて別の生
活のポエムに属する。ただ多くの人々は、若く社合に立つて働く時は洋服を着、老いて家庭に休息する時は和
服を好む。欧風詩の讃者に青年が多く、俳句等の讃者に老人が多いのはこの為である。
 この二部対立の奇怪な文化は、一燈どこまで行くのであらうか。人は早くから既に幾度も、歌舞伎の廃滅を
紙上に憂へ、日本真の末路を悲み、三味線音楽の衰亡を嘆くけれども、今日伶ほ依然としてこれらの者は」舶
来の輸入奉術以上に柴えて居り、益ヒ却つて大衆の問に根を張つて行く。そして和歌や俳句の俸統詩が、同じ
ゃぅにまたいょいょ繁盛してゐるのである。今日歌風の抒情詩等を愛する人は、大衆の間には勿論すくなく、
文壇知識階級者の中にさへも、極めて特殊に属してゐる。日本の大多数の小説家等は、今日伶ほ和歌や俳句に
〃∫ 純正詩論

趣味を求め、僕等の話を讃む人は殆んどゐない0俸統のカは深く大きく、新開文明のカは極めて浸い。世界五
大強国に列した日本の二十世紀的大建築も、一度文化の内壁を調査すれば、忽ち江戸時代の御家人長屋に攣つ
てしまふ0日本のあらゆる近代文化は、見かけ倒しの張子細工に過ぎないのである。
 しかしながらとにかく、文明は不断に推移して行く0和洋封立から和洋折衷に、和洋折衷から和洋統一へと、
日本の新しい文明は航路して行く0過去に支那の文明を輸入した時、日本はその同じ航路を進んで行つた。そ
して最後に、全く支那を自家の文明の中に融合した0おそらく西洋に封しても、日本はその同じ過程を繰返し、
未来に統一ある文明を造るであらう○そしてこの時、J初めて日本の新しい圃詩が創立される。その新しい圃詩
                                      Hソ リ ツ ク
は、古き侍統の和歌俳句でもなく、今日僕等の作るやうな抒情詩でもない。俸統の物と舶来の物と、両方のポ
エヂイの融合一致した至境のもので、新日本が自ら創造した詩なのである。
 かうした「園詩への流れ」は、今日に於ても既にその機運への曙光を示してゐる。即ち最近歌壇に於ける自
由律歌への新運動や、俳壇に於ける新傾向汲の運動やがそれである。今日の歌壇は、丁万に於て極めて保守
的・反動的の国粋主義に傾向し、和歌から一切の詩的要素を排除せょとさへ言ふほどである。しかし丁万の別
の側には、和歌に於ける詩的精神(青年性の文学)を要求するところの、若い進歩的な人々がある。、これらの
人々の意志する詩形は、必然に僕等の欧風抒情詩に顆接して来る〇一方にまた俳句も、蕾態を況して形式を破
り、内容に於ても「俳句は詩なり」と主張する人々を輩出して来た。   ≠
 かうした新俳句や新短歌の勃興は、もちろんその古い文畢の行き詰りから、窮飴に鋭いた新境地への縛向を
動横としてゐる0しかもそれが行き詰つたといふことが、それ自ら蕾文学の俸統的廃滅を意味してゐる。そし
て今や漸く日本の詩(俳句や和歌)が、形式上にも内容1にも、僕等の欧風詩に近く傾向して、次第に言融
合しょうとするところの、新日本囲詩への希望ある曙光を暗示してゐる。その新しい未来の陶詩が、果して今
∫ブイ
日の覇短歌により近い形式を取るであらうか、それとも僕等の詩により近い形式を結ぶであらうか0その宿題葵j。1」 一
はまだ解き得ない。だが何れにせょその場合は、日本語の「詩」といふ言葉が、今日の字義と攣つて来る0今
日、日本で用ゐられる「詩」tいふ言葉は、和歌俳句に封する欧風抒情詩を指すのである0然るにそめ未来に
於ては、その同じ言葉の中に、和歌俳句の一切が含まれて来る0即ち日本の囲詩一般が「詩」といふ言語に包
括され、ここに初めて日本語の「詩」が、外国語のポエムと同じ字義を有して来る0
 日本の封立してゐる二種のポエムが、かくて一つの「詩」に融合統→される時、その未来こそ、同時にまた
日本の文明が統一された時なのである。換言すれば、我々日本人の文明が、西洋の文明を自家に滑化し、別の
                                                                                                     \
ュニイクな新文明を、新しく世界に創造した時なのである。もちろん僕等の詩人と錐も、所詮は日本人の子孫
に過ぎない。僕等がたとへ欧風の抒情詩を書き、熱意を蓋して西洋の精神を革んだところで、僕等の創作する
ところの貴の物は、所詮「日本人の翻案した西洋文学」であり、園粋俸統の味噌の臭ひが、バタよりも張←浸
み出してゐる。未来何世紀経つたところで、僕等は西洋人に成り得はしないqそれ故にこそ僕等の詩が、最後
に西洋を自家に滑化し、外園を自己流に翻案化したところの、日本人のユニイクな日本文化を造り得るのだ9
 そこで注意すべきことは、この掲げられた命題「新日本園詩の創立へ」が、僕等の欧風詩と俸統詩の国粋詩
との、妥協的な折衷を意味してゐないことである。今日の日本の文化が意志することは、西洋文明を翻詳して、
自家の骨肉とする以外にない。その翻辞された結果の物が、所詮「日本的なもの」に過ぎないとしても、銚辞
するところの意志に於ては、原作にひたすら忠資でなければならない0今日僕等の詩人は、誠資を蓋して欧風
詩の精神を革んでゐるにかかはらず、その作品はあまりに日本人臭く、日本的精神でありすぎるのに困つてゐ.
る。況んや始めから輌諾良心を持たないならば、西洋文化の移植は紹封に不可能である0そしてその移植と同
化が出来ない限り、日本の新しい文明は永久に建設されない。
」け∫ 純正詩論

趣味を求め、僕等の詩を讃む人は殆んどゐない0俸統のカは深く大きく、新開文明のカは極めて浸い。世界五
大強国に列した日本の二十世紀的大建築も、表文化の内壁を調査すれば、忽ち江戸時代の御家人長屋に攣つ
てしまふ0日本のあらゆる近代文化は、見かけ倒しの張子細工に過ぎないのである。
しかしながらとにかく、文明は不断に推移して行く0和洋封立から和洋折衷に、和洋折衷から和洋統一へと、
日本の新しい文明は航路して行く0過去に支那の文明を輸入した時、日本はその同じ航路を進んで行つた。そ
して最後に、全く嘉を自家の文明の中に融合した0おそらく西洋に封しても、日本はその同じ過程を繰返し、
未来に統言る文明を造るであらう0そしてこの時、表め吉本の新しい囲詩が創立される。その新しい囲詩
                                    Hソ リ ッ タ
は、古き侍統の和歌俳句でもなく、今日僕等の作るやうな抒情詩でもない。俸統の物と舶来の物と、南方のボ
エヂイの融合二致した至境のもので、新日本が自ら創造した詩なのである。
 かうした「圃詩への流れ」は、今日に於ても既にその機運への曙光を示してゐる。即ち最近歌壇に於ける自
由律歌への新運動や、俳壇に於ける新傾向汲の運動やがそれである○今日の歌壇は、妄に於て極めて保守
的・反動的の国粋主義に傾向し、和歌から蒜の詩的要素を排除せょとさへ言ふほどである。しかし妄の別
の側には十和歌に於ける詩的精神(青年性の文学)を要求するところの、若い進歩的な人々がある。為らの
人々の意志する詩形は、必然に僕等の欧風抒情詩に顆接して来る○妄にまた俳句も、嘗態を況して形式を破
り、内容に於ても「俳句は詩なり」と主張する人々を輩出して来た。
 かうした新俳句や新短歌の勃興は、もちろんその古い羞丁の行き詰りから、窮像に腕いた新境地への樽向を
動撥としてゐる0しかもそれが行き詰つたといふことが、それ自ら曹文拳の俸統的廃滅を意味してゐる。そし
て今や漸く日本の詩ハ俳句や和歌)が、形式1にも内容1にも、僕等の欧風詩に近く傾向して、次第に言融
合し与フとするところの、新日本囲詩への希望ある曙光を暗示してゐる0その新しい未来の国詩が、果して今
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日の新短歌により泣い形式を取るであらうか、ノそれとも僕等の欝に薮わ患い形式を紆ぶヤあ)軒患・か○阜の宿題
はまだ解き得ない。だが何れにせよその場合は、日本語の「詩」といふ言葉が、今日の字義と欒つて来る0今
日、日本で用ゐられる「詩」といふ言葉は、和歌俳句に封する欧風抒情詩を指すのである0然るにその未来に
於ては、その同じ言葉の中に、和歌俳句の一切が含まれて来る0即ち日本の園詩一般が「詩」といふ言語に包
括され、ここに初めて日本語の「詩」が、外因語のポエムと同じ字義を有して来る0
 日本の封立してゐる二種のポエムが、かくて一つの「詩」に融合統一される時、その未来こそ、同時にまた
日本の文明が統一された時なのである。換言すれば、我々日本人の文明が、西洋の文明を自家に滑化し、別の
ュニイクな新文明を、新しく世界に創造した時なのである。もちろん僕等の詩人と錐も、所詮は日本人の子孫
に過ぎない。僕等がたとへ欧風の抒情詩を書き、熱意を蓋して西洋の精神を学んだところで、僕等の創作する
ところの貴の物は、所詮「日本人の翻案した西洋文学」であり、国粋俸統の味噌の臭ひが、バタよりも温く浸
み出してゐる。未来何世紀経つたところで、僕等は西洋人に成り得はしない0それ故にこそ僕等の詩が、最後
に西洋を自家に滑化し、外国を自己流に翻案化したところの、日本人のユニイクな日本文化を造り得るのだ9
 そこで注意すべきことは、この掲げられた命題「新日本園詩の創立へ」が、僕等の欧風詩と俸統詩の国粋詩
との、妥協的な折衷を意味してゐないことである。今日の日本の文化が意志することは、西洋文明を釈詳して、
自家の骨肉とする以外にない。その例謬された結果の物が、所詮「日本的なもの」に過ぎないとしても、翻辞
するところの意志に於ては、原作にひたすら忠資でなければならない。今日僕等の詩人は、誠資を蓋して欧風
詩の精神を革んでゐるにかかはらず、その作品はあまりに日本人臭く、日本的精神でありすぎるのに困つてゐ
る。況んや始めから銚謬良心を持たな・いならば、西洋文化の移植は絶対に不可能である0そしてその移植と同
化が出来ない限り、日本の新しい文明は永久に建設されない。
∫ガ 純正詩論

今日、僕等の欧風詩と俸統の国粋詩とを、相互に譲歩して妥協させ、その南方からの歩み寄りで、表の和
洋折衷的な詩を造つたところで、それは何の新日本圃詩でもない0新日本圃詩の創造は、僕等が彼等の俸統に
接近し、詩を俳句臭くすることによつて成立するのではなく、逆に俸統の詩を僕等に近づけ、彼等を上に呼び
あげることによつて成立する0故にその成立は、人為的に意匠して構成されるものではなく、自然的に時間の
経過を待つてされるぺきものである○そしてこれらに、圃詩の遠い未来が計算される。
日本国詩の出卒上つた時、それは即ち、日本の文明の創立された時である0そこで初めて、今日の和洋封立
時代は清算され、キモノと洋服が完になり、一切の猥雑が統言れて、世界に誇る新日本のユニイタな文明
が出現する0もちろんその輝かしい未来に於ても、依然として筒ほ和歌俳句は残るであらう。しかしそれは博
物館の中にある国賓として、今日と全く別の意味を持つであらう0詩人よ。常に汝の嘲机を吹け!
 新日本圃詩の創立へ1・
 新日本文化の創造へI・
Jjβ
今日、新形態の歌を毒してゐる歌人に、前田夕暮氏と「まるめら」の人々があり、同じく新形態の俳句を作る人に、
荻麻井泉水氏等竺汲がある0これらの人々の作るものは、和歌や俳句の定形を破壊してゐるのであるから、既に毒的
に別種の者で、これを「和歌」「俳句」の名で呼ぶのは矛盾してゐる0しかし彼等があへて自ら「詩」と言はないのは、
それがをどこか内容上で、僕等の作る詩とちがふからである0即ちどこか情操の本質が東洋臭く、歌臭く、俳句臭いか
らである0つま竺の種の墓丁は、僕等の軟風詩と博統詩との、↑度中間地帯にある文学二種の和洋合奏墓丁なのであ
る0
 新薄紅の「明星しが毒した明治時代の歌壇は、歌に於ける詩的精神を高唱した歌壇であつて、アララギの主導する今
租と正反動の掛取であつ乳へ現歌竣は詩的棉紳を極端に排斥する.博轡たが頚首時の歌人等は、自ら鶴パの名を嫌
って詩人と稀し、歌を「短詩」と呼んだ。これに対して欧風詩を「長詩」と呼び、長短によつて二者を直別した0未死の
日本図詩にも、またこの種の名栴的類別はあるか知れない。
〃ア 純正詩論