薙誌の編輯老へ望むこと
 雑誌社が、もつと僕等に自由をあたへてくれると好いと思ふ。いつでも自分の書きたいことを自由打者ける
だけ書いて、それを随意に出してくれる雑誌社があると好いと思ふ。近頃僕の所なぞへも、たまには原稿の注
文をしてくる雑誌社がある。僕も貧乏のことではあり、いつでも金に困つてゐるから、稿料の入るのが嬉しさ
に大ていの注文几は應じてゐるが、いつも飽き足らない思ひで充満してゐる。
 人のことは知らないが、僕の所へくる原稿の注文は、どれも樋つて紙数を指定してゐるのだ。もちろん雑誌
のノ定な頁叡は極つてゐるから、さうむやみに長篇のものを造るといふのも非常識だが、僕の所へくる注文な

●’ 一「一●一  一
どは、それが大抵五枚か六枚、長くて十枚位の枚数を指定してくる0叙情詩ならとにかく、まとまづた構想が
五枚や六枚で書けるわけのものでない。十枚程度の原稿では、せいぜい新聞の軽い時言か、この難詰ハ文蓼春
秋)に書くやうな茶話的の難文しか書けはしない○まとまつた創作としての尊表には、どうしたつて五十枚位
は必要である。
 それで僕は、毎月心ならずも調子の低い雑文ばかりを態表してゐる0折角書いたものはあつても、どこから
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も注文はして来ないし、たまに買はれ、るものはくだらない雑文ばかりだ○いかに僕が几劣な人間でも、雑文書
きとして生嘩を終りた←ない。ただ世間がそれをさせるのだから仕方がない0「玉を抱いて石を蜃る」といふ
言葉があるが、僕などは正にそれである0尤も賓玉か瓦石か知らないが、とにかく自分では第一義的の力を入
れて、多少の本気で書いたものや、また書きたいものも澤山あるが、だれも人がそれを問はず、強ひてガラに
ない世間話などを問うてくるので、此頃はすつかり「書く」といふことが厭やになつてしまつた0もし僕がス
シやをしたら、スシは少しも費れず、ワサビばかり人が買ひにくるのだらう0何をしても、僕はさういふ不運
の男だ。
 雑誌社の不都合なことは、畢に紙敷を指定してくるのみでない0多くは先方から「課題」をつけてくること
だ。たとへば詩壇の近況について書けとか、某事件についての感想を述べょとか、或は少女向きのことを書け
とか、或は季節向の美文を書けとかいふので、まるで寧校の課題作文と同様である0僕は小学校にゐるときか
ら、作文といふ畢科が厭ひであつた。それは強制的に課題を出されるからで、偶然に題が自分の興味や生活に
解れた時は例外だが、多くの場合に温交渉の課題が出るので、どうしても創作の感興が起つて衆ず、時間の経
りに白紙を出して零鮎をもらつたこと・が度々ある0それが成績の好い優等生などになると、どんな種顆の課題
が出ても相常に旨く材料を見つけて書くので、彼等の才能が不思議に思はれてたまらなかつた0「招待を断る
∫β∫・随筆

文」といふ或る日の課題に、僕が「忙がしくて行けません」と書いて教師に叱貴されたことなど、今だに自分
の作文的無能を反省する好い追憶である。
飴談はおいて、とにかくこの「課題付原稿」には閉口する0しかもその上に紙数が制限されてゐるのだから、
まるで手足を縛つて肇官をさせられるやうなものだ0かうなると僕等は雑誌縮輯人の御用道具で、向うが始か
ら一定のプランを立て、二疋の期日と一定の欄とを設けて、そこに丁度寸法のあてはまる道具を注文してくる
のであり、僕等の方では細心翼々として金主の御指定に邁ふ仕事をするのだ。ハでなければ金が沸つてもらへ
ない。)
一饅文壇といふ所では、だれも皆かうなのだらうか↑ これが世間改なら仕方がないが、他は決してさうで
ないやうだ0小説家などは有枚も二宮枚もの創作を一時に儀表してゐるし、勿論課題などは指定されてない。
賓に小説家といふものは文壇で威張つたものだ○文壇の本質的作家はいつも小説家であり、詩人や評論家は附
けたりの附錬にすぎない○芝居で言へば小説家は立役者で、その他は之れを中心として生活する道具方や衣装
方のやうなものである0また寄席で言へば小説家は色物の中心たる落語家で、詩人等の者はその景物に眼先を
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かへる色どりの曲肇師等にたとへられる0百面相や足蓼の拳人等は、いかに名人でも色どりの飴技にすぎず、
落語家の三流よりも下の地位に押しっけられてる0文壇を寄席にたとへれば、詩人等のものは色どり・の験興蛮
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人にすぎないので、瓢誌の編輯上でもいつも「色どり」的に軽蔑して取り扱はれる。詩人でも文士だらうか?
といふ疑問が、自分にしばし掛起るほど、それほど我々の文壇的地位は情ない。封等には、小説家と詰もでき
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ないほどの親しき身分である。
 そんな愚痴はすめにしょう0とにかく雑誌の編輯人が、今少し我々にも自由と尊敬をあたへてもらひたい。
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譲歩はもちろんのこと、さらに「詩」とか「評論」とかいふ、さういふ型の指定もなく、何でも書きたいと思
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ったことを、書きたいと思つた文膿で書いた自由の創作を、願はくはいつも注文してもらひたい・詩人だから
詩を注文するといふのは、尤も正常な常識だらうが、詩は小説の顆とちがつて、不時のインスピレーションで
のみ書けるものだから、期日に應じて作ることは大概の場合むづかしい0それに眞の詩といふものは、詩とい
ふ型の意識で書くものでなく、もつと自由の心意の中にさへあるものである0(厳重の意味に於て、話と散文
の形式的直別は無いのである。)
 この自由をあたへることに於・て、近時出る「文季春秋」や「不同調」のやうな雑誌はたいへん好い0この文
奉の型を極めず、何で較目由な創作を容れる態度は、この種の雑誌の新しい特色であり、それが正に攣りつつ
ぁる新文壇の気運を先駆してゐる。思ふに「詩」とか「小説」とかいふ宰衝的型の差別は、近き未来に於て滑
滅してしまふので、ただ文壇には眞の自由創作ばかりがあるやうになる0「文睾春秋」が始めて出た時、僕は
直感的に「新時代の動いてる機運」をそこに感じた。この種の自由雑誌は、箕は僕易し前橋さうとして、
二三の友人に意をもらしたことがあつたが、久しからずそれが出たので、異に之れある哉と思つた0果してそ
の後この種の雑誌が積出し、従来の「創作欄」や「評論欄」の直別を立ててる書式雑誌は、何となくアカデミ
ックな感がして時代遅れに思はれるやうになつてきた0(但し「文香春秋」は最近所謂「創作欄」を特設した
ので、いささか裏切られた幻滅を感じてゐる0聴明者にもあるまじきことである0)
しかし「不同調」「文奉春秋」等にも、伶僕の飽き足らないことが二つあ絹〇一は態度に気品がなく、ゴシ
ップや茶話的の雑文を主にすることである。雑誌全慣が「雑文」といふ安易な気分なので、どうしても眞面目
なものを出す菊がしない。僕の最近に計毒したのは、この同じ型の雑誌であるがずつと牽術的気品の高い眞面
目な創作的のものであつた。どこかにでフいふ雑誌は出ないか〇一切の香華術の型を打破する「新気運への先
駆」、に立つて、しかも雑文雑誌でなく、堂々たる創作的権威を有する雑誌は出ないか0第二に不満足なのは、
∫β∫ 随筆

この種の雑誌が紙敷を極端に制限することである。尤も始から雑文雑誌であるからして、それには制限の紙敷
が理に合つてる。要するに、雑文雑誌でない 「文香春秋」が出なければ駄目なのだ。
「詩でも散文でもネゴトでも好い。唯貴君自身に創作的良心を有するもの。君自身が信じて世に問はうとする
もの。rさういふ原稿を注文する。紙敦は何故でもかまはない、〆切期日は約束しない。いつでも貴君が書いた
時に、いつでも迭つてくれば翌月の分として編輯する。」
 かういふ原稿の注文が、いつかはどこかの編輯人から来るかと思つて、晶の好い男が杢だのみに杢想してゐ
る。
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