夏とその情想
ラフカヂオ・ハーンの散文詩に「白日夢」といふのがある0日本の俸説たる浦島のことを書いたのである。
夏の自費、峯にはむくむくとした綿雲が浮んでゐる0海は死んだやうに眠つてゐて、人気のない海岸に、遠
く砂丘がづながつてゐる。
・牛釘ある峯想象の青毒・当さび払Yい海岸の砂丘の上で、十人思ひにふけつてゐる。彼は青春の一博みをもづ
てゐる。永遠の美しい女性が、どこかの見知らぬ世界に、遠い地平線の向うに、何かしら質在する如く信じで
ゐる。彼は孤濁であり、かつて愛人を有してゐない。
「椿を樽するひと」の焦快が、かれの現賓を退屈にしてゐる。それからして職業−彼は漁師であつた − が
呪はしくなり、毎日、夏の海岸に衆ては、ぼんやりと海を眺めてる。その海の上にはまつ自の夏雲が綿のやう
に浮いてゐる。
 かうして永遠に、いつまでもいつまでも、彼は峯想の世界にあこがれてゐた。永遠に、つひに向物も、かれ
を訪ねては衆なかつた。遠い地平線の向うを、いくつかの帆船が通つて行つた。しかしながら遂に、かれの待
つてゐる「現賓」は来なかつた。悲哀に沈みながらしかも杢想を捨てなかつた。彼は・涙を流しながら、或る時
ふと眼を醒ましてみた。その時、悲しいかな、彼は既に白髪の老人となつてゐた0荒蓼たe漁村の、さびしい
孤濁の岩の上で、いかに彼が嘆いたであらう。ただ自然のみは悠々として、夏雲が無限の時を語つてゐた。
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 ハーンの「白日夢」は、かういふテーマで書かれてゐない。それは少しちがつてゐる。しかし「人生の夢」
と「夏の自然」とを、あの浦島の俸説に結びつけたことはさすがに詩人の濁創であり、あの侍説に生気をあた
へたものである 浦島の物語は、どうしても夏の幻想であり、夏でなければ意味をなさない。何となれば、夏
は四季の夢見時で、生理的または心理的に種々な幻想に耽り易い時季である。
「南国の人に夢多し」といふ言ひ侍へも、南国が常夏であることに事情してゐる。反封に、冬は人雀の夢無し
時であり、現賓が氷のやうに張りつめる時季である。冬になると、たいていの詩人は書けなくなる。そして小
説家は、反封に油が乗つてゐるのである。
 季節と自然、及び季節と人間の情操との関係は、日本の古い叙情詩、特に俳句等が機微を蓋してゐる。俳句
2アJ 随筆

ノミ仙川i■l=
が歳時記といふものを重んじ、形式的要素を「季」におくのも、自然観照を生命とする詩の立易から、或は必
然のことであるだらう0しかし日本の古い詩想は、俸統的に夏を恐れて毛嫌ひしてゐる。即ち夏の詩といふも
のは、どれも「やり水」「泉水」「納涼」「夕立」「青嵐」等で、動機が「暑熱を避ける」ところにある。即ち夏
に於ける生活情操が、根本的に滑樋的にあつて、少しも力強い積極的情操がない。
西洋人の夏における情操は」表に甚だ燃攣性であり、積極的である0日本の詩人が、概して夏の涼味を歌
ふに反し、彼等は夏の灸熱や、自葦の恐ろしい沈獣や、燃ゆる自然やを歌つてゐる。あの情熱的なる浦島の話
の如きは、正に西洋的情操を代表する夏の詩であり、古い俸統的な、日本の夏の詩には属してゐない○影の
古い浪漫思想は、盛夏の季節のものでなくして、多くは呑もしくは初夏のものに廃してゐる。
 ほととぎす鳴ぺゃ五月のあやめ革あやめもわかぬ橡をするかな
                                 1古今集、讃み人知らず1
2ア2
日本人の季節的浪漫詩操を代表する詩として、これほどすぐれた作品はないと思ふ。但しかうした詩の妙趣
は、その言語のあやと音楽とに存するから、好誼することは不可能であり、また解説しては趣味がないが、試
みにその大意を、現代の口語自由詩で詳出すればかうであらう。
ほととぎすが鳴いてゐる
あやめが咲いてゐる
ああ五月だI・
何といふ匂はしい自然
何といふ杢想的の季節だらう
だれといふこともなく
むやみに人を懸しくなる。
ああ五月!
 自由詩七書くとかうであり、非常な説明的であるが、和歌の原作では、それが皆、「言葉の音楽」として言
外に歌はれて居る。即ち謬詩の方での「何といふ匂はしい自然」「何といふ峯想的の季節だらう」の二行は、
原作の表面に言はれてなく、和歌金牌の標紗たるリズムに感じられる。即ちこの歌をロ詞んでゐると・、どこと
いふ病も太く、不思議にさうtた初夏の自然や、ぞフした季節の情調を感ずるのである。この含蓄を辞するた
めには説明にならざるを得ないのだ。
 我々の俸統的なる、古い和歌や俳句に対して、今日の所謂新鰹詩や自由詩が、いかに肇衝として生硬なる未
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成晶にすぎないか↑ それはこの一例によつてもわかる。古今集の和歌や、芭蕉の俳句は、日本の世界に誇り
得る完成の奉術であるのに、今日僕等の試作してゐる自由詩は、国内に於てすら、一世紀後には笑殺さるぺき
ものにすぎない。僕等は果敢ない人間であり、来るぺき新日本の文化のた掛に、下積みの石を運ぶ人夫にすぎ
ない。
「夢」が死して「現資」だけが残つたのか。或は逆に、現寛が死して夢だけが賓在したのか。浦島太郎の物語
が、我々に残した宿題の考察はこれである。私に就いて言へば、私はプラトーに従いてイデアの賓在を信じた
い。それからして浦島の幻想が、彼の夢の中に、この現在せる慣象の彼岸に、永遠に資在してゐたことを論澄
2ア∫ 随筆

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したい0もとより我々の「孤濁な詩人」は、懸愛に就いても、かなしきロマン・ローランのともがらであり、
久遠の女性をイデアして好いのである。
2アイ