所感断片
掏摸といふ人種は何時でも霊性を帯びて居る。彼は鋼鉄製の光る指をもつて居る、彼の眼はラヂウムのやうに人の心臓を透視する、その手は金属に対して磁石の作用をする。
彼の犯罪は明らかに霊智の閃光であつて、同時に繊微なる感触のトレモロである。
掏摸の犯罪行為の如きは明らかに至上藝術の範囲に属すべき者である。
地上に於て最も貴族的なる職業は探偵である。彼の武器は鋭利なる観察と推理と直覚と磨かれたるピストルである。
彼の職業は常に最も緊張され ― 時としては生命がけである
― 然も未知数の問題に対して冥想的である。犯罪が秘密性を帯びて来れば来る程彼の冥想は藝術的となり、犯罪が危険性を所有すればする程彼のピストルは光つて来る。探偵それ自身が光輝体となつて来る。
探偵及び兇賊を主人公とした活動写真が他の如何なる演芸にも優つて我々の感興を牽く所以が此処にある。『T組』の兇賊チグリス及び美人探偵プロテヤ(浅草電気館)の一代記は詩人室生犀星をして狂気する迄に感激せしめた。
如何なる犯罪でも犯罪はそれ自身に於て既に霊性を有して居る。何となれば兇行を果せるものは其の刹那に於て最も勇敢なる個人主義者となり感傷主義者となり得るからだ。のみならず彼は直接真理と面接することが出来る、人類の偽善と虚飾と仮面を真向から引ぱがすことが出来る。
『人間にパンを与へろ、それから藝術を与へろ』孔子の言つたことは一般に真理だ。けれどもパンをあたへられないでも藝術を所有する人がある。その人が真個(ほんと)の藝術家だ。
最初にパンを獲るために労働する人がある、一般の藝術愛好家である。最初にパンを獲るために乞食をする人がある、生れたる詩人である。
藝術家とは人生の料理人である。料理人とは『如何にしてパンを獲得すべきや』といふ問題の解答者ではない。料理人とは『如何にしてパンより多くの滋養分と美味とを摂取すべきや』といふ質問の答案者である。
汝の生活の心持を灼熱しろ。センチメンタリズムを以て汝の生活を白熱しろ。
汝のセンチメンタルを尊べ、人生に於ける総ての光と美とは汝の感傷によつてのみ体得することが出来る。此処に新らしい生活がある。祈祷と奇蹟と真理のための生活がある。キリストの生活がある。ベルレーヌの生活がある。小説サアニンの生活がある。光りかがやく感傷生活がある。
最も光ある藝術とは最も深甚に人を感動せしむる藝術を意味する。最も人を感動せしむる者は言ふ迄もなく光と熱である。而して光と熱の核は感傷である。
我々は第一に日本の自然主義が教へた蛆虫の生活を超越せねばならぬ、じめじめとした賎民の藝術を踏みにじらねばならぬ。
至上の感傷は人情を無視する、寧ろ虐殺する。我に順ふものは妻と子と父母とを捨てねばならぬとキリストは訓へた。感傷門に至らんとする者は最初に新派悲劇と人情本から超越しなければならぬ。
狂気も一種の感傷生活である。情熱と祈祷と光に充ちた生活である。然も狂人の生活が如何ばかり光栄に輝ける者だといふことを狂人以外の人は全く知らない。