探偵小説に就いて

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 コナン」ドイルに熱中した昔もある。今ではもう退屈だ。犯罪があり、手がかりがあり探偵が出る。ああい
ふ型の小説を探偵小説といふならば、もう探偵小説はたくさんだ。
 所謂探偵小説は、一のマンネリズムにすぎないだらう。どれを讃んでも同じことだ。ちやんと型が決つてゐ
る。もう好い加減に厳つたらどうだ。讃む方でも偽き飽きした。


 しかし探偵小説といふ言葉が、このごろではもつと廣い意味の大衆文学を含むやうだ。もう探偵小説なんて
野7
言葉は止して、新しい別の言葉をつけたらどうだ0しかしだれかの言ふ猟奇小説も菊が利かない0もつと自然
的で要嘗性のある名がほしい。
 ポオの短篇小説はすべて好き宅「物言ふ心臓」「黒猫」等のものを、もし探偵小説といふならば、探偵小説
は偉大な蜃術だ。しかし普通に意味する探偵文畢なるものは、たいていくだらないものが多い0コナン・ドイ
ルはまだしもとして、近頃流行のアルセーヌ・ルパンに至つては何事だらう0あんなものは少年世界に載せる
文学だ。好い年をしてあんな小説を讃んでる人があるかと思ふと可笑しくなる0

雑誌「新青年」で霊讃んだものでは、ピーストンの短篇を一つ記憶してゐる0紐育の或る建物、数十盾も
ぁる高いビルヂングの頂上を、窓の張出しに俸つて歩く男の心理を描いたものだが、貰に讃者をひやひやさせ
                                                           ヽ ヽ ヽ ヽ
る。讃んでる中に、幾度も足をすぺらして落ちる様な不安を感じさせる○
これに顆するものにポオの「渦巻」がある0舶に乗つて龍巻に拳き込まれ、漏斗形の翌の底へ雰第に吸ひ
込まれて行く時間の経過を書いたもので、恐怖の極致ともいふべき文畢である0
この種の文学は、攣態心理の描出を主題とするもので、そこにまた大衆向の興味がある0ドストイエフスキ
ィの「罪と罰」など阜同様で、犯罪者の欒態心理を摘出して遺憾がない0探偵小説の新しい概念中には、欒態
心理の描馬などが重要な主題を占むべきだらう0
軽いユエラスの文革も悪くない0粛青年」に出たものでは「地下繊サム」が面白かつた0サムを主人公
にしたあの短欝小説は、どれも皆面白かつたが、就中「サムの新弟子」などは、紐育の気分がょく浮き出てゐ
Jβ∫ 随筆

て、讃後までも印象が深かつた0ああいふ菊の利いた文学は日本に無い。ああいふのも大に探偵小説の概念中
に取り入るぺきだ0必しもサムがスリであつたり、探偵が出たりすることを要しない。犯罪とか、探偵とかい
ふ観念なしにも、本質的に探偵小説が成立し得ることを考へてもらひたい。そこからして我々の「新しき文
寧」が出饅する。

 江戸川乳歩氏の「心理試験」を買つてょんだ○もちろん相常に面白かつた。しかし有名な「二鋳鋼貸」や
「心理試験」は、私にはあまり感服できなかつたd日本人の文革としては、成程珍らしいものであるか知れな
い0しかし要するに「型にはまつた探偵小説」ぢやないか。西洋の風俗を、単に日本の風俗に換へたといふだ
けの相違であつて、既に僕等の飽き飽きしてゐるコナン・ドイル的の探偵小説にすぎないのだ0探偵小説とい
ふものが、もしそのマンネリズムに安住して居り、その刻印された型の中で奇を競ひ、そして幼稚な讃者を封
手とする低級な通俗文学で満足してゐるならばもちろん僕等の言ふことはない。しかし私は所謂「大衆文学」
                                           くろ1ソと
を「低級文畢」と同視しない○私は今日の所謂文壇拳術に反感してゐる。あの玄人気取りの、日常茶談的な、
低桐趣味の所謂文壇蜃衝を革命すべく、今や「新しき文孝」の時代が迫りつつあることを漁感してゐる。
 文壇拳術は亡びるだらう0そして之れに代はるものは新興の大衆蛮術でなければならない。「拳衝としての
大衆文寧」でなければならない0しかして我が探偵小説等が、正にその新時代の先頭に立つぺきことを考へて
ゐる0それ故に私は江戸川氏の「心理試験」に不満する。通俗文牢としてはそれで上乗の出来だらう。マンネ
リズムの探偵小親としては、世評の如く正℃最近の傑作だらう。しかし新興文壇の黎明を換言する第一流の文
撃と見るには、遺憾ながら蓼術的償俺が足りない。
∫∂古
 しかし一「心理試験」の中で、最後の「赤い部屋」といふのを讃んで、始めて明るい希望を感じた。此所には
もはやコナン・ドイルが出て居ない。所謂探偵小説のマンネリズムがない。そしてポオや谷崎氏の塵を摩する
ものが現はれてゐる。それから私は江戸川乳歩が好きになつた。就中、最近「人間椅子」を讃んで嬉しくなつ
た。「人間椅子」はよく書けてゐる。賓際、これ位に面白く讃んだものは近頃無かつた。
 涙香漁史が翻案した昔の探偵小説は、妙に血なまぐさく薄気味の悪いものであつた。少年時代にはよく愛讃
したものであつたが、就中「幽塵塔」といふのは気味が悪かつた。大時計の指盤から地↑室へ絹ぐり込んだり、
壁の中から女の手が突出したりして、ゴシック・ローマンスの古風な陰火が人を臆病にする。一鰹あの常時は、
杜合的に陰気な暗い趣味が悦ばれてゐた。たとへば芝居では歎阿滴の病的に薄暗い劇や、残忍非道の書生芝居
ゃ、血みどろの怪談などが流行つてゐた。明治初年のああした政令的趣味を、最もよく象徴したものは「生人
形」である。生人形の見世物は、常時至る所に公開されてゐたが驚くぺく陰惨で気味の悪いものであつた0私
も子供の時、母につれられて一度見物したが、恐怖のあまり眞青になつてふるへてしまつた。わざと薄暗くし
てある小屋の中で、血みどろの人形が臨終の苦悶を訴へてゐる。あれを平然と子供に見せてゐた昔時の人は、
まるで教育の観念が無かつたのだ。
 涙香漁史の翻案小説が、やはりあの常時のさうした社合相を表象してゐるαあの翻案小説の気味悪さは、丁
度生人形の気味意さだ。挿檜からしてさうであり、殺人事件の木版重などはゾツとするほど薄気味悪い0
 かく常時の探偵小説は、何よりも「気味悪さ」を主題にしてゐた。故に犯罪小説とは言ひながら、探偵のこ
とは景物であり、主眼とするのは懐惨な気分を出すことだつた。之れがいつのまにか陳腐になり、次第に中心
∫βア 随筆

が探偵本位に移つて来た。之れが今日の所謂探偵小説で、純粋に理智的な興味で讃者をひくやうにできてゐる。
 しかしこの種の文学も、今や既に行き詰つて一般から退屈されてきた。推理だけの、トリックだけの、横智
だけの、公式だけの小説は、もはやその乾燥無味に耐へなくなつた。我々は次の時代の要求してゐる、次に生
れるぺき新しい文拳を熱望してゐる。
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一■■▲
「未知に封する冒険」! これが探偵小説の廣義な解帝における本質である。ポオのすぺての短篇小説がさう
であつた。谷崎潤一郎氏の多くの作物がさうである。西洋の古いゴシック・ローマンスがさうであり、涙香の
犯罪小説や怪奇小説がそれであり、さうしてコナン・ドイルや江戸川乱歩氏の本質も此所にある。願はくは▲こ
の本質に立脚して、それから更に廣く展開した「新時代の文学」を創建したい。けだし恐らくその新しき文寧
は、日本における新浪漫汲文壇1もしくは新入生汲文壇1の初期を黎明するものでなければならぬ。何と
なれば「未知に封する冒険」の熱情は、それ自らロマンチシズムの本慣となる情操だから。