詩と不安の文学
「!、
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ジャーナリズムから久しく忘却されてゐた詩が、最近漸くまた撞頭して来た。思ふに詩が全盛を極めた時代
は、過去に於て明治の新詩杜時代、雑誌「明星」が文壇の王樺を握つてゐた時代であつた。常時の日本は、悌
表uゼ箋用欄盛丁賓』瀾憫即興謝野錬幹氏等の詩人が1j謀粛以下の全文
聾者に君位してゐた。次に隆興した詩の時代は、大正初期に於ける雑誌「スバル」の時代であつた。小山内薫
氏の自由劇場が初めて公演され、森鴎外、上田敏の両博士を首脳として、吉井勇、北原白秋、木下杢太郎、江
南文三等の詩人諸君が活躍したその常時こそ、資に「詩の花やかなりし時代」であつて、詩と詩人とが、ジャ
ーナリズムの第一線を指揮してゐた。
 このスバル時代が経つてから、詩は再度柴える機運がなく、文壇の後陣に退却して、全くジャーナリズムか
ら忘却された。僕や、室生犀星君や、両士幸次郎君やの一圃が活躍した自由詩時代(詩話合時代)には、詩は
もはやジャーナリズムの背後に残され、文壇に競令する樺威をなくしてゐた。しかしとにかく詩話合の所在に
ょって、文壇の一部に生存権だけは認められてゐた。然るに詩話合解散後は、その唯一の生存権さへも忘却さ
れ、殆んど自然滑滅の悲惨な状態にあつたのである。
 人はこの状態を見て、罪を詩人の無為と無能とに辟するけれども、事賓は全く外部の敢合状態に原因してゐ
た。明治から大正の初期へかけての若き日本は、その情熱を蓋して西洋文明の輸入に勉めた。文壇もまた同じ
く、あの露西亜文学の柴えた自然主義初期の時代(スバル時代)までは、青年の情熱と好奇心とで、ひとへに
外国の文学に憧憬した。それらの「夢多かりし日」の文壇は、自然にその峯気が西洋臭く、文学の精神そのも
のがまたハイカラだつた。かうした時代の杢気の中で、詩のやうな欧風文学が柴えるのは官然であり、且つま
たそれが、ジャーナリズムの第一線に立つことも自然である。
 然るに日本の敢合は、大正中期以後に至つて著るしく退嬰的に萎縮し、進取の意気を失つてしまつた。同時
に文壇もまた萎縮し、往時の進取的な勇気と青年のロマネスクをなくしてしまつた。その自然の結果として、
日本の文学は著るしく俸統的、国粋的に傾向し、古く住み慣れた家の中で、安易な蟄居を楽しむやうになつて
βj 純正詩論

 かくて悲境のどん底に沈潜された僕等の詩が、正にその自然滑滅を怪しまれる近時に至つて、再度また泥中
に希望を認め、ジャーナリズムの潮流に乗つて浮き上らうとする新気運を見せて来たのは、そもそも何事の理
由によるのであらうか。過去の文壇に詩が柴えたのは、若き日本の西洋に対するエキゾチシズムと、夢多き青
年のロマンチックの情熱だつた。しかし最近の祀曾や文壇やに、さうした筏やかな青春時代が、再度新しい牙
を萌して衆たとは考へられない。呑むしろ反対に、今の時代は墓場に近く行き詰まつてる。人々は希望を失ひ、
生活の意義を懐疑し、すぺてのロマネスクの峯想をなくしてしまつた。今日において詩が叫ばれるのは、昔と
全く正反対の事情に原因してゐるのである。
 西洋十九世紀の末葉は、日本においては日露戦争の前後であり、正に新日本の国運と文化が蜃揚の高所に萱
つた全盛の光明時代であつた。資本は膨脹し、国民の元気澄刺として希望に充ちてゐたこの時代に、濁り文壇
だけが西野十九世紀末の思潮を学び、懐疑につかれた憂鬱さうな顔をしながら、しきりに生活の虚妄や無意義
を説いて煩悶してゐた。あの日本の所謂「自然主義文壇」なるものは、今から考へれば全く青年のロマンチッ
クなダンディであり、自己の賓融合や賓生活の環境とは何の縁故もないところの、外国文化のインテリぶつた
風流だつた。
 常時の西洋十九世紀末の敢合は、その後三十年も遅れた今になつて、漸く初めて昭和の日本に現著して来た。
今の日本の質情こそ、異に日本人の健験する自然主義文孝の時代なのである。そしてこの時代が、文壇の流行
辞で「不安の文革」 の時代と呼ばれてゐる。チェホフや、ドストイェフスキイや、ツルゲネフや、ボードレエ
、過去の世紀末的文学者、多くの自然主義時代の文聾者が、今日において我が国に新しく後治したのも
このために外ならない。
 飴事は措いて、かうした世紀末的不安の時代に、流石暢気な文学者等も、いつまでその俸統の炬燵の中で、
安易な夢を倉つてることが出来なくなつた。彼等は家を出て漂泊し始めた0もはや彼等の不安にとつて、芭蕉
ゃ良克やの俸統詩墳が、心のポエトリイの糧でなくなつて来た0すべての文学する精神は、何かの或る痛切な、
烈しい意志を持つた抒情詩を要求して来た。そしてボードレエルが再吟味され、ハイネが新しく熱情され、一
般に伶ほ僕等の「詩」と呼んでる西洋風の文学が、ここでまた新たに欲求されて来たのである0
僕等の「詩」と呼んでる文筆は、そのポエデイする精神を「日常性への抗争」に本質してゐる○ボオやボー
ドレエルは特別としても、すぺての西洋の詩の精神は、常に「日常的なもの」を情意し、非日常的なイデアや
ドリームにあこがれてゐる。即ちそのイズムが示す如く、すぺての詩人は象徴汲であり、高蹟渡であり、超現
賓汲であり、浪漫汲であり、一括して皆「反日常生活主義」を標梼して居る。
 これに反して日本の和歌や俳句は、すべて皆その精神を「日常性への順應」に本質してゐる。特に俳句の如
きは、身遽衣食の日常性を主題にし、庭に鳴く虚や域瓶にたぎる湯の音などの、日常生活そのものを詩化して
ゐる。日常生活を詩化することは、日常生活を愛し楽しむことであつて、ここに東洋の自然的楽天主義が人生
してゐる。今日の如き不安の時代において、かうした風流閑雅の詩歌が、漸く人々に飽かれて来たのは官然で
ある。そしてこの一方に、日常牲への抗争を精神してゐる人間主義の西洋の詩が、漸く新しく求められて来た
のも自然である。
 このやうにして最近のジャーナリズムが、漸くまた我々の詩に関心を持ち始めて来た。過去の明星時代やス
バル時代は、それが時代の若々しいロマンチックな熱情からジャーナルされた。今日では反対に、時代の老い
β∫ 純正詩論

て行き詰つたニヒルの煩悶から欲求されてゐる。過去の話の出費鮎は、夢多き青年のエキゾチックな情操や趣
味であつた。今日の詩の出費鮎は、生活の鰹験的苦悶を根接にしてゐる。単なるエキゾチシズムや、青年の感
傷的なロマンチシズムやを本質とする昔のやうな抒情詩は、今日以後の詩壇において多く要求されないであら
う。例へば現詩壇の一部に流行してゐるやうな、フランスまがひの気取つたダンディズムのモダーン詩の如き、
単なる異国趣味の香気のみを特色としてゐる顆の詩は、今の日本においては全く時代遅れである。
 日本の過去の詩人たちは、多くはこの顆のエキゾチシズムから、西洋の詩を学ぶことに熱心だつた。故に年
老いて趣味が攣り、青年のエキゾチシズムをなくしてしまへば、直ちに詩を廃して国粋の和歌や俳句に蹄つて
しまふ。文孝においては、もちろん「趣味」を学ぶことも必要である。趣味は文畢の肉であるから、西洋の詩
を学ぶために、西洋の趣味を学んでハイカラぶるのは大いに好い。
 だが趣味は文拳の展性であつて本質ではない。西洋の詩や文筆から、賓に拳ぶぺき本質のものは、それの哲
畢してゐる人生観の精神(それはキリスト教やヘレニズムの人間主義に俸統されてる。)でなければならない。
この根本精神を寧ばないで、畢にモダーンやハイカラのバタ趣味だけを革んだところで仕方がない。その精神
に鹿洋風の哲学を情操しながら、文筆の表皮だけで欧洲の近代風俗を横したところで、銀座街頭のモダノンガー
ルが、本質において典型的な日本娘であると同じく、畢なる文畢的軽薄の流行にしか過ぎない。
 故芥川寵之介や、最近の谷崎潤一郎氏やは、日本の侍統する深い古典趣味を愛してゐた。特に谷崎氏の如き
は、最近全く昔のハイカラを一掃して、反動的の国粋趣味者に攣つてしまつた。だがそれにもかかはらず、谷
崎氏の文季してゐる精神は、却つて益ヒ人間主義的執拗な西洋の文学に接近して行く。日本の文筆が俸統して
ゐるところの、あの枯淡的、諦観的、自然漫我的の精神は、谷崎氏の文学に全く映けてゐる。「春琴抄」の楕
紳は、正に西洋の文学の頼紳であり、それ故にまた谷崎氏や芥川氏やの文学が、僕等の詩人にもつともよく軽
∂古
凋、竜
【昭.!
闇周一溜増瀾欄椅憎頂葵づ■虹仙札虹く打桓経野れるのであ箆′弓・〜r・′・…
嘲朋沼欄崩欄絹〔U″uルJりJ_」」 。芦=−
至イ豊rしの正反対の例澄はゾ埠い最近まで文壇にゴロゴロして居たアメリカまがひの菊取つたモダーン文筆だつた。
それらの所謂モダーン文筆は、表皮の趣味だけがハイカラで西洋臭く、文学の精神そのものは、純粋に日本の
侍統する戯作者趣味の洒落本ゼった。趣味が文畢の表皮的な展性にしか過ぎないことは、以上の例によつても
解るであらう。その西洋臭い外貌の故に、軽薄なモダンボーイやモダンガールを、誤つて「進歩的な人々」と
思惟する勿れ。賓に「進歩的な人々」は、却つてもつと古臭く眞面目な菰をしてゐるのである。
 ジャーナリズムは詩を呼びかけてゐる。今日「不安の文学」の時代において、詩は必ず新しい復活をするで
あらう。日本の文化は、いつもその「不安」の時代に進歩的となり、平和の時代に退嬰的となる。なぜなら平
和の時代とは、蜃術が俸統の中に安住して、新しい創造や懐疑を持たない時代であるから。さうした平和の時
代においては、常に俸統の和歌や俳句が繁盛し、僕等の新しい詩は忘却される。
 僕等の文孝する詩は、人々がその安住の家をなくした不安の時代にのみ欲情される。詩と言はれる文学それ
自饅が、賓に「日常性への抗争」を本質して居り、非日常的なる精神を、非日常的なる言語によつて表現する
文学なのである。そして不安の文学とは、それ自らまた日常性への抗争を精神してゐる文学に外ならない。即
ち言へば、話それ自身が資に「不安の文畢」の高調された表象なのだ。今日において、ジャーナリズムが詩を
叫ばなければ、詩の叫ばれる横合は永久に衆ないであらう。
βア 純正詩論

を感銘したものか疑問である。おそらくは歌劇、、、カドを見物して、日本人を理解したといふ程度であり、俳句
をHトー内トHとして鮮澤した程度であらう。多くの場合に、外国人に好評される日本の者は、眞の純粋の日本
ではなく、彼等のフジヤマやゲイシヤガールの概念性に、矛盾なく調和して入り得る程度の、テンプラフライ
式の似而非日本である。眞の本官の日本のものは、彼等に理解されないことから、却つて退屈されるばかりで
ある。宮森氏の柄詳が西洋で受けてる理由も、おそらくそれがハイカイ的俳句である為かも知れないのである。
 小宮豊隆氏は、翻詳の不可能を例澄する為、次の宮森氏の詳句を引例してゐる。
TFの 野β(ニのロt せ○ロβM
卜 f→○粥 せ−戸口的のd ∽づ−PSビM
(古池や蛙とび込む水の音)
小宮氏は言ふ。俳句の修辞的重心となつてるものは、「古池や」 の 「や」といふ如き切字である。
この場合
での 「やレは、対象としての十口池が、■ずつと以前からそこに有つたといふ時間的経▲週と、軍・在的な恒久観念と、
触灯せてそれに対するh作者の主観的感慨とを丁表示してゐる。句はその切字で分離さ戚W少し居サーj以一下ガ「蛙飛び込
                                           ヨ
且む」は、目前の現質的印象を表現してゐる。そしてこの現質的印象としての瞬間が、恒久的質在の「古池」の
中に滑滅することによつて、芭蕉の観念する「無」の静寂観が表現されるのである。然るに宮森氏の謬では、
この「や」が ! の符故によつて書かれてる。外国語の !は、畢なる感歎詞の符既であるから、それによつ
て原詩の時間的観念や賓在的観念を表示することは出来ない。俳句に於ける切字の「や」は、非常に豊富な内
容をもつ複雑な言語であつて、外国語に於ける! の如き、畢なる感歎詞の符戟ではないのであるから、この
鮎の詳が第一に不完全だと言ふのである。
                                           ●
 次に伶は小宮氏は、言語の聯想性に就いて述べてゐる。印ち例へば「古池」といふ言葉は、日本人の聯想か
らは直ちに古い寺院の池や、庭園などにある閑雅で苔むした小さな溜水の池をイメーヂするが、潟東のない西
洋にはそんな台地が無いのであるから、西洋人のこの語から聯想するイメーデは、アルプスやスヰスの山中な
どにある、青明に澄んだ大きな湖水であるだらう。そんな池へ蛙が一疋跳び込んだところで、何の詩趣も意味
もあるものか。且つ「蛙」といふ動物は、日本人にとつては特殊の俳味的詩趣をもつて居り、夏の自然を背後
に感じさせるやうな季節感をさへ有してゐるが、西洋人にとつては何等特殊の聯想がなく、食用蛙の醜怪を思
ひ出させる位のものであらう。してみればかうした翻詳を通じて、外国人の俳句から受け取る印象は、不可解
以上に想像が出来ないと結論してゐる。
 小宮氏の説は、むしろ常識的にさへ首然の正理であつて、これが文壇に問題を起したのが、むしろ不思議な
位である。僕の如き外国語に智識のない人間が讃んでさへ、上例の如き英詳で芭蕉の俳句が謬出されてるとは
思へない。正直に告白すると、かうし七詳々讃んで滑稽になり、いつも失笑を禁じ得ないのである。しかもこ
れが語学者として名馨の高い宮森氏の詳であり、内外共に最近の「名詳」として好評されてるのを見ては、い
βク 純正詩論


よいょ以て詩の郁詳の不可能性を痛感する次第である。
「花の雲鐘は上野か浅草か」といふ句を、かつて沓或る人が次のやうに英詳した。
夕0
      TFの C−○声d∽ Of ニ○弓の→∽
     宅Fのりの i∽ tF付 出の〓∽ flOm〜
   qのロ0 0→ 斡sP材亡班P・
   西洋人がこれを讃んで「葬式の詩かヱと反間した0奇抜なので聞いてみると、成程もつともの次虜であつ
  た0即ち「撃といふ言葉は、是人の讃者にとつて、直ちに攣花を聯想させるのに、西洋人の筆者にとつて
  は、ダリアや、チューリップや、シネラリヤを聯想させる0そこできd芸f冒3は、さうした西洋草花
  の群生してゐる花壇か、もしくは窄輪や窄束の集囲をイメーヂさせる0また「鐘」といふ語は、日本人にとつ
  ては係数寺院の幽玄な梵鐘を聯想させるのに、西洋人にとつては耶蘇教寺院の賑やかな讐的ベルを聯想させ
  る0aで今、この詳詩を讃んだ西洋人の心象には、耶蘇敦寺院のペルが鳴つてる町の通りを、美しい花輪や
  窄束の群が、雲のやうに行列して行く光景、即ち葬式のイメーヂが浮んだのである。
   故にこの俳句を、もし正常に誓うと思ふならば、垂は英語の担○毒芸なくして、日本語の垂と
  いふ語をそのまま原語で用ゐる必要がある0また「鐘」はcEmの芸峯芸なく、日本語の「鐘」でなけ
  ればいけない0即ち要するに、原詩を原語で示す以外に、琴詳は絶封不可能だといふ結論になる。
El1.E.一撃の可鰭牲がある俳句は、聯想の内容が極めてすくなく、詩趣が稀薄である代りに、理智的の説明を内容
賢け」である。例へは芭蕉の句で「物言へば唇塞し秋の風」頚村の旬で】「負けまじき角カを膚物語
かな」 の頬。特に就中、
加賀千代女等によつて代表される人情的月並俳句である。千代女の「蛸蛤つり今日は
何所まで行つたやら」「身に弛みる風や障子に指の跡」「朝顔につるぺ取られて貰ひ水」等の句は、言葉のイメ
ーデやヴィジョンから来る詩趣でなくして、人情的な内容からくる興味を主としたものであるから、この種の
句ならば、銚詳を通じて外人に理解させることが出来るのである。故小泉八雲のラフカヂオ・ハーン氏は、日
本人と日本の文化に封する唯一の最上の理解者であつたけれども、氏の鑑賞を以てしても、その愛讃された俳
句の程度は、上掲した加賀千代の人情的月並俳句に止まつてゐた。況んや日本に居住することなく、日本の文
畢を全く讃まず、日本に就いて知る所の殆んどない一般の欧米人が、宮森氏の謬を通じて、芭蕉等の俳句が解
り得る道理はない。おそらく彼等が、柄謬を通じて「台地や」等の俳句から感ずるものは、「筏の雲」の句を
葬式の詩として感心した外国人と同じく、原句の詩趣とは全くちがつた別のゲイジョンに、彼等自身の主観し
た東洋的エキゾチシズムの幻像を重いたものであるだらう。
 もつとも詩の特質は、各ヒの讃者に各ヒの主観的幻想をあたへることに存するのだから、講話を通じて、外
国人が外国流に勝手なグィジョンを構成し、勝手な主観的鮮稗をしたところで、一向に何の差支へもないわけ
であり、むしろ謬詩の本来の目的がそこに有るとも言へるのである。それ故に本来言へば、詩の研詳に語学上
の詮議は無用で、むしろ詳者自身の個人的主観によつて、自由に勝手に翻案任してしまふ方が好いのである。
逆説的に言へは、すぺての謬詩は誤謬であるほど好いといふ結論になる。
 小宮氏の所論に対して、宮森氏の讃資新聞に書いた抗議文は甚だ非常識のものであつた。小宮氏の所説は、
俳句の礪詳不可能を言ふために、宮森氏の詳を引例しただけであつて、別に宮森氏の諾を悪評したわけではな
夕J 純正詩論

かつた0然るに宮森氏は、外国人の賞讃した批評を自慢らしく列記した後で、この通り外国で好評を博して居
り、外国人でさへ賞めてゐるのに、日本人たる小宮氏輩が非難するとは以ての外で、同胞らしくもなく怪しか
らんことだと言つて怒つてゐる0そのくせ肝腎の問題たる郁詳の可能性に就いては、少しも良心のある難語を
しないで、単に子供らしく単純に可能だと言ひ張るばかりで、議論外の題目たる小宮氏の語学力などを、ひど
く悪辣な調子で罵つてゐる。
 宮森といふ人は、語学者として名饗の高い人であるが、讃費新開の一文を讃んで、いささか人格的に軽侮を
感じた0言ふ事がまるで非常識で、中畢生の頭脳にもなつてゐない。外国人が賞讃するほどの詳を、日本人の
分際で非難するのは怪しからんといふのは、語牢としての出来の批判を言つてるのだらうが、小宮氏の所論で
は、語撃としての問題ではなく、詩の柄詳の可能についての義論なのである。宮森氏の頭脳では、詩の郁謬が
語寧の智識で一切遺せるやうに思つてゐるのだ0語畢者なんていふ人間は、賓に頭脳の悪いものだとつくづく
思つた0本来言へば、すべての良心のある柄評者は、小宮氏が言つた位のことは自分で詳本の序に書いてゐる
筈である0堀口大挙君の如きも、その詳詩集に「失はれたる賓石」といふ題をつけてゐるし、故上田敏博士も、
謬詩集を出す毎に詩の翻詳の不可能に属することを、自ら告白して謝罪されてゐた。詩といふ文学は1々の深
い味を知れば知るほど、いょいょ他国語に翻詳できないことが鰐つて来るからである。宮森氏にして、若し眞
に俳句を理併してゐるとすれば、外国人の好評に封して、却つて自ら羞爾たるものを感じなければならない筈
である0なぜなら如何なる語草の才能を以てしても、詩(特に俳句)の満足する翻詳が出来ないことは、自分
で鮮つてゐる箸であるから。


                        ヽ ヽ ヽ ヽ  ヽ ヽ ヽ    ヽ ヽ ヽ 、
 ポオの無窮誇「大鴻」の表現救果は、あのねえばあ・もうあとか、れのああとかいふ言葉の、寂しく撞い、
夕2
蔓場の中から吹いて来る凰のやうな、うら悲しくも気味の悪い音韻の繰返す反響にある。ポオはそれを意識的
に反復させて、詩の全憶のモチーフを、その語の表象する気分の過期的反響によつて構成させてゐる。「大鶴」
からその音響を除いてしまへば、後に何も残るものはなく、無意味な文字の配列にしか過ぎないだらう。然る
にどんな評者が、それを日本語に移すことが出来るだらうか。詩の翻詳の不可能は、この一例によつても解る
のである。
 私の昔作つた詩に、「鶏」と超する一篇がある。正直に白状すると、これはボオの翻案であつて、鶏の朝鳴
  ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ  ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
を、とをてくうる、もうるとうなどの音韻で表象させ、全饅にポオの「大鶴」と似たやうな詩想を、似たやう
な表現技巧で出さうとした。そこで考へ得られることは、詩は「翻案」さるべきものであつて「都詳」さるぺ
きものでないといふことである。
「二月三月日遅々。東行西行雲悠々」といふ漢詩を、昔の或る人が和詳して「きさらぎ、やよひ、日のどか。
とざま行きこざま行き、雲うらうら。」とした。これは確かに忠資な謬である。しかしこの和詳の詩には蜃術
としての償俺がなく、且つ原詩のあたへる詩的感銘を、少しも表象的に俸へてゐない。所でまた、新古今集に
                  いほり よる
次のやうな和歌がある。「昔思ふ革の庵の夜の雨に涙なそへそ山ほととぎす」これは「鷹山雨饗草庵中」とい
ふ句のある白楽天の漢詩を日本風に詳したものだと言ふ。この方は柄詳でない。しかしながらこの歌には、垂
術として濁立した償俺があり、且つ原詩の詩的ムードをずつとよく本質的に捉へてゐる。そこで外国語の詩に
就いて、讃者の眞に知らうと欲するところは、詩の個々の言語や逐字謬的の詩想でなくして、原詩そのものが
持つてる直接のポエヂイであり、原話それ自佳の詩的ムードなのである。それ故に詩は、むしろ銚案すべきも
9∫ 純正詩論

のであつて柄詳すぺきものではない。前に逆説して、銚詳は誤謬であるはど好いと言つたのはこの故である。
詳詩の能事は、畢に原詩の想念(思想)を俸へるに止づる。といふ制限を設けることから、銚澤の可能を説
く人がある。しかし詩の想念といふものは、詩の言葉の包有してゐる聯想や、イメーヂや、韻律やの中にふく
まれ、化畢的に分析できない有機慣となつて生きてるのだから、原詩の文畢的構成だけを詳したところで、詩
の意味を俸へることは出来やしない。それを侍へる為には、原詩の個々の言葉を好きほごして、煩墳な註解を
つけ加へる外はなく、結局やはり、評者自身の創作として翻案する以外に手段はないのだ。
 すぺての詳詩は、それが輌謬者自身の創作であり、翻案である限りに於て償値を持つてる。換言すれば詩の
銚詳者は、原作を自分の中に融化し、自分の蜃術的肉膿として、細胞化した場合にのみ、初めて評者としての
著作樺を有するのである。即ち例へば、ポオの柄謬に於けるボードレエルの場合であつて、これが即ち「名
詳」である。そしてすぺて名詳は、それ自ら翻評者の創作であり、正しく翻案に外ならないのだ。
 森鴎外氏の「即興詩人」は、原作よりもずつと善いといふ定評がある。あの詳を讃んだ人たちは、案外原作
のつまらないのに失望して不平を言つた。「即興詩人は詳ぢやない。あれは鴎外氏の創作なんだ。僕等は鴎外
氏にだまさ.れたのだ」と。正にその通り、即興詩人は鴎外氏自身の作つた翻案なのだ。そしてまた、その故に
こそ「名詳」なのだ。
すぺての書き柄辞は「創作」である。それ故にボードレエルの謬を通じて、ボオの詩を讃んでる人たちは、
ク4
軍にはボードレエルの詩を苛んでるので、ボオを讃んではないのである。
 堀口大挙君は、彿蘭西語の謬詩者として定評がある。ところで堀口君の詳した詩は、ヱルレーヌでも、シモ
ンズでも、コクトオでも、すべてみな堀口君自身の詩であつて、どれを讃んでも、一つの同じ堀口的スタイル、
一つの同じ堀口的抒情詩の華北に過ぎない。つまり堀口君の場合にあつては、すべての詳詩が翻案であり、自
分の創作になつてるからだ。そこで堀口君の謬詩を通して、ヱルレーヌを愛讃し、ヱルレーヌに私淑してゐる
といふ一青年が、かつて私に自作の詩を示して言つた。「ヱルレーヌの影睾があると思ふのですが===」その
詩を讃み経つた後で私が答へた。「ヱルレーヌの影響なんか一つもない。みんな堀口君の詩の模倣ばかりだ。」
 かつて日本の詩壇に、象徴汲の詩人ヱルハーレンの流行した時代があつた。常時或る若い新進の詩人が、ヱ
ルハーレンの影響を受けてると言ふので評判された。私がその詩を讃んで驚いたことには、それが川路柳虹君
   ヽ ヽ ヽ ヽ
の話そつくりの模倣であつた。そして昔時川路君は、ヱルハーレンの詩を盛んに詳してゐたのである。1こ
れほど滑稽な事賓はなかつた。
 詩話を讃む人々への注意は、第一に先づその評者が、詩人として、文畢者として、原作者と同等以上、もし
くは同等、もしくは最悪の場合に於てすら、雁行する程度の才能を持つてゐるか香かを見るぺきである。諾者
に、もしそれだけの資格がなく、原作者との比較に於て、問題にならないへツボコ詩人であるとすれば、むし
ろ全然さうした郁謬を讃まない方が利町である0なぜなら詩の郡謬は、翻詳者自身の創作であり、研評者の情
想や、技巧や、スタイルやの、特殊な同化された血液を通してのみ、原詩の精神を透威することが出来るのだ
夕∫ 純正詩論

から0それ故にまた、掛lか掛掛蒜掛か、粁n蒜掛卦か掛〃卸欝ご敷いでかか。琴詳者にして、
もしへツポコ詩人であるとすれば、原詩の償値もまた、低劣なへツポコ詩に過ぎないのである。ボードレエル
は、ポオを悌蘭西人に正償で費つた0しかしながら他の柄評者等は、概ね原作者の償値を下落させ、捨値で要
りつけてゐるのである。

柄詳の不可能は、もつと廣く、根本的の問題としては、必ずしも詩ばかりでなく、文竺般に関係し、さら
に伶ほ本質的には、外国文化の移植そのことに関係して来る〇一例として押の已といふ言葉は、日本語では
「現賓」と辞されてゐる0したがつてまた押邑1胃は、日本語で「現賓主義」と辞されてゐる。しかしながら
声邑といふ言葉は、外璧仰の意味に於いては1単なる「現賓」を指すのでなく、もつと深奥な哲学的の意味、
即ち或る「眞賓のもの」「確賓なもの」、架杢の幻影や慣象でなくして、正に「賓在するもの」といふやうな意
味を持つてゐる0然るに日本の文壇では、これを畢に、「現賓」と詳したことから、日本の所謂レアリズムの
文筆が、単なる日常生活の事賓を書き、無意味な現貨を平面的に記述するに止まるところゐ、所謂「身遽小
説」・となつてしまつたのである0そしてこんなレアリズムの文学は、西洋に決して無く、;も見る・こ也が出
来ないのである0空い宅已}胃を、「自然主義」と詳したことも、同様にまた誤謬であつて、それが日本の文学
を崎形にし、特殊な馬生文的小説を流行させた。            ≠′
 異質の意味を言へば、外因語は決して辞することが出来ないのである0単に類似の言葉をもつて、慣りに原
語に相首させ、ざつと間に合はせておくにすぎない0然るに日本人は、歴史的に思想を持たない国民であるか
ら、本来智寧的の思想を根とする西洋文畢の輸入に際して一もそれに邁應する言語がなく、日本語字典のあら
ゆる富海を探した後で、止むを得ず「現質」や「自然」などといふ評語を、無理にこじつけては慧冒せた。そ

人j.
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も粛ゼの他の如何なる西洋文血琴海層頭首に一郡一詳し得ない▼づ賂づてじま
つたのである。
 外国文化の輸入に於て、輌詳が紹封に不可能のこと、茸には「翻案」しか有り得ないこと、そして結局、す
べての外図文化の輸入は、国民自身の主観的な「創作」に過ぎないことは、以上の一例によつても解るのであ
る。支那文化を同化した日本人の過去の歴史は、職によくこの事資を賓澄してゐる。
 日本の陸軍では、すぺての外国語を、故意にむづかしい日本語(貰は漢語)に詳してしまふヶ例へばタンタ
を、軍用自働車と言つたk装甲自働車と詳したりする0或る教官が新兵に敦へて、「日本の陸軍は本質的に
外園の軍隊とちがふのである」と言つた後で、無邪気な新兵が質問した。「教官殿。サーベルは西洋の刀であ
りませんか。」教官「サーベルではない。日本の軍隊では指揮刀と言ふのだ。解つたかツ。」新兵「ラッパは何
でありますか。」教官「馬鹿ツ! ラッパは日本語だ。」
 これは国粋主義のカリカチユールである。園粋主義者の観念は、すぺての輸入した外国文化を、無理にこじ
っけて、不自然に創作しょうと努力する。これに反して、進歩的インタナショナルの人々は、外国文化を出来
るだけ忠賓に、原作の通りに翻詳しょうと意志するのである。結果に於て見れば、南方共に、所詮は翻案化す
るに過ぎないのだが、翻評者としての良心では、勿論後者の意志する方が正しいのである。前者は、始めから
誤謬することを目的として誤謬してゐる。
縛向したマルキストは、銚詳の不可能を知つたのである。彼等は文畢者より聴明である。なぜなら日本の文
タア 純正詩論

拳者等は、彼等の翻案化された似而非の自然主義文学や、似而非のレアリズム文学を以て、白から外国思潮の
それと同列させ、資本主義末期の近代文畢を以て自任しっつ、笑止にも得意でゐるからである。
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