大船駅で

例年の如く詩話曾の族行をする○蒜二〇分大船経過の列車で行くから、同騨にて持ち合せょといふ通知が
佐藤惣之助君からきた0丁度族行に出たいと思つてゐた矢先なので、早速同行することに決心した。
族行の楽しさは、しかし族の中になく後にない0旗行のいちばん好いのは、旗に出る前の気分にある。『放
に出よう!』といふ思ひが、初夏の海風のやうに湧いてくるとき、その思ひの高まる時ほど、賓際に欒しいも
のはないだらう○族行は忘熱情である0懸や結婚と同じやうに、出敬の前に荷造りされてる、人生の妄想に
充ちた鞄である。
 二〇分、十五分、七分===。長い飽き飽きした時間の後に、やつと明石行の列車が這入つてきた。これにノ
行が乗つてゐるのだ。窓からいくつかの顔がのぞいてゐる。すべての出迎へ人がするやうに、一瞬の管見から
求める頻を探さうとして、私は電光のやうにすばやく硯線を窓に貰いた。そこの窓には詩話禽の親しい友人、
室生や佐藤や川路や涌田や、それから就中古田宗治の四角な笑顔がのぞいてゐることを想像してゐた。
『おい! こつちだ。こつちだ。』
 どこかの窓で、さういふ饗が聴えるやうに思はれた。然るに、何といふ意外なる事賓だらう。どこの窓にも
知つてる顔はのぞいてゐない。二つ三つ残つてゐた男の顔も、買物をした手と一所に窓の中に称えてしまつた。
                       ま ひ る ほ うむ
降りる人もなく乗る人もない。ひつそりとした自室の歩廊に、頁大な列車が夢のやうに静止してゐる。
 これでおしまひだ。遊行の杢想は破られてしまつた。今から一行の跡を迫つた所で、どこで合過できるか解
りはしない。私の痴呆症は先天的だ。それがどこまでも自分を杜合的に不遇にする。眞暗な自己嫌忌に囚はれ
                   ほ うむ
ながら、それでも念のためにもう一度歩廊の時計を見た。不思議! 不思議! 時計はたしかに一時二〇分の
時盤を指してゐる。念を入れて凝成した。たしかにちがひない。一行はこの列車に乗つてる筈だ。しかるにだ
れの姿も見えない。
 急に、或る不快な疑ひが起つてきた。さうだ!一行はたしかに乗つて居るのだ。それでゐてだれも私のこ
とを忘れて居るのだ。何たる薄情の者共だらう。約束して待ち合はす仲間の存在さへ忘れてゐる。そんな不人
情の奴等と族行して何の面白いことがある。そんな氷のやうな奴等と、かりそめにも同行を約束したことが誤
まりだつた。
『だれが奴等と旗行なんかするものか? 勝手にしやあがれ。』
2夕J 随筆

  ぎ
Z瀾W
一』
妖ひの超つた刹那からして、自己嫌忌の念は攣じて憤怒と情意に身ぶるひした。私は靴を踏みつけながら決
    0 0 0 0 0
心した0友情的にも、今後断じて詩話禽を脱合しょうと○それでもプラットホームを走りながら、念のために
車中を一箱づつのぞいて見た○最後の二等車に来た時、出饅の汽笛が鳴つて動き出した。私はあわてて飛び乗
つた。とにかくも畢濁の放行をしようと思つたからだ。
『いつそ初から一人の方が好かつた。』
 さう思ふと却つて清々する0私は席を選ぶために、二等車から三等車の方へ移つて行つた。
『やあ!』
『やあI・失敬。』
『失敬! 失敬!』
 車室の向うから大勢ぞろぞろとやつてきた0支那の貿易商人みたいな洋服姿で、佐藤惣之助が先頭にやつて
きた0それから頑田正夫と室生犀星がつづいてきた。室生は珍らしく洋服をきて、時計の鋭なんかをチョッキ
にからましてゐる。
『失敬! 失敬! つい話に耽つて君のことを忘れたんだ。』
 やつぱりさうだ。いまいましい。よくも不人情の奴等ばかりそろつてゐやがる。
『でも最初に僕が菊がついたのだ。』
 流石に室生犀星が拝辞した0あたりまへだ0他の人はとにかく、蕾友の室生にすら薄情にされてはやり切れ
ない0もし室生が菊が付かないなら、だれも旗行が終るまで知らばつくれて居る気だつたらう。
 導かれた革宴の中には、白鳥省吾、千家元麿、川路柳虹等の諸君が、いつもの親しい顛ぶりでそろつてゐた。
 拷はいろいろに炉辞した。しかし私の内積してゐる鬱憤は、容易に合議の中に溶けなかつた。それが雪のやう
2タ4
に自然と添けてし▲まつたのは、施行の道程が可成進んだ後であつた。辟途に再度大船で別れる時機ば、∵粥転ばや
心から諸君に盤手して穐をのべた。
『お蔭で愉快な放行をした。諸君、僕の失祀をお詫びします0』
天城・下田
 自動車に乗つて天城山を越える。くねくねとした山路0行き登れば曲り、曲ればまた坂道が轄回してくる0
太陽は山頂にあり、峠は海のやうにうねつてゐる。
佐藤惣之助運樽蔓に坐す。顧みてしきりに伊豆山中の案内をする0地誌、俸説、人事、植物、天然、礎石、
魚島、風土の全般に亙り、無壷にガイハクにして散漫な知識を展列す○風景の樽同と相待つて目まぐるしきこ
と限りなし。
下田町に着く。港に昔の如き黒船あり。町家はすべて重苦しき土蔵造りで、屋根に瓦を葺き窓をあけてる0
江戸末期の錦檜に見る唐風和蘭陀情趣の古く煤はけた面影がある0思ふにこの景、伊豆南方の特色だらうか0
行きに修善寺温泉でもそれを見た。そこでは町の川添ひに櫻が吹いて、古風な黒い土蔵造りが、窓を唐風のぎ
                                                                                                                                                               ヽ


ヽ ヽ ヽ やかた
ゃまん館に切りぬいて居た。家の上に旗が立つて、それに文化倶楽部と書いてあつた0家内は青みある瀬戸張
りで、ひろびろと金魚が泳いでゐるらしい。修善寺の文化倶欒部は嬉しかつた0
2夕∫ 随筆

、「「
夜、下田町有志の饗宴に招待さる0下田町長、自動車牡鹿、電燈社長及び下田史料編輯委員の村松老人等が、
重なる主人側の出席者である0饗應至らざるなし0佐藤惣之助酔うて踊る0寄席のステテコに顆するもの敷番。
この男かかる酒蜃に天眞の妙味あり0不思議なる道楽者かな。無闇に可愛ゆらしく思ふ。

翌朝、自動車社長鈴木氏の来集する武山閣を訪ふ0古石器、悌像を始めとして、和蘭陀珍賓、支那玩具、西
寂秘俳、印度彿具、及び西京、ビ〜マ、シャム等の浬柴像、その他多くの珍奇な骨董が衆集されてる。之れ西
人の所謂キューリオスである0「珍らしきもの」の衆集である0しかして日本人の所謂「骨董癖」とは態度が
ちがふ○日本人の骨董癖は、或る「老人らしい心の寂」を愛することに動機するが、欧洲人の支那、日本、印
度等にまたがる世界的の古物東集癖は、むしろ反封に「子供らしき好奇心の熱情」に動機してゐる。ここに季
術家的心境とアマチュア心境との相違がある0僕はむしろ西人のアマチュア心境に同情するもの。大に武山閣
の衆集に興味を感ずる0何よりも主人の純なる態度を悦ぶのである。
観覧終りて記念帖に署名を乞はる0右中僕最も恵筆○文字書慣をなさず。冷汗冷汗。これょり習字を勉強
すぺし。

 武山閣のことにつき、蹄途自動車中にて諸君と語る0川路柳虹君は美術鑑賞の大家である。よつて同君の意
見を乞ふ0日く、これアマチュアの集癖であり、美術として専門的に見るぺきもの紗なし。しかし釆集の趣味
には認む、、へき素質があると0室生犀星君日く、これ全然余と異なる集癖である。余はその}品の衆集にすら、
自己の心境全景をうかがふぺき物を欲すると0いかにも、これ室生君の陶器を愛する態度である。そして川路
29∂
 民また洗石に美術象としての専門鮎観をなす。両君の言共に眞なりlち思ふ。
 しかしながら僕は一人心中に異見を持した。僕の悦ぶのは、却つてそのアマチュアの純眞な態度である。美
術の専門的な見識をもつ以前に、まづキューリアスの存在として世界を見る、西人の子供らしい情熱が望まし
い。武山閣の衆集には、和蘭陀時計あり、黒船の模型あり、西蔵の秘彿あり、ビルマの珍俳あり、賓にそのロ
マンチックな、若々しい人生への情熱がょく語られてる。僕が「詩人」として生きるものは、賓にこの人生的
情熱に外ならない。僕は諸君の蜃術至上主義的心境に同情し得ない。それで諸君が胸中に不満してゐるとき、
僕濁り主人のコレクションを満足してゐた。ただ百田宗治あり。ひそかに僕と共鳴する心緒を感じてゐた○か
かる時、常に僕と同感の意を示すのは古田君である。彼は正に「謎の人物」。ふしぎに複雑な気質をもつてる。

             しやくなげ
 湯ケ島温泉に宿る。去年の石楠はまだ吹かず。山の櫻は満開してゐる。解谷の底に眠る静かな温泉。青葉の
中に放館の三屠棲が屋根を重ねてそびえてゐる。「山中一廓桃李郷」の感、やや無きにしもあらずである。と
にかく自然の中でみる衣はすべて美しい。特に櫻や桃の花は山でみるに限ると思ふ。支那人の「桃李郷」も、
それが幽遽な山間自然の中にあるから生きて感ずるので、あの夢幻的な詩趣は人間界を遠くはなれるほど強く
なる。とにかく山の中でみる桃や櫻は、さうした神秘的な幻想を呼び起させる。
 夜、千家元麿陶然として酔ふ。旗中、彼が酔つたのは始めてである。濁り膳に坐して陶然としてゐる。見て
ゐるからに気持ちが好い。千家の酵境はたしかに蜃術的だ。悠々たる太古人の面影があり、無邪気な本能で動
く原始風の稚態もある。とにかく彼の酔境は「人間の素朴時代」を思はせる。けだし一種の「仙民族」だ。
 稲田正夫の軒に諸君が悩まされる。よつて彼を別室の幽壷部屋に寝かさうと決議する。摘田柔道二段の肥大
漠であり乍ら、お化が怖いと言つて泣顔をする。それでも温和しく衆議に従ふ。蓋しこの男の愛すべき所以な
2タア 随筆

田舎の郷里を出てから、この二三年の間に、私はずゐぶん諸方を移樽し歩いた。始めは大井町に住み、それ
から田端に移り、さらに鎌倉に一年ほど居て、最近また東京の郊外に辟つてきた。
田舎から始めて出て、あの工場町の大井に住んだ時は、一ばん印象が深かつた。省線電車の停車場を出て、
                                          ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
煉石の工場直域に吸ひ込まれて行く、あの大井町の気分ほど、不思議にのすたるぢやのむのはない。三股の繁
華な通りには、エ女や職工の群がむらがつて、杢には煤煙がただょつてゐる。
さぴしいではないですか
お嬢さん!
り稲川Y…山泊J為
仰戌1 a、

[憎篠l」″
 私の「青猫」といふ詩集で、悲げに幻想してゐたことは、丁度ぞづ←町大井町の景色に現れてゐた。そこの
裏衛には、茎地のさびしい草むらがあり、古く壊れかかつた印刷工場などが、青ペンキのはげた窓を改ぺてゐ
                                           ベ ル ト
た。路を行く時も考へてる時も、頭の上では常に機械が廻挿し、汽躍や、蒸気や、革帯やの、森々といふ音が
鳴つてゐた。職工や工女の群は、いつも郵便局の窓口にあつまつて、貧しい貯金を取らうとしてゐた。峯には
       タ ソ ク
無数の煙突や水槽があり、冬の日ざしの中で黒ずんでゐた。
 大井町! いかにしても私はその記憶を忘れない。丁度私が此所に来た時、私は自分の前から幻想した、詩
                                                   ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
の中の景色を現賓に見る気がした。私の詩集「青猫」で歌はうとしたのすたるぢやが、丁度そこの工場町で、
                               ヽ ヽ ヽ ヽ
幻燈のやうに映されて居るではないか。私はすつかり大井町が好きになつた。恐らく永久に、私は此所に住ま
うとさへ決心した。
 いろいろな事情が、しかしながら私の縛居を飴儀なくした。何よりも、室生犀星君の強い誘惑が、私を田端
に移挿させた。私は大井町と別れることを、愛人と別れるやうに悲んだ。けれども室生君の近所に住み、この
なつかしい古い友と往復し、日常合話したり散歩したりする華南を考へると、遂にこの好きな町を去らうとす
る、最後の決心に到達した。
 田端に移つてからは室生君や芥川君との親しい交情に飽満した。私は常に幸頑を感じてゐた。けれども土地
                                                                        ヽ ヽ ヽ ヽ
に対する愛は、始めから全くなかつたひ田端といふ所は、第一始めから印象が嫌ひであつた。妙にじめじめし
て、お寺臭く、陰気で、俳人や茶人の住みさうな所であつた。私は気質的に、かうした室菊が嫌ひなのだ。室
2タタ 随筆

生君が得意で見せてくれた正岡子規の墓も、私には何の情趣もわからなかつた。芥川寵之介氏が紹介してくれ
 じ せうけん
た自笑軒といふ京都料理の茶席も、イヤに陰気くさいばかりで、螢養不良の育つぽい感じがした。何もかも、
すぺて田端的風物の一切が嫌ひであつた○薄暗く、じめじめして、味噌汁臭く、俳人臭く、要するに私の所謂
「自然汲小説的なもの」の全景を代表してゐる。
                            ● ● ●
 田端に来てから、私は丁度自分の求めてゐる世界の正反封に、自分の環境を見出すやうに思つた。悲く思つ
たことは、室生君と私とが、根本的に趣味を異にしてゐることの自覚だつた。室生君にとつてみれば、田端の
                       ヽ ヽ ヽ ヽ
風物や環境ほどにも、彼の趣味にぴつたりと合ふものはない0彼の住んでる景色の中に、丁度彼の「詩」があ
るのである0室生犀星と田端の風物とは、最も必然の聯想で結びつけられてゐる。田端の中に室生が居るのか、
jOO
室生の中に田端が住むのか、殆ど表象上に分離できないほどである。けだし田端は、
                                    ヽ ヽ ヽ ヽ
よく顆似してゐる○あのお寺臭く、味噌汁臭く、陰気でじめじめした金澤の延長が、
なのだ0そして此所に、あの俳味や風雅を架む金澤人としての室生が居る。。
 室生君が始めて大井町の家を訪ねてきた時、彼は例のズバズバした調子で言つた。
室生の郷里金渾と極めて
丁度田端や根岸遽の風物
「こんな所に人間が住めるか。」
                                                    Lグ ソ ク
あの工場町の煤爛にも、赤煉瓦の建物にも、エ女や職工の悲い群にも、冬杢にそびえる水槽にも、彼が何の
詩を感じなかつたといふことを、私はその二言によつて直感した。そして私の詩集「青猫」をクソミソに非難
する彼の平常の美挙を考へ、この久しい年月の推移が、いかに我々の間に避けが七いものを作つたかを知つた。
「こんな所に人間が住めるものか。」
 同じやうに私は・田端に居る問、絶えずこの不平を心に抱いて居た。一方では、嘗友に対する愛情にひかれ
ながら、ノ万では之に反撥して、友情の手から脱れる横合をうかがつてゐた。友人の御機嫌を損ずることなく、
巧な口軍をまうけて、叫白も早くこの土地を逃げ去らうと思つてゐた。そして遂に、鎌倉へ移る硬骨を挿へた。
瀾…
 鎌倉の一年は、静かな落付いた生活だつた。友人が全くなく、娯楽や遊歩もなく、孤濁な侍しい生活だつた。
私は長谷の町を遠く離れた、海に近き材木座に住んでゐた。
                 ヽ ヽ ヽ ヽ
 材木座の町は、いつもひつそりとして居た。海岸に近く、松林の別荘地帯が建つてゐて、夜は浪のがうがう
といふ音、犬の吠え叫ぶ聾が撃妄た。燈火もない、眞暗な夜がくる時、私は早くから床の中満もぐり込んだ。
その孤寂な一年間に、私は哲学者のやうな冥想生活を績けてゐた。あの賑やかな夏の海水期間も、私は「冥想
の屏」を固くとざして、岩のやうな思索に耽つてゐた。その間に海岸では明るい新時代が泳いで居り、気の軽
い久米正雄氏等が、私の妹たちを馬眞に映した。私は鎌倉に居る間、一度も久米氏や里見氏を知らなかつたけ
れども、妹や女共は、早くからそれらの大家を認識してゐた。或る朝、新聞の景物馬眞で、久米氏の撮影した
妖の海水姿を見たのである。
 南度、東京へ蹄る機縁がきた。郊外の新居について、家族の間に議論が出た。私はもちろん、第一に大井町
を主張した。田端に居る問も、幾度か大井町へ復辟しょうと思つたけれど湾流石に室生君へ気がねして、は
っきり決断する勇気がなかつた。室生君があれはどにも非難する大井町へ、再度私が移椿することは、友情を
裏切る感なしに、どうしても断行できなかつた。もし私があへてするならば、あの生一本で怒り易い友は、絶
交的にまで腹を立てるにちがひない。さうしたことから生ずる友情の食ひちがひは、取り返しがつかないほど
J(〃 随筆

Z瀾、
寂しいものである0私は友情を犠牲にしてまで、住居を攣へょうと思はなかつた。
しかし今では、既に事情がちがつてゐる0今なら友人への気がねなしに、自分の好きな所へ辟れるわけだ。
そこで私は、策謀大井町への移縛を主張した○しかし私の主張は、家族や両親やにょつて手きびしく反封さ
れた0女共や、それから特に郷里の観たちは、気質的に大井町が嫌ひであつた。あの工場や、煤煙や、職工や、
労働者や、薄ぎたない真狩の難問やが何よりも甚だしく、彼等の趣味を不快にするのだ。紳士らしく、上品ら
しくない、どんな詩味についても、決して女共は理解しない0(すぺての女共は、先天的の成金趣味者だ。)
 そこで私共は、遽に大森へ移挿してきた0大森といつても、海岸や山王の方ではなく、ずつと奥になつた馬
込村である0馬込村といふ所は、賓に自然の明るい所だ0私は東京の郊外に、こんな明るい世界があるとは思
はなかつた○樹木の色も、田畠の色も、まるで他所とはちがつてゐる0すぺてが水々しく、新緑のやうであり、
土壌は黒ずんで生々してゐる。

          4 (績)
 林があり、坂があり、故木がある0至る所が廣闊として、パノラマのやうに眼界がひらけてゐる。此所に移
つてから、私は始めて「自然」といふものへの愛を感じた0自然といふものは、私にとつて久しい間退屈の存
在にすぎなかつた0上州の郷里に居ても、田端に住んでも、鎌倉に移つても、自然は私に交渉をもたなかつた。
私にとつてみれば、自然は一様に単調で、無味平凡で、人生と交渉のない無生命の物質に過ぎなか/つた。自然
の中に生命があり、カがあり、生活があるといふことを、私は馬込村に来で始めて革んだ。
 馬込村の風物は、すぺてが明るく青々してゐる0だからこの自然の中では、日本風の煤ぼけた藁家根や、色
彩の暗い陰菊な家屋は調和しない0此所では家根の赤い、窓の青い、色彩の畢言明るい西洋家屋はかりが、
jO2
・短る析やびPたり】患調和し・てゐる_賓際、▲′青葉の中に洋風家屋の赤い家根を見るほど、庖込の風物を印象的に
するものはない′申そして至る所に、殆んど皆洋風家屋が建ち並んでゐる。洋風家屋でなければ、この自然と調
和することができないのだ。
 馬込には坂が多い。廣闊とした眺めの中で、至る所に坂がある。そして之が、著るしく風景をロマンチック
にする。(坂といふものは、不思議にロマンチックのものである。)此所へ来てから、始めて小説家の尾崎士郎
君と知己になつた。近付きになつた翌日、庭のボケの木を抜いて私の所へ植ゑにきてくれた。尾崎君と私とは、
一見蕾知の如く意気投合して了つた。不思議にどこか、二人の性情に似た所があるからだらう。この新しい友
人を得たことは、私にとつての意外な喜びである。細君の宇野千代さんも、私の家族と親しくされてる。鴫明
で、行き届いて、そのくせ邪気のない子供らしさを持つた人だ。私は元来、女の人とは交際のできない人間だ
が、此人となら気軽に話せるやうな束もする。
 北原白秋氏が、最近また近所へ越して来られた。白秋氏の邸宅はたいへん眺望の好い丘の上吋ある。丘に登
る坂があつて、中腹に崖ぞひの家がある。青い四角の窓から居留地の裏街が見えるやうな、どこかに安ホテル
の看板が掲げてあるやうな、妙にエキゾチックの家があつて、そこから坂が登つてゐる。天鷲絨の背廣に詩人
帽を被つた白秋氏が、この坂を登り降りしてゐる姿を考へると、たまらなく蓋趣的のものを感ずる。馬込に移
ってきた白秋氏は、墨檜の芭蕉を描いた枯淡汲の陰士でなく、歌集「桐の花」時代の洋装詩人でなければ、ど
ぅしても調和で.aないやうに思はれる。白秋氏の邸宅は純粋の大西洋館で、窓の数が五十もある0食卓には白
い金巾が掛けてあり、毎朝新鮮な胡瓜を生でかじつて居られるのだ。
jOj 随筆

歳末に近き或る冬の日の日記
詩人協合の用件にて高村光太郎氏を訪ふぺく、前夜涌士辛次郎君と約束がしてあつたので、苗世辟のミカド
で待合せをする0時計は午後一時五分前、約束より五分早く、涌士君はまだ見えてゐない。頑士君については
従来深く交際したことがないので、賓際の人物はょく知らないけれども、噂にょれば言語道断のズポラもので、
時間の観念など全くない人のやうである○今日もことによると、約束のことなど忘れて居るかも解らない。少
                            ヽ ヽ ヽ ヽ
少心細く、一人でビールを飲んでる所へ、にこにこしながら這入つてきた男がある。やつばり摘士君だ。
「やア、失敬失敬。約束より五分遅れた。」
と言ひながら、例の長廣舌で滑々としやぺり始めた0財布を忘れて来たので、乗合自動車の女車掌がやさしく
同情し、切符を貸してくれたといふのである○いかにも両士君らしい話だ。かつて讃んだことのある1そし
て今でも印象に残つてゐる1頑士君の詩「踏切番の娘」を思ひ出して、或る性格のもつ素朴さに感動した川
この人の好印象は、殆んど底ぬけのお人好しと、農民的の素朴さと、北圃的の憂鬱感と」大陸的のヌーボーと
が、漠然たる色彩で神秘的に混同してゐる所にある0それで僕は、大にこの好詩人を愛敬j、以後「露西亜長
靴」といふニツタ.ネームで呼ぶことにした。
 時間が迫つたので、囲タクを飛ばして高村氏を訪ふ0↑度外出に出た高村氏と、うまく坂の途中で逢ふ。危
ない所であつた0僕が前に高村氏を訪うたのは、三年以前、田端に居た時であつたが、何時衆ても民のアトリ
jOイ
Z濁
モ』
■Z一」パ.号=1.■§

エは同じであり、思ひ出が非常に深い0僕がまだ無名作家で、室生と二人で東熱朗崩礪粥M朋胡那卜軋』町々
しくもよくこのアトリエを訪ねたものだ。その頃先輩の高村氏は、僕等に親切にしてくれたので、ノ盾思ひ出
が深いのである。しかしその頃からみると、室内の調度や家具が古くなり、ハタオリ器械や、酒場の招牌や、
腕の映けた彫刻や、壊れた車輪や、投げ出された椅子などのガラクタ(と言つては失祀だが)に年代の錆がつ
いて、大へん雅趣が深くなつた。僕はこのアトリエから、いつも中世紀の版董に見る「煉金学者の書斎」を聯
想する。賓際また高村氏には、どこか西洋仙人の風格がある。
 たまたま尾崎喜入君来る。高村氏はうなづき、尾崎君は歎し、涌士君最もよく語る。この人一度口を開いて
は、侯舌多岐に亙り意きる所を知らない。関東人である僕の性急と、東北人たる涌士君の大陸的悠長とは、殆
んど耐へがたきコントラストだ。好詩人鹿西亜長靴。この鮎で僕を苛だたせる0新してアトリエを出て、辟途
室生犀星君を訪ふ。席上「駿馬」の宮木喜久雄「青杢」の三好達治の二君あり。一同と共に夕餐を馳走になる0
室生君元気横溢、しきりに僕に挑戦すれども、僕避けて争はない。ただ酒肴のよく整ひて美なるを質す○之れ
室生君家庭の一徳なり。僕の如き堕センペイにて晩酌する徒輩にとつて、室生君酒席の贅澤は羨望の至りであ
る0
jO∫ 随筆