身辺雑記
都会へ来てから
都会に来てから三ケ月あまりになる。
「君! 東京に落つきましたかね。」
と逢ふ人毎に質ねられる。
「さうですね。まだ少しも。」
さう答へながら、私は反省してみるのである。
落付くといへば、ほんとに私のやうに落付きのない人間はない。田舎にゐる間は、絶えず焦れついた気持ち
でゐて、一日も生活に落付くことができなかつた。狭い一軒の家の中に、両親や、兄妹や、それから私の家族
子供たちがゴタゴタと棲んでゐるので、机を置くべき居間といふものがなく、一人で物を考へることもできな
いし、勿論書くこともできなかつた。仕方がなくて長屋の裏二階に間借したり、友人と一室に同居したりして
ゐた。
この住居に落付きがないから、益々私はいらいらしてきた。
「いつそ書斎を建てたらどうです。」
私の身辺を知つてゐる人たちは皆さう言つて忠告した。しかし収入が全くなく辛うじで衣食の恵を親から受
けてる自分に、そんな自由なゼイタクが空想さるべくもないのである。其上私は、郷土に安住しようといふ意
志がなかつた。郷土における私は、どうしても周囲と調和できない異人種であつた。無理解な誹誘と侮辱の中
で、私は忍従の限りをつくしてゐた。
我れをののしるものはののしれよ
このままに
よも故郷にて朽ちはつる我れにてはあらじかし。
北風の塞い日にも、私は歯を喰ひしめながら、心に泣きつつ向町や才川町の場末を彷徨してゐた。落日の家
根を越えて利根川がかうかうと鳴つてゐるのである。
ああ生れたる故郷の土を踏み去れよ。
さうして遂に東京へ出て来た。東京は私の恋びと、青猫の家根を這ふ都会である。しかしながらこの都会が、
私に何の落付きをあたへるだらう。まいにち銀座通りを歩いてゐても、心の生活はさらに田舎の時と変りがな
い。不安と、焦燥と、忌はしい倦怠とは、一日でも私の周囲を離れはしない。いまはとにかく書斎を持つてゐ
る。書くための机も持つてゐる。けれども長い過去の習慣が、私に浮浪人(ボヘミアン)の気質をあたへてし
まつた。今は周囲に味方もゐる。私をはげましてくれる友人もゐるけれどもそれが何んだらう。依然として、
私には何の幸福もなく、何の平和も有りはしない。都会に来てからは、ただ性質が烈しくなつてきた、田舎で
抑圧してゐた満腔の不満が、噴火口を見つけた火山のやうに、一時に怒りを爆発させる。理由なく、私は怒り
つぽくなり、酔つては必ず人を叱罵する。性質がすさんで悪くなつてきた。そして、げにそれだけが、今の生
活の変つてきたものにすぎないのだ。
いかならん影をもとめて
みぞれふる日にもわれは東京を恋しと思ひしに
そこの裏町の壁にさむくもたれてゐる
このひとのごとき乞食はなにの夢を夢みて居るのか。
人生はどこも同じことだ。肉体の飢を充すものはあつても、心の飢餓を充す世界はどこにもない。所詮私の
やうなものは、さびしい街路の乞食にすぎない。ゴミタメの中の葱でも拾つて居よう。
都会に来てからは、しかしながら苦痛がすくなくなつた。なぜならば友人や、酒場や、自動車や、玩具や、
ゼイタク品や、その他の感覚的事物があつて、それが気分を紛らしてくれるからだ。そして鬱屈する人生が、
次から次へと感覚的刺激の興味に紛れてゆく。しかしながらただ感覚的にである。精神の満足する如き、ほん
との快楽といふものは全くない。それは田舎に無い如く、都会にも実際無いのである。
世界が、もしいつまでもこんな風であるならば、世界は破壊した方が好いと思ふ。私は田舎にゐても孤独で
あり、都会に来てもまた孤独であるの私が社会主義に反対するのは、いつでも私が一人であり、それ以外に私
の居ないことを知つてるからだ。今都会にきて、私の物珍しさが飽きない中は、どこかに「不思議な快楽」を
尋ねてゐる。そして何よりも「平和な生活」を待ちこがれてる。しかしそれが夢であり夢であることを笑ふな。
なぜならば私の現在はせめて尚その空想の故に幸福である。すくなくとも今は、この都会に飽きてゐないのだ
から。
さびしき友
私が友人といふものを持たないのは、一には気質のためであるが一には境遇のせいでもあつた。ただ昔から
知つてゐるのは、室生犀星君だけであり、今でもまたその通りである。
私が東京に出た時、心から私を出迎へ、私の両手を取つて悦んでくれた人が、またこの唯一の旧友であつた。
駄々つ子で世間知らずの私のために、身辺一切の世話をしてくれた。私に対する彼の友情は、いつでも保護者
のやうであり、情愛の厚い監督官の様でもある。
「僕が俗塵を脱れようとしてゐる時に、君は俗塵の中へ這入つてきた。」
二人が始めて逢つた時に、私の監督官がさう言つた。この十数年間に於ける、二人の生活の相違がその時始
めてしみじみと考へられた。ずつと昔は、ほんとに僕等が一致してゐた。趣味でも、作品でも、思想でも、境
遇でも、たいてい二人は類似し合つた。それが今では、むしろ正反対の傾向に行かうとしてゐる。一切が、何
もかも逆に食ひちがつてゐる。
「君は風流を理解しない」
と室生が僕を非難する。しかし理解しないものは、単に風流ばかりでない。生活に対する心持ちが互に矛盾し
てゐるのである。しかしながら友情が、今では同志の関係でなく、肉親の関係に進んでゐるのが、ふしぎに直
感されるのである。愛は、理由なく愛する故に愛である。
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室生の厭世思想は、けれども私よりずつと暗黒であり、現実に望みなき人々の、はかない嘆息の感傷である。
(詩集「高度のこ撃と「忘春詩集」を見よ0)それに較ぺてみれば、私の厭世思想には熱と悩みが充ち切つてゐ
るい何故だらうか↑私と私の嘗友とが、静かな大理石の阜に向つて、いつものやうに沈験しながら、冷たい
紅茶を吸つてゐた0我々はいつでもさうして互に詰もなく歎つて居るのが習慣である。(なぜといつ三人の
間には、もはや話すぺきこともなく、また話す必要もないから。)
ふいに疑問がとけ、そして私の賃が鰐決された0然り、私はまだ『夢』を持つてゐる。あの稚気のある、
くだらない夢を持ちまはつてゐる0所で友人の方は、とつくに其の稚気を況してしまつてゐる。彼は革質に鱗
れ賓生活の幻滅を知り蓋してゐるのだ0それからして彼の悲哀1絶望的な感傷1が湧いてくるのだ。彼の
所謂『風流』こそは、彼のあきらめの故事であり、幻滅の感傷である0私はそれを理解し得ない。それ故にま
た彼を理解し得ない0彼は『夢』を失ひそして私は伶『夢』をもつてる。
ともあれ犀星よ。我等はさびしき友ではないか?
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